第十話 ときどき他人の物をやたらとぞんざいに扱う人っているよね。
ハルト殿下は、一体何をしておられるのだろうか。
レオニールは、不安な気持ちを持て余しつつ宿の外のいつもの場所でじーっと佇んでいた。
隠形は不得手なので、これ以上は近付くことが出来ない。ハルトに見つかってしまえば、あの腑抜けた王太子のことだから頼れる相手が見つかったとばかりに自分をアテにするだろう。
だが、外からではハルトが何をしているのか皆目見当が付かない。
時折、宿の外へ出ることはある。そして何やら奇妙な物体…一抱えほどもありそうな筒状の何か…を抱えて再び宿に入る…ということを何度も繰り返していた。あれは何なのだろうか。
このままでは埒が明かない。こうなったら、尾行がバレる危険を承知で宿の建物内に入るべきか…
そう考え始めたレオニールに、後ろから声がかけられた。
「おい、そこの君。ここで何をしている?」
レオニールが振り返ると、揃いの制服を身に纏った五人の男がそこにいた。彼から見れば雑魚もいいところだが、最低限の訓練は受けていそうな物腰に、全員が帯剣している。
だが、レオニールには他人に構っている暇はなかった。
「何をしていようが私の勝手だ。さっさと失せろ」
冷たく言い放ったレオニールは、男たちがそのまま立ち去ると思って再び宿へ視線を向けた。しかし、男たちはその場を動かなかった。
…それどころか。
「そういうわけにもいかない。この付近の住民から、一週間以上もここで何もせずに立っている不審者がいると通報があってね。……ここで何をしているのか、教えてもらおうか」
男の一人が、レオニールの肩に手を置いた。
「とりあえず、話は署で聞こうか」
「おい、何をする。その手を離せ」
「まぁまぁまぁまぁ、素直に話してくれれば時間はかからないよ?」
「いい加減にしろ、私は忙しいのだ!」
「はいはい、忙しいならさっさと話してさっさと終わらせようか」
男たちは、レオニールの言葉を全く聞いてくれない。
どうやら、彼らはこの街の治安維持機構の一員のようだ。となると、ここで排除するのは得策ではない。
レオニールにとって、目障りな廉族を排除することに抵抗はないし、それはとても容易いことだ。
しかし、現状において魔界と地上界が不戦条約を結んでいる以上、無暗に官憲を害するのは問題だ。レオニールの独断で魔界と地上界との間に要らぬ波風を立てることは許されない。しかも、その理由がハルトであればなおさらのこと。
レオニールはここでハルトを見守っていなければならないので、男たちに連れていかれるのは困る。しかし男たちに事情を話すことは出来ない。そして失せろと言っただけでは男たちは諦めてくれない。
にっちもさっちもいかなくて困り果てたレオニールの目に、ハルトに付きまとっている(と彼は思っている)女剣士の姿が映った。
何か、慌てている。しかし、レオニールには彼女だけが頼りだった…情けないことではあるが。
レオニールの見たところ、女剣士はハルトのことをいたく気に入って何くれと世話を焼いているようだ。それならば、自分が戻ってくるまでの間、ハルトのことは彼女に任せるしかあるまい…これまた情けないことではあるが。
声に出すと、官憲たちにハルトのことが知られてしまう。だからレオニールは、視線だけで女剣士に訴えかけてみた。
するとどうだろう、女剣士は、心得た、とばかりに力強い眼差しでレオニールに応えてくれた。
業腹だが、これで少しの間は安心だ。出逢ったばかりで、一度しか言葉を交わしたことがなくて、名前すらも知らない相手だが、責任感だけは強そうに見える。
ここは女剣士に任せることにして、レオニールは頑固な官憲たちに引きずられてその場を後にした。
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一週間後、無事に依頼を果たしたマグノリアは宿へ戻る前に、ギルド支部へと向かった。ここで依頼完遂の報告をし、報酬を受け取るのだ。
「お疲れ様でした、フォールズさん。報酬は明日には口座に振り込まれますので、確認しておいてください」
事務手続きも滞りなく終わり、さてハルトの様子はどうかな、と宿に戻ろうとしたマグノリアを、別の受付嬢が呼び止めた。
それは、ハルトが遊撃士登録の申請をしたときに受理した受付嬢だった。
「あの、フォールズさん。ちょっといいですか?」
「ん?なんだよ」
「その、ハルト…くん……さん、に稽古つけてあげてるのってフォールズさんなんですよね?」
基本的に、ギルドの職員は遊撃士たちに馴れ馴れしい態度は取らない。一人の独立した人間として尊重しているからだ。
しかし、ハルトのことを君づけで呼びたくなるその気持ちは、マグノリアにもよく分かった。
「ん、そうだけど……よく知ってるな」
確かに訓練用標的を借りにきたのはマグノリアだが、使用目的までは伝えていない。それなのに何故この受付嬢はそのことを知っているのだろうか。
