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八百万事件忌憚

作者: 魂之桂瑚

1 龍のいる湖

 

「ゴールデンウィークは、田植祭なんだ」

溜息を吐いたのは、天水潤玲。腰まで伸ばしている、黒髪を綺麗に束ねている。

「へー、そうなんだぁ。だったら、遊びに行けないよなぁ」

つまらなそうに、斎月千早は言い、おさげの毛先を指に巻いて伸ばした。

「まあ、なんと言っても、毎年の事だけどね。だけど、今年は……」

と、言い、潤玲は窓の外を見る。

 窓からは、晴れ渡った空と、すっかり葉桜になってしまった桜並木、その向こうには、町並みが霞んで見えていた。

霞んで見える山々は、新芽で色づき始めていて、吹き込んでくる風には、新緑の香が漂っていた。

「お父さんは、入院しているし。お兄ちゃんは、仕事が忙しいし」

困った表情をする。

「潤の兄ちゃんって、刑事だったよね? 一月に、理沙の姉ちゃんが、殺された事件で、忙しいの?」

「それもあるけど。この前、佐山の近くにある、古墳の中から、変死体が見つかったの」

放課後の教室。二人以外、誰も居ないのに、潤玲は小声で言った。

「古墳時代の人では、なかったの?」

千早の問いに、潤玲は小さく頷き、

「いい、ここだけの話よ。その変死体は、チンピラ風の人。しかも、未開封だった石棺の中から発見されたの」

「は? それって殺人事件じゃないの?」

「多分。最近になって、本格的な発掘調査が始まったらしいんだけれど、調査チームの人が、石棺開いたら、中に、チンピラ風の真新しい死体だったの」

「それって、さあ、何かのトリック?」

好奇心丸出しで、千早は問う。

「さあ。事前調査で、石棺に小さな穴を開けて、カメラで中を見たときには、古代人の骨と副葬品が入っていたの。で、詳しく調査しようと開いたところ、その死体があったわけ。その辺りの事は、マスコミには流れていないハズだよ」

そこまで話し、潤玲は、ペットボトルのお茶を飲んで、息を吐いた。

「なんだか、その話、まだ色々とありそうだね」

「うん。また、お兄ちゃんに聞いておくよ」

二人で話していると、担任の教師が、教室を覗いて、早く下校するように、注意した。

 二人の通う高校の周囲には、少しだけ残された田畑と新興住宅地があり、この辺りの街は住宅が増えるにつれて、発展してきていた。高校から駅までの道には、ここ一年足らずの間に、コンビニや本屋などが、次々にオープンしていた。

電車の窓からは、一面に広がる水田が見えている。高校のある平島市から、一級河川の井吉川を越えると、街の風景から、田園風景へと一変する。その田園風景の真中に、佐山と呼ばれる小さな山が、一つポツンとあった。

 田園風景に似合わない工事用の防護壁が、佐山を取り囲んでいて、佐山は所々、土の地肌が見えていた。電車の中からでも、重機が動いているのが分かった。

「あーあ、佐山。すっかり、ハゲてきてるよ」

佐山を見つめて、千早は言った。

木は切られ、整地されていく様は、とても痛々しいものがあった。

 一昨年、亜来市長が就任してから、急速な市内の開発が始まった。その度に、それに対しての賛否があったのだが、殆ど強引に推し進められていた。それらの開発事業の中で、最も反対意見が多かったのが、佐山に造られようとしている、産業廃棄物処理場だった。

佐山は、周辺地区の農業用水の水源近くでもあり、産廃が出来てしまうと、農業に影響があると、周辺住民や環境保護団体は、反対活動をして、それは市民も巻き込んで、大きなものとなっていたのだけど、それも虚しく、建設工事が始まったのだった。


「じゃあ、またね」

潤玲は電車を、降りる。潤玲は、其の駅で乗り換えるのだが、千早は、そのまま二つ先まで乗る。

 人口三万人程の、備東市は、三年程前に、清水町を吸収合併した。備東市と、高校のある平島市を走る電車は本線。清水町へは単線が通っていた。潤玲の家は、備東市の中でも清水町よりだった。

 潤玲が乗り換える駅は、この市で一番開けていて、最近になって、大手スーパーのショッピングセンターの出店が決まった。潤玲の乗り降りしている駅は、そこから三十分程。町外れで、田畑もまだ多く、緑も多く残っている地区だった。スーパーなどがあるのは、駅周辺だけで、数年前にコンビニが一軒だけ出来た他、特に何もない地区だった。


 田植前とあってか、水田は綺麗に手入れされていた。苗床のビニールトンネルが、あちらこちらにある。ちゃんとした道路を通るよりも、田んぼの畦道を通ると近道なので、潤玲は何時も、そこを通っている。その畦道の先に、田畑を見下ろすような山がある。畦道から、道路に出て大きな用水路を渡ると、大きな鳥居と山へと続く石段があり、石段を登った先に、二つ目の鳥居がある。道に面した鳥居には、『水龍神社』と刻まれていた。

潤玲は石段を登り、上の鳥居の所で、一息ついて軽く頭を下げた。

 水龍神社。そこが、潤玲の家だった。石段の他に、自宅用に車で入れる道があるのだけど、そっちの道だと大回りになってしまうのだった。

 自宅は、社務所の裏手にある。夕方の神社には、人気は無い。祭りや正月以外は、参拝者は少なかった。

 潤玲は帰るなり、巫女装束に着替えた。水龍神社、その起源は、天孫よりも古いとされる。髪を結い終えた所に、電話が鳴った。その電話は、兄大地からだった。

「今から帰るから、僕の着替えと、親父の所に寄るから、親父の方も用意していてくれ」

と、忙しそうに一方的に言って、電話を切った。

「もう」

潤玲は、一方的な電話に頬を膨らませ、何時もと同じ様に着替えを用意した。


 境内の手水舎で、身を清めた後、箒で境内を掃くのが、潤玲の朝夕の務めの一つだった。

境内を掃除していると、数人連れ立って、石段を登って来ている人達の姿が見えた。

「こんばんは」

その人達が、鳥居を潜ったところで、潤玲は軽く頭を下げた。すると、相手はニッコリと笑って会釈する。参拝をし終えてから、彼等は、潤玲に声をかけた。

「潤玲ちゃん。大地君は、また仕事だよね?」

初老の男は、問う。潤玲は、頷き、

「ええ。総代さんに、町内会長さん、農長さん。まだまだ、仕事ですよ」

と、答えた。

「そうですか。田植祭の、打合せをしたかったんだけど。やっぱり今年は、潤玲ちゃんが、祭主を勤めることになるのかな? 竜己宮司が言っていたんだけど……」

と、ニコニコ笑って、総代は言った。

「はぁ。みたいですね。今、私、代理宮司にして代理祭主みたいですよ。父は、入院しているし、兄は、仕事忙しいし」

「竜己さん、具合良くないの? ひき逃げされたって、聞いたけれど」

町内会長が問う。潤玲は頷いて、

「だから、お兄ちゃん、仕事の合間に、犯人探ししているの」

「それは、大変だね。でも、水龍神社の田植祭は、伝統ある祭りだから、中止には出来ないし、特に今年は、二月から殆ど雨が降っていない。四月に入ってからは、一滴の雨も降っていない。この先の、長期予報でも、雨は少ないってさ。それでは、お米も出来ないから、ここは田植祭で、しっかりと祈雨をして頂かないと」

氏子でもあり、この地区の農業長は、夕焼けした空を見上げ、大きな声で言った。この人は、やたらと大きな声で有名。潤玲は、困ったなと三人を見る。

「全ての段取りは、氏子と町内会でするから、潤玲ちゃんは、神事をするだけでいいよ」

と、総代と二人は、頷き言った。

「え、でも、私、自信ないよ」

「大丈夫。竜己さんが、潤玲ちゃんは、水龍神に見込まれているって、言ってたからさ、なんとかなるよ。それに、うちの婆ちゃんが子供の頃、ここの水龍神を見たっていっているし。それに、潤玲ちゃんは、水龍神の巫女なんだから、一番、祭主に向いているんだってさ」

総代は、ニッコリと笑って一人で頷く。

「それじゃあね。準備と段取りは、するから。田植祭の祭主、宜しくね」

任せろだの大丈夫だと言い、三人は帰って行った。三人を見送り、潤玲は、大きく息を吐くと、境内の掃除を手早に済ませた。

 社務所に戻り、用意していた神饌を持って、本殿の裏へと来た。

本殿の裏には、直ぐ山が迫ってきている。山際には、古めかしい鳥居があり、その先には、山へと入る小道が続いていた。鳥居には、真中辺りに注連縄が張られていて、鳥居の手前には、『この先、神域および禁足地につき、立入りを禁ずる』と書かれた看板が立ててあった。潤玲は、その鳥居の前で深く一礼すると、注連縄を潜り、山の中へと続く小道に入っていった。日が長くなってきたとはいえ、山の中は暗い。湿った土と木々、何処かで咲いている何かの花の香が、ひんやりとした空気に漂っていた。小道の先には、光が差し込んでいて、そこに、また鳥居がある。これまた、古い鳥居だった。其の鳥居には、禁足地を示す注連縄があり、その向こうは、木々が開けていて、夕暮れの空が広がっていた。

 鳥居を越えると、そこには、空を映す鏡の様な湖があった。静かな湖、その水面は、時折り吹く風に、小さな波を立てていた。湖の辺には、小さな社があり、潤玲は深く一礼すると、朝の神饌を下げて、夕べの神饌を置いた。そして、湖に向かい深く一礼して、拍手を打ち、潤玲は大きく息を吸い込むと、

「水龍」

と、呼びかけた。すると、幽かな波が、夕暮れの空を映した水面に波紋の様に広がっていき、ざわざわと風が山の木々を揺らした。それとともに、湖からゆっくりと水柱が昇り、それは、龍の姿となった。

「呼んだか」

龍の姿となった水柱は、実体となりながら、恭しく礼を取っている潤玲に言った。

「はい」

顔を上げて、潤玲はニッコリと笑う。

「久しぶりだな、こうして話すのは。何か、あるのか?」

穏やかな口調で、水龍は問う。

「ええ。今年の田植祭、如何しよう。お父さんは、入院しているし、お兄ちゃんは、仕事だし。それで、私が、祭主って事になってしまったの。去年までは、巫女として神事のアシスタントだけだったのに、神事の全てを一人で、執り行わないといけないの」

困った顔をして、水龍を見上げる。すると、水龍は、クスッと笑って、

「それは、それで良いのではないのか? 潤玲が祭主ということで」

と、言う。

「でも……」

ふうと、息を吐き。

「私、祝詞も神事の作法も、苦手だし、上手く出来ないもの」

「ふふ。跡継ぎが、その様なことを言っていて、如何するのだ?」

水龍は、言う。

「そもそも、祝詞や神事の作法は、我々と人間の間に結ばれた、ある種の決まり事のようなもので、それを介して繋がりとなる。でも、我と潤玲は、こうして言葉を交わし、心魂で通じ合える。だが、神事としての取り決めである、祭などは、取り決めに基づかなければならないな」

困ってしまってる潤玲の顔を、覗きながら、水龍は言った。

「はい、解って、います」

と、小さな声で、答える。

「人間達が、豊作を望み祈る、その祈りの心を一つにまとめるのが、そなたらの務め。そして、その祈りを我らに伝え届けるのもまた、祭主の使命だと考えておる。それが、原初に交わした、契約。潤玲、そう落ち込まずに、頑張り給え」

水龍は、天を仰いだ。

「ここ数百年、千年の間に、この世界の均衡は随分と変わって、狂ってしまったな。人間が大きな力を手に入れた事で。だけど、それでも人間は、全てを手に出来ていない。それは、我が、天と水を司るモノであっても、天候気候を自由に操る事が出来ないのと同じ。古来より、人間は我らに、色々と求めてきたが、我らとて自然の一部に過ぎない」

と、呟く。

「どういう意味?」

潤玲は首を傾げる。

「自然界の均衡が、崩れれば、我ら本来の力も発揮出来ないって事だ。このところの、雨がおかしいのも、その一つだ」

水龍は、ふぅと息を吐いた。山の木々が、呼応するように揺れた。

「それは、田植祭を行っても、仕方が無いって事?」

「そうじゃないさ。だけど、今、この星は、その様な世界になってきているということ。それに、その事と関係しているのか、このところ、良くない空気が漂っているなと、思ってな」

水龍は、再び天を見上げた。

「何それ?」

「――いや。どのみち、我らが、口を出す様な事では、無いのだからな。だけど、潤玲、気には留めておくがよい」

水龍の言葉に、腑に落ちないものを感じながらも、潤玲は頷いた。


 潤玲が、務めを終えて家に戻ると、兄の大地が帰っていた。

「お帰り、すぐ行くの?」

大地は、自分の着替えと、入院中の父親の荷物を持って、車に運んでいた。

「ああ。今日も、詰めとかないと。古墳の事件と一月の通り魔、それに父さんの事もあるからな。それに、なんだか、他にもゴチャゴチャしてるし。だから、田植祭には、出れないし、手伝えない」

車に乗り込みながら、大地は言った。

「総代さん達が、準備と段取りは、やってくれるって。だけど、私、自信無いよ」

「なるように、なるだろう。じゃあな、お前も気を付けるんだぞ」

と、言い、大地は忙しそうに車を発進させた。潤玲は、走り去った車を見て、不満そうに頬を膨らませた。


 一週間程前に、佐山近くにある、古墳から変死体が発見された。発掘調査に来ていた、大学の考古学チームが、事前調査で発見していた石棺を、今回開封した。古墳は、千五百年程前の物で、石棺に開いていた小さな穴から、小型カメラを入れて中を見たときには、骨と副葬品だけしかなく、その映像解析から、この辺りの王か貴族かもしれないというものだった。今回、期待を膨らませて、石棺の開封したところ、中にあったものは、真新しい死体。一同は、暫く其の状況を理解出来なかった。しかし、其の状況が理解出来ると同時に、彼らの驚きは激しかった。

 その事件の担当も、大地の部署だった。一月の通り魔事件と、共に。死体は、死後一日前後。いわゆるチンピラの男。死因も身元もハッキリしていない。一番の謎は、未開封だった石棺に、死体が入っていたこと。石棺は、蓋と棺は、パテの様な物で接着してあり、蓋を開けるのには、その重さから重機が必要だった。しかし、道具などを使った形跡も無く、石棺に傷一つ付いていなかった。誰がどうやって、中に入れたのかは不明。ベテランの鑑識官さえ、頭を抱えていた。そんな中、ようやく、死体の身元が判明しようとしていた。死体は、佐山産廃反対派を、脅していたチンピラではないかと、いう情報。

 もともと佐山に、産廃を造る事で、激しい対立があった。その反対派に対する、嫌がらせや脅迫があった。建設工事が進んでもそれは、続いていた。それでも、反対派の多くは、工事中止を求めて活動していた。そして、反対派のリーダー的な立場だった、

林原正子が、一月に殺されてしまったのだ。通り魔殺人とされているが、反対派の者は、建設派が邪魔になるからと、消したんだと噂していた。

 古墳から見つかった死体、未開封の石棺から出てきたという事は、伏せられていたが、周辺の住民たちは、佐山絡みの殺人事件ではないのかと、不安な日々を過していた。


 佐山平野の水田は、綺麗に耕されて水が注がれていた。その佐山は、必要以上に工事壁やフェンスで囲われていて、まるで人目から隠すように厳重に囲んでいた。

 用水路の水は、泥色に濁ってしまっていて、用水路の底には泥が溜まってきていた。そして、いたるところに、『産廃反対』と書かれた看板が、幾つも立てられていた。その様な中を、何台ものダンプカーや重機を積んだトラックが往来している。農作業をしている人達は、それを見ては、何度も溜息を吐いていた。


 毎日相変わらず、よく晴れていて雲は殆どない。世の中は、明日からゴールデンウィーク。それとは無関係な、佐山産廃建設工事現場。連休など関係なく、作業が続く。

 佐山では、様々な重機が轟音をたてて、動き回っていた。うっそうとしていた木々は、切り倒されて、切り株を重機が掘り出してゆく。木々を切り倒し、生い茂っている草を薙いでいた作業員は、ふと手を止めた。お互いに顔を見合わせて、草に埋もれている一点に視線を向けた。作業員の一人が、その場所の草を刈る。そこには、苔に覆われ朽ちかけた、小さな石の祠があった。よく見ると、その祠には扉の様な物が付けられていた。草を掻き分け刈った作業員は、息を飲んで汗を拭うと数歩後ずさった。

「おい、どうする?」

その作業員を除いた、他の作業員達は、眉をひそめてお互いに、困ったなという顔をする。

「監督に、聞いてくる。工事を急げと言っているけれど、祠となるとなぁ」

と、作業員の一人は言って、事務所のあるプレハブへと走って行く。始めに祠を見つけ後ずさった作業員は、真っ青な顔で立っているのもやっとの様子だった。

「大丈夫か?」

同僚が声を掛ける。しかし、彼は答えれず、立ち尽くしたまま震え続けていた。

そこへ、監督を連れた作業員が戻って来た。

「如何したんだ?」

監督が問う。監督の後ろには、工事現場にそぐわない服装の中年男が二人と、若い男が数人いた。脂ぎった額に、太陽が反射している男は、不機嫌そうにしている細面の男と顔を見合わせて何かを話していた。

「これ、祠ですが、如何しましょう?」

監督に問う。

「そのまま、置いておく方が、良いのではと……」

二人の顔色を伺いながら、監督は言う。すると、不機嫌を露にして細面の男は、

「いちいち考える事でも無い。一刻も早く完成させないといけないんだ。その様なことを、気にする暇があったなら、早く工事を進めろ」

と苛立った口調で、その祠を足蹴りにした。すでに朽ちていたのか、ボロボロと表面が崩れ、台座の上から転がり落ちて草に埋もれた。作業員達の中から、驚きとも非難ともとれる、息が零れた。

「なんだ? ただの瓦礫じゃあないか。臆病だな。そんなことよりも、早く完成させろ。完成してしまえば、誰も文句言えなくなるんだからな」

フンと、崩れ落ちた祠を見て、脂ぎった薄い頭の中年の男は言った。

「如何した、早く整地してしまえ。とやかく言う奴や出来ない奴は、クビだ。分かったなら、早くしろ」

細面の男は、監督を怒鳴りつける。中年男達と一緒にいた若い男が、重機に乗ると、刈り取られた草や切り株もろとも、祠を押しつぶした。其の男は、あとはお前がやれよと、近くにいた初老の作業員に言った。気弱そうな初老の作業員は、ビクビクしながら、その場にある残骸を重機で一まとめにしていった。

「いいな。いちいち、言いに来る暇なんか、無いんだぞ」

そう怒鳴りつけ、二人の中年男と若い男達は立ち去っていった。その後ろ姿に、監督は、何度も頭を下げていた。


「そんなに、怒鳴らなくてもいいのにな。急いだからって、出来るもんでも、ないし」

ボソッと一人が言った。

「さあ。お偉いさん方の、考えだからねぇ」

作業員達の中から溜息が、出る。

「さ、また文句を言われないうちに」

監督は言うと、作業員達は、渋々作業を再開する。

「さあ、お前も」

青冷めて立ち尽くしている作業員に、声をかけて肩を叩いた。

「ひっ、い」

彼は、怯えきった顔を引きつらせ、

「お、俺、やめるぅ」

そう叫び、そのまま走って行った。

「な、何だ。アイツ?」

監督は、少し驚いたが、そのまま自分の仕事に戻っていった。


 千早は、自宅の居間で、ボーとテレビを見ていた。ゴールデンウィークの初日、特にやることも無く、ゴロゴロとしていた。

 テレビでは、有名な霊能者や占師達が、芸能人達を占ったりしていた。出演者は、何時も同じ顔ぶれ。

『次は、最近話題の占い師、エレファンス森山さんです』

やたらとテンションの高い、女司会者の声と共に登場したのは、ヴィジュアル系とも例えられる程の姿をしていた。一瞬、仮面にも見える白塗りのメイクと、銀髪の髪。そして、虹色の衣装を纏っていた。

「うわー。占い師よりも、バンドしてる人みたい」

千早は、目を丸くして言った。

「ほぉ、森山清人ではないか」

千早の背後で声がした。千早は、ビックとして、飛び起きた。

「婆ちゃん。これが、あの地味だった、森山兄ちゃん? 婆ちゃんのところに、弟子入りしていて、よく家に来ていた?」

「ああ。しかし、如何して、この様な姿をして、テレビや雑誌に出るんだ? 公の場に出るのは嫌っておったのに」

眉をひそめて、テレビを見つめる。

「ここ半年程、音沙汰無しで、心配していたのにな」

「感じ変わったよね。前は、オットリとして優しい感じだったのに。なんだか、張り詰めているみたい。それにしても、とても同一人物だとは、思えないよ」

千早に答なく、祖母は、じっとテレビを見つめていた。

  2 蠢くモノ


 水龍神社には、色とりどりの幟が立っていた。毎年、五月五日に田植祭は行われる。かつては、子供の日と同じ日ということで、町内子供会のお神輿や、イベントなどと一緒に四日五日と二日間に渡って、祭りが行われていたけれど、それは五年前に取止めとなってしまっていた。町内の子供の数や、神社に関わる氏子の数が減ってしまい、昔みたいに人も集まらなくなっていた。かつては、参道には多くの露店が並び、町内だけでなく、近くの町や村からも、多くの参拝者が訪れていた。その露店も、今では十軒も来るか来ないか。

 祭りの前日には、全ての水田に水が満たされる。そして、田植祭の翌日に、田植をする。それが、古くからの慣わしだったけれど、最近では農家も減り、その風習も一部しか残っていなかった。

 相変わらず、雲ひとつない青空が広がっていて、初夏を感じさせる。田植祭の日は、夜が明けないうちに、祭神である、水龍神に、田植祭の報告に行き、祭り用の神饌をする。

「人々の豊作への思いを、一つに出来るかは、潤玲しだいだ」

水龍から励ましの言葉を貰っても、潤玲には自信が無かった。

 巫女舞も、めったにしないし、祈祷も年に数回。ましてや、祭り自体を取り仕切る事は、始めてだった。入院中の父親に代わり、祭主を勤める。祝詞自体は、毎年同じもの。潤玲は、緊張しながらも、一つ一つこなしてゆく。今年は、祭主であり巫女でもある。一人二役状態だった。たどたどしくも、なんとか、田植祭の神事を終えた。後は、氏子や町内会の世話役達との打ち上げを兼ねた、直会。


 潤玲は、社務所の隅で、一息ついていた。緊張しすぎていたせいか、身体がきしんでいる。その直会にも、顔を出しておかないといかない、潤玲は息を吐いて、皆の前に顔を出した。

「お疲れ様、潤玲ちゃん。ぎこちなかったけれど、なんとかなったね」

町内婦人会のおばちゃんが、言った。

「はい」

色々と言われると、余計に疲れてしまう。

「潤玲ちゃんは、神職の資格を取るのかい?」

総代が問う。

「まだ、決めていないです。一応、兄も持っているから、其のうちに」

少し言葉を濁して、答える。

「ふ~ん。氏子って、いうか人口自体が減っているもんな。神社も寂れてゆく、悲しい話だよね。竜己さんは、この辺りの神社全てを、管理しているけれど、それも大変だよね。でも、水龍神社を継いで護っていくのは、潤玲ちゃんだって、竜己さんの口癖だよ」

氏子や町内会の人達に囲まれて、アレコレと言われ聞かれる。そのつど、応えるのだけど、笑顔を作るのだけで、精一杯だった。

 潤玲が、内心、溜息を吐いた時だった。社務所の外から声がした。

「潤玲さん。お友達が、来ていますよ」

と、近所の若奥さんが、呼びかけた。これは、抜け出すチャンスだと、潤玲は、ニッコリと笑って一礼し、

「ちょっと、出てきますね」

と、半ば逃げるように社務所を出た。神社の境内にも、人がいて、それぞれに、挨拶をして回る。その人ごみを、少し離れた所に千早がいた。

「お祭り、大変そうだね」

千早は言って、さっきまで潤玲を取り囲んでいた人達を見た。

「うん。もう、ねぇ。助かったよ」

ふうと、息を吐く。

「お祭りって言うくらいだから、お神輿とかもあるのかと、思ってたよ」

と、千早。

「小学校の頃には、あったんだけど、今は、人がいないからね」

話しながら、境内の端にある高台へと行く。そこからは、町内が一望できる。

「昔は、ここから見渡せる一帯に、水田や畑が沢山あったけれど、ここ数年の間に、水田や畑が減り、代わりに、アパートやコーポが増えて、大きな道も通ってさ、スーパーも出来たの。人口的には、増えているのかもしれないけれど、氏子の割合は減ってしまった」

水が満たされた水田は、青い空を映している。その水田と水田の間に、新しくコーポが建てられていた。

「もしかしたら、田植祭も収穫祭も、もう終りかもしれない」

潤玲は、寂しそうに呟いた。

「なんか、そういうのって、悲しいものがあるよね」

と、千早。

「私が、そんな事を口にするのも、アレだけど、今の世界そのものが、そういうものかもしれない」

千早は潤玲の話しに、相槌を打ち、

「そーだ、話が変わるんだけど、さ。理沙が行方不明なんだって、知ってた?」

と、話を振る。

「え、林原さんが。ちゃんと、学校に来ていたのに?」

「それがさぁ、連休入って、姉ちゃんの友人が、理沙の様子を尋ねていったら、理沙いなくなっていたんだって。その人、理沙の友達とかに連絡取ったんだけど、分からないんだって。理沙自身ケータイにも出ないし。それに、姉ちゃん殺した犯人も、捕まっていないし、理沙自身が自殺したかもしれないって。で、その人が、うちの婆ちゃんに相談に来ていたんだ」

露店で買った、タコヤキを食べながら話す。

「そうなんだ、お兄ちゃんは、何か知っているかも。そういえば、千早のお婆さんって、拝み屋しているんだよね」

「うん。だけど、仕事として請けるのは、めったにないよ。ほとんど、門前払い」

「へー。それにしてもさ、林原さん、どうしちゃたんだろうね。まさか―?」

「それは、無いみたい。婆ちゃんは、理沙は生きているけれど、何処にいるのかまでは、視えないんだって。ただ、無事であるようにと、祈ってろ、だってさ」

「変に心配しては、いけないんだね。それにしても、この前、古墳から見つかったチンピラの身元、何処かの暴力団の下っ端じゃあないかって。反対派を脅してたりしていた一人だとか。って、お兄ちゃんが言ってたよ」

「でも、なんで、石棺に入っていたのかは、まだ解けていないんだ?」

千早の問いに、潤玲は頷く。

「考古学チームの、でっち上げという説もあるけれど、それをして、彼らにメリットがあるとは思えないし、佐山との関係も無いからね」

「まあ。何処かのサスペンス劇場じゃないからね。それにしても、相変わらず、揉めているよ、佐山」

千早は、溜息交じりに言った。


 ゴールデンウィークが終り、また学校が始まる。すでに、林原理沙が行方不明という話は、学校中に知れ渡っていた。特に、千早と潤玲は同じクラスだったので、教室では、理沙の話ばかり。

「林原さんって、一月にお姉さんが、通り魔に殺されたじゃない。学校へは来ていたけれど、何時も寂しそうだったよね」

後ろの席の、野田が話す。

「うん。理沙、姉ちゃんと二人っきりだったからね。暫くは、姉ちゃんの友人が、理沙の事を支えてあげていたんだけれど。でも、一人で生きていくから、きちんと卒業するんだ。と、理沙も言っていたのに」

と、千早。

「連休前は、元気そうだったのにね。事件に巻き込まれていなければ、いいのだけど」

潤玲も言う。そう、三人で話しているところに、

「ねえねぇ。知っている? 林原さんのお姉さんが、佐山産廃の反対派リーダーだったって」

噂好きオバサンとも呼ばれている、富村豊子が大きな身体を揺らしながら、三人の話に割り込んできた。

「知ってるよ。地元の事だし。理沙とは小学校からの友達だもん。それに、産廃なんて誰だって反対だよ。理沙の姉ちゃんは、反対している人の意見とか、まとめていたんだ」

と、千早。すると、豊子は、ムッとして、

「それじゃあ、犯人が賛成派の人だってことは?」

得意げに言う。

「ありえない話じゃないもんね」

潤玲が言う。

「つれないねぇ。もっと、噂話には、盛り上がらないと」

言って、豊子は、ある雑誌を開いた。

「知ってるぅ? 今、超人気の占師、エレファンス森山よ」

開かれたページには、白塗りの顔に銀髪の男が掲載されていた。

「この前、テレビに出ていた人だ」

鬱陶しそうに、野田が言う。

「この人、すっごく当たるし、しかも、カッコいいよね」

豊子は写真を見て、うっとりとしていた。千早は、笑いたいのをこらえて、

「富村さん、そんな人がタイプなの?」

と、問う。すると、豊子は丸い顔を真っ赤にして、何度も頷きながら、一人でキャーキャー叫んで教室を飛び出して行き、周囲から冷ややかな視線を向けられていた。豊子が、教室から出て行くと同時に、千早は噴出してしまった。

「千早、そんなに、笑っちゃあダメだよ」

潤玲は、教室の出入り口を気にしつつ言った。

「あははは、だって、おかしいもん。それに、エレファンス森山って、知り合いだもん」

涙を拭きながら、言う。

「え?」

潤玲と野田の声が、重なった。二人は、千早に注目する。

「千早ちゃん。どーゆーこと、それ?」

野田は、目を輝かせて、

「アイツがいなくなったから、言うけどさ。私も、密かにファンなんだぁ」

と、言った。

「へー、そうなの?」

潤玲は、興味深そうに二人を見た。

「エレファンス森山は、昔、家に住んでいた事だってあるんだ。まだ、私が小学生の頃だったけどね」

「そんなに、親しいの?」

野田が問う。

「家の婆ちゃん、拝み屋の真似ごとしていたから。森山の兄ちゃんは、そちらの関係で、来ていたんだ。でも、まさか、テレビとかに出て、有名になるような人では、無いと思ってたんだけどなぁ。このところ、連絡もつかなかったし」

千早は、複雑な顔をする。

「千早ちゃんの、お婆ちゃんも、霊能者ってやつ?」

「真似事だよ。昔は、結構そんなことしていた家が、多かったんだって」

「それじゃあ、千早ちゃんはどうなの?」

野田が問う。

「私、よく判らないんだ。でも、森山兄ちゃんは、視る人で、その力をコントロールする為に、婆ちゃんのところに、来ていたんだ。家を出ても、月に、一、二度来ていたのに、ここ半年程、来ていないんだよね。そんなんで、テレビとかに出ているから、婆ちゃんも首を傾げていたよ」

難しい顔で、千早は答え、

「有名、人気、占師になってしまったからなぁ」

と、呟き、

「皆、心配していたのに」

と、溜息交じりに言った。

「それって、どうしたんだろうね。売れっ子になったから、過去は要らないってとこなのかな?」

潤玲が問う。

「さあ、律義で誠実な人だったのに、如何してなのかなぁ」

千早は、また溜息を吐いた。

「いいな、千早ちゃん。有名人に知合いがいて」

うっとりとして、野田は言った。

「でも、このことは、オフレコね」

千早は、キツイ顔をして言った。

「う、うん。でも、何か情報あったら、教えてね」

頷きながら、野田は言った。

 チャイムが鳴り、何処かへ行っていた豊子も戻ってき、一番後ろの自分の席に座った。


 連休明け、まだなんとなく休み気分。早く土曜日が来ないかと、どこかボーとする日々。そんな感じだと、午後からの授業は、気だるくて仕方がない。その日は、六時間目の授業は担当教師の都合で、自習となっていた。プリント課題を出されていたが、殆どの人は、うたた寝をしていた。

