ぼくはルン、お掃除ロボット
ぼくの名前はルン。バーキット氏に雇われ、住み込みで毎日このお屋敷のお掃除をしている。ちなみに名付け親はご主人様のご子息、マントル様だ。
「ほらルン、ご飯だよ」
本日も仕事を終え、体力を回復するため栄養チューブを身体に繋いだ僕の目の前に、マントル様は紙くずをばらまいた。彼はご飯と言ったが、実を言うと経口摂取は体力を使う。本当に栄養を摂りたいならば、お腹に管を挿し消化菅を介さず直接体内に注入した方が効果的なのだ。
しかし、目の前のキラキラとした無邪気な笑顔を曇らせたくはない。悪意のない、純粋にぼくを思っての彼の行動は、何よりも心の栄養なのだ。この一家は、使用人であるぼくのことを家族同然に接してくれる。
『ありがとうございます、マントル様』
ぼくは、人間の言葉が喋れない。ご主人様たちに思いを伝えたければ、行動で示すしかないのだ。
目の前の紙くずを、一つひとつ口に入れる。細かく裂いてあるが、良く見るとそれはマントル様の学校のテストの答案用紙であることがわかる。赤くはねられたところが多いのを見るに、良い点数ではなかったのだろう。まったく、この子は……。テストとバレていることも知らずにぼくの頭を優しく撫でるマントル様に、思わず苦笑をもらした。
「ねぇ、パパ」
「なんだい、マントル」
「なんだか最近、ルンの元気がないような気がするんだ」
「実はパパも気になっていたんだ。マントルもそう思うかい」
「うん。前より動きが遅いし、ご飯を食べるのも随分ゆっくりになった気がするよ」
「そうか……。ちょっと考えていたことがあってね、夕飯の時間にママにも相談しようと思っていたのだが……」
テスト用紙を食べきったぼくは、再び栄養チューブに繋がれ、そのまま深い眠りに落ちていった。どうやら、身体は思っていた以上に疲労していたようだ。
「ルン、新しい家族を紹介しよう」
「名前はマルクだよ。ルン、仲良くしてやってね!」
一週間後、まさかの事態が起こった。バーキット氏が新たに掃除人を連れてきたのだ。
『なぜです、バーキット様! 私はまだ働けます! 掃除人は私一人で十分ではありませんか!』
「あらあら、なんだかルンも嬉しそうね」
ぼくの抗議の声を、奥様はあろうことか喜びと勘違いした。バーキット氏とマントル様もにこにこと微笑ましそうにしている。
バーキット氏の腕から下ろされたマルクとやらは、ぼくを見てニヤリと笑った。
『へぇ、きみがバーキット様のおっしゃっていた「老いぼれで使い物にならないルン」か』
そしてぼくを愕然とさせる言葉を平気でぶつけてくる。
『嘘だ! バーキット様がそんなこと言うわけがない!』
『嘘だと思うなら自分で確かめればいいだろう』
バーキット氏を見上げる。彼はゆっくりとかがみ、ぼくの頭にぽんと大きな手を乗せた。
「ルン、今までよく頑張ってくれた。これからはマルクに任せて、お前は少し休むといい」
サーッと血の気が引くのがわかった。隣でマルクはクスクスと笑っている。嘘だ。嫌だ。ぼくはこの家の掃除人だ。まだ役目を全うしてないんだ。まだ働ける。まだ、まだ……
『ほらな。きみはもうバーキット様から必要とされていないんだよ』
次の日から、ぼくの役目は本当にマルクに奪われた。マルクは、そつなく仕事をこなす。雇われ当初、大切な花瓶を倒して割ったり、段差に躓き動けなくなったりしていたぼくを、バーキット氏たちは叱りこそしなかったもが呆れ顔で注意したものだった。そんな失敗も、マルクは決してしない。
マルクが来てからも、最初はぼくだって働こうとしたんだ。だけど、どういうわけか今までのように身体が動かなかった。マルクが軽い身のこなしで掃除した部屋で、やっと見つけたゴミを飲み込もうとところでうまく喉を通らないのだ。
その日も無理に飲み込もうとして失敗し、一人でむせこんでいた時だった。後ろから、マルクにドンッとぶつかられた。自分でぶつかってきておいて、彼は舌打ちしてぼくを睨み付けた。
『邪魔くせぇな、この老いぼれが! いいか、この家の掃除人は一人で十分なんだよ。二人もいらない。……わかるだろう? いらないのはお前だ。働けないならせめて部屋の隅でおとなしくしてろ!』
