第百話 お嬢様のささやかな冒険
「結局、やることなくなっちゃったね」
「んにーー」
「はると、クウちゃんつまんない」
ロワーズの宿で、ゴロゴロしながらハルトとネコとクウちゃんはぼやいた。ルガイアは涼しい顔で相変わらず直立不動。
「ねぇクウちゃん、今もやっぱり分からないって?」
「うん。ここにいたいけど、どこにいきたいかわかんないって」
「…………そっかーーー」
先ほどと同じ遣り取りをして、ハルトは天井を見上げて溜息。
とりあえず魔女の居場所だけでも確定させておこう、と黄金翼の聖獣に道案内をさせようとしたハルトたち一行だが、すぐに暗礁に乗り上げてしまった。
ベルンシュタインが、訳の分からないことを言い出したのだ。
いや、もしかしたら訳の分からないのはベルンシュタインではなくてクウちゃんの通訳の方かもしれないが、ハルトにはそのどちらなのかは分からない。
ただ、「ここにいたいけどどこにいきたいかわからない」とのこと。何回聞いても同じことを繰り返すので、埒が明かない。
ハルトとルガイアが頭を捻って出した推論は、ベルンシュタインは魔女の大まかな居場所までしか分からないのではないか…というものだった。
「もしかすると、何らかの隠蔽がなされているのかもしれません」
とは、ルガイアの意見。
「気配を絶ったり偽ったりする程度の魔導であれば、廉族にも使用可能ですから」
契約精霊が、主の存在をどのように知覚しているのかは分からない。が、生体反応も魔導反応も隠されてしまえば、流石に後を追うことは不可能か。
「それじゃ、どうしよう?」
「しかし、この街にいるということだけは確かなようですし、多少強引な手を使えば捕捉は可能と思われます。ただその場合、少なからぬ騒ぎが起こるでしょう」
ルガイアの言う「多少強引な手」というのはおそらく、怪しげな場所を手あたり次第に調べる、ということだ。さらに言うと、強硬的手法で。
「ってことは……やっぱり、師匠たちを待ってからの方がいいよね」
「離脱のことも考えれば、そうでしょう」
「……魔女さん、大丈夫かなぁ……」
魔女がティザーレ王国に連れ去られてから、もう結構な日数が経過している。王国の狙いは分からないままだが、時間が経てば経つほどその身柄が心配だ。
「仮に無事ではないとすれば、今さらの話でしょう。その場合、魔女には運がなかったと諦めてもらうしか…」
「んな、んにゃなーお、にゃうにゃー」
「………………我らに出来ることは、限られておりますゆえ」
魔女に対し酷く冷酷なことを言いかけたルガイアだが、ネコに何かを窘められ、表現をトーンダウンさせた。
その変化の理由はハルトには分からなかったが、しかしここで下手に動けないことは事実。
今の状況で魔女の身柄を保護したとしても、そしてハルトたちは無事に王国を脱出出来たとしても、マグノリアたちが置き去りにされてしまう。
ただでさえ公権力が強く圧政的な王国だ、魔女が奪われたとなったら国境封鎖だってしかねない。
結果、今は何も出来ることがなくただマグノリアたちを待つことになってしまったのだ。
教皇に言伝を頼みはしたが、マグノリアの方から教皇に連絡がなければ伝わらない。それが今日になるのか明日になるのかはたまた明後日か。少なくとも、ルガイアが先ほど教皇に遠距離念話を繋いだ時点では、まだマグノリアからの報告はないということだった。
「師匠、確か定期的に教皇さんに報告をしないといけないはずなのに、何やってるんだろう」
ハルトがもう少しマグノリアについて詳しく知っていれば、ここで何かおかしいと気付いたはずだ。
マグノリア=フォールズが、何の理由もなく義務付けられた報告を疎かにするはずがない。
それは則ち、報告がない=何かがあった、ということなのだが、その時のハルトは己の師をあまりに信用し過ぎてしまっていたため、それに思い至ることがなかった。