 早めの田植が終り、水田には小さな苗が揺れている。窓から吹き込んでくる風は、爽やかで心地よい。学校内は静かで、昼寝するには打ってつけの環境だった。蛙や鳥の声が、時折り聞えて来ていた。その静けさを、緊急車輌の音が打ち破るまでは。

 レスキュー車や救急車と共に、警察車両数台が、大きなサイレンを鳴らしながら、学校の前を走り抜けて行った。静かだった、学校内が、ざわめいた。うたた寝をしていた人も、何だ? と、顔を上げて外を見る。遠くからも、幾つものサイレン音が聞こえてきていた。

「何かあったのかな? あんなに、行列なして行くなんて」

千早の後ろから、野田が言った。

「何か、事故か事件かが、あったんじゃないの」

千早は読んでいた本を置き、振り返って答えた。

「かなぁ。あれ、千早ちゃん、プリント終わったの? 本なんか読んでさぁ」

「一応。別に、今日出さなくてもいいし。次の時間までに、やればいいもん」

と、千早は笑った。

 また、パトカーが走っていき、それと同時に、終了のチャイムが鳴った。


 学校から駅まで、歩いて二十分。部活に入っていない、千早と潤玲は、早々と帰っていた。歩きながら、エレファス森山の話をしていると、また、救急車が車道を走り去った。真横で、サイレンを聞くと、その音量で耳がマヒしそうだった。救急車が走り去ると、空からは、ヘリコプターの音が響いてきた。

「なんだか、大きな事故でもあったみたい。今の救急車は、ここの地区の救急車ではなかたよ」

空を見上げて、潤玲は言う。千早も空を見上げ、横切っていくヘリコプターを見た。

「あのヘリは、県警のかな。もう一台が、ドクターヘリってやつかも。この前、テレビでやっていたのと、よく似ているよ」

ヘリコプターは、南の空へと飛んでいく。

「気になるよ。夕方のニュースで、やるのかな」

「多分ね。パトカー行ったから、また、お兄ちゃんに聞いてみるよ」

「うん。期待して待ってる。何か、判ったら、メールしてね。それにしても、暑い。もう、夏じゃあないのかぁ」

駅に着くなり、千早は、制服の上着のボタンを外し、ハンカチで扇ぎながら、

「まだ、五月なのに、なんでこんなに暑いんだよ。半袖でも良い位なのに、何でまだ上着がいるんだよ」

と、ぼやく。

「確かにね。でも、着てきてもいいんじゃないの?」

クスッと、潤玲は笑う。

「私、暑いの駄目。特に、ジメジメ暑いのなんて、最低だよ」

「でも、その本番はこれからだよ。もう直ぐ、梅雨だしね。確かに、梅雨は過しにくいけれど、梅雨が無いと、お米が育たないから、困るし。このところ、雨降らないから、梅雨には、しっかり降ってもらわないといけないよ」

潤玲は、ホームから、雲ひとつない空を仰ぐ。その空をまた、一台のヘリコプターが飛んでいった。


 電車の窓からは、田植が終わった水田や、田植をしている水田を見渡せれる。電車は、佐山平野の真中を走っている。広い平野の真中に、ポツンとあるのが、佐山。

今日の佐山は、何時もと様子が違っていた。

「あーあ、見て、潤」

車窓に張り付くようにして、千早は、佐山を指した。

 佐山の周りには、多くの赤色灯が光っているのが見えた。どれも、緊急車両で、上空には、数台のヘリコプターが、旋回していた。

「さっきの、救急車とかは、佐山に向っていたんだね。それにしても、何だろう、凄い数来ているみたいだね」

電車が遠ざかっても、幽かに赤色灯が光っているのが見えていた。

「これは絶対、夕方のニュースのトップだよ。よくは、見えなかったけれど、大型の救急車も来ていたみたい。事故なのかな」

千早は、見えなくなったけれど、佐山の方を見る。

「事故かぁ。でも、佐山って、反対派と、よくトラぶってたから、そちらの事で何か、あったワケではないよね」

潤玲は、眉をひそめた。


 千早は、帰宅するなり、テレビをつけた。ちょうど、夕方の全国ニュースが始まったばかりだった。

 テレビ画面には、大型のクレーン車が倒れている様子が映されていて、『クレーン車転倒、死傷者多数』とテロップが出ていた。倒れた、クレーン車は、変な曲がり方をしていて、地面が崩落しているのが、上空からの映像で見える。

「こんなに、大きな事故だったんだ」

ニュースを見ながら、千早は少し気まずいものがあった。

 佐山周辺の映像には、何台ものパトカーやレスキュー車などが、映っている。現場の混乱と慌しさは、画面からも伝わってくる。

『今日、午後三時頃、佐山産業廃棄物処理場の、建設工事現場で、クレーン車が転倒し、近くで作業していた人達が、下敷きになるという、大きな事故が発生しました。倒れたクレーン車の影響で、斜面などが崩落した模様で、さらに死傷者が増える見込みです』

騒がしい現場をバックに、リポーターは伝えていた。その間も、救急車が出入りしている。

『転倒の原因は、地盤が弱くて、支えきれなかったのか、クレーンのアームの組み立てに問題があったのか、指摘されていますが、今の所、ハッキリとした原因は判明していません』

千早は、そのまま座り込んで、ニュースを見ていた。何処のチャンネルのニュースも、佐山の事故を、トップで扱っていた。

「これ、千早。制服のまま、座り込んで、テレビなんか見るでない」

奥の部屋から、祖母の焔が出てきて叱りつけた。

「あ、いや。ただいま、婆ちゃん。学校でさぁ、沢山の緊急車両が走っていってさ、佐山のところに、一杯、赤色灯が光ってたんだ。だから、佐山で、何かあったのかなって、ニュース見てみようと思って、テレビつけたら、佐山で、クレーンが倒れたってさ」

千早は、言い訳状態で、祖母に言う。すると、祖母・焔は、怪訝そうな顔をさらに険しくして、

「佐山だと?」

と、呟き、テレビ画面を睨み付けた。映像は、時折り乱れている。

『大型のクレーンは、捻じ曲がる様にして、倒れています。クレーンが倒れた影響からか、クレーンのアームの落ちた斜面が崩壊しています。クレーンの下と、その土砂の下に、まだ、作業員が下敷きになっていると、言われています』

地上と上空からの、レポートが入れ替わり、スタジオに戻る。

『現在までに、かなりの死傷者が出ているそうです。この佐山産廃ですが、計画当初から、その是非を求めて、色々とトラブルがあったそうです。この件につきましては、情報が入り次第、お伝えします。――次のニュースは』

焔は、じっと、テレビを睨みつけていた。

「どーしたの、婆ちゃん。ムズカシイ顔してさ」

「いいや、別に。自然を無理に壊してまで、造る必要の無いものを造ろうとするから、この様な事になってしまう。――まったく、けしからん事だな、と思ってな。それより、千早、さっさと着替えなさい。何時までも、だらしない」

答えるとまた、千早を叱りつける。千早は、テレビを消して立ち上がり、自分の部屋へと向かう。

「これから、婆ちゃんは、出掛けるから、後は頼んだぞ」

階段を上がっている千早に、焔は廊下から言うと、忙しそうに立ち去って行った。

 なんなんだ、婆ちゃん。千早が、何処へ出掛けるのか、聞く間もなく、焔は早々と、家を出て行った。


 水龍神社では、潤玲が日課である、境内の掃除をしていたら、自宅の方から車の音がして、玉砂利を駆けてくる足音と同時に、声がした。

「潤玲」

振り返ると、大地だった。

「お帰り、今日は帰ってこれたの?」

「いいや、相変わらず詰めてるよ。父さんの着替え、用意しているか?」

自宅に向かいながら、話す。

「まだ、袋には入れてないよ。ねぇ、まだ、林原さんの行方分からないの? 学校でも色々と噂になっているし」

「ああ。情報がまったく無いんだ」

と、溜息を吐く。

「そ、かぁ。ところで、佐山で何かあったの?」

「ああ。大型のクレーンが倒れたんだ。地盤がゆるかったのか、崩落もしているし。はっきりとした原因は、まだ判明していないけれど、クレーンの足場が不向きだったらしい」

「事故だったんだ。かなり、緊急車両が集まっていたのは」

「まぁな。色々と、トラブルがあるしな。それじゃあ、父さんの所に寄って、また署に戻るから」

言って、潤玲から、着替えの入った袋を受け取った。

「あ、私も行く。このところ、行っていないから」

潤玲は、部屋に入る。

「車で、待っているからな」

ドア越しに言い、大地は家を出た。


 大地に、父親の入院している病院まで、送ってもらう。

「それじゃあ、僕はこのまま、戻るから。父さんによろしく。それから、充分気をつけて帰るんだぞ」

言うと、大地は、仕事へと戻って行った。

 父親の病室前の廊下で、父親の病室から、老婆が出てき、潤玲とすれ違い様に、一礼した。潤玲は、誰だったかなと、思い出しながら、病室へと入った。

 父の竜己は、ベッドに上半身を起こして、ニュースを見ていた。一時は、危なかったけれど、今は落ち着いている。足や腕に、巻かれているギプスが痛々しかった。

「お父さん、調子どう? これ、新しい着替えだよ」

と、ロッカーの、洗濯物と着替えを入れ替える。

「すまないな。色々と」

父は、申し訳なさそうに言った。潤玲は、そんな事、無いよと、笑う。

「佐山、話以上に、凄い事故だったんだね」

一緒に見ながら、潤玲が言う。

「ああ。救急車が何度も、来てたよ。――これを期に、もう建設を辞めてくれればいいんだがな。さもないと……」

竜己は、独り言のように呟き、

「反対派も、ここぞとばかりに、また、建設取止めを求めるだろうか」

と、続けた。

「だといいけどね。産廃なんか、造っちゃうと、お水が汚れて、お米などまで、汚れてしまうよ」

言いながら、ベッドの周りを片付ける。

「そうだな。――潤玲、田植祭は、よくやってくれたな。この先も、神社の事を頼んだぞ」

言って、父は笑う。

「うん、自信は無いけれど、なんとか頑張るよ。水龍がいてくれるしね」

「申し訳ないな。父さんが、こんなことになってしまって。お前にまで、負担を掛けてしまっている」

気弱そうに、父は言う。

「そんな事無いよ。じゃあ、また来るから」

洗濯する物などを詰めた袋を持ち、病室を出ようとしている、娘に

「佐山の反対派の、嫌がらせや脅迫は、今もある。直接、脅迫めいたことを受けた人も、いる。だから、気を付けるんだぞ。何か、あったら、大地に言うんだぞ」

と、心配そうに言った。それに対して、笑って

「うん。大丈夫だよ。何か、欲しい物あったら、メールして、また持って来るよ」

と言い、病室を後にした。


 病院を出ると、既に太陽は沈み、暗くなっていた。歩いて帰っても、一時間もあれば、帰り着ける。晴れていて、月が綺麗だった。明日は、望月。暑くも寒くもなく、そよ風が吹いていて、気持ちのいい宵だった。そよ風は、少し湿気を含んでいて、何処かで鳴いているカエルの声が、時折り聞えて来ていた。

 何時も利用している、駅前のスーパーに寄る。スーパーに来ている客同士が、固まって話していた。話題になっているのは、佐山で起こっている事故の事。ニュースの事だろうか、お互い大きな声で話しているので、聞こえてくる。この辺りからだと、車で十数分位。それなりに、佐山の事は話題にはなっていた。余計に、その様な話は早く広がる。しかも、全国ニュースで、取り上げられたので、皆の話題としては、最適なのかもしれない。潤玲は、聞えて来るオバサン達の話を、何気なく聞いていた。

「まだ、救助されていない人が、いるんだって。その救出作業も、捗っていないらしいよ。お宅は、大丈夫だったの? 佐山に行かれてるんでしょう?」

「ええ。もービックリした、今日は、休んでいたから、よかったものの。同じ現場だったし」

大げさな言い方に聞こえてしまう。

「亡くなられた方も、何人かいるそうよ。お宅は、運が良かったねぇ」

と、話している。その人達は、町内の人でも氏子の人でもなかった。

 水龍神社の氏子は、佐山産廃反対派だった。町内の殆どの人も反対派だった。この辺りには、まだ多くの農地が残っているから。

「でも、どうかな。キツイ割には、給料は最低だし。それに、うちの人、恐がってるの」

と、そのオバサンは声を潜めるようにしたけれど、変わっていない。

「――ここだけの、話。伐採していた時に、草むらの中から、祠が出てたんだけど、其の祠、邪魔になるから壊したんだって。そしたら、それから、現場へ行くの恐くて恐くて、休みがちなんだ、うちの。まったく、臆病なんだから」

と、言っている。

「あら~、そんなこと今時、気にするほどの事でもないわよ。産廃出来ても出来なくても、私達には、関係の無い事なんだからぁ」

と、相変わらず大きな声で話し続けていた。

 潤玲は、聞えて来る話に溜息を吐き、自分の買物を済ませて、スーパーを出た。


 夜十一時の全国ニュースでも、佐山の事故がトップで、同じ映像が繰り返し流れている。現場からの中継映像は、夜闇の中、ライトアップされた事故現場で、今も救出活動している様子が映されていて、画面の端には赤色灯の光が乱反射していた。未だに、全員救出されていないと、報道されていた。

 翌朝の新聞、一面の半分に、倒れたクレーン車の写真が掲載され、大きく、十人重軽傷、二人重態、三人死亡、一人行方不明と書かれていた。

「―――だから、止めろと、言っていたのに」

焔は、新聞を見て、呆れたように呟いた。

「これだけで、済めばよいのだが……」


ある日の放課後。何時もの様に、千早と潤玲が、教室で話していると。

「あ、まだ、いた」

と、言いながら入って来たのは、長丘真と東山美加だった。

「ねえねえ、エレファンス森山と知り合いって、本当なの?」

声を弾ませて、聞いてきたのは、東山。長丘と東山は、校内でも有名な、オカルトオタクのカップルだった。

「え、まぁ。そんなところかな」

またか、と思いながらも、千早は答え、

「でも、ずっと昔の事だけどね」

と、付け加えた。

「へーいいなぁ。それで、今も付き合いあるのかい?」

興味津々、長丘が問う。

「無いよ。連絡取れなくて心配していたら、あーなってたんだ」

「その間に、有名になってたんだ。ところでさ、蓮さんのお婆さんって、拝み屋って、本当かい?」

二人は、更に興味津々だった。千早は、苦笑して、今はやっていないよと、言った。

「天水さんは、お家が神社なのでしょう。やっぱり、神事のお手伝いとかするの?」

聞かれて、潤玲は頷くけれど、あまり、神社の事を聞かれたりするのは、好きではなかった。

「それにしても、さぁ。なんだか、凄いよね、うちの学校。神社に拝み屋が、いるなんてなぁ」

長丘と東山は、うっとりとしている。そんな二人を、千早と潤玲は、不思議そうに見つめていた。

「ところで、なんで、あなた達いつも、一緒にいるの? やっぱり職業柄から?」

東山が問う。

「は? そんなんじゃないけど。なんとなく、一緒にいるだけで。まー、新入生研修の時に知合って、仲良くなったんだけどね」

と、千早は答え。二人は、知合った経緯を話すことにした。


   3 出会い


 それは、高校の入学式から、一週間たった日の事だった。

「うっそー。やだー」

千早は、配られたプリントを見るなり、叫んでしまった。その声に、クラス全員の視線が集まり、千早は、はっとして、口を覆った。担任教師は、眉をひそめ怪訝そうにし、

「どうかしたのですか、斎月さん?」

と、問う。

「あ、いいえ。別に、何でもないです。スイマセン」

照れ笑いをして、プリントで顔を隠した。何だ、この人。という視線が幾つもも注がれているのを感じたが、千早は気にしない様にした。

「そこに、書いてある通り、新入生研修は、日成市の亜多間高原で行います。詳しい事は、しおりの……」

説明をしながら、黒板に色々と書いていく。

 亜多間高原は、この辺りの学校などが利用している研修施設。しおりには、新入生同士の交流を深める為と書かれている。千早は、しおりを見ては、何度も溜息を吐いていた。次の時間も、ホームルームで、研修の班ごとに別れて話しをする。

「ねぇ、斎月さん。どうして、さっき叫んでいたの?」

同じ班になった、野田由紀子が問う。

「ちよっとね」

作り笑いを浮かべ、叫んだ理由を、はぐらかした。

「でも、さ。亜多間高原って、最新設備で、ちょっとしたリゾートでもあって、宣伝もよくしているのに、お客が少ないんだよな。だから、研修用らしいぜ。安くて良いで」

と、南。

「そこって、大きなダム湖があるところだよね。紅葉の時期になると、よくテレビに出ているよ」

と、林原理沙。

 他の班でも、お互いに遠慮しながらも、ワイワイと話をしている。だけど、千早は、和気藹々な気分には、なれず、引きつった笑みを浮かべて、溜息ばかり吐いていた。

「ねー大丈夫? 斎月さん、顔色悪いよ」

そんな千早を気に掛けてか、野田が声を掛ける。

「うん。大丈夫だけど」

答えたものの、顔は引きつっていた。

「そういえば、亜多間高原のダム湖って、自殺の名所だってな」

ただ話しを聞いていただけの、長丘がボソっと言った。

その言葉に、千早は、ビックとする。

「マジ、そうなのか?」

南が、面白そうに問う。すると、長丘は、自慢げに、

「そうなんだ。それに、あそこは、知る人ぞ知る、隠れ心霊スポットなんだぞ」

と、胸を張って答えた。千早は、今まで以上に、大きな溜息を吐いて、目を閉じた。

「如何したの、斎月さん。ひょっとして、知っていたの。だから、嫌なんだ?」

野田は、千早を覗きこむようにして、言った。すると、千早は、小さく頷いた。

「心霊スポットとしては、余り知られていないというのか、まあ、観光地のイメージもあるから、自殺の名所とかも伏せられているからなぁ。それにしても、いいな。研修で、密かに有名な、心霊スポットに行けるなんて」

長丘は一人、ハイテンションだった。

「なるほど。興味は、あるけれど、怖いかも」

と、野田。

「俺は、そんなものは信じていないからな。在りえないぜ、幽霊なって。おい、お前、怖いんだろ?」

千早を小バカにしたように、南は言った。千早は何も言い返さない代わりに、大きく頬を膨らませた。


 家に帰るなり、千早は、研修のしおりを、机の上に放り出すと、制服のまま、ベッドに寝転がった。

「あーあ。嫌だな。別の処だったら、よかったのに。なんでー」

何度も同じことばかり、ボヤキ続ける。

「あーあ、休んじゃおうかな」

と、言って、溜息を吐いた時だった。扉をノックして、部屋に入って来たのは、祖母の焔だった。焔は、千早の姿を見るなり、

「こら、何時も言っているだろう、帰ったら、帰ったと言いなさいと。それに、制服のまま、ゴロゴロとするものじゃない。だらしないし、シワになるだろう」

と、厳しい口調で叱りつけた。千早は、膨れっ面のまま、起き上がる。

「もう、高校生なのだから、少しは、しっかりしなさい」

ビッシと言った。

「はーい」

千早は、気にそぐわないと思った。

「おや、さっそく、研修旅行かい?」

机の上の、研修のしおりを手にして、焔は、

「亜多間高原か」

と、しおりを捲る。

「休んじゃあ、駄目かな?」

ポツリと言ったら、祖母の顔色が変わった。千早の方へ振り返るなり、

「何を言うんだい。その様なことで、この先、如何するんだい」

と、叱りつける。

「でもー、そこには、行きたくない」

涙目で、千早は言う。

「きちんと修行をすれば、アレ位、どうってことないさ。千早は、婆ちゃん以上の、力と才能を持って生まれて来ているんだよ」

「だってー」

「行きなさい。その様な事では、婆ちゃんの後を継ぐことは出来ない」

祖母・焔は、息を吐き、千早を見つめる。

「なんで、どうして。私が継がないといけないの? 姉ちゃん、兄ちゃん、弟だっているのに。如何して、私だけが何時もー」

膨れっ面の半べそで、千早は反論する。

「いつも、言っている通りだよ。いいね、きちんと参加するんだよ。それに、修行の方も。分かったね?」

何時も何度も、同じ事を言われてしまう。祖母が部屋から立ち去ると、千早は大きな溜息を吐き、

「そーゆー家系。そーゆー才能・力って、跡継ぎって、何だよぅ。だから、母さんと、姉ちゃんは、家出ってたんだよ」

と、半泣きで呟いた。


 千早は、最悪最低な気分で、研修へと向かった。景色も、研修所の設備も真新しく最新のものなのに、千早の顔は誰から見ても、気分も機嫌も悪そうに見えていた。そのうえ、班長を押し付けられ、それが、嫌な場所にさらなる拍車をかけていた。研修では、班ごとに色々と行動する。大きなダム湖の辺、キャンプ場。アスレッチクなどなど、色々な物が揃っていて、他の皆は楽しそうにしていた。ダム湖では、カヌーやカッターなども出来る。

「明日は、ダム湖で、カヤックだね。天気も良いって言ってるし、良かったね」

昼食の時に、理沙が言った。

「林原さんって、好きなの、そーゆーの?」

野田が問う。

「うん。お姉ちゃんが、カヤック好きでさ、一緒にやっているんだ」

と、嬉しそうに答え、明日が楽しみだと言っている。皆、盛り上がっているのに、千早は、益々、憂うつになってしまっていた。

「そんなに、びびる程の事か? 心霊スポットと、云ってもさ。何処も、これとして、何も無いんだよな」

つまらなそうに、長丘は言った。千早は、そんな長丘を無視して、お茶を啜っていた。

「ひょっとして、斎月さんは、視える人?」

野田が言う。理沙は、チラリと千早を見る。班の皆の視線が集まる。千早は、コップを持ったまま、平静を装う。

「どうなんだ?」

長丘が、しつこく問う。

「目が悪くてね。よく分からないんだ、病院とか通っても治らないんだよね」

千早は、コップを持ったまま、そう言った。

「それって、見えてても区別つかないって事か?」

長丘は、更に突っ込んでくる。理沙は、気の毒そうに千早を見た。

「さー。私、きっとオカシイんだよね」

と、溜息を吐いた。

「霊感といえばさ、C組の、天水さんって人、お家が神社なんだってね。それで、巫女さんなんだって」

理沙が言った。すると、長丘の関心は、そちらへと移る。

「え、そうなんだ。家が神社、そして、巫女。凄いなソレ。是非、話を聞かなければ」

と、一人で盛り上がって、班の人がひいているのにも、気付いていなかった。千早は、理沙をみて、ニッと笑った。


 班長の千早は、他の班長達と一緒に、班長会議に出ていた。会議している場所は、宿泊している場所と、ダム湖を挟んで向かいにある、研修センターで行われている。夕食までは、自由時間だけど、班長は別だった。少しずつ日は長くなってきているものの、会議が終わった頃、夕日は半分沈み、薄暗くなりかけていた。ダム湖には、その空が映っている。夕日の色とグラデーションの空色に、新緑のコントラストが美しく、一枚の絵になる。そのダム湖に架かる橋は遊歩道で、昼間は散策していた人もいたけれど、この時間になると誰もいない。

 向こうに渡る橋は、この辺りには、この橋しかない。橋は、フェンスでカゴの様な物で、囲まれていて、橋の下にはネットが張られていた。他の人達が気にも留めずに、橋を渡っているのに、千早は橋の前で立ち尽くしていた。千早は、橋を渡ろうとしても、どうしても一歩が踏み出せない。新しく、頑丈な造りの橋なのに、何故かとても不安定に感じてしまう。渡ると、今にも落ちてしまいそうな感じがしてしまう。

「ねぇ。如何したの?」

不意に背後で声がしたので、千早はビックリして、飛び上がった。恐る恐る振り返った千早は、ギョッとしてしまった。

「り、りゅう?」

そこには、同じジャージを着た少女が立っていた。その少女は、千早の反応に、

「視えるの?」

と、驚いて千早に問う。

「え、あ。天水さん。お家が神社だという?」

生身の人間だとわかり、千早はホッとし、ジャージの名札を見て、ようやく安堵できた。

「ああ、もうそんなに、広まっているんだ。そんなに、珍しい事なのかな」

腰まである長い黒髪を、後ろで一まとめに括っている。巫女って感じだな、千早は思った。

「それじゃあ、その龍? みたいなのが、神社の神様なの?」

「視えるんだね、斎月さんも。水龍。神社の祭神。そして、私の神様」

言って、微笑んだ。

「へー、凄いんだね」

千早は、その素振りに感心した。

「凄くないよ。それよりさ、早く戻らないと、怒られちゃうよ」

時計を見て言う。

「うん」

答えるけれど、千早は橋を渡れない。昼間は、そうでもなかってけれど、今は。

橋を見つめて、考え込んでいる千早を見て、

「大丈夫だよ。気にしなければ、なんともないよ」

と、言う。

「天水さんは、平気なの? 私、最悪だよ」

千早は、大きな溜息を吐く。

「まぁ、平気というより、慣れだと思うよ。こんなのって」

「そうなのかな。やっぱり、退魔法とかいるのかな」

「どうかな。それよりも、渡ってしまおうよ。太陽が沈んでしまったら、もっと増えるし、煩くなるよ。――先生達も含めて」

千早は、促されるようにして、一歩踏み出す。頑丈なコンクリートなのに、踏み込んだ感触は、泥沼のような感じだった。ただ橋を渡っているだけなのに、気分が悪くて堪らなかった。それと同時に、千早は何だかとっても、腹が立ってしまった。

「もー、煩い」

叫んで、千早は、駆け出した。潤玲も千早の後を追うように、一気に橋を駆け抜けた。橋を渡りきり、千早は肩で息を吐いた。

「後、何回。この橋を、渡らないといけないんだよぅ」

と、闇に沈んでいくダム湖に向って、叫んだ。


「もー。ホント、あの時は、最悪だったよ」

経緯を聞かせろと、言ってきた、長丘と東山に、千早は、アレコレと愚痴り続けた。潤玲は、頷きながら、

「うん。分かるよ。私は、慣れてたから、そうでもなかったけれど。でも、あの場所は、確かに最悪だったよ」

と、言った。

「今は、少しだけど、対処法も覚えたし、慣れたのは慣れた。でも、去年までは、ねぇ。それに、研修のカヤックの時なんかもー最悪が頂点だったもん」

千早は、その時の事を思い出して身震いしていた。

「あ、そうだったよな。あの時、斎月だけ、湖に落ちて、そのまま流されてしまったんだよな」

ムフフフと、長丘は笑う。

「引きずり込まれたのよ。霊感強いのに、退魔法が使えないから。それにしても、あの時は、大変だったね。あの後、沢山の死体も湖底から、見つかったしね」

得意げに、東山は言う。

「千早が、カヤックからひっくり返って、湖に落ちて姿が見えなくなったから、大騒ぎ。それで、捜索隊が千早探している時に、死体見つけたんだってね」

「思い出したくもないよ。ダム湖の辺にある、神社とお地蔵さんに、念の為、初日にお参りしていたから、なんとか助かったんだけどさ。それでも、捜索している人が見つけてくれるまで、私、ダム湖を漂流していたんだから。ライフジャケットがあったから、浮かんでいられたんだけどさ」

そう、千早はボヤク。

「まあ、それも千早にとっての、必要な試練だったのかもね」

と、潤玲。

「現に、千早は無傷だったし。ダム湖の自殺体も発見できたし。きっと、あのダム湖の神社に勧請されている神様か、お地蔵さんの意思だよ」

と、続けた。

「婆ちゃんにも、同じ事を言われて、あの後、また、御参りしてきたんだもん」

ふぅ、と溜息を吐き、千早は言った。

「へー、何時もつるんでいるのは、一年の頃からか。でも、やっぱり、霊感繋がりだったなぁ」

「いいなぁ、霊感あって。いいな」

オカルトカップルの二人は、そう言い続けたので、千早と潤玲は、冷めた目で二人を見つめて、溜息を吐いた。


 湿り気のある重たい風は、昼前には雨になり、それから、ずっと、雨は降り続いていた。

 クレーン事故も一段落して、佐山にまた、轟音が響きだしていた。工事の遅れを取り戻そうと、二十四時間フル稼働で進められていた。毎年、聞えていた、無数のカエルの声も、響く轟音に掻き消されていた。殆どの作業員は、佐山の建設現場に立てられている、宿舎に詰めていた。

 宿舎の食堂では、その日の作業を終えた人達が、気ままに晩酌したりしていた。

「また、見たんだって?」

五十代半ばの作業員は、カップ酒を啜り言う。このところ、作業員達の間で話される事は、決まっていた。

「ああ。ワシも聞いたぞ。ソレは、この前の事故で、死んだ人だったらしい」

食堂の隅、数人が集まり話している。

「それより、女の幽霊がいるんだと。この前、辞めた若い奴が言ってたのを聞いたんだが、あの事故の前、その女の幽霊が、クレーンの上に立っていたらしい」

ちびちびと飲みながら、幽霊の話で盛り上がる。

「これからの、話題だよな。幽霊話って」

と、笑っていたりした。

「でもさ、仕事がきつくて辞めたのかと聞いたら、そうじゃなくて、ここが、幽霊だらけで怖いからだとさ」

「そういえば、祠か何かがあって、邪魔になるからと、壊したんだってな。それかららしいぜ、幽霊が出るとか言うようになったのは。まったく、臆病だよなぁ。ワシは、幽霊なんか信じていないから、どうってことないがな」

と、幽霊話を肴に盛り上がっていた。

梅雨入りが発表されて以来、毎日、細い雨が降っていた。二ヶ月ぶりくらいの雨らしい雨だといっても、雨不足なのには変わらない。期待した程の雨は降らず、申し訳程度の雨しか降っていない。

 霧のような雨が降る、闇に沈んだ墓地。そこに佇んでいる人影。帽子を目深に被っていて、季節外れのパーカーを羽織っている。かなり蒸し暑いというのに、襟元はきっちりと閉めていた。

「必ず、仇を。必ず、あいつらを」

人影は、何度も呟き、うな垂れた。雨に濡れた墓石に、道を通っていく車のライトが、乱反射している。風が出てきたのか、木々がざわめく。その、ざわめきと共に、雨足が強まっていく。

「必ず、仇を。復讐を成し遂げる」

強く言うと、その人影は、ゆっくりと立ち去って行った。

雨は大粒となって、降り落ち始めた。


「うわー」

千早は叫んで、傘を開いた。今まで、傘を差すほども降っていなかったのに。生暖かい風と共に、雨は激しくなっていた。

「はー、嫌な時期」

学校からの帰り、駅前を歩きながら呟く。ふと前をみると、今の季節にそぐわない格好の人が、駅の方へと歩いて来ていた。不思議に思いながら、目で追っていると、その人は、千早から目をそらすようにして、すれ違った。まるで、わざと見ないように。