彼の言葉はぼくの心を殴り付け、しかし納得せざるを得なかった。今のぼくは、働こうとすればするほど迷惑なのだ。だったらもう、彼の言うとおり隅でじっとしていたほうが良いのだ。それが、バーキット氏のためにも……
ぼくは働かなくなった。いや、もう自力では動けなくなっていた。常に身体は栄養チューブに繋がれ、エネルギーだけ摂取する日々だ。
毎日「ご飯だよ」と言って紙くずをくれていたマントル様も、奥様に注意されてからは何もくれなくなった。代わりにその紙くずを貰うようになったマルクは、見せびらかすようにぼくの目の前でおいしそうに食べていた。その様子を見て、マントル様はとても嬉しそうに笑う。
今、マントル様を笑顔にできるのはぼくではなくマルクだ。それは事実。だって、ぼくを見るマントル様は、なぜかいつも寂しげだ。ひょっとしてぼくは、マントル様を不幸にしているのだろうか。
「ルン、おいで」
二、三日に一度、奥様は動けなくなったぼくを膝に乗せ、柔らかな布で身体を拭いてくれる。それは、とても優しい手つきだった。
「ルン、聞いておくれよ。マントルったら、点数の悪いテストをマルクに食べさせて隠そうとしていたのよ。ほんと呆れちゃうわ」
奥様、ごめんなさい。ぼくもそれに加担したことがあります。
奥様はぼくを拭きながら、いつもその日あった出来事なんかを話して聞かせてくれる。まだぼくは、この家族の一員として受け入れられているのだろうか。
あぁ、でも、奥様。ぼくの仕事は掃除をすることなんです。それなのに、雇い人であるあなたに身体を綺麗にされるなんてことがあってよいのでしょうか。ぼくはもう、自分が生きている意味が見出だせません。役割は果たせない。マントル様は不幸になる。奥様の手は煩わせる。こんな状態で生きていることが、恥ずかしいです。お腹に挿さる栄養チューブも、もう抜いてください。ねぇ奥様。ぼくが死ねば、一家の厄介者は消えて幸せが増えるでしょう?
真夜中、ぼくは寒さで目を覚ました。これまで、寒いなんて感じたことがなかったのに。体内の温度調節もできないほどに身体は弱っているようだ。もう、死ぬのは時間の問題かな。でも、あっさり死ねなければ、なおのことバーキット氏たちの迷惑になってしまうな。
『おい、ルン』
暗闇の向こうから、マルクが声をかけてきた。彼に名前を呼ばれるのは、もしかして初めてのことではないだろうか。
『お前、死にたいか?』
マルクの表情は見えない。しかし声でふざけているわけではないとわかる。いつもの嫌みを言うときの声色と違った。
『生きてることがつらいんだろう? お前は雇われの身の掃除人だ。なのに仕事はできねぇ。自分の面倒も見れねぇ。死んだ方がマシだって思ってるんだろう?』
それはまさに、近頃のぼくが感じていることだった。こんなにも性格の違う彼にすら、心を読まれていたなんて。
『あぁ……死にたいよ……』
『なら、手伝ってやろうか』
『え?』
思わず、顔を上げる。あんなに憎かったマルクが、ぼくの希望に見え始めた。
『俺にとって、お前は邪魔なんだよ。なんの役にも立たない。ご主人様たちには迷惑をかける。早く死んでくれと常日頃思っているのに、なかなかくたばってくれない。……だから、お前が望むのなら、俺は喜んで手を貸してやる』
『マルク……』
酷いことを言われている。しかしなぜかそれが、彼なりの優しさだと思えてしまう。死にかけて、脳のみそが上手く機能してないのだろうか。
『お前が今生きていられるのは、その管からエネルギーをもらっているからだ。それを外しっぱなしにするだけで、簡単に死ねる』
『……でも、もう身体が動かなくて、自分で外せないんだ』
『だから手伝ってやると言っている』
マルクはゆっくりとぼくの背後に移動してきた。
『こうやって、俺がお前の背中を押すだけだ。一度外れたら、もう自分じゃ繋げられないんだろ。覚悟ができたら教えろ。いつでも殺してやる』
覚悟。覚悟か。わからないな、そんなものが自分にあるかどうなんて。覚悟なんてあってもなくても、死んだらそれで終わりだ。だから、ぼくの心はもう決まっている。
『ねぇ、マルク……』
『なんだ』
『……この家を、マントル様たちを、よろしくね』
『……言われなくとも』
『マントル様がテストの答案を食べさせようとしても、食べちゃダメだからね』
『食べる前に気づけたらな』
『奥様はよくイヤリングを落とすけど、それはゴミじゃないからね』
