世界、そして過去
「漠然とした質問で申し訳ないけど、まずここは何処なんだ?」
「そうね……ちょっと待ってて」
そう言って、フォノンは本棚から一枚の紙を持ってきて、机の上に広げる。
それは世界地図だった。
大きく分けて四つの大陸があり、その内、二つの大陸にはそれぞれに存在する国の名前が細かく書いてあるようだ。
しかし、見たことのない文字で俐陽には読めない。
「少し古いから国境とかは当てにならないけれど、説明には十分ね。まず、私たちは全ての大陸を総称してラティミシア世界と呼んでいる。そして、ここがヴァルティミシエ大陸。一番大きな大陸ね。その東側に隣接する二番目に大きい大陸が、ここ、セスクラル大陸」
フォノンは最も大きな大陸の、中央から少し西側にあり、大陸を南北に走る大きな森の中央を指差す。
「私たちが今いるのが、ベラディケイル王国内にあるこの森の中のここ。凶獣森林地帯って呼ばれている」
「この広さ……ここへ来ずにそのまま森を抜けようとしてたら、凶獣云々関係なく終わってたな……」
「方向にもよるけど、人族の足じゃ森を出られるまでに最短一週間半くらいかしらね」
過去の己への感謝の念に堪えない。
俐陽は先ほどから気になっていることをフォノンに訊く。
「なぁ、こことここ……ヴァルティミシエとセスクラルだったか。この二つの大陸には細かく文字が書いてあるよな。文字がわからないから読めないけど、これ多分国名だろ? 何で他の二つの大陸には何も書いてないんだ?」
「あぁ、それは────この地図、私が自分で飛び回って作ったんだけれど、流石にその二つの大陸へ調べに行きたくはなかったのよ……」
この精密な地図をフォノンが作ったというのは驚きだが、何か含みのありそうな言葉だ。
「というと?」
「こっちの、ヴァルティミシエとセスクラルの真北に海を隔てて存在する大陸。これがダムドルクス大陸。ここには、昔、セスクラルへ侵略戦争を仕掛けてきた魔人族が多く住んでいるのよ。こっちの大陸の人間はまず行かないし、私も面倒は避けたかったの」
「ふむ。こっちの大陸は?」
そう言って、俐陽はヴァルティミシエの遥か西。大海を渡った先の大陸を指差す。
「そっちは魔大陸って呼ばれている。距離的な遠さに加えて、道中の海上の天候や気流が不安定過ぎるから、私の翼でもギリギリ辿り着けるかどうか。正直、遠目から見ただけだから、その大陸の大きさは適当よ」
ばつが悪そうに視線を逸らすフォノン。
「な、なるほどね。でも何で魔大陸って呼ばれてるんだ? そんなに遠かったら誰も行けないだろ?」
「誰も行けないからこそ、よ。存在が認知されてから、『凶獣よりも強くて巨大な生物が跋扈している』とか『世界中の魔物と魔獣の淵源の地』とか噂話が飛び交うようになって、その結果、魔大陸と呼ばれるようになったの」
「場所の話はこれくらいでいいかしらね」と言ってフォノンは話を終える。
色々な言葉が出てきたが、とりあえず今自分がいるところは確認できた。
やはり、という言葉すらもはや必要ないが、地球ではないことを改めて痛感した。
(異世界は本当にあったんだな! ……これならラピュタすら存在してもおかしくないのでは……?)