「あれ?」

千早は振り返り、その人を見て、

「森山の兄ちゃん―?」

と、声をかけた。

強い風が、吹き抜けていく。相手は、一瞬、足を止めたかのように見えた。しかし、その人は、何事も無かったかのように、早足で駅へと向かって行った。千早は、しばらく、その後ろ姿を見つめていた。

「他人の空似かな」

と、首を傾げ、また歩き出した。

 雨は夜半に、激しい雷雨になり、今までの雨不足が嘘の様に、降り続いていた。それを境に、雨は、何時もの年よりも、激しく降り続いた。今年の梅雨は、例年と違って毎日の様に、毎日、大雨洪水注意報が出されていて、河川や田畑の関係者は、それに追われていた。

 佐山の水田の用水路には、工事現場からの土砂が流れ込んで、泥水が溢れ、水田にまで流れ込んでいた。もはや、反対派だった人達も、度重なる嫌がらせや脅迫、強引に進められる工事に、失望し黙り込んでしまっていた。反対を訴える立て看板だけが、虚しく雨に打たれていた。

「うちの市長は、ロクでもないよ。このままだったら、何処かの街みたいに、破綻して滅茶苦茶になってしまうな」

千早が、そうボヤいた。昼休み、千早と潤玲、野田の三人は、一緒に弁当を食べていた。

「わーあ、千早ちゃんが、マジメな事言っている」

野田は、珍しいものでも見るように、千早を見た。

 千早と潤玲は同じ、備東市で、佐山もそこにある。

「だって、うちの市、今揉めているんだもの。本当に、この先、思いやられてしまうよ」

潤玲も言う。

「そういえば、時々、テレビや新聞に出ているね。確かに、市長の写真見ていると、狸か狐かが、ハゲたようなタイプで、しかも古狸って感じだね。今の政治家って、さあ。若者は駄目駄目って言っているけれど、自分達の方がオカシイのにね。そう考えたら、この国に、未来なんて無いとしか、考えられないよな」

おにぎりを頬張りながら言った、野田は、慌ててお茶を飲んだ。

「はっははは。そーだよね、未来なんて、無いか―」

「千早、笑ってたら駄目だよ。やっぱり、若い私達が、しっかりしないと」

潤玲は、真顔で言った。

「潤って、うちの婆ちゃんみたい。そーゆの、婆ちゃんの口癖なんだ」


 雨は激しく降っている。静かな授業中は、雨音が大きく聞えて、その雨を嬉しそうに歌う、カエルの声が聞えていた。


「また、出たらしいぞ。女の幽霊が」

佐山の工事現場宿舎では、幽霊の話が広まり、その話で持ちきりだった。

「女の幽霊って、この前、殺された人かい?」

「いいや。昔の着物を着た女だと。富村の爺さんが、言っていたぞ」

「でも、爺さん、死んじゃったろ。まだ、ポックリ逝く年でも、なかったのに」

「なんでも、女の幽霊見たから、死んだっていう、変な話もあるしな」

宿舎の食堂。中年の作業員は、言った。

「ここって、心霊スポットって、やつですか? それだったら、テレビ局とか来たりして」

二十歳そこそこの青年は、面白がっていた。

「そりゃー、うけるかもなぁ」

と、若者同士は盛り上がっていた。


 色あせ、雨に打たれる、反対を訴える看板。工事が進んでいる今でも、看板だけは増えていっている。その看板の中には、市長の不正を指摘するようなものもあった。

「ふーん。揉めてるとは、聞いてはいたが。――なるほどねぇ」

髭面で、ボサボサのロン毛を束ねた中年男は、タバコを棄て呟いた。

「色々と、探れば探るだけ、出てきそうだな」

と、ほくそ笑むと、看板の一つ一つをデジカメに収めていった。


 一方、学校でも、佐山の幽霊話が話題になり始めていた。

「富村豊子の爺さん、佐山で仕事していたんだけど、そこで、女の幽霊を見てさ、その日か次の日に、急死したらしいぞ」

千早と潤玲が、教室に入るなり、長丘が息を切らせて、言いに来た。

「それで、このところ、フトムラ休んでいるのか」

クラスの男子が、面白そうに言った。長丘は、それに頷く。

「佐山の工事現場って、幽霊の話とか、事故とか多いよな」

誰かが言った。朝のホームルーム前とあって、殆どの生徒が教室に入っている。その言葉を聞き、クラスは、ざわめいた。

「そー言えば、近所のオッチャンも、そんな事いってたな」

ザワザワと、あちらこちらから、佐山に関する噂話が聞えて来る。千早と潤玲は、話には入らず、ただ聞いていた。

「心霊スポットって、これからが本番だよな。テレビ局に言ったら、取材とかが来るのかな」

言って、ケータイを取り出す。

「あ、俺も投稿しよ」

何人かが、ケータイを手にし、メールを打つ。チャイムが鳴り、先生が入って来ても、クラスのざわめき、メールを打つのは続いていた。先生が注意し、ようやく静かになると、千早は、隣の席の潤玲に、耳打ちする。

「ねぇ、例の古墳の死体。あれからどうなったの?」

「進展なし、みたいだよ。今日あたり、帰ってくるはずだから、また聞いてみるね」

と、小さく潤玲は答えた。


 学校が終わる頃、久しぶりに青空が広がった。梅雨の合間の晴れ、一気に暑くなり、汗が滲んでくる。よく晴れているけれど、湿度は高く蒸し暑さが、堪らない。

 潤玲は日課を終え、水龍の下へと向かう。山の小道。降り続いた雨で足元は悪く、草履では歩きにくい。カエルに混じって、気の早い蝉が、もう夏かと鳴いていた。山の中の湖、ここは何時来ても、気持ちの良い場所。禁足地であるけれど、潤玲のお気に入りの場所だった。

 潤玲が来るのを待っているのかのように、水龍は湖面に姿を現していた。その水龍を不思議に思いながら、礼をとる。

「水龍、今日はどうかしたの?」

「ああ。このところ、この辺りの空気が、何だか不穏なものでな。何か、よからぬ事の前兆なのか、既に起こっているのかしれんが、しっくりこなくてな」

天を仰ぐ。

「それって、台風とか地震でも来るの?」

「いや、自然摂理では無い。まだ、ハッキリとは判らぬが、人間の何か大きな想いによって、更なる強い想いが、蠢きだした。人間でなくても、大きく強すぎる想いは、善からぬ事を招き兼ねない事もあるからな」

まるで、人間が溜息を吐くような仕草で、水龍は答えた。潤玲は、水龍が見つめていた、天の彼方を見る。

「私には、全然判らないよ」

「ふふ。潤玲が判らなくてもよい事さ。我が、気に掛けて、必要ならば伝えてやろう」

言って、水龍は再び天を仰いだ。

「今年の梅雨は、何処となく不穏なものを含んでおるな」

と、呟いた。

 潤玲が、水龍湖から戻ると、兄大地が帰ってきていた。潤玲は、玄関で足袋を脱ぎ、草履も一緒に、洗っておく。

「お帰り、お兄ちゃん。仕事、落ち着いたの?」

扇風機の前に、足袋と草履を干しながら、問う。大地は、その問いに首を振る。

「いや、進んでいない。少し、息抜きをしようと、思って。えーっと、晩飯に寿司を買って来たんだけど、よかったか?」

テーブルの上の袋を指した。見ると、大手チェーンメーカの、お徳用セットだった。

「うん。いいよ。これから、晩御飯作ろうと思ってたから。ありがとう」

 一ケ月ぶり位に、兄妹で食事をする。このところ、ずっと潤玲一人だった。だけど、これといって、話す事もなかった。

「ねぇ。お兄ちゃん、何時ものように、犯人の顔は視えたりしないの?」

その問いに、箸を置き、

「ああ、古墳の件に関しては、まったく何も視えてこないんだ。視えないというよりも、闇に覆われている感じなんだ。だけど、古墳の死体が、林原正子を殺した犯人には、違いないと思うのだけど……」

自信無さそうに答える。

「林原さんを殺した、犯人の顔も視えなかったの?」

「顔を隠しているからな。でもまあ、古墳の死体と、なんとなく雰囲気が似ているから、多分同一人物だろうな。いいか、この話は、ここだけだぞ。霊感で、犯人視えているだけでは、駄目だ。やっぱり、物的証拠でないと。あと、妹理沙の方は、まったくと言って情報は無いんだ。お前、学校の方は、今どうなっているんだ、何か心当たり無いのか?」

「無いよ。林原さんの事は、口に出してはいけないような、空気がクラスの中に、流れているもん」

姉を殺した犯人に殺された。後追い自殺、駆け落ち説、そんな噂があると、大地に話した。

「考えつく事は、そんなところか」

大地は、頷き、

「潤玲は、何か視えないのか?」

と、問う。

「視えない。生きているって、そういうこと位しか判らない。頑張って、それ以上見ようとしていたら、頭痛くなるから」

お茶を注ぎながら、答えて

「ねぇ、お父さん、まだ退院出来ないの?」

心配そうに問う。

「傷の治りが悪いんだ。折れてる骨もくっつかないし。糖尿があるからな」

答えて、大地は、まだ熱いお茶を一気に飲み干して、ふうと息を吐いた。

「……それじゃあ、私が仕切っていかないと、いけないのかぁ」

「いいじゃないか。水龍の巫女なんだし。心を通わせれるんだから、本当の意味での巫女なんだし。だから、頼むよ。僕も頃合を見て、手伝えるようにするから」

パチンと手を合わせて、拝むようにして言った。潤玲は、複雑な想いで、お茶を啜った。


 千早は、先日、森山清人らしき人物と、すれ違った事を、焔婆に話していた。

「如何したものかね。彼が、ああまで変わってしまうとは。やはり、何かあったのでは。それで、あんなふうに様変わりしてしまったのか」

祈祷などを行う部屋。焔は、独り言の様に言い考え込んでいた。

「呼びかけてみたけど、無視された感じだったよ。それに、顔を隠すようにして立ち去って行ったよ。感じ悪かったけれど、なんだか、悲しそうなものが漂っていたな」

痺れてきた足を気にしながら、千早は言った。

「すれ違いながら、何も視えなかったのか?」

足を崩そうとしているのを、咎めるかのように言われ、千早はビックとして、姿勢を正した。

「視えなかったもん」

すると、焔は溜息を吐き、

「力も才能も有るのに、視えないって事は、やはり修行が足りないと思える」

じっと、千早を見つめる。千早は、気まずくなり、苦笑いを浮かべた。既に、足に感覚は無くなっていた。

「水龍神社の巫女とは、友人なのであろう? その様な話だって、しているんだろう?」

問われて、千早は頷く。が、

――するっていっても、そんなには。

と、内心、言い返す。

焔は腕を組み、目を閉じて何やら考え込んでいる。そして、

「夏休みは、錦原神社へ行きなさい」

カッと目を開くと、そう言い放った。

「ええ~」

千早は、思いっ切り反発した。

「口答えは赦さない。唐琴には、婆ちゃんから、伝えておくから。心しておけ、夏休みは修行じゃ」

焔に言われ、反論すら赦されない千早は、半泣きで仕方なく頷いた。


 大きな雷の音と共に、雨は激しく降っていて、時折り稲妻が夜空を走っていった。余りにも激しく降っているので、作業は一時休止となっていた。その為か、何時もより多くの作業員が、宿舎の食堂に集まって来ていた。そこでの話しも、やはり幽霊話だった。

「それにしても、テレビ局が幽霊話の事で来るとはな」

「クレーン事故、その後。で、来ていたんじゃなかったんだな。でも、あの事故を皮切りに、幽霊が出たり、些細な事故が続くようになったんだろ?」

「えー、それじゃあ、クレーン事故で死んだ人なのか、やっぱり」

「いやいや、着物来た女の幽霊だって」

と、いった感じだった。

 先日、テレビ局が、心霊番組の取材に、相次いで来た。そして、色々と取材やロケをして、作業が度々中断されたのだった。

「お蔭で、作業が遅れて、重役さん達に、怒られたんだからな。その上、この雨だよ。また遅れる」

鬱陶しそうに、窓の外を見る。滝の様な雨は窓ガラスを叩きつけていた。外の様子が見えない程の激しさだった。

「そういやあ、この前、辞めや奴に会ったんだ。そいつに、何で辞めたんだって、聞いたら、女の幽霊が出て怖いから、いてもたってもいられなくなったんだと、それで辞めたって」

一人が笑いながら、話す。

「その手の話、ここの現場、多いな。たまに、曰く付の現場とかに出くわしたりするけど、そう辞めていく奴なんかいないぞ。この辺りの人は、臆病なんだろうな。情けないぜ、男のくせに」

と、酒を飲みながら、ゲラゲラと笑っていた。


 夜中になっても、雨は激しく降り続けていた。雷は、プレハブの宿舎を揺らしていた。建設現場を照らしているライトに、人影が浮かんでいる。その人影は、激しい風雨なのにもかかわらず、傘も合羽も無い。ただ、立ち尽くしているだけ。その人影が、呟いた。

「ふふふ、ようやく復讐を果たせる事が出来る。彼の人の仇を、今、晴らしてくれようぞ」

その呟きは、雨音に掻き消された。人影は、切り倒された木々や、掘り返された切り株を見つめていた。

「誰か、いるのか?」

合羽を着て、大きめの懐中電灯を手にした作業員は、現場を照らしているライトに、浮かんでいる人影に、自分の持っている電灯を当てた。

「ひ」

その人影を見たとたん、その作業員は懐中電灯を落としてしまった。

「で、出た。ゆ、ゆーれい」

声にならない叫びを上げて、雨でぬかるんでいる道を、転がるようにして宿舎へと走ってゆく。何度も転びながらも、必死になって。彼の視界に、宿舎の明かりが入る。彼は、域も絶え絶えになりながら、思いっきり扉を開けて中に飛び込み、扉を閉めた。

 驚いたのは中にいた作業員達。彼らは、その男を怪訝そうに見つめ、

「如何した、幽霊でも出たのか?」

一番近くにいた男が、ワンカップを手に言った。他の人も、笑いながら彼の返答を待っている。

「おおんなゆうれい。B区整地の。ひらひらして笑ってたあ」

息つく間も無く、呂律の回らない言い方。その余りにも、切迫している様子に、笑っていた者達から、笑いが消えて、食堂は静まりかえる。

 男は、激しく怯えて、ガタガタと震えている。恐怖の余りにオカシクなってしまっていた。

「みんな、ゆうれいに」

呟き、男は白目を剥いて倒れた。近くにいた者が、男を揺する。しかし、男に反応は無く、既に息絶えていた。その死顔は、恐怖の余りか、凄まじい形相だったので、それを見た作業員達は、震えあがってしまった。


 新聞の片隅に、小さな記事が載っている。

〈佐山産廃建設現場で、また作業員が死亡。相次ぐ事故などは、労働環境に問題ありか?〉

と、その様な記事が掲載される度に、ちょっとした小競り合いが起きたりしていた。

 ある記事は、佐山で起こる事故は、佐山に出る幽霊の祟りと書いて、面白おかしく、心霊現象と事故を繋げていた。

 クレーン事故から、二ヶ月が過ぎようとしていた。

 雨は降っていないのに、ジメッとした風が吹いていた。生暖かいというより、熱風に近い。

「明日から、期末テスト。終われば、やったー夏休み。と、いう訳ではないし」

溜息交じりにボヤク。

「如何したの? 夏休み、補習でもあるの?」

「ううん。婆ちゃんの言いつけで、従兄の神社で、修行しろだってさ。あーもー最悪」

「お婆さん、千早に後を継いでほしいんだね?」

「うん。反論しても無駄な事だし、どうにもならないからね」

と、大きな溜息。

「そうなんだ。でも、何とかなるよ、頑張ってね」

クスッと笑う。

「笑わないでよ。すっごぉーく気が重いんだからぁ」

電車がホームに入って来る。電車の扉が開くと、中から涼しい空気が流れ出てくる。他の生徒より、一本遅い電車なので空いている。座席に座るなり窓の外を見る。外気温の差で、窓が曇っている。

「早く、梅雨明けないかな」

「今年の梅雨、善くないって、水龍が言っていたよ。何がとは、教えてくれなかったけれど」

他愛ない世間話のように、潤玲は言った。

「そうなんだ。まあ、色々注意報出ているもんね。はー嫌だよ、ジメジメは」

 電車は、佐山平野を走っている。

「佐山、すっかりハゲてしまったね。よく見えないけれど、足場が出来ているよ」

水田の真中には、不自然な姿となってしまった佐山が、見えていた。

「用水が汚染されて、ここのお米も駄目になってしまうんだろうな。私、佐山のお餅みたいな形が、気に入っていたのにな」

千早は、佐山を見つめる。

「本当。稲にも生気が感じられない。工事が始まる以前は、とても元気な土地だったのに。市長は間違っているよ」

潤玲も遠ざかって行く、佐山を見て溜息を吐いた。

「そういえば、今日だね。佐山が出る、心霊特番」

と、千早。

「うん。でも、佐山自体が、まだ心霊スポットとしては、新しいから、コーナーとしては少ないだろうね。たまたま、ロケバスのドライバーが、うちの氏子だったんだけど、来ていた霊能者の話、クレーン事故で亡くなった人の幽霊なんだって。なんか、そんなこと話してくれたよ」

複雑そうな笑みを浮かべる、潤玲。

「なんだか、ソレって。まぁ、一応、見ておかないと。それにしても、あいつ等の誰かが投稿したからなんだろうなぁ」

「それはそれで、いいじゃない。これを切っ掛けに、佐山が問題視されて、建設中止に動いてくれたら」

と、潤玲は言った。


 潤玲は、まとめノートを片手に、心霊特番を見ていた。これっといって、見所は無かったけれど、佐山のコーナーだけが気になり見ていた。霊能者だという人が登場して、佐山について、あれこれと話している。

『クレーン事故があったでしょ、あの時に、お亡くなりになられた方々が、まだ、浄化されていないために、事故が増えたり、心霊現象が起こったりするのです』

と、言い、事故現場に聖水とか撒いていた。潤玲は、溜息を吐いた。その内容は、見るに耐えない内容だった。

「これだと、事故死した人を、愚弄しているようなものだよ」

と、呟き、

「この人、本当に視えているのかなぁ?」

潤玲は、その霊能者を観察してみる。

『あと、農民の霊もいますね』

その一言一言に、レポーターや工事現場の作業員か、エキストラかが頷いていた。テレビを消そうかな、リモコンに手を伸ばした時、ケータイが鳴った。

「千早か」

リモコンを取らずに、ケータイを手にし、潤玲は、クスッと笑った。メールの内容は、分かっていたから。

〔ヤバイよね、あの霊能者。それに、たくさん映っているよね〕

やっぱりね。

〔だよね。それに、あんな事していたら、遺族の反感かうんじゃないの。あの除霊は逆効果だよね〕

と、返信した。何度か、メールのやり取りをしている間に、番組は終わっていた。

 千早は、面白くなかったと、ボヤキ、試験勉強を始めた。学校の勉強なんて、殆ど意味が無い。進路なんて考えてもいない。潤玲に、コピーさせて貰ったノートを、自分のノートに書き写しながら、考えていた。

 潤玲は、神社を継ぐために、大学に行って神職の資格を取るのかな? 婆ちゃんの後を継いで、それで生活していけるのかな? 試験勉強なんか、頭に入らない。ノートをまとめ終え、時計を見ると、ちょうど夜中の十二時だった。どうりで、小腹が減っている筈だな。

 千早は、近所のコンビニへと出掛ける。雨は止んでいたが、かなり湿り気のある蒸暑い風が吹いていた。風が凪ぐと、空気が重たく感じる。この辺りには、田畑などは無い。家の庭や用水路の辺りから、時々、カエルの声が聞えてきている。

 コンビニで買物を済ませ、来た道を帰っていた。その千早の前に、突然、一匹の犬が飛び出してきた。ボーと、歩いていた千早は、ビックリして転びそうになった。

「び、びっくり、させないでよ」

千早は、その犬を見て言ったが、犬を見て固まってしまった。その犬に、実体は無かったから。

「犬の、霊?」

驚きながらも、恐る恐る見つめる。白というか銀色なのか、珍しい毛色で、襟元には、フサフサとした襟巻きのような毛がある、小さな犬だった。何故か、尻尾の先だけ黒い毛。何処かで見たことのある犬。そう思いながら、その犬について思い出そうと、犬を見つめていると、

「オネガイ リサ タスケて」

不意に、千早の耳元で囁く声がした。

「何?」

振り返って、辺りを見回すが誰もいない。他の気配など、感じない。

「ひょっとして、ワンちゃんが言っているの? ……ワンちゃん、もしかして、理沙の?」

千早は改めて、犬を見た。すると、犬は嬉しそうに、尻尾を振った。

そして、

「オネガイ リサ オニにナル リサをトメテ。オネガイ」

犬は、そう言うと、夜の闇に、すーっと滲むように消えていった。

 風は一段と、生暖かくなり空気も重くなってゆく。遠雷が聞え、北の空が光始める。

「理沙の犬。犬が、如何して? 何なの一体」

千早は、その場に立ち尽くし、犬の消えた闇を見つめ考える。

「理沙が、行方不明な事と、何か関係があるってこと?」

独り呟いて、暫くその場で考えてしまう。やがて、雨が落ち始めると同時に、大きな雷が鳴った。千早は我に返り、慌てて家へと帰った。

試験勉強をしていても、理沙の犬の事が気になって、それどころではなかった。

翌日、千早は、その事を、潤玲に話した。

「お蔭で、全然ダメだったよ、テスト。追試にならなければ、いいだけどさ」

と、溜息。

「その犬、林原さんが、飼っていた白色の犬? 尻尾の先だけ黒い」

帰りの電車内で、話す。

「うん。でも如何して、ヒトの言葉だったのかな。その言葉が、何を指しているのかも、解らない。だけど、生きている犬みたいな、強い存在感があった」

「その犬が、何か知っているのかもね」

「とにかく、理沙を助けてと、言っている以上、理沙の身に何か、あったのかもしれない。だけど、何も解らないや」

力無く、千早は言った。


 深い闇の中で、すすり泣く者がいた。

――忘れない。忘れるものか。彼の人の痛みを、苦しみを。その無念を。忘れぬ、忘れはせぬ。この想いを、必ず、何時か。

何度も何度も、繰り返し呟き、すすり泣いていた。

 何年もの間、閉ざされていた部屋。重く黴臭い空気が充満している。光が入ることのない、その部屋には、灯す明かりさえ無い。

「ふふふ、ぇーちゃ。……と、ぁさん……。わた、し、か……げる、ふふ」

ボソボソと呟く声と共に、暗い空間に、響く金属音は、やがて降り始めた雷雨に消えていった。


 〈佐山でまた事故〉新聞の一面に、大きな見出しが踊っていた。そして、

〈事故直前に、作業員が幽霊を見たと、言う証言が多いのは、何故か?〉と、季節柄を気にしてなのか、そのようなコメントまで書かれていた。にわかに、マスコミ達も騒ぎは閉めた。心霊番組での除霊以降も、続く心霊現象。新たな、噂も出てきて、事故と幽霊を関連させる噂は、ネットの心霊サイトでも盛り上がっていた。そして、それは、ワイドショーへと広がっていく。


   4 佐山野神


 夏休みに入った千早は、従兄の家・錦原神社へと強制的に連れてこられた。修行という名目で、神社の手伝いや、社務所で兼業している観光案内などを手伝わされていた。

 錦原神社は、かつて、色とりどりの花や草が広がり、穏やかな風が渡ってゆく土地だった。それも昔の事で、今では、ちょっとしたリゾート地になっていた。豊かな自然と史跡。そして、海水浴で知られていた。風光明媚な街、海窓。なだらかな平野が広がり、その平野の北には山々があり、南には海が広がっている。錦原神社は、山際にある小高い場所にあった。そこからは、平野と海が見渡されて、空気の綺麗なん天気の日は、海に浮かぶ島々と、海を挟んだ対岸が見えたりもする。錦原神社には、この辺りの土地神と一緒に、海の神も祀られていた。

「ねぇ。唐琴オジサン、これってただの、お手伝いじゃあないの? 観光案内とかのさー」

頬を膨らませて、千早は言った。

「オジサンでは、ありません。お兄さんです。私はまだ、三十歳になったばっかりです。三十代は、まだ、お兄さんなのです」

白衣に紫色の袴、眼鏡をかけて、長く伸ばしている髪の毛を後ろで、丁寧に結っている男は、そう言って、千早の頭を小突いた。

「でも、テレビでは、二十五歳過ぎたら、オジサン・オバサンだって、言ってたもん」

と、千早は、唐琴の手を払った。

「私は、お兄さんです。さぁ、千早、夕べの神饌を、お持ちして差し上げなさい」

言って、三宝と酒を指した。

「ぶーぅ。私の夏休み返せー」

千早は叫ぶ。それを無視するように、

「さ、早く行ってきなさい」

と、淡々と言った。千早は、溜息を吐くと、渋々と本殿へと向った。

 錦原神社の祭神は、記紀神話に登場する、天津・国津神の系統とは違う神。この国には、様々な神が混在しているのだ。千早は、ぎこちない手つきで作法をする。祭壇に、三宝などを置いた、そのとたん、千早の前に、女が現れた。半透明なのに、その姿と存在感は、明確で、煌びやかな日本古来の衣を纏っている。引きずる程長い黒髪には、幾つもの花が簪のように差し込まれていた。

「に、錦原神」

千早は、とっさに身を引き、引きつった笑みを浮かべて、更に後退った、。

「如何して何時も、そうなのじゃ? 我を見て、通じあえるのに。そなたとは、赤子の頃からなの中なのに、何故、逃げ腰なのじゃ?」

と、女は千早に詰め寄った。

「いえ、あのその……」

背中を汗が伝っていく。着慣れない巫女装束が、動きを阻む。

「え、何じゃ?」

「ただ、どの様に接してよいのか、わからない」

また、後退りする。

「別に、気にする程の事ではない。千早は、我らを視てくれる。それだけで、良いのじゃ」

というと、錦原神は、千早の肩に乗った。

「は、はぁ」

千早は、ガチガチに引きつった笑みで、頷いた。

 夏休みに入ってから、錦原神社・従兄・唐琴の家で生活している。焔婆の言う、修行よりも、もっぱら、ただの手伝いをさせられている日々。そして、錦原神や唐琴に、追いたれられる日々でもあった。

 海水浴場の賑わいが、時折り聞えて来る。朝早くから夜まで、蝉の大合唱が続き、夜は夜で、カエルの合唱。千早の家は、街中にあるので、逆に田舎である此方の方が、煩くかんじてしまう。

「佐山って、トラブル続きだよね」

配達されたばかりの夕刊を見て、千早は言った。

「あそこには、色々とありますからね」

含み笑いを浮かべて、唐琴は千早から夕刊を取り上げ、自分がその記事を読む。

「――まったく、あの馬鹿市長には、呆れますね」

と、鼻で笑った。

「ところで、唐兄、明日は友達と約束があるんだけど」

「ふーん。――別に、いいですよ。別に」

面白くなさそうに言い、社務所の奥へと入って行った。その態度に、千早はムッとしてしまった。

「あ、そうそう。今日は、アイス屋さんの来る日ですから。アイス買ってきてください。全種類ですよ。そこにお金置いていますから、千早もいれば買っていいですよ。いいですか、全種類ですよ」

奥から、何度も念を押すかのように言った。千早、ここに来てもう何度、頬を膨らませたかわからないほど、ぶーと頬を膨らませた。

「外は、暑いのに」

呟く。外へ出るのを躊躇ってしまうほど、未だに陽射しは強く照り付けていた。夕方になっても、アブラゼミ達は元気一杯に鳴いている。神社の境内ですら、熱せられた空気で、かなり熱くなっているのに、神社の外となると……。千早は、気が向かなかった。一時間程前に境内に撒いた、打ち水もすでに乾ききっていた。

 鳥居を出て、緩やかな参道を下って行く。両側には木が茂っていて、少しは陰になっているが、下の鳥居を出ると、そこは町道。鳥居を出ると、暑さが強くなる。鳥居を境にして、温度差があるのは、木の陰だけのせいだろうか。何時も疑問に思う。

 錦原神社は、郊外にある。町道を町の方へと向うと、民家と商店がある。夏限定で、民家の軒先に、即席の売店が出来ている。農産物や土産物の他、海水浴用品まで売っている。スーパーの周りには、土産物屋や食堂などがあり、そこに、アイスの移動販売車が来ているのだった。わりと人気があり、何時も人だかりが出来ている。近所の人や、海水浴帰りの人が、その辺りに座ったりして、食べていた。アスファルトの駐車場は、土のところより、熱い。草履の下から、直に伝わってくる。巫女装束のまま来たので、周りの視線を集めてしまう。千早は、さっさとアイスを買うと、また来た道をズリズリと歩いていく。何もしていなくても、汗が落ちてくるのに、歩いていると、滴り落ちてきた。参道の手前、そこにある大きな木の陰で、一息吐いて、汗を拭いていた時だった。急に、蝉の声が消えると、同時に千早の前に、あの夜、現れた、白い犬が姿を現した。

「ハヤク リサ タスケて」

一度視ているとはいえ、急に現れると、やっぱり驚いてしまう。

「理沙のワンちゃん」

そう犬に言い、

「ねぇ、理沙は何処にいるの? 知っているのなら、教えてくれない? そうしてくれないと、私、如何することも出来ないんだけど」

と言うが、しかし犬は、答えず、

「リサ オニにリサ、カナシイ。ボク リサにトドカナイ。リサ、オネガイ リサ タスケテ」

そう言い続けるだけで、姿を消してしまった。理沙の犬が姿を消すと、鳴き止んでいた蝉達が、再び鳴き始めた。

――リサが、鬼になる?