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シャロン=フューバーは、ハルトたちと別れたあとエヴァンズ侯爵と共に、ロワーズの外れにある侯爵の別邸に身を寄せていた。
これからすぐに帰れば今日中にアンテスルに到着することが出来るが、随分と遅い時間になってしまう。
いくら街道とは言え、夜の道行きは危険が多い。そのため、今夜はロワーズで一泊して明朝アンテスルへ戻ることになったのだ。
今、エヴァンズはここにいない。アンテスルへ帰った後の諸々のために準備しなくてはならないことがあると、護衛をシャロンの傍に置いて何処かへ外出している。
そしてそれはおそらく、シャロンの父を糾弾するための準備なのだろう。シャロンには分かっていたが、不思議なくらいに心は平静だった。
父のことを案ずる気持ちが起こらないのはもとより、安堵もなければ「いい気味だ」と溜飲が下がることもなく。
自分を取り巻く危機が急に解決されてしまったことに、現実味が湧かないのだろうか。
今の彼女の心を占めるのは、父のことよりもハルトのこと。
予想もしていなかった形でエヴァンズに保護されたために、ほとんど別れを惜しむ暇さえなかった。
「……お礼も、もっとちゃんとすれば良かったな……」
ハルトには、どれだけ礼を重ねても足りない。それは、遊撃士として自分を護衛してくれたというだけでなく、彼に貰った言葉の数々や、親身な心遣い。
友人第一号に名乗りを上げてくれたこと。
けれども、その約束はどうなってしまうのだろう。
ハルトは、シャロンを無事アンテスルに送り届けたら、依頼が完了したら、友達になろうと言ってくれた。別に友情を育むのに依頼の完了を待つ必要はないのだろうが、ハルトも言っていたようにもしかしたら遊撃士と依頼主の間には公私混同を避けるための不文律みたいなものがあるのかもしれない。
だからハルトは、依頼が完了して金銭的な関係が終わってから友達になろうと言ってくれて……
「………ん?」
そのとき、シャロンは気付いた。
「…あれ………そう言えば、私…………ハルトに報酬支払ってない!!」
なんということか。エヴァンズと再会出来たドサクサで、すっかり報酬のことを忘れていたシャロン(とハルト)だった。
「どうしよう……これじゃ、踏み倒したみたいじゃない…」
みたいも何も、立派な踏み倒しである。
ハルトはきっと、そんなこと気にしないに違いない。が、そういう問題ではないのだ。貴族としての誇りもさることながら、それ以前に人としての礼儀である。
あれだけ危険な目に遭わせて、あれだけ面倒をかけて、最初に約束した報酬を支払わないだなんて。
シャロンは、腰かけていたソファから勢いよく立ち上がり、勢いよく部屋の扉を開けた。
「……シャロンお嬢様、どうなさったのですか?」
扉の外にはエヴァンズの部下が護衛として立っていて、部屋を出ようとしたシャロンを優しく押し戻す。
「その、私、大事な用を思い出して。ちょっとだけ、ちょっとだけなので、外出させて下さい!」
「なりません、お嬢様。外に出ては危険です、お戻り下さい」
護衛騎士は穏やかだが、折れてくれる気配はない。シャロンが狙われている身であり、侯爵から彼女の護衛を命じられている以上はそれも仕方のないこと。
「でも、その……」
「アンテスルへ戻られて、全てが終わってからでもよろしいではありませんか。さあ、お嬢様がお部屋にいないと私が旦那様に叱られてしまいます」
おしくらまんじゅうではシャロンに分が悪い。結局、部屋に戻されてしまった。
「……もう、分からず屋なんだから」
護衛からすると理不尽な不満を抱いたシャロンだが、もう居ても立ってもいられない。確かにアンテスルに戻ってからハルトを探して報酬を支払う…ということも不可能ではないが、それではあまりに誠意に欠けるような気がする。
思い出してしまったからには、すぐにでも支払わなくては……
…というのはおそらく彼女の建前で、本音は別のところにあった。
