第73話 帝国への対処(間話):悪魔あるある
ハデスを連れてリビングへ入ると、そこに居たクリスタが失神してラウニが絶叫しながら漏らした。
ラウニの絶叫を聞きつけて来たレイティアも泡を吹いて失神し、ジェイドは盛大に身体を震わせて跪いた。
「この障壁じゃ足りなかったか…。おいハデス、魔力とその殺意?悪意?その判別できない猟奇的な何かを抑えられないか?」
俺はそう言いながらハデスを覆っている魔力障壁と精神干渉障壁を最大強度まで上げた。
「魔力は隔離すれば良いのですが、瘴気を抑えた経験がありませんので暫くお待ちください」
ハデスは『こう?あれ?こうか?』とブツブツ言いながら瘴気を制御すべく試行錯誤を始めた。
そんな中、何故かルルだけは平然としている。
「なあルル、お前はハデスが平気なのか?」
「えと、その…人?ハデスさん?新しい仲間ですよねぇ?ルルにはキル様の加護が付いてるから平気ですぅ」
へぇ、鬼神の加護にはそんな効果もあるのか。
ルル以外が沈んだ結果からして、“共闘者か否か”が加護の付与条件だと思われる。
ならばフェリも大丈夫だろうが、アレイストとブラッドは撃沈コースだな。
「主様、これで大丈夫かと。確認して頂けますか?」
「どれどれ?うん、大丈夫そうだな。やれば出来るじゃないか。平常時は今の状態を維持するように」
「畏まりました」
俺はハデスを覆う障壁を解除し、辛うじて失神を免れたが未だにガクブルしているラウニの精神を整調しようと考えた。
「【咒恩】」
俺は無意識の内にそう呟いていた。
ラウニだけでなくジェイドの震えも止まり、表情も顔色も平常時のものへと戻った。
ラウニとジェイドがキョトンとしている。たぶん俺も同じ顔だと思う。
「流石は主様、私の瘴気による精神干渉をいとも容易く解かれるとは。お見事です」
俺はハデスの言葉を聞き流し、失神しているクリスタとレイティアを意識する。
意識の端に咒恩が浮かび、神聖魔術をベースとした回路型術式が咒によって刹那に内に変改され発動した。
「え?私は確か…」
「ん…キル様?あ、ラウニちゃんの悲鳴が聞こえて…」
「これは驚いたな…。おっとクリスタ、レイティア、大丈夫か?」
二人はコクコクと頷き、未だ不思議そうな表情でソファへと腰を下ろした。
咒恩…おそらくポジティブな事象を他者へ与えるのだろう。
要は恩寵に類するものか。
しかし術式まで勝手に構築するとは驚きだ。
まあ、俺の意識下で実行されているから勝手にという言葉は語弊があるか。
やがてアレイストとブラッドも帰宅し、俺たちは少し早めの夕食を摂る事にした。
ダイニングで席に着いた皆が、俺と俺の背後に控えるハデスに視線を向けている。
「新しい仲間を紹介する。こいつの名はハデスだ。今後は共に戦う事になる」
「主様より召喚の栄誉を賜り顕現しました。冥界第一位階、冥王改めハデスと申します」
全員の顔が盛大に引き攣った。口留めしてなかった俺も引き攣った。
まあいいか。
「ハ、ハハハ…冥王?そんな馬鹿な…」
「む…貴様は主様の加護を受けておらぬな?滅してくれるわ人間風情が!」
「だぁーっ!止めろハデス!指に魔力を集めるな!そいつはさっき話した帝国の皇太子だ!」
「そうでしたか。それは失礼しました」
「ねぇキル、本当に冥王を召喚しちゃったの?」
「フェリ、しちゃったの」
「今のすっごく可愛いけど呆れちゃうわ。神が冥界を隔離した理由、知ってる?」
「そりゃあ悪魔がわらわらと現界に湧いたらマズイからだろ?」
「大枠ではそうだけど、神が冥界を隔離した切っ掛けは悪魔公の襲来よ」
遥かなる太古の昔、天界・現界・冥界は繋がっていた。
今でも天界と現界はゲートで繋がっている。聖堂や古代遺跡が解り易い例だ。
現界で繁栄を続けた人種が社会を形成し始めると、人々は争う様になった。
争いは妬みや嫉みを生み、それらは害意や殺意へと発展した。
現界に渦巻き始めた負の感情や欲望を、神は生物が生息するには適さない冥界へと排出する仕組みを構築した。
浄化などとは呼べないその単純な排出行為によって、冥界は負の精神エネルギーが渦巻く世界となった。
人々の社会規模が大きい場所ほど負のエネルギー濃度は高く、その排出先では負のエネルギーが更に濃縮されて瘴気へと昇華された。
冥界に元々存在していた少数の精神生命体は、量を増し濃度を高め続ける瘴気に適応する進化を遂げた。