その場で、考え込む。しかし、アイスを買っていたことを思い出し、急いで神社に戻った。神社に戻ると、唐琴は、本殿の前で参拝客と話しをしていた。千早は、自宅の冷凍庫にアイスを入れた。幸いにも、アイスは溶けておらず、ホッとする。業務用サイズの冷凍庫の中は、殆どがアイス類がしめていた。唐琴は、三度の飯よりアイスが大好きだった。千早は、冷たいお茶を一気に飲み干し、吹き出た汗を拭いて、息を吐いた。 そして、改めて、犬の言っていた事を考えてみたが、如何しても解らなかった。

 一日の修行(手伝い)を終えて、千早は自分の部屋に戻る。終業式の日にここへ来て、一週間。未だに納得出来ない。

――宿題だって、山のようにあるのに。

殆ど手付かずの宿題の束を見て、うんざりしてしまった。ケータイを見ると、メールが色々と来ていた。潤玲とオカルトオタクの二人、そして、姉。長丘からは、大手オカルト雑誌に、佐山の記事が載っていると。東山からは、ある週刊誌に、佐山産廃の汚職記事が出ているというものだった。千早は、なるほどなと思いながら、姉のメールを見る。姉は、離婚した母と一緒に家を出て行き、一緒に住んでいたが、今は独立している。それで、今付き合っている彼氏と、結婚したいけどどうすればいいと、いう相談だった。姉は、なかなか自分で物事を決めようとせず、よく千早に相談を持ちかける。千早は、やれやれと思いながら、婆ちゃんに相談してよ。と、返信した。一体、どちらが年上なのかと、疑問に思ってしまう。

 潤玲からのメールは、明日どうすると確認だったので、大丈夫と返信した。

――明日、理沙の犬の事を相談してみよう。

一人で考えるよりも、いいかなと思った。

――とりあえず、宿題もしないと。唐兄に、言われそうだなぁ。

ふぅと、息を吐いて机に向った。


 翌朝早く、唐琴に水龍神社まで、送ってもらった。

「なんだ、友達って、水龍神のところの子だったのか」

参道の手前に車を停めた、唐琴は、まるで知合いのような口ぶりだった。

「そうだよ、それがどうかしたの?」

車を言いながら、千早は言う。

「なるほどと、思ってね。千早も、そのお友達をしっかり見習わないとね」

にっこりと笑っている唐琴とは、反対に、千早はムッとする。

「ふふん。そのようでは、まだまだですね。それでは、六時に迎えに来ますから、それまでにきりを付けてくださいね」

穏やかな口調なのだけど、なんとなくトゲがある。唐琴は、ニッコリ笑ったまま、車を出した。

 参道に沿うようにして、用水路と水田がある。水田の稲は、青々と伸び、太陽の光を全身に受けている。風が吹くたび、稲はキラキラと輝き、稲葉と水を含んだ土の香が湧き立っていた。陽射しが強くなるにしたがって、蝉や夏虫が、元気に鳴き始める。千早は、水龍神社の石段を登り、上の鳥居の前で一息吐いて、一礼した。鳥居をくぐり境内に入ると、なんだか涼しく感じる。やっぱり木々が多いからかなと、思いながら、手水舎で身を清めて、拝殿に参った。社務所を覗いてみが、潤玲はおらず、自宅の方へ回ってみたけれど、そちらにもいなかった。

「お努め中かな」

境内を歩きながら、千早は本殿の裏へと歩いてみる。そこは山で、木々と水の香を含んだ、冷んやりとした空気が漂っていた。

「すごいなぁ。何時来ても、ここは、水の香がするよ」

呟いて、禁足地へ続く鳥居の手前で、足を止めた。

「やっぱり、お努め中かぁ。それにしても、すごいな」

その鳥居の前に立っているだけで、水龍の力が感じられる。大きく深呼吸すると、すごく気持ちが良かった。

「錦原神や波果神とは、また違った感じだな」

目を閉じると、より強く、水龍の力を感じることが出来た。

 千早は、社務所の前にあるベンチで、潤玲が戻って来るのを待つことにした。風通しの良い陰で、心地の良い風が吹き抜けていく。正式な梅雨明け宣言は、まだ発表されていないが、このところ、晴天が続き真夏のようだった。ベンチから、雲ひとつない空を見上げて、ボーっとしていると、玉砂利を歩く足音が近づいてき、

「千早、おはよう」

と、声がした。我に帰った千早は、

「あ、潤玲。おはよう。少しはやく着いたから、まだ、お努め中だったんだね」

言って、立ち上がる。

「うん。待たせちゃったみたいね。着替えてくるから、もう少し待っててくれるかな?」

潤玲は自宅へと入り、数分ほどして、カジュアルな服装で戻ってきた。


 それから電車で、理沙の家へと向う。千早の利用している駅の手前の駅。その駅から、歩いて三十分弱の場所にある、市営住宅。林原姉妹は、そこで暮らしていた。大きな国道から、細い市道に入り、そこから、急な坂道になる。山の斜面を利用して造られた市営住宅は、一戸建てで、区画ごとに建っている。どれも古い。その中の一つが、理沙の家だった。平日の午前ということもあってか、まったく人の気配のない住宅。千早と潤玲は、理沙の家を訪れた。

 呼び鈴を鳴らしても、呼びかけノックしても、返事はない。中にいる気配も、無かった。

「やっぱり、いない。何処に行ったんだろう」

千早は、カーテンの隙間から中を見ようとしたが、見えない。

「親戚の家は、如何かな? あ、でも、そのような人いないって言ってたな」

かすれて消えかかっている、表札をみて潤玲は言う。

「うん。両親は十年程前に、死んじゃってる。十歳、年の離れた姉ちゃんが、理沙を育てたんだって」

庭の方に周りながら、千早は言う。小さな庭は、草が生えていて花壇にも、草が生い茂っていた。その小さな庭の隅に、小さな犬小屋が置いてある。以前、理沙が犬を拾って、ここで飼っていたのだ。犬小屋を覗くと、使っていた、お皿や玩具などが、そのまま入れられていた。

「理沙の犬、如何して私の前に、現れるんだろう」

犬小屋を見て、千早は呟く。

「婆ちゃんや唐兄に、聞けば判るのかもしれないけれど、聞いたら聞いたで、“修行が足りない”と言われるんだろうな。――それに、私の前に現れるということは、私自身が、何とかしないといけないのかもしれないな」

溜息が出てしまう。

「ねぇ。犬は “リサがオニになる”って、言っていたんだよね? 如何して、ヒトが鬼になると言ったと思う? ひょっとしたら、お姉さんの事が関係しているのかも、しれないよ」

千早の呟きを聞いていたのか、潤玲が言った。

「姉ちゃんを殺した奴への、復讐。理沙が、復讐するつもりだから、鬼になるってこと? それって、さぁー」

二人は顔を見合わせる。

「そう考えると、犬の言っている意味が、わかる気がするよ」

言い、潤玲は複雑な表情を浮かべて、溜息を吐いた。

「他に手掛かり捜さないと」

 理沙の家を後にして、二人は駅前にある、小さなコンビニへ立ち寄る。流石に、昼前になると、真夏のようだった。

「これで、まだ梅雨が明けていないって、嘘だよなぁ」

ペットボトルのお茶を手に、千早は言った。

「ねぇ、千早、これ」

潤玲が、一冊の週刊誌を手にして、

「これ、佐山の事が載ってるよ」

言って、まず買わないような週刊誌を、お茶と一緒に買った。

 電車を待ちながら、佐山の記事を読む。

〈佐山産廃建設工事。続く、事故と心霊現象の謎。背後には、亜来市長と金尾社長との、黒い繋がりか?〉と、見開きでタイトルがある。そのタイトルの周りには、事故の写真や、心霊写真らしきものがある。そして、市長と社長の顔写真も、一緒に載っている。記事を読んでいくと、心霊現象の事よりも、市長の汚職を指摘するような内容だった。

「市長と社長が、繋がっていて、談合に絡んでいる噂はあるけれど。それより、事故原因にも、絡んでいるとしたら、これは大問題だね」

と、潤玲。

「あの馬鹿市長の事だから、ありえないことではないんじゃないの。福祉削減して、開発進めて企業に肩入れだもん。そのことで、婆ちゃんところに、市長を呪ってくれと、依頼に来た人も、いたからね」

「政治家や評論家は、若者が、だらしなくて駄目だから、世の中、乱れてるって、言っているけどさ、自分達が一番乱れてるよね」


 二人は、学校近くにある、ファミレスでも、その様な話をしていた。この辺りでは、一番の街。一時間程、電車で出れば、色々なお店や、デパートなどがあるのだけど、そこまで行く時間も、お金もなかった。

 ランチを食べながら、話していると、そこへ、パーマが崩れた様なロン毛を束ねた、煙草臭い中年の男が、声を掛けてきた。昼下がりで、客は殆どいない。その男は目立った感じだった。

「君達、佐山の事、何か知ってるんか?」

問われ、二人は怪訝そうに、男を見た。

「お、これは失礼。俺は、こういう者だ」

言って、二枚の名刺を二人に渡し、隣の席に座った。

「ジャーナリストって、やつ?」

名刺を見て、千早が問う。

「そんな、格好のいいものじゃないさ。俺は」

と、笑う。

「この記事の人ね」

潤玲は、雑誌を取り出し開いた。

「そう、俺だ。俺は、汚職を探って暴露記事を書く事を生業にしてんだ。佐山の噂を耳にして、いいネタだと思ってな、市長と社長を探っているんだ」

「ふ~ん」

千早は、適当な相槌を打ちながら、何を思ったのか、一人頷く。

「どうしたの?」

潤玲が不思議そうに、問う。

「長髭さん、建設を巡ってのトラブルとかは、調べてないの?」

ちらっと、潤玲を見て、千早は長髭に聞いた。

「一応、調べたよ。なんか、無茶苦茶な事になっていたんだな。反対派の人に聞いたけどさ。反対派のリーダーが、殺されたんだってな。犯人もまだ、逮捕されていない」

「それだけですか?」

「あと、佐山の近くにある古墳から、変死体が見つかったという、オカルトめいた事くらいか?」

答えて、コーヒーを飲む。

「君達、何かあるのか? あるなら、聞かせてくれ」

千早の素振りに、長髭は興味を示した。

「その殺された、リーダー、友人のお姉さんなの。それで、友達、お姉さんと二人っきりだったんだけど、このところ、行方不明になっていて、心配しているんです。お姉さんは、佐山産廃反対派だったから、殺された。もしかしたら、妹、友達も、その関係で行方不明になっているかもって、色々と情報集めているんです」

千早は、心配そうに言う。千早の考えを察してか、潤玲は千早に相槌を打った。じっと聞いていた長髭は、

「――そうなんだ、友達想いなんだな」

と、何故か悲しげな目で笑って言った。

「その友達、お姉さん殺されて、両親も親戚もいないから、天涯孤独になっちゃったんだ。警察も情報無いし。ほんと、如何しているのか心配で……」

潤玲も言う。二人の話を黙って、頷きながら、長髭は聞いていた。

「そうか、なるほどね。よし、まだまだ佐山関係は、調べているから、ついでに、その子の事も、調べれるだけ調べてみるよ」

むさい顔で笑い、

「何かあったら、教えてくれ。それと……」


 結局、ランチは長髭に奢ってもらうカタチになった。

「ねぇ、大丈夫かな?」

車で去って行く、長髭を見ながら、潤玲が言う。

「さあ。でも、ライターとかって、色々なネットワーク持っているっていうから、その筋から調べてもらえば、警察も知らない情報が、何か判るかもしれないって、思ってさ。理沙の事も、姉ちゃんの事も」

「それは、そうかもしれないけれど。うーん、まあ、まかせてみよか」

潤玲には、何だか複雑なものがあった。

 ファミレスを出た後、二人は近くにある、水上公園に来た。以前は、農業用の大きなため池だったものを、公園を造る際、改造して池を利用したのだ。開発が進み、この辺りは、農地が無くなり、十数年前に緑地事業として、公園が造られた。ビルやアスファルトばかりだと、かえって、この様な場所は目立つ。色々な、遊具が揃っていて、見かけの割りには広く、雑木林の中の遊歩道、池はフェンスで囲われているけれど、ボートや水遊びが出来るようになっていた。近くの子供達が、元気に戯れれる場所だった。

 カンカン照りの午後の陽射しを、木陰でやり過ごしながら、はしゃいでいる子供達を、遠目で見ながら、話をする。

「どうやら、梅雨明けしたね」

空を見上げて、潤玲は言った。

「わかるの?」

「なんとなくね。空に満ちている、気が変わるって感じかな」

潤玲の答えに、千早は一所懸命に、空を見つめて、溜息を吐いた。そして、

「あ、そういえば、今日のお昼のワイドショーは、心霊特集があったんだ。忘れてた」

思い出し、大きな声で言ってしまった。

「あーあ、唐兄、録画していてくれるかな」

「また、別のがあるじゃない」

笑う、潤玲。

「そうなんだけど、今日のは、藁人形の検証だったもん」

残念そうに言う。

「あの二人に、貸してもらえばいいんじゃない?」

と、潤玲。

「それも、そうか。――藁人形っていえば、呪いの人形だよね。丑の刻参り。何かの昔話で、憎い人を呪い続けて、鬼になってしまう物語があったな。鬼になって、最後には、相手を喰い殺してしまう――?」

ふと、千早は止まる。

「オニ?」

「うん。人を呪い続けていると、人は鬼になってしまうんだって」

淡々と、潤玲は言った。

「オニになる。――それって、理沙の犬が、言ってたこと」

はっと、する千早。

「もし、その犬の言っている、鬼になるというのが、林原さんが、お姉さんの仇を取るために、相手を呪っているとしたら、意味は繋がる。鬼になってしまうから、助けて欲しいと、いう意味なんじゃない?」

「そうなら、探し出して、止めないといけない」

「それがいいけれど、林原さん、生きているって事以外、手掛かりは無いよ。霊視してみても、闇しか視えてこない。水龍に頼んでみても、同じ結果だった」

潤玲は顔を曇らせた。

「婆ちゃんも、同じ事言ってた。だから、あの、オッチャンの力量に期待するしか」

千早が、溜息を吐いた瞬間だった。煩い程鳴いていた蝉の声が、途絶えた。

それと同時に、二人の目の前に、白い犬が現れた。

「理沙の犬」

千早は、犬に手を伸ばすが触れる事は出来なかった。

「リサ オニ、ナイテイル。オネガイ、リサ ハヤク タスケテ」

黒い瞳で、じっと二人を見つめる。

「オネガ、イ」

そう言い切らないうちに、犬の姿が消える。犬が消えると、蝉の声が戻ってきた。

「今のが、林原さんの犬?」

潤玲が首を傾げる。

「うん。でも、前より、なんていうのかな、最初は本物の犬みたいに、存在感があったのに、それが、薄くなってきているよ」

千早は、犬の消えた場所を見つめる。

「時間が無いのなら、早く見つけてあげないと」

潤玲の言葉に、千早は見つめたまま頷いた。


 それから、数日後。

「今日も、暑いね」

唐琴のお使いで、スーパーに買物に来ていた千早に、近所のオバサンが、馴れ馴れしく声を掛けてきた。千早は、仕方なく愛想笑いを浮かべて、会釈した。

「そうですね」

「千早さんも、大変ね。せっかくの夏休みなのに、神社のお手伝いなんて。同い年の家の子なんて、朝からずっとゲームばっかりよ」

千早は、内心うんざりしながら、適当に相槌を打っていた。数分間一人で喋っていたオバサンは、仲良しの人が来ているのを見つけ、今度はそっちへ行って、また長話をしていた。

「ふう」

クーラーが効いて、寒いくらいの店内なのに、千早は汗だくになっていた。

「はー、唐兄みたいには、上手くかわせないな」

 外へ出ると、目眩がしそうな陽射しが、アスファルトから照り返してくる。一気に汗が落ちてくる。梅雨明けしたとたん、酷暑の日々。そのお蔭で、海水浴場は賑わっていた。この町にとっては、良い事なんだけれど、千早にとっては、余り面白くなかった。帰り着く頃には、汗で服が濡れていた。スーパーの袋を提げて、社務所に入ると、中はエアコンがキンキンに効いていて、汗に濡れた服だと寒い。

「おや、遅かったですね」

奥の部屋で、涼しそうに、和んでいた唐琴は言う。

千早は、ムッとして、

「お喋りオバサンに、捕まってたんだ」

と、言い返した。

「ふふん。まだまだですねぇ」

厭味ったらしく言い、

「千早宛に、何か届いていますよ」

と、カウンターの上に置いてある、大きな封書を指した。千早は、溜息を吐き、それを手に取る。封筒の裏には、長髭と書いてあり、ああと、思い、自分の部屋へと戻り、その封を開いた。

「理沙の事、何か判ったのかな?」

封筒の中には、数枚のレポート用紙と、地図のコピーと共に古いパンフレッドが入っていた。地図には、林原姉妹の生家と赤ペンでメモ書きされていた。レポート用紙には、

〈亜来市長と金尾社長は、同級生。それが、十数年前に再会する。その頃、金尾社長は、建設会社を経営していて、亜来市長は市議だった。二人は、その頃から、何度か公共事業を手がけている。そのつど、汚職談合の噂が出ている。それと、林原正子の事件と、姉妹の両親の死にも、絡んでいるもよう〉

と、走り書きがしてあった。

「理沙の両親、家」

同封されている地図を見る。備東市の端、県境の町だった。地図上には、林原家の事だけでなく、パンフレッド参とメモがしてあった。

「理沙、実家があるのに、小さな市営に住んでいるんだろ。たしかに、ここだと不便だけど。――理沙、ここにいるのかな」

呟きながら、同封されていた、古いパンフレッドを見てみる。それは、リゾート住宅とゴルフ場のパンフレッドだった。年度を見ると、ちょうど十年前のものだった。

「理沙の実家と、これが何の関係があるのかな? それと、昔の市長と社長の事って」

千早は、長髭が送ってきた内容を、潤玲にメールした。

「何か、掴んでくれてるといいだけど、長髭のオッチャン」


 夜になって、転寝をしていた千早は、潤玲からの着メロで目を覚ました。

「なに?」

寝ぼけた頭で出る。

「千早、大変だよ、ニュース見た?」

潤玲には珍しく、慌てていた。

「いいや、見てないよ。どうかしたの?」

「あのオジサン、長髭さん殺されたって」

「え?」

潤玲の言葉で、頭が目覚める。ベッドから起き上がって、机の上に置いてある封書を手に取る。

「でも、今日、届いたんだよ。昨日の消印だけど」

「ニュースをチラッと見ただけだから、詳しいことは判らないよ。ただ、ニュースでは、取材関係のトラブルではないかって、さ。長髭さん、井吉川で発見されたんだって……」

潤玲は、ショックを隠しきれない様子だった。

「マジで、それって、消されたってやつ? 佐山の事――理沙の事で、何かヤバイ事でも見つけちゃったのかな」

千早は、理沙の事を調べてもらおうとした事で、長髭が殺されたのなら、それは自分のせいかもしれないと、思うとやりきれない。

「お兄ちゃんに、聞いてみるよ。この前の話もして」

潤玲の声には、何時もより元気が無い。

「ねぇ、潤。理沙の実家、私、そこへ行ってみようと思うの」

地図を手に言う。

「うん。そのことも、お兄ちゃんに話して、なんとかしてもらうよ」

電話を終え、千早は、長髭のレポートを見て、大きな溜息を吐いた。

こんな気分は、始めてだった。


 風の無い夜だった。真夜中でも、明々と照らされている佐山。処理工場の基礎工事も、なんとか終り、建物の骨組みに取り掛かっていた頃だった。工事は二十四時間続けられているので、夜中も昼間も関係なかった。だから、大きな作業もしている。だけど、作業員の出入りが激しく、現場に不慣れな者も多かった。事故の事や心霊現象の事、そして待遇の事で、問題も多かった。

 ちょうど、クレーンで鉄骨を吊り上げて、骨組みを接合しようとしていた時だった。そこに、新しく鉄骨を運んで来ていたトラックが、突っ込んで来た。トラックは、横倒しになり、積んでいた鉄骨は散乱し、接合していた骨組みも崩れてしまった。作業していた人達は、それに巻き込まれるように、下敷きになってしい、現場は騒然とする。その現場を、明々と照明が照らしている。余りの出来事に、現場は静まりかえる。クレーンで吊り上げられている、鉄骨が軋む音が不気味に響いていた。

 トラックの運転手は、血塗れになりながら、運転席から這い出し、

「ワシ、聞いたんだ。女の泣き声と笑い声が入り混じった様な声を。そしたら、目の前に、白いフワフワした、女が飛び出して来たんだ。たたりだ、祟り。あれは、佐山に住んでいる神様の祟りだ。ここは、手を足を踏み入れては、いけない。今までの事は、全て祟りだ、ははは。皆、祟られ呪われてるんだ。だははは」

運転手は、焦点の合っていない目で、血溜りに倒れて動かない作業員を見て、同じ言葉を繰り返して、壊れた笑い声や奇声をあげていた。

 駆けつけた他の作業員達は、その惨状に、呆気に取られてしまったが、気を取り直して、救出活動をする。救急車が来るまで、ここは三十分近くかかる。作業員達は、救急車を待ちながら、トラックと鉄骨の下敷きになってしまっている、作業員を救出しようと、必死になっていた。蒸し暑く湿った空気に、流れ出たトラックのオイルと、大量の血液が交じり合った臭いが漂う。血とオイルは、土に吸われて、どす黒いシミとなる。高性能な照明は、それを不気味に浮かび上がらせていた。


 闇の中で、女は笑っていた。

「これでも、まだ足りぬ。彼の人が、受けた仕打ち。その痛み、その恨みを。その仇を、それを晴らす事は、未だに成せていない。ふふふ、だが、必ず成し遂げる。――そなたも、我と同じだな。そなたに力を、そなたは我に力を。同じ目的、共に成し遂げようぞ」

闇の中、白い女は、傍らに佇んでいる人影に、囁いた。

「ああ。わかっている。僕も、鬼とならなければ。鬼となって、仇を討たなければならない。それしか、術は無い。例え、どんな手段を使っても」

呟くように、人影は答える。

「そう。くくく、きっと、あの者達は、後悔する。自分達の行いを、その愚行と罪を」

再び、白い女は笑った。その笑い声は、深い闇の中に、無限に響き続けていた。


 新聞の一面は、昨夜の事故の記事だった。その新聞の片隅に、ライターの長髭団十郎が殺されたという、記事が小さく載っていた。

「この記事の人、昨日の封書の人みたいですね。その人と、知り合いだったのですか?」

唐琴は、熱い日本茶を啜り、問う。

「まあ、そのような感じかな。この前、潤と、ファミレスで佐山の話をしていた時に、オッチャンが声をかけて来たんだ。佐山の事、何か知ってたら教えてくれって。そういう人って、独自の情報ルート持ってるっていうじゃない、だから、理沙の事話したの。何か、理沙に関する情報探してくれないかなって」

と、答えて溜息を吐き、

「まさか、こんな事になるなんて。何か、ヤバイ事あったのかなぁ」

力なく、呟いた。

「たまにありますよ。ライターが事件追って、相手に殺されてしまうといのは。その事に対して、千早が、申し訳無いと思うのは自由ですが。どの道、同じ道を辿ったでしょうね」

自分で、新しい茶を淹れながら、唐琴は、

「そのライターとは、関係ありませんが、――佐山は、古来よりの禁足地ですからね」

「佐山、何かあるの?」

「入らずの山。手をつけてはいけない場所。そこに、手出しすること自体、間違っているのです。その上、不正な事をしていたならば、それなりの報いを受けるのは当然。今、佐山では、何が起きても不思議ではありませんよ」

答えを、はぐらかし、唐琴はやけに、冷淡に言った。

「それって、祠壊したって、噂あるけど、関係しているの?」

「ふ~ん。そうですか、なるほどねぇ」

湯呑を持つ手を、一瞬止めたが、そのまま、また茶を啜った。

「祠を壊したから、事故が起こるの?」

千早の問いに、答えることなく、唐琴は茶を啜っていた。

「ねぇ。何とか言ってよ」

と、千早が怒った時だった。

社務所の電話が、鳴った。

「千早、出て」

と、唐琴。千早は、膨れっ面のまま、電話に出る。

「はい、錦原神社」

「もしもし、千早?」

潤玲からの、電話。

「如何したの、こっちに掛けて」

「ケータイに掛けてたけど、出ないから、こっちに掛けてみたの。ねぇ、長髭さんの事なんだけど、遺留品の中に私達宛の物があったの。これから、その関係で、お兄ちゃんと、そちらへ行くけど、大丈夫かな?」

「うん、大丈夫。で、潤、それ見たの?」

「林原さん一家の事だったよ」

「――そう、それじゃあ、待っているよ」

電話を終え、暫くその場で考え込む。

「オッチャン、何を見つけたんだ」

と。


「何ですか?」

部屋に戻って来た千早に、興味津々に問う。

「長髭のオッチャンの事で、これから、潤と兄ちゃんが、ここへ来るって」

「ほお」

唐琴は、細い目を丸くする。

「潤の兄ちゃんは、刑事さんなの。このところは、ずっと、佐山関係担当しているんだって」

「それは、面白そうですね。でも、佐山の事を、警察に解決出来るとは、思いませんがね」

唐琴は、挑発的に言うと、立ち上がった。

「お友達が、来る前に、きちんと、お努めはして下さいね」

と、社務所として、使っている部屋の方へ行きながら、嫌味っぽく言った。千早は、ふうと息を吐き、台所を片付けた後、神饌とお神酒の用意をした。

――修行? ただのパシリじゃあないの? 

と、内心呟く。ここへ来て、何度、そう思った事だろう。

――如何して、こういう風に生まれてしまったのか。

何も視えず、何も聞かなければ、普通に生きていけるのに。物心つく頃から、それ以前から、千早は、この世ならざるモノを視ていた。母も、他の姉兄弟は、まったく視えないのに。父が少し、視るくらいで。代々の拝み屋家系らしい。だけど、それは戦前までの事。今は、殆どやっていないのに。それらの事は、受け入れがたい。

「如何して、皆が視えないモノが、視えちゃうの?」

幼い千早の問いに、何時も母は、困惑して、千早は、母親の困った顔しか記憶になかった。従兄の唐琴も、同じ力を持っている。だけど、それは、家が神社だから、千早は、反発していた。それは、今も変わっていない。

「婆ちゃんの血筋には、そのような力を持って生まれる者がいるんじゃよ」

と、千早に言い聞かせて、力の使い方を教えていたが、千早にとっては、やはり良い事では、なかった。クラスの中でも、自分は浮いた存在。他の人が視たり聞いたりしない事を、自分は出来てしまう。何時の頃からか、ソレに関らず、視えないふり、聞えないふりをしていたが、焔婆は、その事については、キツク千早を叱った。

――この力に、何らかの意味が在るのか?

千早は、ずっと考えていた。


 たくさんの蝉が、耳元で鳴いていて、他の音が聞こえない程だった。何時もの手順で、神饌を供え、足早に立ち去ろうとした、千早の行く手を遮るように、錦原神が現れた。

「相変わらず、つれないねぇ。千早、今日はまた、如何した? ふてた顔して」

と、千早の顔を覗き込む。

「べ、別に……」

思わず、身を引いてしまう。

「そんな顔しなくても、良いではないか。我と千早の仲は、その様な仲ではない筈じゃ」

千早の肩に乗りながら、言う。

「私、よく解らないや」

「何を言っているの、千早。千早は、我らにとっては、必要な人間よ。我らの姿を視る事が出来、言葉も交わせれるのだから。それに、幼い千早は、我らを視てくれた」

ニコニコ笑い、錦原神は言う。

「でも、それは、唐兄や婆ちゃんも、同じでしょう」

「まぁね。でも、千早の方が、ずっとよい。古の時は、もっと多くの人間が、我らと通じ合えたものよ」

と、少し寂しげに、錦原神は言った。

 千早は、錦原神と話しながら、社務所へと戻る。神社にいる時は、大概、一方的に錦原神が千早に憑いていた。社務所に戻ると、すでに、潤玲と兄・大地が来ていた。

「ああ、もう来てたんだ」

二人を見て、千早は苦笑いを浮かべた。

「おはよう。あれ、その方は?」

潤玲は、千早の肩に乗っている錦原神を視た。

「あの娘は?」

すると、錦原神が耳元で囁く。

「水龍神社の子で、友達なんだ」

と、千早が答える。

「なるほど。それで、今日は、なんだか、水の気配がしていたのじゃな」

潤玲を見て言い、ひらりと舞って、潤玲の前に降立った。

「あの水龍の、巫女か?」

錦原神は、しげしげと潤玲を見つめる。潤玲は、少し照れて、

「はい。貴女様は、ここの御祭神ですね」

と、礼を取った。大地はその横で、そっけなくしていた。

「錦原神だよ。ところで、長髭のオッチャンの事……」

千早は、大地に挨拶し、昨日、届いた封書を渡した。

「まぁ。今日は、仕事半分てところかな」

受け取り言う。

「コピーしているから、持っていっていいよ」

「ああ、そうさせてもらう」

「あと、これ。昨日話した、林原さんのコピーなんだけど」

潤玲は、ファイルを千早に渡す。そのファイルには、古い新聞記事のコピーと、長髭メモのコピーが入っていた。

「これが、私達宛になっていたんだって。」

と、潤玲。

「よく、証拠隠滅されなかったね」

「事故物として、メール便のセンターに、保管されていたんだ。宛名が違ってて、届くのが遅くなったみたいで、無事だった。他の物は無くなっていたから、消されたんだろう」

大地は、自分のメモを読む。何だか、頼り無い刑事だった。

「千早さん、何か心当たりは?」

気を使っている様子で、問う。

「あるかなぁ」

千早は、ファイルを捲る。

〈平成八年四月二十六日 自然保護活動に力を入れていた夫婦、変死。事故か自殺なのか?