そうでなければ、(ハルト程ではないにせよ)箱入りのお嬢様であるシャロンが、こんな無茶な行動に出るはずがない。
報酬のことは言い訳で、結局のところはもう一度ハルトに会いたかったのだ。
もう一度、ゆっくり別れを惜しんで再会の約束をしたかったのだ。
「…いいわ、そっちがその気なら、私にだって考えがあるんだから」
シャロンは、扉を使わずに邸宅からの脱出を図ることにしたのだ。
彼女は窓に近付くと、掛かっていたベルベットのカーテンを外して結び始めた。これで、窓から出てやろうという魂胆である。
幸い、彼女のいるのは二階の部屋。高さはそれほどではない。
…とは言え、もし頭から落下すればかなりの高確率で命を落とすくらいはある。
にも関わらず、ここ数日の冒険はシャロンに余計な度胸と独立心を芽生えさせてしまっていた。仮にハルトたちに出会うまでのシャロンだったなら、窓から外へ出るだなんて危険以前にお行儀の悪いこと、考え付くことさえなかっただろう。
ベランダにしっかりとロープ状にしたカーテンを結びつける。そして降りる前に一旦、下を確認。
「……しまった、ちょっと足りなかった……」
カーテンの長さが足りなくて、地面に着いていない。風にあおられて、ゆらりゆらりと揺れていた。
シャロンは一瞬だけ躊躇って……
「ま、いいよね。端まで降りたら飛び降りれば。そんなに高さもないし、大丈夫よ大丈夫」
自分に言い聞かせてから、カーテンをつたって降り始めた。
降り始めてから、後悔した。
下端が固定されていない状態のロープを降りるのは、非常に困難なことである。登るよりはマシとは言え、手足を動かすたびにロープがブランブランと揺れ、それを抑えようと反対側に勢いをつけたらそっちの方にブランブラン。
訓練もしたことのないお嬢様が嗜むには、やや無謀なアスレチックだった。
しかし、シャロンには戻るという選択はなかった。
それほどハルトに会いたいという気持ちが強かったから…と言えば感動的だったのだが、そうではなく。
……もうどう足搔いても、上には登れそうにない。
下るだけでも一苦労なのだ。重力に逆らって上昇するなんて以ての外。
彼女は、それほどマッチョなお嬢様ではない。実際、既に両腕の筋肉が悲鳴を上げている。握力もじきに限界を迎えそうだ。
幸運なことに、カーテン同士の結び目がいい具合に取っ掛かりになっていて、多少は彼女の労を和らげてくれている。
……が、それも時間の問題。何の時間かって勿論、シャロンの体力ゲージが底をつくまでのタイムリミット。
「……お、降りるわよ。降りればいいんでしょ降りれば」
誰に対して言っているのか謎である。多分、誰に対してでもない。自分の迂闊さが恥ずかしくて誤魔化したのだ。どのみち、ここで動くことが出来なくなって窓から垂らしたカーテンにぶら下がっている様を誰かに目撃されたりしたら、恥ずかしさはこんなものでは済まない。
人間、必死になれば多少の無理は利く。もう一度同じことを繰り返せと言われれば絶対に不可能だと断言しただろうが、何はともあれシャロンはなんとか今回限りで不可能を可能にしてみせた。
最後のジャンプ。カーテンが地面から浮いていたのなんてシャロンの身長ほどもないくらいだったのだが、気が急くあまりに尻もちをついてしまった。
それでも、目立った怪我もなくこんな無茶をやらかしてしまった自分が、なんだか少し誇らしく思えたシャロンである。
立ち上がり、お尻についた砂をパンパンと払い落として、シャロンは走り出した。脚を勢いよく動かすと、打ち付けたお尻が痛かったが、構わずに走った。
裏口から侯爵の別邸を出て、ハルトたちと別れた馬車の集中停車場へ。
無事に領主に会えて身の安全が保障され、窓から脱走するだなんて生まれて初めての冒険をして。
走るシャロンは、今だけは自分が無敵になったような、そんな身軽さを全身に感じていた。
シャロンお嬢様、もうちょっとだけ出番が続きます。