『あぁ、気を付けるさ』
『それから……』
『もういい。俺はお前より優秀なんだ。言われなくたってわかる』
『そっか。そうだったね。……きみなら、みんなを幸せにできるね』
『当然だろ』
『じゃあ、お願い』
『……』
『押して』
『……あぁ、行くぞ』
彼の手つきは、想像と違って優しかった。これから死ぬぼくへの、最後の同情だろうか。
ぷつりとエネルギーの供給が途絶えた。
『じゃあな。俺は怪しまれないよう自分の場所へ戻る』
『うん。……ありがとう』
『礼なんか言ってんじゃねぇよ、ばーか。俺はお前を殺してるんだぜ?』
さっそく身体が異変が起こり始めた。だるい。気持ち悪い。なんとなく、苦しい。全力で身体を動かした後の苦しさに似ているだろうか。苦しさはだんだん強くなってきて、意識が遠退く感覚に襲われる。
『うぅ、あぁぁぁ……』
『お、おい、苦しいのか?』
マルクが焦ったようにこちらへ駆け寄ってくる。まさか、最後に彼のこんな表情が見れるなんてね。
『来ないで……』
『だ、だが……おれは、お前が安らかに死ねるもんだと思ったから……』
『いいから! あとちょっとだから。もうすぐ、死ねるから……』
視界が霞む。日が昇る頃には、早起きの奥様がカーテンを開ける頃には、きっと死んでいるはずだ。
そう、思っていたのに。
ピーーーーーと甲高い機械音が鳴り響いた。身体がぼくの意思に反してSOSを出しているのだ。ダメだよ、そんな大きな音を出しちゃ……
案の定、何事かと家族が起き始めた。あの寝坊助なマントル様さえも、こんな時に限って起きてきちゃうなんて。
「ルン!? ルン、どうしたの!」
「コードが、どうして……」
「ママ、早くコードを繋いで!」
「……いや、待つんだ、マントル」
「パパ!? どうして!?」
マントル様の膝上で彼に抱き締められたぼくを、バーキット氏はそっと撫でた。
「繋いだところで、ルンはもう動けない。……それは、ルンが望むことかな」
「でも、このままじゃルン死んじゃう!」
「生きてても苦しいなら、死ぬという選択もある。ルンは最後の力を振り絞って、コードを抜いたんじゃないかな」
「そんな……」
奥様が目元を拭う。
「いてくれるだけでいいって思っていたけど、それはわたしたちのエゴだったのかしら……」
「……そうかもしれないな。ルン、今まできみの気持ちを考えようともしなかったよ。悪かったな。……今までありがとう」
「うぅ、うわぁぁぁん、ルン、ルン~!」
ぱたぱたと、マントル様の涙が身体に降ってくる。奥様も頬を濡らし、バーキット氏は唇を噛みしめている。
あれ、おかしいな。ぼくが死ねば、三人は幸せになるはずだったのに。最後の最後で、こんなに悲しませちゃうなんてなぁ。
ごめんなさい。やっぱりぼくはできそこないだ。……だって、悲しんでくれて嬉しいなんて思っちゃってるんだもん。最低だよね。ぼく、この家で働けてよかったよ。こんなに愛されて、幸せだったよ。ありがとう。ありがとう。大好きだ。
三人に生かされていただけなんて、思ってない。ぼくが今の今まで生きてきたのは、ぼくの意思だ。だって、こんなに別れがつらいんだもん。本当は、もっと一緒にいたい気持ちもあるよ。今になって、死ぬのが怖くなっちゃったよ。だけど、ぼくは死ぬよ。死ぬことを選ぶよ。悲しませてごめんなさい。ぼくも悲しい。でも、三人はこれからもっともっと幸せを増やしていける。ぼくには、これまでの思い出がある。
『……マルク』
さっきから沈黙を貫いている彼に声をかける。
『なんだよ』
『さよなら』
『……喋ってないで、さっさと死ねよ』
ぶっきらぼうに返事をして、マルクはぷいっと顔をそらしてしまった。苦笑してしまいそうになったが、顔が、表情すら動かなかった。
マントル様の腕の中は温かい。こぼれ落ちる涙は熱い。
それは、冷たくなっていく身体に、消えゆく心に、最後の温もりを与えてくれた。
登場人物の名前は、ルンは言わずもがなルンバからだったのですが、、。他は外国人っぽい名前にしよう、バーネットみたいな。と考え、一文字変えてバーキット→血液疾患みたい(バーキットリンパ腫)→マルク(骨髄穿刺)を連想→じゃあ、腰椎穿刺は……ルンバール!!
という感動的なことがありました。すみません。あと、ルンバは持ってないので機能とかわかりません。