八寺原の自然保護をしていた、林原正志・理子夫妻が、死んでいるのが発見された。発見したのは近所の少年。発見されたのは、八寺原にある滝のそば。転落したのでは、ないかと見られてはいるが、不振な点も幾つかある。〉

その記事コピーには、正子十七歳 理沙六歳と、メモ書きがあり、正子・高卒で、市役所に就職。理沙と共に、灘池の市営住宅へ移り住む。

「あ、そういえば、理沙は、小三になる春に転入して来たんだ。その頃から、家の話は、無かったなぁ」

千早は思い出す。

「八寺原といえば、一時期、リゾート系の新興住宅地を造るとかで、自然保護団体と対立していましたね。あれも、結局、開発にゴーとなりましたが。でも、住宅地には向かない地盤とかで、住宅はやめて、ゴルフ場に計画変更したそうですよ」

唐琴は、お茶を持ってきて、話に入ってきた。

「その同封されていた、パンフが、それでしょうね」

と、指した。

「その様な事が、あったんだ」

と、潤玲。

「今の佐山までは、大きく騒がれはしなかったが、当時、かなり問題にはなっていたな」

大地が答えた。

 長髭ファイルには、続きがあった。

〈八寺原の工事も、金尾建設。当時、亜来は、市議で、A市の開発を掲げていた。亜来と金尾は、高校からの同級生。八寺原の開発を、進めたのは、実は金尾。亜来に、ソレを認めさせた? 近所の話では、八寺原と呼ばれる高原は、代々、林原家の私有地だった。だけど、ハイキングや散策に開放していて、道なども整備していたらしい。その辺りは、今のところ、リサーチ不可〉と。

「――これについて、捜査しないの?」

潤玲が問う。

「さあ、何せ十年前だろ。まぁ、やってみるさ。仕事の合間でな。市長議員絡みだと、動きにくいんだな、これが」

諦め口調だった。

「それじゃあ、この地図にある、理沙の実家は?」

「今、知ったばかりだから、これからに」

「ふ~ん。理沙の犬が言っていた事が、気掛かりだな。理沙の実家に行ってみれば、何か手掛かりがあるかなぁーって、思ったんだけど」

地図を見る、千早。

「では、行ってみますか?」

地図を手にする、唐琴。

「唐兄、連れってくれるの?」

「構いませんが、その前に、犬が言っていたって事を、教えてください」

興味深そうに、唐琴は言った。

「えーっと“理沙が鬼になるから、助けて”と、何度か現れて、そう言っていたよ」

千早の話しに、唐琴の表情が輝く。

「ほぉう、鬼になるのですか。呪詛って、事かもしれませんね。いいでしょう。行きましょう。如何しますか、刑事さん?」

唐琴は、ニヤリと笑って、大地を見た。大地は、ビックとして、

「い、行きますよ。どのみち、捜査で行かないといけないですから」

強気に言ったものの、大地は背中に、嫌な汗をかいていた。


 大地の車で行く事となり、千早と潤玲は、先に後ろの席に乗って、

「ごめん。唐兄、変人なんだ」

と、二人に謝った。

「そうかな? 面白い人だね。お兄ちゃんとは、逆のタイプだよ」

潤玲は、笑う。作務衣に着替えた唐琴は、社務所兼観光案内所を閉めて、足早にやって来る。

「千早、何処か行くのかい?」

錦原神が問う。

「友達の家。何か、手掛かりになることないかなって」

千早は答える。大地は、ミラー越しに、幽かに視える錦原神を見て、眉間にシワを寄せた。

「それで、水龍の娘と一緒にか?」

「はい。色々と、ありまして」

ニッコリと笑い、潤玲が答える。

「二人とも、よく会話が出来るな」

眉間にシワを寄せたまま、大地はつまらなそうに言った。

「あら、そなたも、多少なり見聞き出来るのに、実は、我らの事が、苦手なんだな」

と、錦原神は、大地を見つめて言った。大地は、顔を赤くして、背けた。

「まあ、よい。――ところで、千早。善くないモノが、蠢こうとしているぞ。首を突っ込むのであれば、充分気を付けるがよい」

何時に無く深刻な顔で、錦原神は言う。その表情に戸惑ったが、

「うん。分かった。気をつけるよ」

と、千早は答えた。

 海窓から、理沙の実家がある町まで、車で一時間は掛かる。長髭の地図とメモ頼りに、そこを目指す。市の中心部からも、ずっと離れた、その町は、県境でもある。山ばかりの町だけれど、かつては、鉱山で栄えた町だった。今では、棄てられ寂れている。鉱山地区を抜けると、山は無くなり、平野が広がる。この辺りは、市の中心部より、海抜が高い。その平野のなかに、丘が見えてくる。それは、赤茶けて見えた。

「あの辺りが、八寺原。昔、八つのお寺か、お堂があったので、そういう呼び名が付いたそうです」

助手席の唐琴は、言って、指差し、

「ゴルフ場というより、そのまま、投げたって感じですね。手入れしていれば、綺麗な緑の筈ですがねぇ」

と、付け加えた。

「佐山と、似ているね」

潤玲が窓を開ける。

「うん。痛々しいな。地図だと、この近くだよ」

二つの県を結ぶ、大きく整えられた国道。そのわりに、余り車は走っていない。国道沿いにある民家や工場も、殆どが空家だった。国道から脇道に入り、暫く走ると、草が生い茂った荒れた庭の家があった。空家ばかりの中でも、その家は大きく目立っていた。

「ここか」

大地は呟き、荒れ果てた庭先に、車を停めた。

 かつては、景観の良い日本庭園だったのだろう。家自体も、日本建築の大きな造りだった。放置されてからの歳月を、感じさせるものがあった。

「うっわー。本当に、こんな、荒れ果てた家に、理沙いるの?」

車を降りて、千早は家を見上げる。

 照りつける日差しが、痛いほど眩しい。風も無く、重苦しい感じがしていた。

「表札があった。消えかけていたけれど、な。ここで、間違いない」

草を掻き分けて、入って行った、大地は言いながら、家の周りを歩く。

「なんだか、マムシとかいそう」

と、千早。

「空気が澱んでいる。犬の話は、本当なのかもしれない」

潤玲は、辺りを見回す。

自分達の背丈よりも高く、草は伸びて木化しているのもあった。

「人が鬼と成る程の事は、いったいどれ程の感情なのでしょうか。悲しみ、憎しみも」

淡々と唐琴は言う。

「姉ちゃんの敵討ち? もしかして、両親も殺されたって」

「だとしても、呪う相手を特定しないと。それに、知識だけではなく、力も必要です。それなりの効果を得るには、単なるマネゴトでは、意味が無い」

相変わらず、淡々とした口調。

「――ただ、彼女は、なまじ力を持っていたみたいです。ただの素人が、ここまでの強い念を作り上げる事は、出来ませんから」


「やっぱり、いないみたいだ」

大地は、草や葉をあちらこちらに、付けて戻ってくる。

「虫も多い」

と、ボリボリと身体を掻く。

「家の中には、入れないの? 中で倒れてたりしないよね」

千早は、草を掻き分けて、玄関、窓を覗く。

「ちょっと、無理じゃない、外からだと。だからといって、無理に家に入るのも……」

ちらりと、兄を見る。

「それは、そうだけど。あまり気が進まない」

「その必要は、ありません。ここには、いないようです」

じっと、目を閉じていた唐琴が、頷く様にして言った。

「どういうことだ?」

しかめ面で、大地が問う。

「気配が無い。つい最近までは、出入りしていたみたいですが」

一人頷く。

「空振りなの。理沙、本当に何処行っちゃたの」

千早は、理沙の名前を呼びながら、家の周りを歩いていく。外壁に沿って、家の裏手に来た時だった。伸び放題の草に埋もれた、柊の垣根があるのに気付いた。その垣根の向こうに、何かがあるのを見つけた。草と手入れされていない垣根に、隠れて見落としていたけど、そこには、人一人が通れる程の道があった。草を掻き分けてみると、それは石畳の道だった。その道が、家の裏手から、何処かへ続いている。視線で先を見てみると、その先には、林があった。千早は、その林が、何だか気になってしまった。

「柊、痛いな。こんなことなら、長袖で来ればよかった」

草と柊の枝を、掻き分けながら、その道を辿る。その林までは、百メートル程なのに、道は直線ではなく、曲がりくねっていた。林の手前まで来て、足を止める。

 柊は、垣根から道の両側に植えられていて、更にその林を囲むように、植えられていた。

「如何して、こんなに柊だらけなんだ」

林の入口のところで、一息吐き、林の中へ、足を一歩踏み入れた。今まで、物凄く暑かったのに、急に寒くなった。それは、生い茂る木々のせいでは、無いみたいだった。

千早は、ドッキとしながらも、呼吸を整えて、恐る恐る、林の中を歩く。そして、ふと、木々を見上げて、固まってしまった。

 林の木々には、夥しい数の人形が、打ちつけられていた。それらは、どれも真新しいものだった。見た瞬間、胸の辺りが押し付けられるような不快感に、襲われた。それに耐えながら、手掛かりを求めて、林の中を歩く。すると、林の中央に、小さな祠があるのに、気付いた。何故か、その周りだけ、草が刈られていた。

「ここは、いったい」

打ち付けられている人形と、祠を交互に見る。それにしても、ここは、暗く寒い。とても、真夏の昼間だとは、思えなかった。冷汗が滴り落ちていく。

――ここは、危険な場所。立ち入ってはいけない、場所。ハヤク、出なければ。

何かが、警告しているが、思うように身体が動かない。

――リサがオニに、なってしまう。

理沙の犬の言葉が、浮かんでくる。

とても、尋常ではない人形の数。それを見れば、鬼と化したのかもしれないと、思う。それよりも、この祠が、恐ろしく恐い。

 林を囲む柊。鬼になる。鬼。節分に柊を。という俗信を思い出す。

――ここの祠って、祠の主は。

祠を見つめる。恐ろしく恐い気というのか、念が、祠を中心とし、林を包み込んでいる。

 千早は、釘を打つ音を聞いた気がした。視界の隅で、何かが蠢いている。視たくは無いモノ、視てはいけないモノ。

「――どぉして」

かすれた女の声。でも、それは理沙の声では、なかった。

千早は、目を閉じ、耳を塞ぐ。私は、何も視えない、聞えないと。しかし、それは、直接脳に、入ってくる感じだった。

「――どぉーしてぇー」

黒く長い髪を振り乱し、その女は叫んでいた。

「どうして、あの人がぁ」

泣き叫んでいるけれど、その涙は既に枯れていた。

「赦せない。ゆるせなぁい」

声にならない叫びで、何かを叫びながら、木々に人形を打ち付けている。人形を打ち付ける姿は、人間というよりも、何か別の存在。夜叉、鬼のようだった。

 女は、嘆き悲しみ、全てを呪い、そして命尽きた。

千早は、それをただ視ていた。まるで、再現VTRを見ているように。その女は、この祠の主。鬼となってしまった彼女を、封じたもの。柊は、鬼を封じる為のもの。鬼避けであり、鬼を閉じ込めておく結界。柊の棘は、鬼も嫌うから。だけど、封じられていても、なお伝わってくる念。その念の強さに、押し潰されそうになり、座り込む。

 この人は、如何して鬼になってしまったのか。そんな事、私に解らない。考えていると、体中が痛みだし、益々気分が悪くなっていく。

――これ程までの、悲しみ憎しみなんか、識らないよ。

千早は、どうしていいのか解らず、パニックになってしまいそうだった。

――これが、錦原神の言っていた事?

その言葉を思い出しても、その念を振り払えず、さらに苦痛が酷くなってしまっていた。その場に、蹲るようにして、必死に如何すれば良いのかを考えた。

「だから、修行が足りないと、焔婆に、何時も言われるのですよ。まったく」

唐琴の淡々とした声が、聞えると同時に、千早を取り巻いていた念が、パッと散っていった。なんとか、苦痛から解放されたけれど、まだ身体が重く感じるので、言い返せない。

「千早、大丈夫?」

座り込んでいる千早に、潤玲は手を差し出した。

「潤、唐兄」

ようやく、身体が動き、潤玲の手を借りて立ち上がる。

「――ありがとう」

と言い、千早は、服に付いた土などを払った。冷汗で服が肌に張り付いていて、気持ち悪い。

「はー、まったく」

溜息を吐き、唐琴は祠を見つめた。

「それにしても、凄いね」

潤玲は、林の木々を見る。

「行きましょう。ここには、長居しない方がいいですから」

唐琴は、二人を促して、林から出た。林を出て、道を歩き始めたとたん、眩しく暑い夏の光が戻った。

「そういえば、潤の兄ちゃんは?」

汗を拭き、未だに震える足取りで歩きながら、疲れた声で言った。

「お兄ちゃん、林が怖いって、車で待ってるよ」

「彼は利口ですね。あまり力を持っていなくても、立入ってはいけない場所を、本能で避けていますからね。強い力と才能を持っていても、それを使えない誰かさんとは、大違いですね」

ふふふと笑って、唐琴は言う。千早は、言い返す気力が無かったので、ただ膨れ面をして、唐琴を睨んだ。


「――一応、捜査の一環として、やってみるよ」

海窓町まで戻り、海を一望出来るレストランで、遅めの昼食を採りながら、大地は、林原一家の事を、自分のメモにまとめた。

「やっぱり、林原さん一家と、市長社長、佐山って、関係しているのかな? その二人が絡んでいる、開発で反対していた人、どちらも亡くなっているよね。それに、古墳の死体も」

「その辺りは、長髭のオッチャンも書いていたね。どうなのかなぁ?」

千早は、食べずに、ジュースばかり飲んでいた。食欲すら、湧いてこない程、嫌な気分だった。

「その辺りの事も、なんとかしてみるよ。――父さんの事を含めて」

と、頼りなさそうに大地は、言った。

「ねぇ、あの林と祠は、何だったのかな。鬼になってしまった、女の人が、視えたんだ。それに、あの人形」

思い出すと、冷汗が滲んでくる。だけど、我慢して、唐琴に意見を求めた。

「さあね。でも、あの人形を打ち付けたのは、理沙でしょうね。千早が視た、女は祠の主でしょう。だけど、ただ霊力によって視えたものが、必ずしも真実ではありません。真実を確かめるのであれば、それなりのリサーチも必要です。ただ、それをするには、余りにも歴史が古過ぎるのです。あの祠と人形については、理沙本人から聞くのが一番ですね」

何か意図があるのか無いのか、唐琴は無表情で淡々としか答えなかった。

「千早のお婆さんは、何か知っているかもしれないよ?」

と、潤玲。

「あ、そういえば、一度、お父さんの病室に来ていたよ。お婆さんが」

「え、そうなの? でも、婆ちゃん、佐山に関しては、かなり憤慨しているよ。だけど、何度か、佐山の事聞いたけど、教えてくれなかったよ。何か知っているけれど、教えないと、いった感じがしたな」

チラッと唐琴を見る。唐琴は、呑みかけていた、コーヒーを置き、溜息を吐いた。

「あそこは、昔から色々ありますからね」

言って、コーヒーを啜り、

「そもそも、禁足地の言い伝えがある土地に、手を出すのがいけないのですよ。それ自体が間違っている。ですが、産廃とかとなると、また別の話、別の問題となりますね。私達、文明人の問題ですが」

「何にが?」

大地が問う。

「便利な暮らしの陰に、自然破壊と温暖化の問題がある。原発の問題だって、その一つ。便利な暮らしで、ゴミを廃棄している以上、誰も、産廃などに対しても、文句は言えない。真夏にエアコンをずっとつけているのなら、原発に文句は言えない。それらに対して文句があるのであれば、現代文明を否定すればいいのです。現代文明を満喫しながら、その恩恵である、原発。そして、廃棄する事に、反対するのであるなら、現代文明を棄ててしまえばいいのです。文明を棄て、古代に戻れば、温暖化の問題、産廃の問題も原発の問題も、無いのですから」

妙にトゲのある言い方だった。唐琴は、あっけに採られている大地を、チラッと見て、コーヒーを啜る。

「それは、滅茶苦茶な意見ですけどね。要は、やり方ですよ。産廃も原発も。建設する事に反対は、しませんよ。だけど、古い言い伝えと禁忌を踏みにじったり、土地に宿る神や精霊を無視したり、姑息で卑怯な事をして、建設工事をする。しかも、土地を穢しただけでなく、反対する者を消すなどする。その様な事は、法律が赦しても、赦されない法則があるのせす。その報いは、受けなければならない。佐山で続く事故などが、その報いかもしれませんね」

そう言って、唐琴は何故か、鼻で笑った。

「唐兄、性格、悪」

千早は、ボソッと呟く。それが、聞えたのか、コーヒーのお代わりを注文し終え、千早を見つめ、

「私は、真実を言っただけですよ。佐山の現場で、邪魔なるからと祠を、壊したのでしょう。当然ですよ。――もし、祠を丁重に祀り、地鎮祭をして、建設工事をしていたのならば、反対派の人に手出ししなければ、ここまでの事には、ならなかったでしょうね」

言って、新しいコーヒーを啜る。

「それじゃあ、祠を壊して、祟られているという噂は、本当なの?」

と、潤玲。

「おいおい。事故や古墳の死体は、祟りによるものと、は、報告出来ないぞ。僕的には、信じているけれど、やっぱり現実的で無いから」

困りきった顔をする、大地。

「古墳の死体は別として、事故は人的ミスですよ。それに、祠を壊したというのと、その祟りも、続く事故の一因でしかありませんよ」

「はー報告書が」

大地は頭を抱える。

「――事故は、人的ミス。労働条件の悪さと、精神的な大きなストレスが、引き金となった。とでも、書いておけばいいでしょう。所詮、カタチだけのものだから」

不適に笑う唐琴。何故か、その答えに、ああと、頷く大地。

「――きっと、まだ続きますよ、佐山の事故」

唐琴は、真顔で、しかも冷淡に言った。三人は、驚いて唐琴を見たが、唐琴は何事も無かった様に、また、コーヒーを啜っていた。


折からの夕立は、全ての音を掻き消す。続く事故と、幽霊話をネタに、マスコミが、佐山に集まって来ていた。

「今月中には完成し、直ぐに稼動させる予定だったのにな」

プレハブの仮説事務所。不機嫌そうにいい、壁を蹴る、細面の男。

「事故だの幽霊だので、どれだけ遅れていると、思っているんだ」

と、忌々しく壁を蹴る。

「しかし、事故が起こるのは、労働体系に問題があると、意見が」

作業服すがたの男は、身を縮めながら答える。

「抜かりがあるからだ。何が、起こっても続けろ。夜中だろうが嵐だろうがな」

更に、縮こまっている男を、怒鳴りつけた。男は、答えず、ペコペコと頭を下げ、すごすごと部屋を出ようとした。

「それから、マスコミなども、工事の邪魔になりますから、この次から、絶対に現場に入れないように」

ソファーに座り、煙草を吹かしていた、脂ぎった薄い頭の中年の男は、言って、鼻で笑った。


 作業服の男は、その部屋を出て、大きな溜息を吐いた。

「ちっ。最低時給、最低環境な上、脅しめいた事を。笑わせるなよ、それだから、次から次へと辞めていき、事故も増えるんだ」

吐き棄てながら、雨漏りだらけの廊下を歩く。プレハブだからなのか、雨音が大きく響いていた。

「いったい、この現場で、何人死んでいると、思っているんだ、あの二人は」

前の現場監督が倒れてから、監督を押し付けられた男は、毒づく。

「そんなんだから、幽霊だって出るさ」

 事務所のプレハブと、宿舎のプレハブを繋ぐ通路。雨風を遮るものが無いので、足元は悪かった。土砂降りなので、男はそこを急いで通り抜けていた。

 ふと、男の視界の端に、人影が入った。こんなに激しい夕立の中でも、作業は続けられていたので、作業員だろうと、そのまま通り抜けようとしたが、何かが変だった。男は、土砂降りにも関らず、足を止めて、ゆっくりと、その人影へと視線を移した。男は、ギョッとした。作業員ではなかった。土砂降りの雨の中、立ち尽くしている人影は、建設工事の現場には、ありえない姿だった。

 白い着物。黒く長い髪の毛は、振り乱れて縺れている女。

「う、噂の幽霊、か?」

怖いもの見たさなのか、ずぶ濡れになるにも関らず男は、その女を見てしまう。

「――ユルセナイ ユルサナイ」

雨の中に、幽かな女の声が聞えた。

「ワシは、信じない。それに、明日は、心霊番組が来て、除霊するんだ。社長たちは、追い返せと言ったが、逆に騒がれるのもご免だ。だから、それだけは、許可したんだ。何か、言いたければ、その時に来る、拝み屋にでも、聞いてもらえ」

男は、叫んだ。自分でも、何を言っているのか分からなかった。叫んで、男は、一気に走り抜けた。

 女は、すすり泣く。雨音と風、雷と重機の音が、佐山に響いていた。

「ユルセナイ 美しかった、この土地が。ユルセナイ あの人を、殺めたなんて」

繰り返し呟く。

「緑信、緑信。佐山野、佐山野神、何処? 何処にいるの?」

何度も、女は叫んで、相手を捜し求めるように、佐山の建設工事現場を、彷徨い歩いていた。

真夏の太陽が、佐山の地肌を、照り付けていた。木々が無くなり、剥き出しになった地面も、大部分整地され、もはや、山ではなかった。蝉やカエルに代わり、煩く重機が呻っていた。

「もう、幽霊なんぞ出ないように、しっかりとしてくださいよ」

脂ぎった頭の薄い男は、薄ら笑いを作り、厭味ったらしく、心霊番組のスタッフ達に言うと、足早に佐山を去って行った。

「アレが市長か? 金尾建設社長と、裏で繋がっているという」

スタッフ同士、耳打する。

「さあな。でも、この前、殺された、ライターは、その事を探っていたんだと。ツレの編集者から聞いたんだ。まんざら、ガセでも無いみたいだな」

「へー。だとしたら、ついでに、その辺りの事を拾えれば、いいネタだな」

と、囁きあっていた。

 宿舎の一室に、仮のスタジオが作られ、そこからの生中継が始まる。

『本日は、霊能者の宇知素玉さんと、占師にしてオカルト研究家のエレファンス森山さんに、来ていただいています』

司会のアナウンスと共に、初老の僧侶風の男と、森山は、軽く頭を下げた。

『今日は、今、最も有名になっている、心霊スポット・佐山からの、生放送です』

いかにも、新人みたいな若い男のキャスターが、わざとらしくテンションを上げて、喋っている。

「銀髪の白塗りが、森山君か」

社務所の奥で、テレビを見ながら、唐琴が言う。

「うん。婆ちゃんも、信じられないって、首を捻っていたよ。でも、如何して、あんなに、ヴィジュアル系なんだろう?」

と、千早。

「確かに。あの地味で、物静かだった彼とは、思えませんね。力は、かなり高い方だったけれど。まさか、テレビに出るとは」

細い目を丸くして、唐琴はテレビを見つめ、三本目のアイスを手にした。

「夏休み前に、一度すれ違ったんだけど、顔隠しててさぁ。呼んでみたけど、無視する感じで、そのまま立ち去って行ったよ」

「ふ~ん」

唐琴は、アイスをくわえたまま、テレビを見つめていた。

 現場では、番組レポーターと、宇知は一緒に、幽霊が目撃される場所を回っていた。現場監督の男は、うざったそうに、

「以前、お祓いしてもらったが、まだ出るんです」

と、言っている。すると、宇知は、数珠を手にし、辺りをグルリと見回し、

「事故死された方が、成仏されずに、留まっていますな」

と、拝むような仕草をする。

「祠を壊した、とい話と、何か関係がありますか?」

レポーターが問う。

「え、その様な事をしたのですか? それは、駄目ですよ」

抑揚のない口調で、宇知は答えた。

「作業の邪魔に、なったもんでな」

現場監督は、そっけなく言う。

 その後も、幽霊と祠の話が続き、その都度、森山が解説している。

「祠が、工事の邪魔になるからと、取り壊してしまうのは、禁忌ですよ。その様な事は、他の工事現場とかでも、よくある話ですがね。それで、事後が増えたりして、いるのですよ」

森山は、表情一つ変えることなく、答え、

「やはり、祠を避けて、工事をするか。然るべき術を行い、移動させないといけませんね。それを、怠っておき、何かあると、祟りだのとは、それは、自分達の責任ですよ。あらゆる土地には、それぞれの神が宿っているのです。だから、地鎮祭などは大切なのです」

と、付け加えた。

「それでは、森山さんは、祠を元に戻せば、ここの心霊現象は、収まると思っているのですか?」

たどたどしい口調で、司会は問う。

「対処法では、宇知さんの方が専門ですからね。私は、知識だけで、実践的な事は、まだまだ勉強中なのですから」

と、突っぱねるように答えた。

「――と、森山さんは、言っていますが、宇知さんは、如何すれば良いと、思いますか? やはり、祠は必要でしょうか?」

レポーターは、気を使いながら問う。

「再び、祠を作り祀り直すという方法もありますが、その源、そのモノを消し去る術もあります。そちらの方が、わざわざ祠を作る事も、封じ祀り続ける必要もないでしょう。人間に、危害を加える存在である以上、消し去ってしまう方が、良いと私は考えています」

鼻先で笑う様に答え、宇知は笑みを浮かべていた。


「このオヤジ、感じワルっ」

テレビ画面に向かい、千早は言った。

「感じは悪いが、その様な方法もありますよ。ただ、それは、あらゆる意味で、最終手段ですよ。それなりに、力も知識も必要ですし、ね。この男に、その術が出来るとは、思えませんがね」

唐琴は、四本目のアイスを開けながら、言った。

「このオヤジ、似非なの?」

「それなりの力は、あるようですね。だけど、森山君の方が、ずっと力が上ですね。テレビを通しても、その位は、分からないといけませんね、千早ちゃん」

「う~ん、全然、判らないよ」

と、じっとテレビを見つめる。

「それより、なんか、違和感が漂っている気がするんだけど……」

テレビ画面に近づき、じっと見つめる。唐琴は、何も言わずに、アイスをくわえたまま、見つめていた。

 番組は、続いていた。宇知が、除霊の祈祷をしているのを、作業員達が、遠巻きに見つめている。

「本当に大丈夫なのか? この前も、したけれど、その後も、事故が続いたし、幽霊も出ていただろ」

「さーぁ。胡散臭いから、どうせ、ヤラセだろう? もう、俺、ここ辞めるぞ」

見守る作業員達は、ボゾボソと話す。

祭壇を組み立てて、炎を掲げ、宇知は、錫杖をシャンシャン振り、呪文を唱えていた。まったくの無風で、遮るもののない佐山に、真昼の陽射しが降り注ぎ、佐山の地を焼いているかのようだった。作業は一時休止となり、佐山は、重機の轟音から開放されていて、静けさが、辺りを包んでいた。そこに、錫杖の音と、宇知の声が聞えている。

――ユルサナイ。

微かな風に、女の囁きが聞える。その声が聞えた者に、どよめきが上がった。

また、風が吹いた。

――ユルスモノカ。

今度は、ハッキリと聞こえたのか、皆、ざわめきだす。番組スタッフの間にも、何だと、いう声が、飛び交い、生放送の為に、筒抜けになっている。

 唐琴は、食い入る様に、テレビを見つめる。千早も、唐琴の視線を追う様に、テレビを見ていた。

『静まれ、悪霊!』

宇知は、叫び、空に向って、錫杖を振るった。甲高い金属音が、響き渡った。

『消え去るがよい、この土地に、害悪なすモノどもよ』

と、空に向って叫び、何度も錫杖を振るった。

それと、ほぼ同時に、大音響がこだまして、テレビの映像が乱れた。

「何?」

千早は、それに驚いて、唐琴とテレビを交互に見る。

「逆撫でしたのでしょう、ね。きっと。声が聞えたでしょう、女の人の」

淡々と、言う。

「それって、これー」

千早は、ゴクリと息を飲んだ。

「彼等は、番組スタッフは、佐山について何も知らなかった。そして、宇知は、何も視ていなかったし、それを理解していなかった。だから」

冷淡な口調。何時もニコニコしていても、唐琴は本当は、冷淡な人格かもしれない。千早は、そう思ってしまう。

「それじゃあ、今のは」

話しているうちに、映像が切り替わり、暫くお待ち下さいと、出る。そして、再び、佐山からの映像。

 宿舎内に設置された、スタジオ。

「何ですか、今のは。凄い、音と地響きがしました」

司会が、外へと飛び出していく。それに続く、カメラ。宿舎の外には、砂煙が舞い上がっていた。生放送なので、そのまま、テレビに流れていく。

「ほ、崩落した」

作業員達の声と、悲鳴が、あちらこちらから聞えて来ている。カメラは回り続けていて、その砂煙を捉えていた。そのまま、徐々に砂煙が晴れていく様子も、映し続けている。晴れていく砂煙の向こうに、整地していた山の斜面の一部が、ごっそりと崩れ落ちているのが見えた。そして、崩れ落ちた土が、重機や資材を埋めていた。全国に、その様子が、伝えられる。

 崩れている土の上に、白い影が、一瞬現れて、消えた。

「視た、今の。映っていたよ」

千早は、前のめりになる。

「はい。どうやら、事故のようですね。生放送だけあって、全国に流れましたね。それにしても、外にいた他のカメラが、崩落の瞬間を捉えていたのであれば、今年の決定的瞬間大賞にランクインでしょうね」

唐琴は言い、

「あの女、視える人には、映像からでも視えたでしょうね」

と、言った時だった。

 テレビ局本社のスタジオに変わり、お詫びと共に、別の番組に切り替わった。

「あーあ、佐山、どうしちゃったんだろう。それに、森山兄ちゃんは」

千早は、何度もチャンネルを変えてみるが、どのチャンネルも何事も無かったように、番組を放送している。

「ちぇ、臨時ニュースになってるかな、って思ったのに」

「まだ、流れませんよ。今から、マスコミ達は、佐山に向っているでしょうから」

と、言い、テレビを消した。

「佐山自体、禁足地ですから、あのような事、全てが原因ですよ。あの土地を、害しているのは、建設派なのですから」

吐き棄てる様に言って、唐琴は立ち上がった。

「何処か、行くの?」

「焔婆の処。一緒に行きますか?」

少し考えて、千早は、行くと、答えた。


 佐山が見える道を通って、千早の家へと向う。番組を見ていた人達なのか、佐山へと向う一本道の方には、多くの車がいた。その間を、走りぬけていく、緊急車両。

「皆、考えることは、同じですね」

その車を横目に、唐琴は言った。

「そういえば、この近くなんだよね。例の古墳」

佐山の向かいにある、小さな丘を見て千早が言う。

「今、起こっている事件は、警察では、解明も解決も出来ませんよ。この世の、概念に縛られている以上ね」

言って、小さな溜息を吐いた。

 途中何台もの、緊急車両とすれ違う。真夏の真昼、アスファルトには陽炎が立ち、元気の無い稲は、ただ風に揺れていた。

焔は、かつて、祈祷などをしていた部屋で、二人を待っていた。

「見ておったよ。森山も出ておったな」

駆け付けた二人に、まずそう言って、

「あの、崩落は、ただの事故だと思うか?」

と、問う。

「どうでしょうか。一瞬でしたが、何者かが、映っていました」

唐琴の答えを待つまでもなく、焔は頷いていたが、

「おそらくは、祠の主」

と、言った。

「佐山野神か」

溜息交じりに、呟いた。

「なに、それ、佐山の神様?」

千早が問うが、焔は、難しい顔をして考え込んでいたので、代わりに唐琴が答える。

「佐山野清土樹神。佐山平野一帯の土地神様ですよ」

「それじゃあ、やっぱり、事故は祟りなの?」

千早は、焔婆と唐琴を見て、答えを求める。

「そうであって、そうでもない」

焔は、溜息を吐くと、

「古い、伝承では――」

ゆっくりと、焔は、佐山に伝わるという、話を語り始めた。

それは、平安時代前後の頃であった。佐山平野は、この辺りでも、有数の豊かな土地だった。水も土も清らかで、どんな作物でも良く育った。土地の神は、佐山野清土樹神。佐山の領主、緑信は、民達をまとめ、日々、佐山野神と共にあった。緑信は、ある種のシャーマン的な者でもあった。だから、佐山野神と言葉を交わせ、心を通じ合わせる事が出来た。土地の恵みに感謝し、恵みをまた祈る。民達からも、慕われていた緑信は、佐山の土地をとても大切にしていた。だから、とても豊かな土地となっていった。

 しかし――

そんな佐山を、自分の土地にしようと、企んだ隣の領主は、緑信を騙し討ちにして殺し、佐山を自分の領地にしたのだった。その事に反した、佐山の民達は、緑信の仇を討とうと、立ち上がったが、逆に謀反として殺されてしまった。それらのことで、佐山野神は、嘆き悲しんだ。

 それから、佐山近隣の領地に災いが起こり、それが何年も続いた。それは、やがて、佐山の地にも及んだ。水は澱んで、全ての作物が枯れた。疫病も流行り、何人も命を落とした。飢饉に苦しんだ民達は、領主に援けを求めたが、領主は、手を差し伸べる事をしなかった。災いは、領主にあり。緑信を殺した、領主に因りと、両の民達は共に立ち上がり、領主を討った。佐山を穢した、領主を殺してしまえば、佐山野神の怒りも鎮まり、災いも収まるだろうと、思っていたが、その後も続いた。人々は、佐山野神と緑信の祟りだと、噂するようになった。

 巡礼の旅をしていた巫女が、噂を聞き、佐山の地へと来て、悲しみと憎しみに狂ってしまい祟り神となってしまった、佐山野神を鎮め封じる事となった。佐山野神を、鎮めて祀る事によって、祟り災いを収めたのだった。そして、二つの土地の民達は、佐山野神を丁重に祀り、かつてのような、美しく豊かな土地に戻ってくれるように、日々、祈り続けて数年。ようやく、佐山の地に、生命が戻った。人々は、佐山野神の祠を代々護り、過去の戒めを伝え、佐山平野の山、佐山を禁足地として、神が静かに眠り、その御心が癒される時を、祈り続けた。