「あんなにたくさん、どうするんですか?ウチとしては、レンタル料を払っていただけるなら別に構わないんですけど……」
「は?たくさんって…どういうことだ?」
戸惑う受付嬢に、マグノリアは聞き返す。彼女がレンタルしたのは一つだけだ。
「ウチの支部に置いてある在庫、全部持ってっちゃってますよね?一人の鍛錬でそんないっぺんに使うこともないと思うんですけど……フォールズさん?」
「悪い、ちょっと急用を思い出した。また後でな!」
猛烈に嫌な予感に襲われて、マグノリアは挨拶もそこそこに支部を飛び出した。全速力で、宿屋へ走る。
宿屋の目の前で、例の男を見付けた。一人ではない。四、五人の男たちと何やら揉めて……あれは、市警兵…か。
どうせ、毎日同じ場所でじーーっと立っている怪しい男がいると通報でもあったのだろう。ロクに姿も隠さず不審者丸出しでうろついているからこういうことになるのだ。
男は、意外にも市警兵には手を出そうとしなかった。そんなことをすれば主に迷惑がかかることになると分かっているのか。
屯所へと引っ張っていこうとする市警兵とそこに留まろうとする男の押し問答する様子を横目に、マグノリアはそのまま素通りする。
助けてやれなくもないが、助けてやる義理も余裕もない。
ふと、男と目が合った。
なぜだろう、名前すら知らない相手なのに、一度しか言葉を交わしたことのない相手なのに、決して友好的とは言えなかった相手なのに。
それなのに、男が自分に何を求めているのか、マグノリアには分かってしまった。
————頼む、私の代わりにハルト様を、あの方を見ていてくれ…!
————心配すんな、こっちもあいつを逃がすわけにはいかないんでね!!
一瞬の視線の交錯でそれだけの遣り取りを終え、主のことをマグノリアに託した男は市警兵に引っ張られていき、マグノリアは嫌な予感を抱いたまま宿へ。
食堂と兼ねている玄関扉を乱暴に開き中にいた店主と従業員の挨拶もほとんど無視し裏口から外へ出て、建物の横を回って裏庭へ駈け込む。
そして、その惨状を見た。
「あ、師匠。お帰りなさい。今度こそお仕事終わりですか?」
前回と変わらぬ笑みでマグノリアを迎えたハルトだが、先日とは同じ気持ちでその笑顔を受け止められない彼女だった。
「お………おま、お前…………何してくれてんだ!?」
震える指先で彼女が指し示すのは、裏庭のすみっこに高く積まれた残骸。
一体10万イェルクの、稀少な材質で作られた、訓練用標的ざっと二十体の、残骸。
「な、なんでこんなたくさん……」
「あ、これですか?」
わなわなと震えるマグノリアには気付かず、ハルトは説明。
「すぐに壊れちゃって、ギルドに追加をお願いしに行ったんです。皆さん、師匠のこと知ってるんですね。追加が欲しいっていったら、用意してくれました」
「……………壊れ…た…って……………あれが!?」
ハルトが簡単に標的をレンタルできたのには理由がある。
それは、マグノリアがあらかじめ一体分をレンタルしていたからだ。追加申し込みということであれば、遊撃士の資格を未だ持っていないハルトでも、申し込みなしで受け取ることが出来る。
そしてそれは則ち、マグノリアの名前でレンタルされている…ということ。
その賠償責任は、マグノリアにある…ということ。
「おおおおおおお前、何てことしやがる!分かってんのか!?」
慌てて残骸へ駆け寄るマグノリアだが、今さらどうしようもない。
剣士殺しの魔獣の革に守られた訓練用標的は、どれも見事に両断されていた。もう、修復とかいうレベルではない。
「けど、これ以上はないって言われちゃったんです。ですから、一日五百本も練習できなくて……仕方ないから、また素振りをしてました」
「………………………」
恨みがましい視線で睨み付けるマグノリアに、悪びれもせずただし残念そうに報告するハルト。
そんな彼には、何を言っても無駄だとマグノリアは大きく肩を落とした。
それは分かってはいるのだが、かと言って「はいそうですか仕方ないですねー」とは言えない。
一体十万イェルクなのだ。二十体で、二百万イェルクなのだ。
いくらマグノリアが優秀な遊撃士だと言っても、それは彼女の平均月収のほぼ五倍の金額である。
壊した張本人のハルトに弁償させるにしても、彼の有り金…魔晶石を売った代金…全部つぎ込んでも、まだ足りない。
かと言って、この世間知らずのボンボンに今すぐ金を稼いで来いと言ったところで、無駄なこと。
「………………はぁ」
「師匠、お疲れですか?無茶せずに、少し休んだ方がいいですよ」
人の気も知らずに呑気なハルトは、マグノリアの溜息を疲れのためと勘違い。
おそらくだが、彼は壊したものを弁償する、という基本ルールさえも理解していないっぽい。
どうやら、剣術よりも先に教えることがありそうだ。