一瞬、自分の世界に入ってしまったが、視線を上げるとフォノンがもう訊くことはないのか、という目をして待っていた。
俐陽は咳払いを一つ。
閑話休題。
「そういえば、何でフォノンはこんなところで大怪我してたんだ? 凶獣にやられたのか?」
「……いいえ、アマギ一族に」
「あー、最初に会った時、何か言ってたな。そのアマギ一族とやらに何で狙われたんだ?」
「竜狩りよ」
「竜狩り?」と訊き返す俐陽。
ドラゴンといえば食物連鎖の頂点に立つ最強種族のイメージ。
実際には違うのだろうか、と疑問に思う。
「アマギ一族は竜狩りを行うのよ。一〇〇年前くらいからかしらね、始まったのは。それのせいで残ったドラゴンは山奥や渓谷で隠遁を余儀無くされたわ」
「それはまた災難だな……。そいつらは何でドラゴンを狩るんだ? というか、出会い頭に俺と間違えたってことは、アマギ一族って人族なんだろ? ドラゴンに勝てるのか?」
「……少し長くなるけれど、最初から話しましょうか」
◇◇◇
フォノンが言うには、こういうことだった。
三〇〇年前、魔人族がセスクラル大陸へ侵略戦争を仕掛けてきた。
当時、セスクラル大陸の最北はナティマニス王国という大国が治めていた。
ナティマニスは応戦するも、魔法に長けることで有名な魔緑族にも引けを取らない魔人族の魔法の前に苦戦を強いられる。
徐々に領土を奪われ続けること一〇年、ナティマニスの領土は戦争前の半分にまで落ち込み、北に位置していた王都は遷都を余儀無くされるほどであった。
このままではナティマニス王国の陥落、下手するとセスクラル大陸全体が戦火に見舞われる可能性もあった。
そんな時、ナティマニス王の下を訪れる者が一人。
天人族である。
天人族は人前に姿を見せることは滅多になく、何処に住処を構えているのかすら分からない種族。時空を超える魔法、魔術を操ると言われていた。
そんな天人族が直接姿を見せたということはそれほどまでに自体は逼迫していたのだろう。
その天人族は、事態を好転させる為に『英雄召喚の儀』を行うことを提案した。
『英雄召喚の儀』とは天人族に伝わる最高等魔術。
この世界の生物とは異なる形の魂の器を持つ人間を呼び寄せ、転移の際の魂と肉体を再構築する過程で強大な力を付与するというものだった。
これをナティマニス王は承諾。
『英雄召喚の儀』は成された。
そうして呼び出されたのが黒い髪を持つ日本人の高校生。
天城彰であった。
見た目こそごく普通の少年のままであったが、彰には強大な剛力と膨大な魔力、さらに魔法属性が火、水、風、土、光の五属性に適性を持つという驚異的な強化が『英雄召喚の儀』によって施されていた。
二年後、彰は魔人族の完全撃退に成功する。
人々は戦争の終結を喜んだ。
しかし、苦難はまだ続く。
平凡な者が突如強大な力を持てば、増長する。
彰も例外ではなかった。
その力が次はナティマニスに向いた。
最終的に、ナティマニス王国の王座は彰に簒奪され、アマギ王国へと姿を変えることとなる。
さらに不幸なことに、彰の『力』は子に遺伝したのである。
世代を経る毎に、彰の『力』には及ばなくなっていくものの、それでもその『力』は民草どころか強者やドラゴンにとっても十分脅威的なものであった。
そして、アマギ一族は今に至るまでに周辺国へ何度も侵略を繰り返し、セスクラル大陸の大部分がアマギ王国の領土と化した。
以後、統治領内では圧政が続いている。
だが不幸中の幸いと言うべきか、そんなアマギ一族にも弱点がある。
一つ目は寿命の問題。
アマギ一族は四〇代を超えるとあるタイミングで突如急激に老化し、そのひと月後には死去するのだ。
これは『英雄召喚の儀』による魂の器の改変とその遺伝による弊害だと言われている。
天城彰は特に寿命が短かったらしく、二九で死んだそうだ。
二つ目が子孫の問題。
男女を問わず、子をなしにくい。
一人も子をなせなかった者も珍しくなく、生涯で二人も子を残せればいい方であり、これもまた『英雄召喚の儀』の弊害ではないかと囁かれている。
このなかでも前者、これが竜狩りに関係している。
ドラゴンには竜臓と呼ばれる独自の器官がある。
この臓器が膨大な魔力の貯蔵や魔法の行使、魔力の組織再生力への変換などを可能にしている。
この竜臓は昔から「不老の薬の材料になる」と言われていた。
所詮は民間療法、民間薬の域を出ないものだとフォノンは言うが、アマギ一族はそれを鵜呑みにして一〇〇年前、竜狩りを開始した。
食物連鎖の頂点であったドラゴンも、『力』に対抗することは難しかった。
ドラゴンはみな人前から姿を消したが、今でもアマギ一族に見つかってしまったドラゴンが竜狩りに遭っており、フォノンもまたその内の一頭。
知的好奇心のまま潜り込んだ街でアマギ一族に出くわしてしまったらしい。
そこで一太刀喰らい、死にものぐるいで応戦、逃亡。
住処まで逃げ帰ったはいいものの、回復に回す魔力も枯渇し、死を待つのみだったところに俐陽が姿を現し、今に至る────。
◇◇◇
「という感じよ。これがアマギ一族と竜狩りの詳細」
「何というか……全日本人を代表して深くお詫び申し上げます」
これほど綺麗な土下座、そうは見られまい。
フォノンは慌てて、頭を上げるよう促す。
「や、やめなさい。貴方のお陰で私は助かったのだから。それに同郷というだけでアマギ一族のことは貴方には関係ないでしょう?」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
「それより、これからどうするかを話し合いましょう、ね」