原初の悪魔が誕生した瞬間だ。
悪魔は瘴気を活動エネルギーとする精神生命体へと進化を続けた。
冥界はいつしか悪魔しか存在できない世界へと変貌した。
悪魔は純粋な殺意を以て悪魔を殺し、昇華された瘴気を略奪して自身を強化した。
こうして悪魔に位階制度が形成されていった。
悪魔の位階は純粋な強さであったが、その仕組みは間接的な生みの親である人社会の形態を模した。
下級・上級・騎士爵・男爵・子爵・伯爵・侯爵・公爵、そして王。
位階を一つ上げる毎に強さの桁を二つ三つ上げていった悪魔は、純粋な殺意と共に現界へ進出した。
しかし、今では伝承が途絶している古代文明の集団魔術は強大であった。
人々は団結して悪魔を撃退したが、ある時、悪魔公を称する悪魔が限界へ到来した。
悪魔公は現界を蹂躙した。蹂躙し、蹂躙し、蹂躙し尽くした。
神々は主神の命の下に悪魔公の撃退と冥界の隔離を決めた。
人々は神々から神託を受け、人類存亡を懸けた戦いを決意した。
七年間に及ぶ大戦でも決着はつかず、神々は己の眷属を軍勢として現界へ送った。
ハルマゲドンの始まりであった。
一進一退の攻防の末に神の眷属軍に敗れた悪魔公とその軍団は、再び冥界の奥底へと落とさた。
冥界は神々の権能を以て隔離され、人々はそれに歓喜の声を上げた。
後に堕天した破壊神に蹂躙されるとも知らず。
「なるほどなぁ、だから悪魔が存在するのに天使は存在しないのか」
「キル、天使は天の使い。すなわち神の使いよ。使徒や亜神がそれに当たるわ。神の眷属と言うなら亜神とか神獣に限定されるわ」
「へー。ハデスにとっても既知の事実か?」
「はい。恥ずかしながら、その悪魔公は私です。今思い出しても忌々しい限りです。あの頃に今の力があれば、天界もろとも阿呆どもを焼き尽くしてやったのですが」
「えっ?」
全員が必死の形相で俺を見ながら『ダメなやつ!ダメなやつっ!』と顔をブンブン左右に振っている。
そう言えば、ハデスは神の事を“不始末の隠蔽に冥界を隔離した阿呆”と語ってたな。
俺はダメなやつを召喚したらしい。
「って事は、ハデスは軍団を持ってるのか?」
「はい。今は二十八の悪魔公を将軍とし、其々に五万の爵位兵を与えています。所謂、少数精鋭です。こちらへ顕現させる事が出来ないので役立たずですが」
「いや…それって総勢百四十万だよな?少数じゃないからな?」
「そうですか?悪魔は増える一方なので腐る程います。とは言え、数百万の悪魔を殺してやっと騎士爵級ですから、私の戦力として使える伯爵級以上の数はそう多くないのが実情です」
「スゲーな冥界…殺しの規模が違うわ」
「悪魔は基本的に己以外の全てが抹殺対象ですし、それを成さねば強くなれませんので」
「ん?じゃあ現界をウロチョロしてる悪魔は何なんだ?それなりに連携してる雰囲気だぞ?」
「阿呆な破壊神による精神操作のせいでしょう。他者の精神を操ってなんぼの悪魔が纏めて操られるなど、本当に情けない話です。まあ、その程度の脆弱な悪魔しか顕現できないとも言えますが」
「強い悪魔が顕現するのは不可能なのか?」
「はい。阿呆な神どもが境界に厄介な結界を構築したので。端的に言うと悪魔の強さは瘴気の質と量で決まるのですが、その結界は瘴気量に反応するのです。伸縮性のある網目状の結界なのですが、ある一定以上の瘴気を持つ悪魔が触れると、一瞬で瘴気が浄化されて消滅します。その閾値が上級と騎士爵の間くらいですね」
「じゃあ、下級と上級の悪魔は顕現し放題って事か?」
「極論すればそうです。ただし――」
ハデスの話を聞くに、爵位級へ上がりたい悪魔にとって下級や上級の悪魔は恰好の獲物である為、境界へ辿り着く前に殆どが狩られるらしい。
運よく結界を抜けて顕現したとしても、現界には瘴気がないので悪魔の成長率は著しく落ちる。
悪魔が限界で成長するには、強い負の感情を持つ人種に寄生して地道に瘴気へ変換するしかない。
人間の負の感情をエサにして成長する場合、下級悪魔が上級へ進化するには数百年単位の時間を要するという。
また、下級悪魔より強い人種は山ほど存在するし、上級悪魔より強い者もそれなりに存在する。
実際、ルルやフェリは当然ながら、今ならエルでも上級悪魔くらい撃破できるだろう。
詰まる所、強者を目指す悪魔が限界に顕現するメリットは無いのだ。
ならば悪魔が現界へ顕現する目的は?