「――それが、斎月家に伝わる、佐山の伝説」

話終え、焔は、お茶を啜った。

「そんな話、始めて聞いた」

千早は、呟き、

「その巫女の子孫は?」

と、焔を見る。

「私達です」

唐琴が答えた。

「故に、斎月家には、強い霊力を持つ者が生まれる。神々と対話する為にな」

と、千早と唐琴を見た。

「かつての巫女は、神々を視て、神々と言葉を交わした。しかし、何時の頃からか、巫女は形式だけで、脇役的な立場に変わってしまった。神職者もまた、形式だけの存在。事務的な神事では、その様に、神々と言葉を交わす事など、出来ぬのに。巫女や神職者は、常に神々を視ないといけないのに。今では、視ようともしない。その様な力自体、弱くなっているから、かもしれんが。それよりも、神々と通じ合おうとする、心の方が無いのかもしれんな。ほんに、今の世は、寂しく悲しいな」

焔は、言って、溜息を零した。

「だから、皆、千早には、きちんと修行してもらいたいのですよ」

唐琴は、静かに言った。それに、焔も頷く。千早は、黙ったまま、二人の言葉を聞いていた。

 ――知らなかったよ。その様な伝説が、うちに伝えられていたなんて。それに、神々と通じ合うって、どういう事、どういう意味があるの? そんな事言われても、よく解らないよ。

内心、呟く。

『千早が、私達を見つけてくれる』

錦原神の言葉が、浮かぶ。

――解らないよ、そんな事。

自分だけ、霊力がある。姉にも兄にも弟にも、霊感なんて、これっぽっちも無いのに。何事も無く、普通に暮らしている。自分とは違う世界の住人。幼い頃から、今も、その孤独感は、変わっていない。異質な自分。そして、この力を持って生まれて来た、その理由と意味すらも、受け入れられないでいた。


「そんな、伝説があったのね」

翌日、千早は、潤玲に、佐山の伝説を話す。それに、潤玲に、霊力の持つ意味を聞きたかったか。

「うん。私も、始めて聞かされたんだ。今までは、霊感や霊力の事、詳しく答えてくれなかったけれど、その様な伝説が、絡んでいただなんて」

千早は、溜息交じりに言った。

テレビには、昨日、佐山で起こった事を伝えている。昨日の夕方には、既に、大きなニュースとなり、朝刊は、全紙一面だった。朝のワイドショー、心霊特番と同じテレビ局とあってか、崩落直後の映像ばかり何度も流している。

「きっと、それなりに理由があるのだと思うよ。それにしても、これ凄いよね」

テレビを見る、潤玲。

「うん。崩れた直後だったかな、白い女の人、映っていたよ。その女が、佐山野神かもしれないって」

「え、そうなの? 視たのは視たけど。佐山野神って、祠の?」

「唐兄がそうだって。でも、この事故? は、あの宇知とかいう、オヤジが悪いし、番組スタッフも、佐山の歴史を調べずに、あんなことしたから、悪いんだって、唐兄が言ってた」

「失礼だよね、あんなやり方。そうそう、宇治って人、あの後、倒れて、病院に救急搬送されて、意識不明らしいよ」

と、潤玲。

「それって、逆撫でしたからなのかな、それとも歳だからかな」

「さあ。でも、どっちにしても、私は、あんな方法使うなんて事は、嫌だな」

潤玲は、眉をひそめた。

「ねぇ、潤玲、聞いてもいいかな?」

千早は、潤玲に向き、切り出す。

「いいよ、何?」

「潤玲は、神々や精霊、幽霊などを、視たり言葉を交わしたり出来る力について、どう思っているの? それで、何が出来るってワケでは、ないし。日常生活には、関係無いじゃない。なのに、それが生来の決まり事っていうのが、よく解らないんだ。潤玲は、そういう事に対して、どう思っているの?」

千早の問いに、潤玲は暫く考えて、

「――私も、よく解らないんだ。だけど、神々などと、通じ合えるって事は、神と人間との橋渡しでは、ないのかな? この世界に存在しているのは、人間だけではないもの。だってさ、私達が、生きていられるのは、空気や水、作物の育つ土地があり、太陽や風がある。それらが、きちんと在るから、私達は生きていられる。それら、それぞれが、大いなるモノ。それが、神という存在で、その存在と対話することによって、人間との均衡を保ち護る。それが出来るから、生かされているんだ。本来の、神職者は、その様な者であると、思っているよ」

ゆっくりと、静かに潤玲は、答え、千早は、じっと聞いていた。そして、

「そうだよね。そういうのって、ずっと古くから日本にある、自然信仰の土台だよね。自然を尊び、共にあって対話していた筈だよね。潤は、この道の先輩だから、また色々と教えてもらおうかな」

照れ笑いする、千早。

「構わないよ。でも、このような話をしたのは、千早が始めてだよ。仲良しな子にも、そのような深い話は、した事ないもの」

潤玲は、少し寂しげに言い、笑った。

 何時も一緒に遊んでいる、友達。他愛ない会話で盛り上がっていても、この様な深い信仰に関する想いを、語り合える事は出来なかった。その様な事を、語り合える友が、ずっと欲しいなと、潤玲は抱いていたのだった。

外は、眩く激しい照りつけで、アスファルトには、陽炎が揺らめいている。元気が良いのは蝉だけで、犬も猫も、日陰で、腹を上にし大の字になって、寝転がっていた。今日もまた、酷暑で最高気温を更新していると、ニュースで言っていた。

 もう一度、理沙の家に行ってみようと、千早と潤玲は、小さな市営住宅へと向っていた。山の斜面にある市営住宅。長い坂道を登って、一番上の理沙の家を目指す。農業用の小さな溜池が、山の斜面には幾つもあり、その池から、国道沿いにある、大きな池へと用水路が作られている。坂の一番上まで上がらないと、池の向こう岸が見えない程、大きな池。そして、その池を真中で、二つに分かつ様に、高速道路が通っていた。

「理沙の犬。もう一度、現れてくれないかなぁ。霊を呼び出す方法は、あるらしいけれど、色々と制約もあるからなぁ」

その坂を上りながら、千早は言った。

微かな風が、道の脇の草を揺らしている。手入れされている処もあるれば、住人のいないところは、草が伸び放題だった。時折り、夏草の香が沸き立って、暑さを増していた。

「気配は、あるの?」

潤玲の問いに、千早は首を振り、

「全然。何時も、突然、現れるんだもの」

「それは、難しいよね」

と、潤玲は、足を止める。

「それにしても、かんかん照り。雲ひとつない青空。このところ、一粒の雨も降っていないよ。この先も、雨、降りそうにないなぁ」

空を見上げて、息を吐いた。

「ふ~。それにしても、ここの坂道はキツイ。だから、空家が多いんだよなぁ。せめて、草くらい刈ればいいのに。あばら家住宅だよ」

千早は、続く、草ぼうぼうの家を見た。

「理沙の家、一番上だからなぁ」

千早は、坂の先を見る。坂の上から、下ってくる人がいた。その人は、帽子を目深に被っていて、真夏とは思えない服装だった。潤玲も、千早の視線を追い、その人を見て、首を傾げた。

「あの人、何か憑いていない?」

と、潤玲。

「え、あ。女の人?――あれ、森山の兄ちゃんだ。如何して?」

じっと、その人を見て、千早は駆け出した。

「ちょっと、千早?」

いきなり駆け出した千早に、驚く。潤玲は、仕方なく、千早を追った。

 帽子の人は、二人に気付いたのか、一瞬、足を止めたがまた、何事も無かった様に、歩き出そうとした。

「森山の、兄ちゃん」

千早は、相手の行く手を遮るように、立ち止まった。

「ねぇ。森山の兄ちゃんでしょう?」

何度も、千早は問う。すると、相手は、吐き棄てる様な溜息を吐き、

「――なんだい、千早ちゃん」

と、言いったが、顔を背け、視線を合わせる事を拒んでいた。

「兄ちゃん。どうしちゃったの? 皆、心配しているんだよ。テレビとか、出ててさ。どうしちゃったの?」

怒った口調で、千早は問い詰める。

「――答える事は、出来ないよ。僕には、思うことがあるから、やっているんだ。で、千早ちゃん、こんなところで、何しているの?」

逆に、森山が問う。

「友達の家に、行く途中。ここの、一番上なんだ。その子、今、行方不明になっていて、あっちこっち探しているんだ」

森山は、その答えにハッとして、坂の上を振り返る。

「それは、林原って子」

森山は、顔を背けたまま、問う。千早は、頷いて、

「理沙、姉ちゃん、殺されてから、落ち込んでいたけれど、ちゃんと学校に来ていたんだ。だけど、ゴールデンウィークに行方不明になったらしいんだ。それから、ずっと、探しているんだけど」

千早の答えを聞き、森山は、悲しげな溜息を漏らした。そして、一呼吸置いて、

「――播州病院。そこへ、行ってみるといい」

そう言うと、森山は、千早を振り切って、駆け出した。

「ちょっと、兄ちゃん」

千早が、叫んだが、森山は足を止めることなく。

「焔婆に、申し訳ないと、伝えておいてくれ」

と、叫んで、そのまま、走り去った。

千早は、そのまま、立ち尽くす。

――森山兄ちゃん。どうしちゃったの? その、女の人は何?

走り去る、森山に、そう問い詰めていた。

「今のが、エレファンス森山?」

森山の姿が見えなくなってから、潤玲は口を開いた。千早は、無言で頷き、

「播州病院って、行けって。そこ、知っている?」

「学校の駅より、三つ先にある、大きな総合病院だよ。そこに、何かあるのかな?」

潤玲は、考え込む。

「さあ。でも、森山兄ちゃん、何してたんだろう。それに、あの女は」

 再び、理沙の家への坂を上りながら、話す。

「人間の霊では、なかったみたい。人間というよりも、何か別の存在みたいだったよ」

それから、また坂を上っていく。照り付ける陽射しは、登るに連れて眩しくなる。 

坂の一番上、振り返ると大池が見渡せる。

「あれ?」

二人は、理沙の家を見て驚いた。先日来た時は、草が伸び放題だったのに、綺麗に手入れされて花壇には花が植えられていた。

「林原さん、帰って来ているのかな? それにしても、気配ないし。誰か、来て手入れしているのかな、だけど、親戚とかいないって、聞いたし」

潤玲は、手入れされている庭と、家の方を見る。

夏の花は、陽射しを全身に受け、色鮮やかに咲いていた。

「まさか、森山兄ちゃんが?」

「ここは、市営だけど、市では管理せず、個人と町内が管理することに、なっているらしいよ。手入れしたのが、林原さんでは、無かったら、その人なのかもしれない」

「だけど、何故。森山兄ちゃんが」

千早は、手入れの行き届いた庭を見渡す。

青い空に、サルビアの赤い花が、眩しいほど映えていた。山からは、蝉。近くの草むらからは、キリギリスの声が、聞えて来ていた。千早は、森山の事を考えていたが、如何しても解らなかった。

「その、播州病院に行ってみようよ」

潤玲が、見かねて言った。

「うん」

頷き、千早は、深い溜息を吐いた。

時刻は、午後四時過ぎ。まだ、日は高く陽射しも強い。播州病院は、この辺りで一番大きな総合病院。千早と潤玲の二人は、受付で尋ねる。

「ここに、林原理沙って人、入院してはいませんか?」

問うと、受付の人は、パソコンを操作しながら、

「どの様な、ご関係?」

「学校の友達。ずっと、連絡が取れなくて、心配していたら、ここに入院しているって、聞いて」

潤玲が答える。

「理沙には、両親や身内がいないから。――もしかして、身元引き受け人や保証人が、森山清人では、ないですか?」

千早が言うと、係りの人は

「林原理沙さん。六階の六〇一号室です」

と、言った。

「ありがとう」

二人は、礼を言って、エレベータに乗った。

「林原さん、どうしたのかな。――ここ、普通の病棟とは、違うみたい」

廊下を歩きながら、潤玲は、辺りを見回す。

 明るく空間も広いのに、何処か、閉ざされた感じがあった。理沙の病室は、ナースステーションの隣だった。中へ入ると、個室で、病室とナースステーションが、ドアを隔てて、繋がっていた。

 理沙は、少し起こしたベッドに、もたれかかるように身体を起こしていた。その顔は、青白く虚ろな瞳には、生気がまったく感じられなかった。何種類かの点滴を吊るし、生きている人間というよりも、人形みたいに見える。

「理沙」

千早は、その様子に驚きながらも、理沙の顔を覗き込み、何度も名を呼んだ。

「ねぇ、理沙、何があったの?」

しかし、まったくの無反応。

「林原さん、大丈夫?」

ガリガリで血色の悪い手をとり、潤玲も問うけれど、やはり無反応だった。

「理沙……」


「ずっと、その様な調子なのですよ」

若い男の声が、二人の背後でした。振り返ると、ナースステーションのドアを開けて、病室に白衣姿の青年が、入って来た。医者には、似つかない、銀のメッシュを黒髪に入れていた。

「理沙、大丈夫なの?」

千早が問う。医者は理沙に歩み寄りながら、頷く。

「いちえん?」

名札を見て、潤玲が首を傾げた。

「よく、そう言われちゃいます。ひとまる、と言います。林原さんの、主治医です」

と、ニコニコと、笑って言った。

「で、理沙は、どうなの?」

「はい。なんらかの、ショックを受けると、この様な症状になるのですが。この子を、連れてきた方の話だと、唯一の身内であった、姉を亡くしてから、この様になってしまったと、言っていました。今は、だいぶ落ち着きましたが、入院した頃は、それはもう、激しい衰弱と錯乱状態でしたよ」

カルテを見ながら、言う。

「それで、大丈夫なの?」

「医学的には、身体の方は回復に向っていますが、心の方が、まだ」

答え、一円は、何度か理沙に、呼びかけるが、理沙は反応せず、虚ろな瞳で一点を見つめたまま、動くことはなかった。

「でも、良かった。生きていて。二ヶ月以上も、行方不明だったから」

千早は、安堵する。

「え、そうなの? ここに連れて来られたのは、十日程前ですよ」

点滴の換えを持って来た、ナースが言う。

「なんでも、知人が家を訪ねたら、彼女が倒れていたとか。お姉さんを亡くして、一番ショックを受けていたのに、ケアしてあげれなかった自分のせい、だと言っていましたよ。その人」

「でも、姉ちゃん、亡くなったのは冬だったのに。その後も、学校へは来ていたよ。わざと、そう振舞っていただけなのかもしれないけど、楽しそうにしてたよ。それが、急に、ゴールデンウィークに……」

千早が、言う。

「それは、きっと、張り詰めていたものが、切れたのかもしれないね。そこから、生きたく無い、でも、死ねない。そんな、内面的問題もありますからね」

点滴を換え、一円は言った。

「それに、この様な症例は、何度か診たことがあります。極限まで、憎しみや悲しみが、高まると、それが爆発して、その反動で、この様になってしまう。――解りますか?」

と、説明する。千早と潤玲は、顔を見合わせ、首を捻る。

「ボクは、それを、ウシノコク・シンドロームと、呼んでいます」

ちょっぴり、得意げに、一円は言った。

「如何して、そのような名を?」

潤玲が問う。

「その様な感情は、負のパワーです。極限まで高まっている感情を、全エネルギーに変えて、注ぎ込むのですから」

自信たっぷりに、

「この様な症状は、丑の刻参りをした人に多いです。だから、彼女も、その様な事を、していたのでしょうね」

と、答えた。

千早は、あの林での事を思い出す。

「医師は、呪いとか幽霊とかを、信じているのですか?」

一円の本心を探るように、千早は問う。

「はい。しっかりと。呪い、祟り、幽霊を全て。だから、精神科ドクターなのです」

胸を張り、言い切った。

「――唐兄と、同類か」

ボソッと、千早は呟いた。それが、聞えたのか、一円は、じっと千早を見て、

「からにぃ? 君、ひょっとして、唐琴の従妹の千早ちゃん?」

ポンと手を叩き、言う。

「はぁ?そうですが?」

千早は、不思議そうに一円を、見つめて首を傾げる。誰だと、思って。

「それじゃあ、知っている筈だよ、ボクの事を。千早ちゃんって、あの、お化け大嫌いの、千早ちゃん、でしょう? お化け怖い、幽霊怖い、皆、嫌い嫌いって、口癖の」

と、一円。

「はあぁぁ~?」

わざとらしく、大きな溜息を吐き、

「唐兄の友達とかで、小さい頃の私を知っているのは、一人しか思い当たらないんだけど。あれ、あの人は、女の人だったような――?」

じーっと、一円を見つめて、千早は、頭を抱えた。

「ご名答。その女の子は、ボクだよ。あの頃は、女装にハマっていたからね」

千早は、再び、大きく深い溜息を吐いた。

「とにかく、無事で良かったよ」

と、千早。

「うん。林原さん、見つかったって、お兄ちゃんに、メールしたよ」

病院を出て、駅に向かいながら話す。

「それじゃあ、またね」

潤玲は、電車を降りていく。

「うん。夏の間は、海窓にいるから、遊びにおいでよ。近くに、海水浴場もあるし、今度、花火大会なんだぁ」

外の、潤玲に言う。

「行かせてもらうよ」

言って、潤玲は、発車する電車に、手を振った。

 千早が家に帰ると、唐琴は既に車に乗って、待っていた。

「遅かったですね。早く、用意して下さい」

と、玄関先で言う。

 千早は、まだ六時過ぎじゃないかと、内心、言い返した。自分の部屋から、荷物を持ってきて、車に乗った。

「時間厳守」

ボソッと、唐琴は言って、車を出した。

錦原神社に戻る車内で、千早は、森山に会ったことと、一円という医師の事を話した。

「ふ~ん。一円君は、本当に医師になって、医者をやっているんですね。しかも、精神科ですか。なるほどねぇ」

ニヤリと笑って、唐琴は、一人で頷く。

「その人と、どんな関係なの? 小さい頃、会った事あるって、言ってたけど、あの女装の人」

「へー。そうですね、腐れ縁の幼馴染って、ところですか。彼は、オタク的性格で、サイコでマッドなサイエンティストみたいな、キャラですよ」

と、答える。

「――だから、変人オーラが、出ていたのかぁ」

ボソッと言い、

「理沙、生きていたけれど、まるで、抜け殻の人形みたいだったよ。それにしても、森山兄ちゃん、理沙と、どの様な関係なんだろう」

「簡単ですよ。彼女には、お姉さんがいるのでしょう。だったら、森山君は、そのお姉さんの彼氏、ってところですよ」

「え、そうなの? そういうものなの?」

きょとんとして、千早は呟いた。

「お子ちゃまには、まだ、理解不能なコトですね」

クスっと、笑う。

「フン。――でも、森山兄ちゃんに、女の霊が憑いていたよ。あれは、理沙の姉ちゃんでは、なかったし。女っていうだけで、何だかよく判らないモノだったよ。それが、憑いていたんだ」

「なるほど、女か。それは、式とか精霊、生霊の類でもなかったですか?」

問われて、千早は首を振った。

「そんな感じでは、無かった。あれは、本人も、知ってて意図的に、憑けているみたいだったよ」

答え、千早は、ふうと、息を吐いた。

「どっちにしても、一度、森山君と、会って話しをしないといけませんね」

唐琴は、マジメな顔をして、そう呟いた。


 闇の中で、嘆いている女がいた。女は、闇の中で泣き叫んでいた。女は、二人いて、深い悲しみと憎しみに満ちている。

――ユルセナイ ユルサナイ――ワスレナイ ワスレルモノカ

一人の女は、狂ったように泣き叫び、呪いの言葉を吐きながら、人形に釘を打ち付けてゆく。同じ名前が、刻まれた人形が無数に散らばっていて、それら全てに、釘が打ち込まれていた。

――そうよ、赦してはいけない。忘れてはいけない、どれだけの時が経っても、絶対に。

釘を打ち付ける女の傍らで、もう一人の女は、嘆き囁いている。

――その想いを、今こそ、果たそうぞ。我らの土地を奪い、穢した者よ。愛しき、緑信を騙し討ちにした者よ。今こそ、今こそ――

 そして、もう一人の女が、闇の中を彷徨っている。

―かたき、姉さんの、母さん父さんの仇。この方法でしか、仇を討てない。でも、この方法で、本当に仇を討てるのかなぁ。楓香のように、鬼となるまで、続けたなら、鬼になったら、皆の仇、討てるの、討てるよねぇ」

少女だった。少女は、何度も同じ言葉を呟きながら、深い闇の中を、彷徨い歩いていた。目を凝らしてみると、そこが、柊に囲まれた林の中だと分かる。少女は、林の中に立ち、祠を見つめている。他の二人の女は、深い闇に沈んでしまったが、幽かに、嘆いている声だけ、聞えている。

「理沙っ」

その少女が、行方不明になり、今は、寝たきり状態で、入院している、林原理沙だと、気付く。理沙の姿に、ダブルように、長い長い黒髪の女が、一瞬浮かび消える。

あの林で視た、女の霊? 鬼になってしまった? それじゃあ、もう一人、嘆いている女は、誰?

「理沙」

もう一度、呼んでみたけれど、少女は、虚ろな瞳で立ち尽くしていて、その声は届かなかった。

――皆の、仇、私、討ちたかった――

その悲しい呟きとともに、辺りは、深い深い闇の底へと沈んでいった。

「家族の仇? 理沙、どういう意味?」

そのまま、そこで考えてみたが、到底、判りえることではなかった。

 その闇に、眩しい光が差し込んだ。

「何時まで、寝ているのですか」

カーテンと窓を開き、唐琴は言った。朝の湿った空気と共に、微かな潮の香りがする風が、吹き込んできた。夏の朝日が、部屋の中を照らしていた。

千早は何度も瞬きをして、目を擦って辺りを見回した。

 ああ夢だったのか。そう自覚できると、溜息が零れた。

「夢、見てたよ。理沙が、家族の仇を取るために、呪詛をしているの。あと、二人の女が、闇の中にいた。その人達、佐山に手を出した人達を、呪っていたよ。暗い闇の中で、嘆きながら」

千早は、視た夢の内容を唐琴に話した。

「――そうですか。きっと、何かが切っ掛けになって、その三人と、シンクロしたのでしょうね」

と、簡単な返答。

「やっぱり、佐山の伝説が絡んでいるのかな」

「さぁ、どうでしょうね」

「なんとか、しないといけないのかな」

千早は、眩しそうに陽射しを見つめる。

「首は突っ込んでは、いけませんとは、言いませんが。相手は、汚く愚かな輩達ですよ。それに、佐山野神は、うちの神さん達とは、違いますよ。本気で、そのつもりならば、きちんと、お二柱方に、お伺いを立ててからですよ」

部屋を出ながら、唐琴は言い、

「それよりも、先に急に入った、お祓いを手伝ってください。だから、早く、起きて用意を」

と、付け加えて、出て行った。

 ふぅと、息を吐き、千早は起き上がる。そして、軽くシャワーを浴びて、巫女装束に着替えて髪を結う。

「急って、何よ。予約してから、来いよ」

ブツブツ言いながら、本殿へと向う。本来の神職ならば、きちんとした手順を行い、本殿に上がるのだろうけれど、千早は、全て省いて、そのまま本殿へ直行した。

 千早が本殿に来たときには、唐琴は既に、祈祷の準備を終えていた。そして、祭壇の前には、祈祷を受ける人が数人、怯えているかのように身を縮めて座っていた。その人達の周りに、泥の様なモノが、纏わりついているように、千早には視えた。

「佐山の建設工事現場で、働いていたそうです」

唐琴が、耳打ちする。

「へーなるほど。来る人は来るんだね。で、何かが憑いているように、視えるのだけど」

千早は、その人達を見つめる。すると、微かにその人達は、震えていた。

「では、もう一度、話して下さい」

唐琴に促されて、代表らしき人が、おずおずと口を開いた。

「佐山で仕事をしていたのですが、事故や幽霊騒動が続いますよね。私達自身も、女の幽霊を見て、それで、怖くなって、先日辞めたのです。だけど、それからも、ずっと怖くって、それに体調も優れなくて……」

五十代位の男、体格の割には、顔色が悪かった。

「そうですか。ところで、祠を壊したという、噂を耳にしたのですが、ソレは本当の事ですか?」

唐琴が問う。

「はい。全ては、祠を壊した事が原因ではないかと、仲間内では、話していますし。その噂を知らない人は、きっといないでしょう」

と、代表が答え、

「やっぱり、そのせいですか?」

怯えたように、隣に座っている男が言った。

「祠を壊した。と、いう事は、直接、あなた方には関係ありませんね。その様な噂話が、悪い気を作り、ろくな事を招かないのです。その悪い気を、祓ってしまえば、大丈夫ですよ。また、そう信じる事も大切です」

と、言い、唐琴は、祭壇に向かい、深く一礼した。そして、祝詞の奏上を始める。千早は、マニュアル通りに、唐琴をアシストする。祈祷の様子を見ていると、確かに、泥状のモノが浄化されていくのが、わかった。それは、少しずつ霧が、風で散って晴れていくかのようだった。本殿の中は、薄暗いけれど、外は眩しい光に満ちていて、蝉は今日も元気一杯だった。海から吹いてくる風が、本殿の中を吹き抜けていくと、とても気持ち良かった。

祈祷の鈴を振りながら、千早は考えていた。

 佐山の伝説、佐山野神の事。錦原神に聞けば、今、何が起こっているのか、佐山野神についても詳しく、教えてくれるかなと。

 祈祷を終えると、元佐山の作業員達は、ホッとした顔で、神社を後にした。祈祷の後片付けを終えた、唐琴は、

「佐山の建設工事を、止めない限り、あのような事は続きますよ」

と、呟く。

「今更、取止めても、無駄よ」

二人の前に、パッと、錦原神が姿を現した。

「何故、そう思われる?」

唐琴が問う。

「もはや、彼女の怒り憎しみは、止まらない。ようやく、その感情が癒されようとした時、このまま静かに眠ろうと思っていたのに、その眠りを妨げられ、そして、自分の土地を穢されてしまったのだよ。その様な事をされたのであれば、我とて赦せぬ」

錦原神の言い方だと、佐山野神は正しいという感じだった。

「でも、このままでは、いけないと思う」

「それでは、千早が、佐山野神を鎮めますか? 出来ないでしょう?」

唐琴は、嫌味っぽく言う。

「佐山野は、この地方の土地神の中でも、穏やかで優しい存在だった。心を通わせれる人間を、騙し討ちで殺された上、土地までも奪われ穢されてしまったので、祟り神となってしまった。彼女が、人間を見限れば、そうならずにすんだものに、な。今となっては、誰の声も届かぬであろうな」

言い、錦原神は、海を見つめ、

「今、留守の波果も、また同じ事を言うであろうな」

と、呟いた。千早は、何も言えずに、黙ったまま、海を見つめていた。

 湖は、雲ひとつない空を映していた。蝉やカエル、夏虫や小鳥の囀りが聞える他は、静かで、杜は青々と茂っている。湿気のある風が吹くたびに、杜の香が湧き上がって、ここだけは、酷暑から開放されていた。

「ねぇ、水龍。雨が、まったく降らないよ、如何したらいいかなぁ?」

湖の辺で、潤玲は問う。

「それは、やまやまだが。そう、なんとかなるものでは、ないさ。ここ数年、自然界の均衡の歪みが大きくなってきている。昔であれば、雨を呼ぶ位如何って事なかったが、今では、難しい。下手に呼べば、その反動が大きいな」

答える、水龍。

「やっぱり、私達人間のせい?」

潤玲の問いに、水龍は答えず、天を見上げた。

「佐山野が、あのようになってしまった事と、少なからず関係しているな。天候の異変は、佐山野が、嘆きの祟り神になってしまった、その余波であるかもしれんな」

と、淡々と言う。

「もう、佐山野神を、鎮める事は出来ないのかな」

その問いに、水龍は首を振る。

「心を通わせていた愛しい者を、無残にも殺され、あの様な事をされているのだ。我とて、その気持ち、解らぬことではないかな。我とて、そなたや、神社の者達を奪われ、この土地を穢されたのならば、我は、全てを水底へと沈めるであろう。佐山野の心は、きっと、そのようになってしまっているのだ」

潤玲を見つめて、水龍は言った。すると、潤玲は、悲しげな顔をして、

「それだったら、なお更、佐山野神の心を救ってあげないと。私、水龍が、その様になってしまったら、悲しい」

頬に涙が伝った。

「――そうか。それが、きっと正しいので、あろうな」

水龍は、潤玲を包み込むようにし、その涙を拭った。

 陽射しは、一段と強く照り付けている。佐山では、休むことなく建設工事が、続けられていた。相変わらず人手不足。一連の心霊現象と、事故の多発で、人は遠ざけているのだった。マスコミは、佐山に関するネタを探して、佐山を張っていたが、より大きくされた、工事の壁が佐山を取り囲んでしまい、取材も拒否されていた。

「公安が動くとか、いう話が出てきているぞ、もっと早く進められぬのか?」

苛立ちを露にして、タバコをもみ消す。

「お前のコネで、なんとかしろよ。まったく、使えない腰抜けばかりだ」

ブラインドの隙間から差し込む光が、金縁メガネに反射している。

「やっている。あまり、力をかけると、返ってヤバクなるからな。こっちに、矛先が向いたらたまらん。どのみち、完成してしまえば、全て消え、そのうち忘れられるさ」

脂ぎった額の汗を、拭きながら言い、ニヤリと笑った。

「反対派の連中を潰したことも、リーダー的だった女を殺したのも、バレてはいない。反対派の中心であった男を、仕損じたが、それでも、バレていないさ。あのライターは、ヤバかったが、無能なポリに、そこまでは判るまい」

ふふと、言って、白い煙を吐く。

「ふん。手駒にやらせたくせに。で、その手駒は、どうした? 消したのか?」

脂ぎった薄い頭の男は、細面の男を睨んだ。

「まさか。あいつは、扱いやすい奴だったから、使い道はまだまあった。が、あいつは死んだ。あの古墳の石棺の中の死体だ。身元不明扱いになっているがな」

細面の男は、吐き棄てる。

「何が、ミステリーだ。反対派の奴らが仕組んだんだろう」

と、脂ぎった薄い頭の男は笑う。

「邪魔する奴らは、消す。それまでだ」

細面の男は言い、タバコを足で、踏み消した。


 夜空に、鮮やかな華が咲き輝いている。

錦原神社、その頂からの見晴らしは、絶景。神社の私有地なので、他に人はいない。

「この花火が終わると、夏も佳境だな」

磐座に座り、錦原神は言った。

「そうだな。すれば、海もまた静かになる」

フッと、宙に大柄な男が現れた。

「波果神、今日はこっちに、来たんだ」

珍しそうに、千早は言う。

「まあ、今日くらいは」

と、錦原神の隣に座る。

「海の神様?」

潤玲が問う。

「うん。普段は、この向かいの小島に居るの」

千早は、花火の光に浮かぶ、小島を指した。

「それって、毎日、大変じゃないの?」

「氏子の漁師さんが、代わりにやってくれてる。ここには、分社があるんだけどね」

大輪の華が、夜空に咲くたびに、空気や山が震えていた。


一際大きな花火が開き、花火大会は終りを告げた。


 闇の中に、炎が揺らめいている。

「――必ず、仇を取るから、もう少し待っていてくれ」

揺らめく炎は、祭壇を浮かび上がらせる。

「警告で、事故を起こしてみたが、無意味に終わってしまった。死んだ作業員には、悪いが、これも佐山に関ったのが、不運だと思え」

炎の中に、何枚もの札を投げ入れる。

「もう、誰も許さない。我が土地を穢した者共全てを、一人残さず、亡き者にしようぞ」

その声と共に、炎は、激しく揺らめいた。

 静かで美しい森、小川のせせらぎがあって、水面には、小さくて可憐な水草の花が、咲き、流れに揺れていた。男は、幼い女の子二人を連れて、その森の中を歩いている。

――この土地は、昔から、ずっと護っている、大切な土地なんだ。この辺りで、一番美しい土地でもあるからね。だから、このままで、あり続ける必要があるんだよ。この自然豊かな、美しい森と草原を。人から、なんと言われても、手放してはいけない。お前たちが、大人になっても、ずっと護らなければいけない。鬼が、唯一、心を解かしたという、美しい花々の咲く土地を、ずっと、ずっと護っていかないとなぁ。

二人の女の子に話しながら、歩き、森を抜ける。そこには、一面に花が咲き乱れていた。――いいかい、約束だよ。

――うん。約束するよ、お父さん。

娘二人は無邪気に笑い、父と指きりをした。

――約束したのに、護れなかった……。父さんも母さんも、あいつらに殺されたんだ。赦せないよ、赦せない。

 二つの棺、その前で、泣きじゃくる幼い少女。その傍らに座り、遺影を見つめる少女は、唇を固く結んで、必死に涙を堪えていた。

――佐山に産廃? あの辺りは、農地でしょう、如何して? 多くの反対が出ているのに、市長と議会は、それでも進めるですって?

