黒、そして同人誌
「これからどうするか、か」
「どうやってこっちに来たのかわからないけれど、元の世界に帰るとなると一筋縄ではいかないと思う。とりあえず、この世界を見て回ってみるというのはどうかしら?」
「見て回るっつったって……」
「あら、目の前にいるのが何か忘れたのかしら?」
「そうだった……」
ドラゴンを足として使うというのは烏滸がましい気もするが、本人が問題にしていないのだから構わないのだろう。
「でも、わざわざ付き合わせるのは悪いよ」
「貴方に助けられた命なのだから、別にそのくらい何の問題も無いわ。それに、リオと一緒にいた方が楽しそうだもの」
にこりと微笑みながらも、ただ、と言葉を続けるフォノン。
「まずは護身が出来るようにならなくてはね。歩き方や体捌きからして戦闘技術の心得は無さそうだし」
「確かにそういうのはからっきしだな。喧嘩すらしたことないや。子供の頃に柔道やってたっきりだ」
「ジュードー……そっちの格闘技か何かかしら。私はこの人族形態の身体を動かすのも好きで、剣から弓、徒手空拳まで一通り戦闘技術を習得したことがあるから教えられることはあると思うわ」
「……この世界ってそんなに危ないの?」
答えは今までの話からして分かりきっているものの、訊かずにはいられなかった。
「普通に生きていく分には問題ないかもしれないけれど、旅をするとなるとやはり危険はつきものね。まして、貴方は黒髪黒眼だもの」
嘆息しながら言うフォノン。
「アマギ一族に間違えられるってことか?」
「それもあるのだけれど、アマギ一族が身勝手に広大な領地を治めるようになってからもう三〇〇年近い。アマギ一族の特徴である黒髪黒眼を彷彿とさせる『黒』自体が忌避されるようになってしまったのよ」
「それって……」
俐陽の呟きにフォノンは頷く。
「アマギ一族とは何ら関係ない『黒』の種族が街を追い出されたり、差別されたりといった波及を食らっている。黒い身体の黒竜族や黒狼族、黒に近い肌で闇属性魔法を使う黒魔緑族などのね」
「何でそんなことを……関係ないだろ」
「アマギ一族自体には敵わないから、溜めた鬱憤を陰で晴らす先を欲したのでしょうね」
酷い話だと俐陽は思った。
他所の種族が起こしている野放図のせいで、『身体が黒いから』『闇属性魔法を扱うから』という理由だけで虐げられるのだ。
だが、人間は思いもよらない悪行を正義と信じて行ってしまう生き物だというのもまた、歴史が証明している。『魔女狩り』が最たる例だろう。
それはこの世界でも変わらないということか。
「……つまり、アマギ一族だと間違われて恐れられるだけなら危害は加えられないだろうけど、そうでないと知られた時に何をされるかわからない、ということか」
「そういうこと。リオの場合、瀕死の私を全快させるくらいの、尋常じゃない魔力量はありそうだから魔法面は少し修練すれば問題ないと思うわ。属性適性は闇以外まだわからないけれど」
「異世界に来て早々、とりあえずは修行か……。よろしく、フォノン」
「ええ、こちらこそ。ビシバシ鍛えるからそのつもりでね」
「お、お手柔らかに」
フォノンの言葉に、苦笑する俐陽。
それはそうと、と言葉を続けるフォノン。
「貴方のあの荷物、何が入っているの?」
そう言って、部屋の隅に置いたリュックサック、キャリーケース、ビニール袋を指差す。
「ああ、忘れてた。軽食とかコスプレ衣装とかはいってる……はず」
そういえば、中身の確認をまだしていない。
フォノンはよくわからないというふうに首を傾げている。
「こすぷれ……って何かしら?」
「んー、俺の世界には物語作品がいっぱいあってな。で、その物語の登場人物になりきった衣装を着て楽しむ文化があるんだよ」
「それは面白そうね。ねえ、荷物開いてみてもいいかしら?」
「いいよ」
フォノンは興味を示したようだ。
彼女は好奇心のまま、一人、俐陽の荷物に近づく。
まずリュックサックを開けようとするも、初めて見るファスナーに苦戦。
しかし、すぐに開き方に気づき、今は嬉々として中身を漁っている。
それを後ろから腕を組み、眺める俐陽。
(手元に漫画かラノベでもあれば『沼』に引きずり込んで、即堕ちさせてやるのに……命拾いしたな、フォノン)
そんなことを考えながら。
その時、フォノンが呟くように言った。
「あら、すごく薄い本。表紙は仲睦まじく座っている男女みたいね。何が書かれているのかしら?」
刹那、俐陽に激震が走る。
駆け出すまでの時間、〇.三秒。
(マズい! アレは────アレはマズい!)
何故だ、何故気づかなかった?
確かに、色々なことが起こり過ぎて混乱はしていた。
だが、忘れてはならないことを忘れてしまっていた。
電車に轢かれる直前、何を考えた?
────買った同人誌読んでから死にたかったなぁ。
何が起こったか、身体も荷物も無事。
ならば、入っているだろう。リュックサックの中に。
フォノンが持っているそれは、サークル『白濁ぱーりぃないっ!』の白三夜濁人先生による〈黒パラ〉主人公とヒロインのイチャラブエロ同人誌────『黒鎧が白鎧になるまで頑張る本』だった。
(間に合ええええぇぇぇぇ!!!!)
既に彼女の指はページにかかり、今にも開こうとしている。
たった三メートル。それなのに。
これほど遠いものであっただろうか。
無情にも、敗北のゴングが鳴る。
ページは開かれた。
その瞬間、俐陽はその場に崩れ落ちる。
「な、なななななな────」
そんな声が聞こえたかと思うと、一転、静かになる。
俐陽が頭を上げると、フォノンの背中が見える。
ピクリとも動いていないようだ。
彼女の耳に視線をやると、茹でたタコのように赤くなっている。
立ち上がり、近づいてみる。
「あ、あのー、フォノンさーん……?」
返事はない。
前面に回り込んでみると、開いた同人誌に視線を落としたまま彼女は固まっていた。
よりにもよって、盛り上がり最高潮の場面を開いていた。
白いはずの肌は一面赤くなってしまっている。
「────はっ! あ、あら、リオ! ま、まぁ、リオも男の子だものね! そ、その昂る性欲を受けて立つのも吝かではないわ!」
「いや、落ち着け。キャラ崩れてんぞ。恥ずかしいから昂る性欲とか言うな」
自身も顔を赤くしながら、フォノンの手から同人誌を取り上げる。
「それにしても意外だな。勢いでスリーサイズ訊いちゃった時とかも冷静に受け答えてたから、こういうのにも耐性があるもんかと」
「そ、それとこれとは程度も話も違うでしょう。旅をしていると、女と見ればすぐに不埒な言動をする男はいくらでも寄ってくるものよ。そ、それと情交とは全く違うものでしょう」
「まぁ、そうだな」
普段はクールで大人な雰囲気のフォノンが、顔を真っ赤にして、そのウェーブがかった横の髪を指先でクルクルと弄びながら視線を逸らしてそう言う。
(これが萌えか。最高だな)