それは悪魔にとって人種の負の感情が、依存症になるくらい“美味い”からだという。
因みに、瘴気は負の感情が濃縮されてエネルギーへと昇華されたもので、強くはなれるが無味無臭らしい。
悪魔にも一定数の“不戦主義者”が存在し、そういう悪魔の何割かが限界に安住の地を求めて顕現したがる。
“人種の負の感情は美味”というのは冥界の常識であり、その方面に強い嗜好性を感じる悪魔にとっては、現界が楽園と成り得るという訳だ。
「そんな理由かよ。まあ、人の不幸は密の味ってやつだな」
「主様、それは面白い言い回しです。まあ、私などは過去に味わった負の感情よりも、己の強さに精神的快感を得るタイプなのですが」
「そうか、ハデスは負の感情の味を知ってるんだな」
「はい。記憶に残っているのは絶望の味でしょうか。生に執着する人間に僅かな希望を与え、その希望をゆっくりと削り取ってゆくのです。一縷の望みさえ奪い取られた人間の絶望は……美味でした。フフフ」
ドン引きである。
その思い出し嗤いも止めて欲しい。
ほら、アレイストたちが絶望しかけてるじゃねーか。
「おっと、折角の料理が冷めてしまうな。ハデスも座って食え。食物の摂取くらい平気だろ?」
「はい。人間や獣人を食べた経験しかありませんし大した養分にもなりませんが、食べる事自体に問題はありません」
更にドン引きである。
クリスタ、ラウニ、レイティアが声を殺して泣き始めた。
ルルとフェリは半眼になってるだけだからセーフだな。
アレイストたちは…真っ白になってる。どこぞのボクサーみたいに燃え尽きたか?
「主様…とても美味しく感じます。人間の食事とは斯くも美味しいものでしたか…」
「それは何よりだ。この料理はクリスタとラウニが作ったものだ。二人はこの屋敷に欠かせない存在だから仲良く親切にしろよ?」
「はい。クリスタ殿、ラウニ殿、これからお世話になります。殺したい者がいれば何時でも言ってください」
あぁ、こいつはダメだ。どこかにセラピストとかいないかな…
「クリスタ、ラウニ、もう泣くな。ハデスは俺の従者だから、俺の敵じゃない者に危害は加えない。安心しろ」
クリスタとラウニがコクコクコクコクと高速で頷いている。
「こっちの二人が共闘するルルとフェリ。ルルは銀狼の英雄、フェリは大魔女だ。」
「ルル殿、フェリ殿、共に主様のお役に立ちましょう。おや?僅かですが……フェリ殿から阿呆の力を感じますね」
鋭いなコノヤロー。
フェリと破壊神の繋がりを察知しやがった。
おぉ、フェリが珍しく動揺している。レアケースだな。
「フェリは破壊神の呪縛に苦慮している。フェリの解放は俺が破壊神を滅する理由の一つだ」
「なるほど、それで亜神ですか。阿呆に憑り付かれるとは災難ですね。私も鋭意協力しましょう」
「あ、ありがとう。宜しくお願いするわね…」
「ルル殿の銀狼とは古き種族ではありませんか?」
「そ、そうですぅ。ハデスさんは銀狼を知ってるですかぁ?」
「ええ。過去に現界で屠った獣人どもの中でも銀狼、金獅子、白虎の三種はそれなりに歯応えがありましたので。美味くはありませんでしたが」
殺し関連しか話題がねーのかよ!