その女性は、多くの人を目の前に、怒りを露にしていた。

――脅迫された、危害を受けた。反対派を潰そうとしているの? 如何して、その様な事をするの、如何して?

その言葉と同時に場面が変わった。

 暗い闇の底。

蹲り、林原正子は泣いていた。

 どうして、この様な夢を見るのだろうかと、千早は考えていた。

――理沙の犬が、見せているの?

千早は、辺りを見回す。

「そう。これくらいの力しか、ぼくには、ないから」

かすれた声と、殆ど犬の姿を留めていない、理沙の犬は、千早の前に現れた。

「千早なら、正子の心を、この闇の中から、救い出すことが、出来るかもしれない。これが、最後、どうか、お願い。理沙も正子も、そして、彼の心も、救ってあげて――」

言い終わらないうちに、姿が消えていく。

「ワンちゃん、本当は、何者?」

消え逝く、犬に問う。

「一応、犬だ、よ。でも、ほんと、は、生まれることが出来なかった、緑信と楓香の子、ようやく、転生できて、理沙に出会えた……きっと、宿命だったんだ……千早、何度も、夢に入って、ごめん……お願い、皆を――」

微かに笑って、理沙の犬は、闇に溶けて、そして、消えた。

 闇の中に、千早と正子だけが残される。正子は、嘆き泣き続けている。

――心を救うって、どういうことなんだ。祝詞、経文?

千早は、おろおろと、正子を見つめる。

「えっと、理沙のお姉ちゃん?」

意を決して、千早は、正子の肩越しに呼掛けてみた。しかし、正子はそれに振り返る事なく、嘆き続けている。千早は、ふぅと息を吐いて、ある事を思い出した。

「林原正子」

今度は、フルネームで呼ぶ。正子の肩に触れて、何度も名前を呼んだ。人の名前は、ある種の言霊であり、呪いごとの中心と聞いた事が、あったから。だから、もしかして、と思って。

「……だれ」

暫くして、虚ろな瞳で振り返った。その目からは、血が滴り落ちていた。

「理沙のお姉ちゃんでしょう?」

千早は、虚ろで、血が滴り落ちている正子の目を、見つめて問う。

「え、え。ち、ちはや、ちゃん?」

千早は頷く。微かに、正子の瞳に光が、浮かんだ。

「ねぇ、ここで、ずっと泣いていても、何も変わらないよ」

たどたどしく、話しかけ、説得してみる。

「――わかって、いる、だけど」

また、泣き始める。

「理沙の姉ちゃん。理沙は、生きているよ。今、入院しているけれど、大丈夫だよ。森山兄ちゃんが、理沙を病院に連れってたんだ。――森山兄ちゃんと、お付き合いしていたの?」

と、問う。

「理沙、病院? そう、清人が。うん、私達は、そうだったわ、だけど……」

答えると、黙り込んだ。

「私は、あいつらに殺されてしまった」

かすれた声で、呟く。

「え?」

問いただすが、正子は答えない。千早は、溜息を吐いて、

「それより、姉ちゃん、ずっと、こんなところにいるのは、よくないよ」

と、正子に言ったが、正子は俯いたままだった。

「佐山、どうすればいいかな。バカ市長は、今度は、別の場所に、どうどか言っているし。佐山野神も、なんとかしないといけないし。このままだと、佐山で働いている人、皆、死んでしまうかもしれない。そんな事になったら、その家族の人達は悲しむよ。それに、市も会社も、事故の補償はしていないし」

千早は、話を振った。

「――あいつら、結託して、土地を手に入れる為に、父と母を殺したんだ。あの時、法はなにもしてくれなかった。だから、あいつらは、祟られ呪われて、当然よ」

と、吐き棄てる。

「法が、どうとかは、私には判らない。でも、理沙が仇を討つ為に、呪詛を行って、苦しんで倒れてしまっても、それが、正しいと言えるのかな?」

千早は、言葉を選んで、そう言った。すると、正子の怒りと憎しみに満ちた顔が、悲しげになり、正子はその場に、座り込んだ。

「ああ。理沙、わかっている、わかっているよ。ご免ね」

呟いて、顔を覆う。

「キレイゴトだけど、やっぱり、よくないと思うよ、呪詛だなんて。だから、さ。佐山野神も、森山兄ちゃんも止めないと。それに、市長と社長が、本当のバカ野郎だったなら、祟ったり、呪ったりするだけ無駄、そんな価値無いんじゃないのかな」

千早は言って、そっと、正子に触れる。

「千早ちゃん。――私」

一瞬、浄化されるのかな、と思ったが、

「理沙の傍で、佐山の行く末を、見ていていいかな?」

と、呟き、正子は、その闇の中から、姿を消した。

「――佐山、かぁ」

千早は呟いて、闇の彼方を睨み付けた。

 備東市警察署の署長室。

「え、それは、どういう事ですか?」

大地は、激しく困惑して、署長に詰め寄った。

「そのままだ。佐山絡みの事件、反対派とかのトラブルの捜査を、打ち切る事になったのだよ。だから、君も、個人的に動くのも辞めたまえ」

「如何してです? まだ、解決していない事がありますよ」

「どうしてもだ。何か決定的な証拠でも、あるのかね? 無いだろう。」

大地の言葉を跳ね除けるように、署長は言った。

 

水龍神社では、夕方の務めを終えた潤玲は、家に戻って、驚いた。

兄の大地が、キッチンのテーブルに伏せっていて、テーブルの上には、下げたお神酒が並べられて、いたから。

「お兄ちゃん、如何したの?」

キッチンに入ると、かなり酒臭い。

「佐山から、手を引けって。命令された。全ての、捜査、打ち切りだってさ」

力なく、言い、グラスに酒を注ぐと、一気にそれを呑み干した。

「如何して? 市長と社長は、グルなんでしょう? しかも、色々と悪事を」

潤玲が、非難の声を上げる。

「権力って、やつさ。例え、物理的な証拠が、あっても、潰されるのが、オチさ」

答え、また、酒を煽る。

「所詮、霊感とかでは、解決出来んよ」

呂律の回らなくなった、口で言う。

「それじゃあ、お父さんを、殺そうとした犯人も、捕まえられないの?」

「ああ。あの手下、古墳の死体、も、お蔵入りさああ」

答えて、今度は瓶ごと、呑む。

「お兄ちゃん、辞めて、お酒、飲めないのに、ヤバイよ、辞めなよー」

潤玲が止めるのを、振り切って、大地は飲み続けていた。

 潤玲は、溜息は吐いて、如何することもできなくなった兄を、そのままにして、捜査が打ち切りになってしまった事を、千早にメールした。

〔それじゃあ、長髭のオッチャンの件も、闇雲って事?〕

〔みたい。やっぱり、市長がらみだから、圧力が掛かっているみたいなの。それで、お兄ちゃん、自棄酒しているんだ。飲めないのに、飲んでさ。私達にも、佐山に関るなって〕

 潤玲とメールを交わした千早は、なんだか嫌な気分になってしまった。

「そんなんで、佐山野神を如何すればいいんだ?」

その事を、見た夢の事をメールする。

〔千早は、どうしたいの?〕

潤玲からのレス。

〔どっちみち、森山兄ちゃんと話したいし。佐山の様子も、直接見てみたいから、佐山に行ってみるよ〕

メールを送り、千早は頷いた。

その日、議会を終え、会食をしていた市議達が、次々に、激しい頭痛を訴えて、病院へと搬送された。原因は不明で、市議全員が倒れて入院した。

「少しずつ、苦しんで苦しみ続けて、自分達のしている事を、悔いるがよい」

病室で、のたうち回っている市議達を見つめて、女は呟いた。

「もはや、どうのように詫びようが、許しはせぬ」

女は、笑う、

「ふふふ、我が苦しみ、我が痛み。その報いを受けるがよい。我が土地を穢し、その命を奪った者達よ、ふふふ」

その甲高い笑い声が、闇の中に響くと、市議達は、更に苦しんでいた。

佐山は、以前に増して、高い工事壁に囲まれている。焼き付けられる様な強い日差しは、色あせて生気の無い稲を照らし、草すら生えていない、田んぼの畦道には、陽炎が揺らめいていた。稲は小さく、穂もつけていなかった。水田の上を、飛び交っているはずのトンボも見当たらなかった。

「市議のニュース、ただの集団ヒステリーだと思う?」

建設現場に、フェンスの隙間から、入り込み、千早は言った。

「思わないよ。そう、報道されているだけで、別のものだと思う。やっぱり、佐山野神が絡んでいると」

と、潤玲。

 工事壁の内側の現場は、きれいに整地されて、建物も殆ど出来上がっていた。ここが、かつて山だったとは、もう思えない。

「ごめんね、つき合わせちゃって」

その様子に唖然としながら、千早は言った。

「いいよ。それにしても、酷いよね。全ての木々が切られている」

「うん。これを見たら、誰だって怒りたくなるはず、佐山野神の気持ち解る気がする」

「祟り神のまま、放っておくわけにはいかないよ。それに、捜査が打ち切りになって、お兄ちゃんは、飲めないお酒を大量に飲んで、中毒起こして、入院しちゃったから。色んな意味で、なんとかしないといけないよ」

潤玲は、じっと、建設現場を見つめる。

「でも、これじゃあ、祠も、その残骸も見つからないよ」

二人は、こそこそと現場を見て回る。

「もう、完成しちゃうね。完成してしまったら、それこそ佐山野神を、鎮めれなくなってしまう。――もう、鎮めること自体、無理なのかもしれないけど。稼動し始めたら、きっと、凄い事が起こるかもしれないね」

何時でもアスファルトが、敷ける状態となっている地面を見つめ、眉をひそめる潤玲。

「それにしても、土地そのもの関係なのかな。それとも、佐山野神の影響なのかな? 事故死した以外の、幽霊がいるよ。かなり昔の人、古い霊っていうのかな?」

千早は、見回す。

「そうだね。無数にいるよ。人間の霊だけでなく、それ以外のモノも。精霊とか自然霊が、歪んだようなモノまで。――ああ、そうかお盆だ」

潤玲は、パンと拍手を打つように、手を叩いた。すると、近くにいた霊は、ビクッとするように、二人の周りから、離れてゆく。

「でも、お盆ってさ、自分の家に帰るんじゃないのかな。仏壇とかがある家に。ここに帰ってきた、と、いうよりも、なんだか、この場所に溜まっているって、感じ」

千早は、無数に徘徊している霊を視る。

「なんだか、よく解らないよ。とりあえず、良くないから、出ようよ。工事の人に、見つかると、煩そうだしね」

と、潤玲。千早は頷く。霊の数は益々増えてきているようだった。二人はまた、こっそりと、壁の隙間から、外へと出た。

「ふぅ、ドキドキ」

千早は、額の汗を拭った。

「うん。やっぱり、現場の外とでは、空気が違うね。それにしても、相変わらず暑いなぁ。雨がまったく降らない、酷暑の日々か。これの真意を考えると、胸が痛いよ」

潤玲は汗を拭き、帽子を被り直すと、空を見上げた。「――だね。行こうか、なんだか、熱射病になりそうだよ」

千早は、扇子で扇ぎながら言う。

 佐山から駅の方へと、歩く。この辺りに、路線バスは走っていない。一番近くの駅までは、一時間程掛かる。二人は、陽炎の揺らめく道を歩いて行った。

 その夜。盆の入りとあってか、心霊番組をしている。

「はーあ、今日は、また、暑かったなぁ。炎天下に半日いたら、バテバテだよー」

横になって、テレビを見ながら、千早は言った。

「また、何をしていたのです?」

アイスを頬張りながら、唐琴が問う。

「佐山の建設現場を、こっそりと見てきたの。もう、完成しちゃうよ、あそこ」

千早は、寝転がったまま、アイスを食べる。

「行儀、悪いですよ」

唐琴に言われ、仕方なく起き上がる。

「バテバテなのにー」

「で、何か判りましたか?」

「うん。佐山の現場に、無数の霊がいたんだ。盆の入りだからといって、あんなにいるのかな? 事故死した人だけでなく、かなり古いのもいたよ」

佐山の事を話す。


「ふむ。それは、変ですね。幾ら、彼岸と此岸が繋がる時期とは、いえ、そのような事は。単に迷い出ただけなのか、それとも何かの力によって、その場に呼び出され閉じ込められているのか。どちらか、でしょうね。どっちにしても、佐山はこのままでは、終わらないでしょう」

ちょうど、心霊番組では、佐山の事をしていた。唐琴は、それをじっと見て、言った。

「如何して?」

「昨日、病院に運ばれた市議達のうち、二人が死んだそうです」

と、テレビを見つめたまま、無表情で答えた。

「マジで? 結局、何が原因だったの?」

「一円君から、聞いたのです。市議達の症状が、余りにも普通じゃなかったから、彼が担当になった。彼は、これは、ある種の集団ヒステリーだと、医学的には処理したそうです。死んだ二人は、意味不明な事を口走り、極度の錯乱状態で、のた打ち回った挙句に、死んだそうです」

「それって、そんな症状のでる病気だったんじゃないの、それか、シャブ中?」

「さーどうでしょうね。医師である彼の見解は、その様な事では無いで、したから。しかも、二人は“佐山 佐山 皆 死。報い。”と、叫んで、二人同時に息絶えたそうですよ。それは、もう物凄い形相で、二目と見れぬものだったそうです」

その話に、千早は息を飲んだ。

「それ、祟り? 呪い?」

嫌な汗が、滲む。

「さあね。でも、市議達は、佐山産廃を皆して、推していた。その中でも、死んだ二人は、特に力を入れて、強引に進めていたそうですよ。何が何でも、産廃を造るのだと」

淡々と言い、新しいアイスの封を切った。

「森山兄ちゃん、なのかなぁ。それとも、佐山野神なのかな?」

「どちらとも言えない。やはり、彼と会って、話をしてみない限り」

言って、唐琴はアイスをくわえた。

 市議全員が倒れ、そのうちの二人が死んだ。そのニュースは、佐山の心霊現象と重ねられて、再び、マスコミは盛り上がっていた。市民の中からも、これはやはり、祟りではないかという声が、あがり、無理な開発の是非が言われだした。それらの事で、市の職員は、市民から、寄せられるその様な話の対応に、手を割かれ、普段の業務に支障が出始めていた。市議全員の入院で、行政は機能停止状態に陥っていた。一方、佐山では、完成間近の施設に欠陥が次々に見つかったり、作業員が辞めたりして、作業員の人数は、当初の半分にまで減って、作業も進まなくなっていた。

【佐山は禁足地。佐山に、仇なす者に、祟り災いが降り掛かるであろう。それが、嫌であるならば、佐山より去るべし。神の怒りは、亜来と金尾に向いている。そなたらは、佐山から手を引くべし。自らの罪を償え。さもなくば、大いなる災いをその身に受けるぞ、己のした罪の報いを受けるのか? 全ての元凶は、亜来と金尾にある】

突如、佐山に飛来した、無数の黒い鳥は、無数の紙となり、佐山に舞い散った。その紙に、書かれていた文章。それは、全国ニュースで流れる。静かだった、地方の片田舎は、一連の騒動で、全国に名が知れ渡っていた。

「久しぶりに、やりましたが、上手くいきましたね」

夜のニュースを見て、唐琴は、ニッコリと笑った。

「あれ、唐兄がやったの? どーやって、やったの? どーやって?」

夕食の後片付けをしながら、千早は横目で、テレビを見る。

「式神の一つですよ。また、そのうち、教えてあげましょう。この怪文書を読んで、あの二人は、自分達の仕出かした事を、悔い改めるべきです。それでも、工事を続け、償う事をしないのであれば、彼等は、本当に救いようのない人間だということですね」

ニッコリと笑ってはいたが、その口調は今まで以上に、冷淡だった。

「でも、今更、どうにもならないじゃん」

「あれは、市長と社長への警告です。――今日、森山君に会えました。少しだけだけど、話をしました。やはり、佐山野神と手を結んでいる様でした」

ちょっとばかり、困った顔をする。

「森山兄ちゃん、戻ってきてたの?」

「私は、あの家の裏にある林と祠を調べていたのです。そこで――」

アイスを出し、封を開けながら、

「あの祠は、古代・佐山の領主であった緑信の、妻になる者の魂を、鎮め封じ祀ったもの。彼女は、緑信を殺された、悲しみと憎しみで、鬼となってしまったそうです。彼を殺した、隣の領主を、恨み呪いながら彷徨い、そして、あの場所に辿りつき亡くなったそうです。林原家の先祖は、彼女を憐れに思い、その御霊を祀ったそうです。しかし、鬼となり時折り彷徨い出るので、それを柊で封じたのでしょう。あの辺り、八寺原を護る一族、佐山や、この辺りみたいに、神の勧請はしていませんでしたが、代々、土地と共に祠も護ってきたそうです。それを、亜来と金尾の二人が、欲の為に、奪ったのです。下っ端に手を下させて。正子さんは、その事実を突き止めた。だけど、それは事故として処理され、もみ消された。――そして、佐山の件で、正子さんは殺されてしまった」

トルコアイスを混ぜながら、言い、そして、森山との事を話す。 

柊に囲まれた林の中にある、小さな祠。

「――ここに来れば、会えると思いましてね」

唐琴は、祠の前に立つ、森山に声を掛けた。

「唐琴、さん」

ゆっくりと振り返る、森山。相変わらず、季節外れの服装。

「随分と、お久しぶりですね。ところで、佐山野神とは、どのような関係です?」

森山の後にいる女を、見据える。すると、森山の代わりに、佐山野神自身が答えた。

「我は、くだらない人間の欲により、眠りを妨げられた。我が想いと、この男の想いが同じであるから、共にある」

と、唐琴を睨み付けた。

「なるほどね。それで、一連の騒動ですか?」

無表情で唐琴は、淡々と言った。

「正子と、その家族の仇」

森山は、吐き棄てた。

「――この世の法では、あいつらを裁けない、裁いてもらえなかった。いや、裁こうとはしなかったのだ。だから、別の方法をとるしかない。僕には、その力と、それを実行する権利がある」

感情を剥き出しにして、言う。

「でも、それでは、何の解決にもなりませんよ。むしろ、自分の身を滅ぼし、魂までも滅ぼしてしまうかもしれませんよ。それは、佐山野神も、同じではないですか?」

唐琴の問いに、佐山野神は答えない。長い長い沈黙の後、吐き棄てるような、大きな溜息を吐き、

「それは、もとより、覚悟の上。そして、この身に受けた、痛みと苦しみの恨み!」

と、言い放ち、森山は、パーカーを脱ぎ、身体中にある、生々しいく痛々しい傷痕を曝した。唐琴は、無表情のまま、それを見つめる。

「正子を殺した犯人を、捜していたら、このザマだよ。だけど、僕は、犯人が判った。それを警察に言ったが、取り合ってくれなかった。だから、僕には、この術しか残されていない。あいつらは、苦しみ苦しみぬいて、死んでもらう。死ぬに死ねない苦しみを味わってもらう。――あなた方に、その邪魔はさせない」

その言葉と同時に、林の中を突風が吹き抜けていく。木々の葉が舞い散り、唐琴は思わす目を閉じてしまった。

「風が収まり、目を開いた時には、何処にもいませんでしたよ。憎しみで、術の腕を上げるなんて、虚しいですね」

ふぅと、息を吐き、トルコアイスを長く伸ばして、口に入れた。

「森山兄ちゃんも、殺されかけたんだね。やっぱり、市長と社長が、黒幕なのかな」

千早は、力の無い息を吐いた。なんだか、虚しさと同時に、なんとも言いがたい、腹立だしさがあった。

「それは、決まりきっている事でしょう。――千早、だからといって、無茶な事をするのは、いけませんよ」

と、釘を指した。

「潤兄ちゃんに、その事話せば、また、探りいれてくれかな? 捜査、打ち切りとか言っていたけれど」

「無理でしょうね。市長相手では。それで、圧力が掛かったのでしょう。絶対的に揺るがない証拠でもない限りにね。まあ、それがあっても、無理なら無理でしょうね」

唐琴は、諦め口調で言い、混ぜては伸ばして、アイスを食べていた。

 千早は、錦織神社の磐座で、二神に、佐山野神の事で話をする。

「色々と考えてみたんだけれど、やっぱり、佐山野神を止めたいと思う。どうしたらいいかな?」

磐座に座っている、二神に問う。

「そのようなことは、我らにとっては、どうでもよい事だ。千早が、思うように、やりたいように、すればよかろう」

波果神は、突っ撥ねる様に答えた。

「無鉄砲で無謀な行いは、やめておくのよ。それでいくと、自滅してしまうわよ」

二神は、唐琴と同じ様に、千早に釘を刺した。千早は、うんとしか言えなかった。

  

 5 賭けの行方

お盆明けの、その日は、毎年恒例となっている、市民と市長の討論会。千早と潤玲は、佐山の事を直接、市長に言おうと参加していた。

「公衆の面前で言えば、市長だって答えなくてはいけないだろうし。それに、ケーブルテレビが生中継しているし。

佐山の件だけでなく、理沙の家族、八寺原の事も、表に出せる」

会場の市民センター・大ホールは、満員だった。千早は、それを見渡し言った。

「うん。なんとしてでも、尻尾を掴まないと」

潤玲は、ステージを睨む。

 討論会が始まると、出る意見は、佐山の騒動についてや、無理無意味な開発事業をしているのでは、というもの。市長の曖昧な返答に、時折り、会場からは、罵声も飛んでいた。罵声までは、いかなくても、反感の声は多かった。

「皆、市長に反感抱いてるね」

と、潤玲。

「うん。もう直ぐだよ。言ってやらないと」

千早は、頷く。

 時々、司会の人が、

「佐山や開発事業以外の事も、お願いします」

と、叫ぶように言っていたが、その度に、それに対するブーイングが出ていた。

 ようやく、発言の順番が回ってきた、千早と潤玲は、市長を見据えて、

「こんな話があるのですが。市長と金尾建設の社長が、実は繋がっていて、無意味な開発事業をしているという話や、佐山産廃の反対派に、圧力をかけているというのは本当ですか?」

潤玲の発言に、会場が、ざわめく。

「それと、十年程前に、八寺原の開発時に、地主の死に関っているという話も、本当なのですか?」

千早が言った。その内容に、ざわめいていた会場が、静まり返る。マイクを向けていた、会場スタッフの市の職員は、困惑して固まっていた。司会者は、それをどうフォローするべきか、考えているように見えた。市長は、二人を睨みつけるようにして、

「そのような、くだらない記事を信じるのです? 世の中に、他人のゴシップやスキャンダルを突き、それを煽るように、有る事、無い事を書く記者がいます。そのような、記事を読み、信じているなんて、残念だ?」

市長は、ライトが反射して光る額の汗を、感情的に言った。

「八寺原は、きちんとして、開発したのですよ。それに、金尾社長とは、同級生なだけです。それを、汚職をしているという記事にしたり、八寺原の事で、地主を殺しただのと、記事にされて、でっちあげの内容を信じているなんて、ね」

と、市長は続けた。

「市長、その記事は、何処の雑誌やネットにも、掲載されていない内容ですよ」

千早が、遮るように言った。会場の視線は、千早に集まる。

「十年前の八寺原の件、この前、他殺体で発見された、ライター長髭さんから、教えてもらった。長髭さんは、市長と社長の汚職を探る一方で、私の友達の行方も調べてくれていた。彼女のお姉さんは、佐山反対のリーダーだった、そのお姉さんが殺され、妹である友達の行方がわからなくなってしまった。その話を聞いた、長髭さんが、友達探しを引き受けてくれ、そして、十年前の八寺原に行き着いた。そこで、友達姉妹と、八寺原が関係していることを知った。八寺原の開発と買収を巡って、地主であった、彼女達の両親が、不審死している事を、長髭さんは見つけた。その裏に、市長と社長の影があったと、言っていた。殺される前、私達に、そのレポートを渡してくれていた。あのまま、命を落とさなければ、雑誌に掲載されていた内容。だけど、それは無かった」

千早は、スタッフの制止を無視して続けた。

「だから、それを知っているということは、当事者でしか知り得ない事になるのでは、無いでしょうか?」

会場が、ざわめく。市長は、二人を睨み付けていた。今度は、潤玲がマイクに向った、

「私の父は、反対派のリーダーの一人だった。反対集会の帰りに、ひき逃げされてしまった。なんとか、命は取り留めたけれど……。変じゃあないですか、市長、皆さん。佐山産廃に反対しているだけで、殺されたり、殺されかけたりしているのですよ。脅迫されたり嫌がらせを受けたりしているのは?」

潤玲は、何時に無く感情的で、涙を浮かべていた。

ステージ上の市長は、目を閉じて黙り込んでいた。

千早と潤玲の発言が終わると、静まり返っていた会場から、それを打ち破るように、あちらこちらから、声が上がった。

千早と潤玲は、騒いでいる人や、スタッフの間を抜けて、会場を後にした。とりあえず、水龍神社の潤玲の家に戻り、息を吐いた。

「それにしても、あんなに反対の人が来ていて、市長を叩くなんて、思わなかったよ」

千早は、ジュースを飲み干し、ふぅと息を吐いた。潤玲は、どことなく元気がなさそうだった。

「お父さんの、具合良くないの?」

「うん。もともと、糖尿があるから、傷の治りが悪いんだ。思ったよりも、回復が遅くって、傷口が感染症になって、さ」

と、顔を曇らせた。

「きっと、大丈夫だよ。――でも、市長の奴、これからどうするのかな。本当に、社長とグルで、チンピラとか従えてたら、ヤバイかな」

「でも、これは賭けだからね。どうなるかは、判らないよ。お兄ちゃん、まだ本調子じゃないけれど、こうでもしないと、打破出来ない。それに、もう一度、始めから捜査をしてもらいたいな。お父さんの事も、佐山に関する全ての事、林原さん一家の事もね」

言い、潤玲は、決意したように頷いた。 討論会の様子が、ニュースで流れる。


「ウザイようなら、消せばいい。たかが、小娘二人いなくなっても、今時の家出少女扱いで、騒ぎにもなだんだろ」と、細面の男は笑う。

「下手に消せば、足がつく。あの二人は、神社の巫女らしいしな。それだと、家出に見せかけるのは、無理がある。今しばらくは、黙認しておかねば。ニュースで、流れてしまっているからな」

舌打ちをする、脂ぎった頭の薄い男は、踏ん反り返った。

討論会のニュースを見て、唐琴は大きな溜息を吐いた。

「ったく、本当に無鉄砲というか、命知らずというのか」

「だってさぁ、潤のお父さん、理沙の両親、姉ちゃん、長髭のオッチャンの事があるし、佐山野神の事も、ある。どう見ても、市長は、悪人じゃん。見た目も、取り巻いているオーラも。潤は、お父さんの事があるから、あんなに感情的になっていたんだよ」

カキ氷を作りながら、答える。

「それは、わかりますよ。でも、命を狙われるかもしれませんよ?」

「――もし、私達に何かあれば、市民もマスコミも、黙っちゃいないでしょうね。そうなれば、警察も再び、動き始める。それに、亜来市長は、自分にとって、邪魔な市民は消す。と、なれば、全国から、非難ゴーゴーで、市のイメージが最悪になってしまうからね」

と、千早。

「別に、森山君が、復讐を果たさなくても、警察が動かなくても、佐山野神の祟りも。彼等が本当に、救いようの無い人間ならば、自滅しますよ。あの様な輩は、腐っても、役に立たないという存在ですから」

と、小馬鹿にしたように言い、カキ氷を頬張った。

市長は、不機嫌で苛立っていた。市議員の殆どが、まだ入院しているし、二人も死んでしまった。その原因は、未だ判らず、不可思議な症状だった。その事で、市議の出直し選挙。それも、進まない。その上、毎日、市議の事や、先日の討論会の事で、問い合わせが、殺到していたのだった。職員は、その対応に追われ、対応した職員との、やり取りが続き、本来の業務が、滞っていた。

 更に一部のマスコミが、十年前の、八寺原の事を掘り返し始めたり、また、心霊現象の取材もやってきていた。その様な事が続き、市長は日々、苛立ちを積もらせていた。

――小娘のせいで。

十年前、金尾とグルで、八寺原を手に入れた経緯は、自分達二人しか、知り得ない筈。その辺りの事は、手を回して、潰したのだから。全てを闇に、葬った筈なのに。

市長室の鳴り止まない電話に、何度も舌打ちをする。

――あのライターが、小娘に伝えていたとは。反対派リーダーが、八寺原の娘だったとは。

佐山に産廃が出来れば、あの時以上の金が入り、権力も何もかもを、大きく出来る。このままでは、それはおろか、今の座まで危うい。小娘二人、消すなど簡単な事。しかし、下手に消せば……。

