膝枕、そして秘密基地
意識が少しずつはっきりしてきた。
ほのかに温かい何かが頰を撫でる。
後頭部には柔らかいものが当たっている。
俐陽がゆっくりと瞼を開けると目の前には女性の顔。
灰色のローブを着た彼女は自らの手で俐陽の頰にさらりと触れながら、彼の顔を覗き込んでいた。
膝枕の状態で。
黒い瞳のその目は、切れ長で鈴を張ったように美しい。
肩の上ほどまでの長さの、ウェーブのかかった艶やかな黒髪がゆらゆらと揺れている。
「え、えーっと……おはようございます」
「ええ、おはよう」
見知らぬ黒髪美人に膝枕された状態での寝起き。
戸惑いながらとりあえず挨拶をする俐陽に、淡々と挨拶を返す女性。
この状況、オタクには刺激が強過ぎる。
とりあえず上体を起こして、女性に相対する。
日はすっかり落ちて、暗闇が洞穴を支配していた。
だが、女性の魔法か、こぶし大ほどの光球が近くに一つ浮いていて、二人の周りは明るい。
「あの、あなたは……?」
「私が誰なのか、当ててみて」
訊くも、彼女は微笑んでそう言った。
ふと、俐陽は気づく。
周囲を見回してみると、あの黒いドラゴンがいなくなっている。
いなくなった黒いドラゴンと突然現れた黒髪の女性。
「まさか……あの黒いドラゴン……!?」
「正解よ。貴方に助けられた黒竜が私」
女性はそう言うと、立ち上がって俐陽から離れ、何やら呟き始めた。
すると、女性の身体を黒い霧が包み、それが肥大化する。
霧が晴れた時、そこにいたのはあの黒いドラゴン。
ドラゴンが人間に変身するなんてことが本当にあるのかと驚愕する。
今この目で確かめた以上、本当のことなのだろう。
再び人型に戻った彼女は俐陽の元へ来て近くに座る。
「私はフォノン。貴方は?」
「く、黒羽俐陽……です」
「そんなに硬くならなくていいわ。クロバが姓で、リオが名前?」
「は……うん」
「そう。よろしく、リオ」
そう言って、フォノンは俐陽に握手を求めて手を伸ばす。
彼もぎこちなくそれに応える。
握手を交わした後、フォノンは一転、真剣な目をして俐陽に尋ねる。
「リオ、貴方は何故私を助けてくれたの?」
「何故って……特に理由なんてないよ」
「嘘よ。人間が他人に無償の施しを与えるはずがない」
聞き覚えのない語彙があったが、不思議と意味はわかる。
「本当に理由なんかないさ。ただ助けられるかなと思ってやってみたら、実際助けられただけ。あとは────その方がカッコいいって思ったんだよ。別にそんな施しがあったっていいだろ?」
照れ臭くなって頰を掻きながら、フォノンから視線を外す。
いざ口にすると恥ずかしいが、とどのつまり、そういうことなのだ。
『主人公に憧れる』という行動原理の本質は、そういうこと。
フォノンは一瞬、呆気にとられた表情を見せるも、すぐにそれは綻びて笑顔を見せる。
「変な人族もいたものね。でも好きよ、そういう単純な考え方」
「……そりゃどうも」
恥ずかしさの方が勝って、褒められた気がしない。
それはそうと、と続けてフォノンは話題を変える。
「貴方には聞きたいことがたくさんあるのよ。場所を変えて、落ち着いて話をしない?」
「それは願ったり叶ったりだ。俺もわからないことだらけで困ってたんだ」
俐陽はフォノンの提案を二つ返事で了承する。
◇◇◇
荷物を忘れず回収して、フォノンに案内されたのは俐陽が通って来た通路の対面にあった別の通路。
こちらは大人三、四人くらいは並んで通れそうだ。
灯りがなくて何も見えなかったが、フォノンが魔法を使って再び小さな光球を作り出してくれた。
歩き始めて五分もしないうちに行き止まりになった。
そこは通路より一段天井が高くなっており、一○畳ほどの小部屋といった様相で、椅子や机、本棚、ベッドなど、人間の居住空間にある家具は一通り存在している。
フォノンは机の上のランプに火を灯すと、光球を消して、俐陽の方へ振り返る。
「ようこそ、私の住まいへ」
「ここに住んでるのか。なんかドラゴンの生活空間のわりに人間的だな」
「人間の生活様式を真似て生活してるのよ。別に暮らそうと思えば、外で暮らすことも出来るけれど、こっちの方が好きなの」
「ふーん。いいな、なんか秘密基地って感じで男心がくすぐられる」
俐陽は荷物を部屋の隅に置くと、フォノンが準備してくれた椅子に腰掛ける。
机を挟んで対面したフォノンがすらりとした長く綺麗な脚を組みながら、口を開く。
机の下を覗き込みたい気持ちを抑える。
「早速だけど、貴方は何処から来たの? 見たことのない格好だし、こんな危ない森の奥に来るような装備にも見えないわ」
「何処からって言われてもなぁ……。地球って星の日本って国から来たんだけど」
「チキュウ……ニホン……」
俐陽はわからない前提で話したつもりだったが、フォノンの反応は考えていたものとは少し違っていた。
フォノンは顎に手を当てて考えている仕草のまま、再び尋ねる。
「それで、そこからどうやって?」
「電車にアタック……」
「え?」
「いや、電車って乗り物に轢かれて死んだはずなんだけど、気づいたら表の森の中に」
「……不思議なこともあるものね。まぁ、運は良かったのかもね。表にある森は、魔物や魔獣に加えて、凶獣種って呼ばれる特に凶暴な魔獣がいるって有名な森だから、下手したら見つかって食い散らかされてたかも」
フォノンは悪戯な笑みを浮かべているが、俐陽は血の気が引いている。
良かったと安堵するばかりだ。
「とりあえずはそれくらいかしら。何もわからずにここへ来たのなら、貴方の方が訊きたいことは多そうね。何でも訊いて頂戴」
「スリーサイズは?」
「あら、それは測ったことないわね。測ってみる?」
「いえ、それはまたの機会に……」
何でもと言うから、勢いで訊いてしまった。
しかし、これが大人の余裕というものか、容易く返される。
というか、スリーサイズという言葉もちゃんと通じるのか、と俐陽は困惑した。