あぁ、殺しがハデスの生きる意味だっけ…
流石にルルも引き攣り始めたな。
「で、そっちの四人が右からアレイスト、レイティア、ブラッド、ジェイドだ。アレイストとレイティアは帝国の皇族で、ブラッドとジェイドは帝国公爵家の長男と次男だ」
「将来この四人は主様の敵に変わる可能性がある、という事ですか。気に留めておきましょう」
「ま、待ってくれ!ガルダイン帝国…いや、私たちがキルの敵になる事など有り得ない!我らは恩を仇で返す様な真似などせぬ故に!」
「はぁ…。ハデス、アレイストの言う通りだ。百年後、二百年後の帝国は別としても、アレイストたちが俺やこの国に敵対する事はない。だからそう凄むな」
「主様がそう仰せであれば。アレイスト殿、失礼しました」
「い、いや、解って貰えたならそれで良いのだ。こちらこそハデス殿に感謝する」
「あ、兄上!ガルダイン皇家末代までの申し送り事項にしませんと!もちろん最重要事項ですわ!」
「そ、そうであるな!レイティア、よくぞ気が付いた。早急に父上へ進言するとしよう」
「ジェイドよ!我らエスタシオン公爵家においても同様であるな!」
「兄上、賢明なご判断です。これは絶対必要事項です!」
もう皆が必死だ。
客観的に考えても、可能なら申し送り事項にすべきだろう。
なんたって、俺もハデスも死なないからね。
その後も俺たちは会話を重ね、最終的にはハデスが超絶危険人物だが害はないという認識に至った。
「しかしハデスはよく召喚を受け入れたな?」
「ゲートが開いた瞬間は阿呆の気配がしたので大きいのを撃ち込もうとしました。しかし主様の瘴気と神気を混ぜたが如き絶大なお力を感じまして」
「たぶん俺の咒と神々の加護、それに冥王の恩寵が原因だろうな」
「冥王の恩寵…それは阿呆どもの首魁が置いたエレメントから得られましたか?」
「ああそうだ。そう言えば…何で冥王の恩寵がエレメントから得られたんだ?」
「かなり昔の事ですが、私が冥王となった後にエレメントへ付与したので。しかしそうですか、主様であれば可能でしょう。私にとっては僥倖です」
「へぇ、何でそんな事したんだ?」
「紆余曲折はありましたが、あのエレメントが現在の冥界を冥界足らしめているのも事実なのです。あのエレメントが破壊でもされれば冥界は勿論の事、現界もただでは済まないでしょう。詰まる所、阿呆どもへの対策です」
ハデスの話を聞いて、死滅のエレメントが根幹のエレメントと称されている理由が判明した。
世界に七つ置かれたエレメントは、負の感情を冥界へ排出する機能も兼ね備えているらしい。
その中でも死滅のエレメントが制御装置の役割を果たしているのだ。
もしも死滅のエレメントが何らかの理由で破損もしくは破壊されると、冥界への瘴気供給が停止してしまう。
冥界が瘴気を必須とする悪魔の領域となったが故に、瘴気の枯渇は悪魔の絶滅に直結する。
神の思い付きで始められた冥界への瘴気排出が、再び神の思い付きや気まぐれで停止される事態を、冥王となったハデスは懸念した。
ハデスは数千年の時を掛けて魔力を蓄積し、境界魔術を駆使して死滅のエレメントに冥王の恩寵を付与した。
冥王の恩寵の本質とは、神が権能を以て死滅のエレメントを操作した際に、権能を行使した神の元へ冥王本人が顕現する為の超高等転移術式だったのだ。
「なるほどなぁ、ハデスも苦労してんだな」
「苦労と言いますか、私は阿呆のせいで原初の悪魔となった身です。それは今更どうでも良いのですが、阿呆の気まぐれで消滅してやる気などありません。阿呆が再び気まぐれを起こした時に、何も出来ずに消滅するなど冥王の矜持が許しません。ならば神も消滅させてやろうと考えたまでです」
大した根性だ。
人間の様に正義感や使命感で戦うのではなく、相手が神でも己の誇りに懸けて戦うか。
それは勝てるか否かではなく、戦うか否かという選択だ。
悪魔ってのも存外にイケてるじゃねーか。
この話にはアレイストたちも同情を隠せなかった。
クリスタなんて今度は感動して涙している。
ハデスは思考が殺しに直結するヤツではあるが、従者としても仲間としても悪くない。
ハデスに対する其々の想いを胸に抱きつつも、俺たちは翌日に控える決着へ思考を切り替えた。