――ワシは、祟り呪いなど信じない。神も仏も信じない。何よりも、金と権力だ。それが、唯一絶対に信じられるものだ。

亜来は、そう何度も自分に言い聞かせた。

 残暑は厳しく、まだ真夏の陽射し。その昼下がり。

「なんで、あと一週間しかないのに、登校日なんだ」

学校から、駅へと続く道を歩きながら、千早は言った。

「来年、受験だからじゃないの」

と、潤玲。

「はーあ、先の事なんて、考えてもないやー」

千早が、地面に落ちていた、石を蹴った時だった。急に走り出てきた車が、二人の前で停まった。黒塗りのワンボックスカー。

「へんな、くるま」

千早が言った時だった、ドアが開き、中から出てきた男達が、二人を無理やり、車の中へと押し込んだ。

「あ、あれ」

後から来ていた、同じクラスの男子が、驚いた顔をして、指さした。それを、振り切るかのように、車は走り去って行った。

「や、やばくない? あれって、拉致って、やつか?」

近所の人や、通りすがりの人は、何だと、その車を見ていた。

「あいつ、天水と蓮じゃ、なかったか?」

クラスの男子は、呆然と言う。

「そ、それより、警察に」

見ていた人、それぞれが、警察に通報する。

「何するんだよ」

後ろ手に縛られた、千早は叫ぶ。

「こんな事しても、いいと思っているの? 市長の手先?」

潤玲は、チンピラ風の男二人を睨み付けた。

「煩い」

と、男は、潤玲を殴った。

「ああっ、潤。ひっどいー。女の子殴るなんて」

千早は、唇を切って涙ぐむ、潤玲を気遣う。

「やっぱり、市長と社長の下っ端か」

千早は、負けずに食ってかかる。

「そうさ、おめぇら、拉致って来たら、金くれるってよ」

頭悪そうな顔の、男が言った。

「おい」

仲間が、そいつを咎めるように言った。

「いいじゃん、どうせ、バラスんだから」

と、会話をする。

「やっぱり、ビンゴ」

ボソッと、千早が言い、潤玲は頷く。男達は、貰える礼金の話で、盛り上がっていて、二人の会話には、気付いていなかった。

二人が連れてこられたのは、佐山の建設現場。その外れにある、小さなプレハブ小屋に、押し込められていた。中には、千早と潤玲の二人だけで、外に見張りらしき男がいるだけだった。

「どうしよう、このままだと、マジで殺されてしまうかも」

千早は、縄を解こうと、手を動かしてみるが、思うようには動かない。

「お兄ちゃん、助けに来てくれるかな」

気弱そうに、潤玲が呟く。

「クラスの男子達が、後から来てたから、きっと見ていたから、警察に言ってくれてると、思うよ。これで、また、警察が捜査してくれるよね。市長と社長の悪事を暴いてくれる」

千早が、元気に振舞う。内心は、かなり焦っていたけれど、ここは、強気に踏ん張らないと。

「うん」

潤玲は、頷く。

「――よっし」

千早は、一人頷く。

「如何したの?」

「式神を、唐兄に飛ばしてみる」

言って、千早は、傍に落ちていた紙切れを、何とか拾い、掌に爪を立てて出血させて、その紙切れに、自分の血で、呪字を書く。後手なので、思うようには出来ない。ジタバタしていると、ドアが開き、見張りの男は、二人を見て、

「んな、ことしても無駄だ。今、穴掘ってるからな、穴」

と、言い、笑う。

――今だ、行け。

千早は気合を込めて、心の中で叫んだ。すると、その紙切れは、鳥のようになり、開いているドアの隙間から、外へと飛び出した。

その紙切れが、飛んでいったのを、不思議そうに見て、またドアを閉めた。

「千早、式なんて、使えたの?」

「うん。この前、唐兄に、一番簡単なものを、教えて貰ったんだ」

ちょっぴり、得意げに言う。

「凄いね。まだ、なんとかなるかもしれない」

少し元気が、戻ったのか、潤玲は笑う。

「うん。まだ、賭けは終わっていない。私達が、駄目になるか、あいつらが駄目になるかは、まだ決まっていないもん。それに、私達は、悪くない、私達は、正しいから大丈夫。きっと、諸神仏の助けがあると信じているよ」

と、千早。

 一報を受けた、平島市警察は、二人が連れ去られた、駅前周辺の現場検証と捜査をしていた。その事件の情報を受けた、刑事の一人は、血相を変えて、大地のもとへと、駆けてきた。

「大変だ、天水。拉致られたの、お前の妹と、友達らしいぞ」

息を切らしながら、言う。大地は、驚き耳を疑う。

「まじ、か。貝本」

「ああ、同じクラスの男子が、瞬間を見ていたんだ」

「――あいつら、この前の討論会で、亜来市長に喰って掛かったらしいからな。佐山の事とか」

大地は、焦る。

「ああ。部長が、マークしてたよ。佐山絡みで、動きがあるなら、あの二人だろうと。なんとしてでも、佐山絡みの再捜査を、するべきだと言っていたよ」

と、貝本。

「でも、捜査取止めだろ?」

怒りを露にする。

「再捜査、出来るんだ。始めから、きちんと。捜査が打ち切りになったのは、市長の圧力だった。署長と市長が、繋がっていたからな」

嬉しそうに、貝本は言う。

「え、どういうことだ?」

「署長、借金抱えていたんだ。それを、市長が払ったんだと。今、その事が、明るみに出て、県警とか上の方が来ているんだ。匿名のタレこみが、県警とマスコミにあったんだ」

「そうか、全ては、市長が、圧力をかけていたのか……」

大地は頷く。心の中から、熱いものが、湧き上がってくる。

「――きっと、佐山だ。連れ去られたのなら、佐山にいるはず」

大地は、はっとしたように言う。

「よし、向おう」

大地と貝本の、後ろでデカイ声がした。

「部長」

「ああ、任せてくれ。拉致の情報は、新田と川口に任せて、俺等は、佐山へ向おう」

力強く、部長は言い、一足先に、車へと走っていく。

「俺達も、行こう」

と、貝本。

「ああ」

大地の顔に、刑事としての活力が戻る。

「貝本、少しだけ時間を、家に寄ってくれ」

「何だ?」

「潤玲は、巫女だ。祭神である、水龍神の巫女だ。神と心通わす事が出来る、だから、護ってくれるように、頼んでみる」

大地は言って、手を合わせた。

「いいぞ、俺も、そーゆーの信じる方だからな」

ニヤッと笑う。

 水龍神社に、覆面パトカーを横付けし、大地は飛び降りると、滅多に立入る事の無い、湖への小道を、駆け上がっていく。禁足地であるにも、関らず、とにかく走って、湖の辺へと。

「水龍神。お願いが、あります。僕は、あなたと、言葉を交わすことは出来ませんけれど、この声が、届いているのであれば、どうか、潤玲達二人を、お護り下さい。助けて下さい、どうか、助けてください。きっと、佐山です。どうか、僕達が、辿り着くまで、護ってください。お願いします」

大地は、湖に向かって、叫んだ。大地の声は、静かな湖に、響き渡る。すると、風も無いのに、湖の水面が、大きく揺れた。大地は、それを見て、深く一礼し、また、走って車へと戻った。

 佐山の建設現場の外れには、穴が掘られていた。そこへ、千早と潤玲は、引き摺られるようにして、連れて来られ、その穴の中に、突き落とされた。

「いったーい」

千早は、倒れたまま、もがく。潤玲は、痛みに顔を歪めながらも、千早を気遣い、二人は、穴の底で、身を寄せ合う。幸い、土が軟らかく、怪我は酷くはなかった。穴は、三メートルほどあり、穴の底からでは、外の様子が見えなかった。

「ふふ、ざまぁ、ないな」

黒い覆面と、赤い覆面の男が、覗き込んで、笑う。ショベルを手にした、下っ端の者が、ニヤニヤ笑っているのが、見えた。

「市長、もー全て、バレているんだぞー」

千早が、強気にも喰い付く。

「どうだか。どの道、このまま、生き埋めなんだからな」

黒い覆面が言う。

「昔から、よく言う。人柱だな。これは、丁度良いではないか。祟り災いを鎮めるのに、若い娘を人柱にすると。聞くところによると、二人とも巫女じゃないか。まさに、打ってつけだな」

赤い覆面が言う。

「こんなことして、なんになるの。全て、暴露されているのに。それに、ここの土地の神は、あんた達を呪って祟って、復讐しているのよ。それに、私達がいなくなれば、疑われるのは、市長と社長なんだからね」

千早は、何時もの強気で、更に喰ってかかる。

「知っている、奴らは、全て消す。それが、一番だ」

黒い覆面が言い、笑う。その笑い声が、穴の中でこだまする。

「もう直ぐ、お兄ちゃん達が来てくれる。クラスの男子が、見ていたもん。他にも、目撃者がいたし。クラスの男子と、は、目が最後に合ったから、向こうは驚いていたから。必ず、お兄ちゃんは,来てくれる、仲間の刑事さん達と一緒に。お兄ちゃんは、刑事だもん」

潤玲は、穴の底から、力一杯、叫んだ。

「どうだかねぇ」

黒い覆面は、鼻で笑った。

「私の式神だって、全てを伝えてくれるもの。きっと、警察だけでなく、マスコミもここへと来るもん」

千早は言い、空を見上げた。晴れ渡った空は、穴の底からだと、随分と遠い。

「負け犬の、悲しい遠吠えだな。もういい、やれ」

赤い覆面の声と共に、下っ端の男達が、ショベルカーとショベルで、穴の中に土を入れていく。

「全ては、金と権力で、どうにでもなるのだよ」

黒い覆面は、笑う。土は、二人の膝まで埋めていた。

「死んだら、化けて出て、末代まで祟ってやるー」

千早は、叫んだ。賭けに、負けてしまうのかと、思うと、黙ったままではいられなかった。

高らかに笑って、覆面は顔を見合わせた。下っ端達は、どんどん、土を穴の中に入れていく。ショベルカーの音が、不気味に響いてくる。無数に落ちてくる土を、何とか交わし払いながら、二人は耐えていた。

 腰の辺りまで埋まってしまった時、落ちてくる土が止まった。不気味に響いていた、ショベルカーの音が聞こえなくなった。二人は、上を見上げる。

「どうした、早く片付けてしまわないか」

恫喝する声が、聞える。

「なんだ、どうした」

面白くなさそうに、赤い覆面が言った。

「急に、動かなくなって」

ショベルカーを、操縦していた下っ端が、答えた、その時だった。

 瞬間、その場で、ショベルカーは、上下逆さまになった。操縦をしていた男は、その衝撃で、頭を天井にぶつけたのか、頭が割れて、血塗れになって死んでいた。

「ば、バカな」

黒い覆面は、思わず、後退った。

「まったく、愚かだねぇ」何処からか、甲高い女の声がした。

「だ、誰だ」

「亜来市長に、金尾社長。自分達の立場が、マズくなったら、そんな、年端もいかない少女達まで、殺してしまうのですか?」

上下逆さまになった、ショベルの上に立つ人影が言う。

「脅すつもりか? ここの、作業員か? 貴様も、埋めるぞ」

赤い覆面が、人影に向かい叫んだ。

「出来るのならば、ヤレばいい。――ほら、パトカーとヘリコプターが、来ていますよ。この状況を見られたら、逃れようがありませんよね? このまま、素直に警察に、逮捕されてみては、どうです?」

淡々とした、その声と共に、甲高い笑い声が響いている。その言葉を聞き、覆面二人は、鼻で笑う。

「っち、後は任せた。お前らも、ポリに捕まるなよ」

ドスを聞かせた、声でいうと、覆面二人は、足早に立ち去ってゆく。残された、下っ端二人は、上下逆さまになったショベルカーの上に立つ人影に、怒鳴ったり、石を投げたりしていた。

「全ての罪を認めれば、この世の裁きを受けるだけで、済んだものに。愚かな、奴らめ」

嘆くかのように、呟いた。

「あ、この声。森山兄ちゃん」

穴の中から、千早は叫んだ。すると、

「千早ちゃんも、お馬鹿だね。死んでしまったら、意味が無いよ。相変わらず、やることが無謀だね」

クスッと笑う声が聞える。

「やっぱり、森山兄ちゃんが、事故とか仕組んだの?」

腰の辺りまで埋まったまま、千早は叫ぶ。

「さぁね。でも、一番最初の事故は、本当の事故さ。単なる、人的ミスの重なったね。ただ、その事故を利用しただけさ。警告と見せしめの為に。その術として、引き起こしたけどね」

「――まぁ、よい。まずは」

佐山野神は、上を見上げ、そして、千早と潤玲の目の前から消え、森山に向かい、怒鳴っている、下っ端二人の前へと、移動した。急に現れた、佐山野神に驚き、下っ端二人は、走って逃げる。声にならない程の、驚きの声を上げて。

「ふふふ、我らの復讐に終りは無い」

ニヤリと笑う。逃げて行く、下っ端二人は、何かに躓いたのか、大きく転んで、二人折り重なるように、倒れ込んだ。

「ぎゃっ」

轟音と振動、それと凄まじい悲鳴が響いた。倒れた、下っ端の上にクレーン車が倒おれたのだった。

「森山兄ちゃん、本当に、そんな事を続けていて、いいの?」

千早は、悲しげに問う。

「――もう、いいのさ。後は、あの二人を、ゆっくりと追い詰めてゆく。そして……」

穴の中の、千早と潤玲を見て、森山は答える。

「もうすぐ、刑事さん達が来るから、その人達に、助けてもらうといいよ。そして、佐山関連の事件は、きちんと捜査される。警察署署長を、市長が買収していた事も、マスコミに流したからね。だから、もう、千早ちゃん、僕達に構わないで」

そう言残し、森山は穴から離れて行く。

「森山兄ちゃん」

千早は、声の限り叫んだが、森山からの返事は無かった。何時の間にか、佐山野神の気配も消えていた。

 遠くから聞えて来ていた、パトカーのサイレン音は、直ぐ近くで止まった。

「どうなっているの?」

潤玲が、穴の外の気配を探る。

「わかんない。もしかしたら、森山兄ちゃんと、佐山野神が、何かしたのかも」

と、千早。

穴の外から、二人を呼ぶ声が聞える。

「おーい、潤玲、千早ちゃん」

微かに、大地の声が聞え、その声に、穴の底から、応える。穴の中からの声が、届いているのかは、わからない。腰の辺りまで埋まっていて、身動きも殆ど出来ず、身体はギシギシと痛んでいた。叫んでいるうちに、声も枯れてしまう。真夏の名残の陽射しは、穴の中にも、降り注いでいた。

「はぁ、何だかバテた」

千早は、息を吐く。

「大丈夫?」

言う、潤玲の顔色も、良くなかった。

「うん。と、とりあえず、お腹空き過ぎている方が、痛いことより辛い」

半べそで、千早が言ったので、潤玲は、思わず噴出してしまった。

と、その時だった。何処かで、犬の鳴き声がした。その犬の声と共に、多くの足音と声が、聞えた。

「千早、潤玲さん」

唐琴の声と共に、一枚の紙切れが、舞い落ちてきた。

「私が、飛ばした式」

千早は、上を見上げた。潤玲も、つられて見上げる。

「お、お兄ちゃん」

穴の外には、中を覗き込んで、驚いた顔をしている、大地と唐琴がいた。

二人は、駆け付けた、大地と唐琴に助け出された。穴の外には、多くのパトカーと、レスキュー車、救急車が来ていた。何があったのかと、作業員達が集まってきていて、遠巻きに、こちらを見ていた。

「だから、言ったでしょう?」

唐琴は、千早の頬を、引っ叩いた。それを、貝本が止めようとする。

「まったく。あの下手糞な式でも、きちんと届いたから、よかったものの。本当に、届かなかったら、如何なっていたと、思うのですか?」

と、千早を怒鳴りつけ、そして、唐琴は、千早の頭を、ワシワシと撫でた。

「――ごめんなさい……ありがとう」

千早は、俯いたまま、小さな声で言った。

「白い犬が、教えてくれたのですよ。例の犬でしょう? 千早は、その辺の精霊を式に、しているつもりなのでしょうが、その式は、あの犬の成れの果て、なのですよ。先程、ここまで、案内してくれましたよ」

と、唐琴は言う。

「え、理沙の犬が?」

千早は、辺りを見回す。無数にいる人霊や、精霊の類。その様なモノしか、視えない。

「やっぱり、修行が足りませんね」

唐琴は、溜息混じりに言った。

「と、とにかく、無事で何より。佐山絡みの事件。そして、十年前の、八寺原の事も、捜査し直し。市長と社長の、悪事を暴き問い詰める。――そして、あの時には、出来なかったが、今こそ、成し遂げてみせる」

大柄の中年男は、二人に言う。


   6 禊払い

 夏休みも、一週間をきった。相変わらず、残暑は厳しく、蝉は元気に鳴いている。その蝉に混じって、時折り、コオロギも鳴いていた。薄暗い、山の中の小道、潤玲は、足を引き摺りながら、湖を目指していた。 幸い、怪我は軽く、念の為に、二日入院しただけで、家に帰って来た。それでも、捻挫した足で、山道を歩くのは、キツイものがあった。しかし、何時までも、務めを休んではおけないので、何時もの日課に、戻っていた。

「大丈夫か? 別に、よいのに」

痛そうに足を引き摺る潤玲を、水龍は気遣う。

「うん。それにしても、大変だったよ。半分は、こうなってしまうかもと、思いながらの事だったんだけど。でも、なんとかして、市長達の罪を暴きたかったの」

「その気持ち、解らぬ事もないが、無謀だな。――ああ、そうだ。潤玲達が連れ去られた時、大地がここへ来て、そなた達を護ってくれと、言っておったぞ」

「お兄ちゃんが?」

「ああ。一見、頼り無く見えても、それなりの行動力は、あるではないか。我も、そなた等が、佐山に連れ去られた時、どうするべきか、考えていた。あの時、佐山野が、あの男共に、手出しをしなかったら、我が、やっていただろうな」

と、水龍。

「え?」

「佐山野と森山は、そなた等を、助けたのだよ。だから、我は、あえて、あの男共に、手出しはしなかった。あの場所では」言って、天を見上げる。茜色の空に、数羽のカラスが飛んでいた。

「そう。でも、市長と社長は、どうなるんだろう。きちんと、この世の法で裁きを受けて、罪を償うのかなぁ」

潤玲は、溜息を吐く。

「ふん。その時は、その時。そうでない時は、そうでない時だ」

水龍は言い、大きく、その身体を伸ばした。


 錦原神社。海を見渡せれる磐座。

「明日、戻るのか……」

つまらなそうに、錦原神が言う。

「うん。二学期、始まるしね」

千早の腕には、白いギプスが巻かれていた。後手に縛られていた時、無理矢理、解こうと動かしたときに、手首の筋を痛めていた。

「そうか、もう、夏も終りだな」

波果神は、すっかり静かになった、海を見つめる。

「今回の事は、教訓になっただろう?」

「ま、まあね」

千早は、引きつった笑みを浮かべる。

「無事だったから、笑えるのよ。まったく」

千早は、唐琴と焔婆に、錦原神と波果神に、とことん、叱られまくっていた。

テレビ各局に、送り付けられた、佐山の映像。千早と潤玲の二人が、生き埋めにされそうになっているものだった。それは、全国ネットで放送され、事件の被害者でもある二人には、取材が殺到した。

「もう直ぐ、あの二人、逮捕されるね」

理沙の見舞いに来て、千早と潤玲は、そう話しかける。理沙の肌の血色は、キレイに回復していたけれど、まだ、呼びかけには応じなかった。

「早く、良くなってね」

潤玲が言うと、理沙は微かに頷いた。

「おや、来ていたんですか?」

と、一円が入って来る。

「大変でしたねぇ」

心配しているのか、面白がっているのか、ニコニコと笑う。

「それよりさ、今度は、金尾建設の社長が、入院していますよ」

ニッコリ笑って言う。

「市議達と、同じ様な症状。自分の意識は、ハッキリとしていて意思の疎通も出来る。だけど、全身に激しい痛みが、あるそうです。息をする度、瞬きをする度に。呂律の回らない口で、そう言っています。だけど、どんな病気でもない。まったくの健康体。それに、一番強い、モルヒネさえも効かない。変でしょう?」

興味深げに言い、一人で頷いている。

「多分、心の底から、罪を償わないと無理ね」

潤玲が、キツイ口調で言った。

「成る程ねぇ。やっぱり、そういうものなんだねぇ~」

と、満面の笑みを浮かべる、一円。

千早と潤玲は、顔を見合わせて、呆れ返った。

 市長は、焦っていた。自分が、逮捕されるのではないかと。そんな中、市長は、釈明会見を開く事になった。 その日は、夏休みの最終日。市長が参加する事となっていた、あるイベントの会場での、会見となった。屋外に張られたテントの中での、会見。朝から、生憎の天気。一ヵ月半振りに、空は雲って、雨がパラついていた。午後になり、市長の会見が、始まる頃になると、生温かな風が吹き始めた。

「え、何かと、騒がれている、佐山ですが、単なる噂に尾ヒレが付いた様なもので、全くの真実では、ありません。産廃は、必要不可欠のものです。その産廃反対グループの一部が、自作自演で、やっているのですよ」

市長の会見が始まると、風は、強くなっていく。

――ワシは、信じない。

「私としては、マスコミ等が、言っている、十年前の開発には、関っては、おりま――」と、言いかけた時だった。大きな雷が、鳴り響いた。雷の音は、空気を揺らし地面を揺らす。暗くなった空には、何度も、稲妻がはしっていく。

「――せん。私は、市の未来の為に」

その声を、打ち消すかの様に、雷鳴と共に、目を開けてられない程の、稲妻が眩く光、閃光が弾ける大音響と共に、空気と地面が揺れた。その音の大きさに、耳を塞いだ。

 皆が、目を開いた時、市長は、ステージから、転がり落ちて、仰向けでもがいていた。慌てて、職員が駆け寄る。

「落雷か?」

未だ、チカチカする目を凝らしながら、報道陣達は、市長を映し続けていた。耳が聞えにくい感じもする。

「いや、落ちるような、場所じゃないぞ。直ぐ近くに、避雷針があるし」

マスコミも、詰め掛けていた市民も、ざわめきだす。市長は、そのまま、病院へと搬送されて行った。市長を追って、病院へ向うマスコミと、現場に残ったマスコミに分かれる。

やがて、激しい雷雨となり、暴風が吹き荒れ始めた。突然、海上で発生した台風は、今までに無い程、大きく強いものだった。夏休みが終わる、しかし、二学期初日は、台風の為、休校となってしまった。

「金尾社長が、うわ言の様に、今までやってきた事を、言い続け、死んだそうです」

焔婆の処に来ていた、唐琴は、千早に言った。

「へー、そうなんだ。市長は市長で、雷に打たれたんでしょう?」

千早が問う。

「生きていますよ。頭もしっかりしていますし。ただ、落雷のショックで、全身麻痺。まともに口も利けない、そうですよ」

唐琴は、淡々と答えた。

「それって、やっぱり?」

「――恐らくは。でも、それなりの事をやってきたのです、その報いを受けたのだよ。少しでも、詫びる心、償う心があれば、この世の法だけで、すんだのかもしれんのに。愚かな者たちじゃ」

焔婆は言って、お茶を啜った。

台風は、竜巻を発生させた。竜巻は、佐山平野で発生して、佐山産廃場を直撃し、そこにあるもの全てを、吹き飛ばしていった。そして、降り続いた激しい雨は、佐山の表面を洗い流していった。台風は、各地に大きな爪跡を残して、消滅した。

 佐山の産廃施設は、その全てが竜巻で破壊されたが、何故かその残骸は、キレイに一箇所に集まっていた。その現象に、関係者や、専門家は頭を抱え、首を傾げるばかり。そして、ようやく、佐山産廃を撤回したのだった。

「ところでさ、私、未だに信じられないよ」

「私も。結局、あの台風は、水龍や、錦原神や波果神、他の神々が、呼び寄せた、生み出したものだったとはね」

「うん、無事だといいね。林原さんが、リハビリ始めたって、教えてあげたいね」

「そうだね。また、佐山に行ってみようか」

縁側から、青く澄み渡った空を見上げて、千早は言った。

 千早が家に帰ると、唐琴が来ていた。

「唐兄、何かあったの?」

千早の問いに、長い沈黙をし、

「――森山君の、遺体が見つかったそうです」

悲しげなのか深刻な顔なのか、唐琴は、言って黙り込んだ。

「え?」

千早は、驚く。

「清人は、既に死んでおったようじゃ」

焔婆も、なんともいえない表情を浮かべていた。千早は、二人の表情と、言葉の意味が理解出来なかった。

「一昨日、佐山の建設工事跡地を、調査していた人が、白骨化した死体を発見したのです」

と、唐琴。

「それが、森山兄ちゃん?」

千早は、頭が真っ白になる。

「骨になるの? 一週間程で?」

「鑑識の見解によると、最低でも、死後三ヶ月以上は過ぎているそうです。それが、事実だとすれば」

唐琴は、言葉を濁す。

「テレビに出ていた清人も、雑誌に載っていた清人も、既に、この世の者では無かった」

言い、焔婆は、深い溜息を吐いた。

「でも、ちゃんと、実体があったし」

「実体はあった。でもそれは、人間としての実体ではなかった。恐らく、人形か、別の依代を、媒体としていたのでしょう。死者、亡者に、その様な事は、出来ません。取り憑く程度なら、死霊でも出来るでしょうが、見抜く事が出来ます。しかし、私も気付かなかったし、見抜けなかった。森山君は、そこまでして、恋人の、その両親の仇を、復讐をしたかったのでしょう。その想いと、祠を壊され、眠りを妨げられた佐山野神の想いが、同調したのでしょう」

唐琴が言った。

「きっと、佐山野神が、清人に力を貸し与えていたのかもしれん。自分の亡骸自体を、呪術的な媒体にしていたと、も考えられるが。でも、亡骸が発見された、今、清人には、その様な力は、もう……」

と、焔婆。

「だったら、どうなるの? 呪いって、返ってくるんでしょう?」

千早は、泣きそうになる。

「もしかすると、消滅してしまっているかもしれん」

焔婆は答えて、再び大きな溜息を吐いた。

ワイドショーなどは、連日、地方都市の片田舎で起こった、前代未聞の怪事件として、佐山の事を伝えていた。この夏に起こった事の、総集編みたいなものまで出来ていた。

 市長と市議の不在。その為、新たなる選挙となる。市民の中から、佐山を昔のような、自然豊かな場所にしようと、声が上がった。それは、大きな輪となり、広がっていった。

 佐山の産廃処分場の残骸撤去が全て終り、佐山が解放されたのは、十月の初めだった。


  エピローグ 


 澄み渡った空には、筋雲が、なびいていた。涼しくなった穏やかな風が、吹いている。産廃は撤回されたけれど、佐山には一本の樹も残されていなかった。地肌を剥き出しにしている様は、痛々しかった。木々が無い佐山は、佐山平野が一望出来た。

「なんだか、凄いよね」

その景色を眺めながら、千早は、ポツリと言った。

「うん。色々な神様が、協力して、この佐山を人間の手から、取り戻したんだもの」

と、潤玲。

「また、昔のみたいに、豊かな山になれるかな」

「植林計画が、あるの。お父さん、退院したら、その中心になって、佐山に木を植えていくんだって。それで、氏子さん達に手伝ってもらって、水龍の御山から、挿し木苗にする、木を頂いてきて、今、育てているんだ。水龍も、佐山再生に、協力してくれるって」

嬉しそうに、潤玲は言い、

「見て」

指差した先には、小さな木の芽が、地面から伸びていた。よく見ると、あちらこちらに、小さな芽が、地面から顔を覗かせていた。その木の芽達は、円のように配置されているかの様だった。その木の芽の円の中央に、石みたいな物が、半分、土に埋もれていた。

「なんだろう」

千早は、それを掘り出している。石には、呪術的な文字が刻まれていて、その石の欠片が、幾つか土の中から、出てきた。

「これって、佐山野神の祠?」

全部を掘り出し、手にとって見つめる。

「さぁ。でも、何かの呪術に使う物だよね」

と、潤玲が言った、その時だった。不意に何かの気配がする。千早は、振り返り、驚いた。

「も、森山兄ちゃん。佐山野神」

その言葉に、微かに、森山は笑った。既に、その姿は透けていた。

「森山兄ちゃん。如何して?」

「――いいんだ、もう、全て、終わったから」

力無く、言う。

「我らの、するべき事は、もう無い。後は、消えるだけだ」

佐山野神も、また、かつてのような力は感じられない。

「そんなの、駄目だよ。駄目だよ」

千早は、一人と一神に言う。

「僕は、復讐の為に、関係の無い者まで、殺し傷つけた。だから、このまま、佐山野神と共に、消えるんだ」

「だめ、それじゃあ、何も」

どう言えばいいのか、判らない。だけど、それだけは、するべきでないと、千早は言った。

「――清人、そなたは、また転生して、今度こそ、あの娘と一緒に添い遂げるがよい」

微かに笑って、佐山野神は、立ち尽くしている森山に、手を差し出した。

「清人」

そこに、林原正子の霊が現れる。二人は、お互い驚いた顔をし、そして、抱擁し、涙ぐんだ。

「理沙に、宜しく」

二人は、千早に言う、そして。

「さあ、逝くが良い」

佐山野神が、天を仰ぐ。すると、二人は、そのまま、光の柱となって、空へ昇ってゆき、そして、消えた。

「浄化、した」

潤玲は、驚いて、佐山野神を見た。

「楓香、そなたも、逝くがよい」

佐山野神の言葉に、古代日本装束の若い女が、現れた。どことなく、理沙に似ている。そして、女は、千早と潤玲を見て、佐山野神を見て頷くと、浄化して逝った。

「――これで、我は、消えていける」

佐山野神は、静かに呟いた。

「駄目……」

千早が、止める。

「佐山野清土樹神。今一度、この土地の神として、佐山の行く末を、見守っていてください」

潤玲も言う。

「これ、祠の……。だけど、この様な物無くても」

と、千早。

「もう、良いのだ。我は、疲れた。この世界に、人の世に。そして、自分自身の存在に」

「佐山野神、あなたがいなくなれば、この幼い木の芽達は、どうすればいいの? あなたには、この木の芽達と、共に、この土地に在ってほしい」

潤玲が、そっと、木の芽に触れる。ざわ、風が吹く。その、優しい風に、誘われるかのように、地面から、木の芽達が、顔を出していく。

「これが、この土地の、意思」

潤玲が、静かに言った。

「何時になるか、分からないけれど、きっと、昔みたいな、豊かな山と土地にするから、そんな、消えるなんて、哀しすぎるよ。まだ、人間の中にも、愚かではない人も、いるはずだから……」

千早は、涙を零した。その涙は、祠の残骸、かつての佐山野神の依り代に落ちた。すると、それは、眩い光を放ち、小さな琥珀の珠となった。千早自身も、潤玲、佐山野神も、それに驚いた。

「――そうか、あの時の、巫女の転生体か……そうか――」

佐山野神は、その琥珀を見つめて呟いた。じっと、千早の掌の中の琥珀を見つめて、

「これも、大いなる一つの流れなのか――わかった。でも、再びこの土地に、害を為すのであれば、その時は無いと思え。約束だ、この土地を、昔の様な豊かな土地にし、その土地を護り続け、二度と、この様な事が起こらぬように、しっかりと護っていく。そして、再び、この土地が豊かな土地となるまで、我はここに、眠ろう――」

言い、佐山野神は、琥珀の珠に入っていった。その珠を見つめ、二人は顔を見合わせると、

「約束します」

珠を掲げて、深く頭を垂れた。

 円状に生えている木々の真中に、小さな社がある。その社に、寄り添う様に、色とりどりの花が咲き、穏やかな風に揺れていた。若木の森には、清流が流れて、いつしか、小鳥の歌声が聞える。人々は、自然の恵みに感謝して、豊作を祈る。四季折々を謳い、共にある。そして、自然と共に、生きていく。

 ――それが、古よりの理。それが、あるべきカタチ。

 了


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