第72話 帝国への対処(間話):咒の本質と冥王顕現
グリムの報告書を読んでからダイニングへ行くと、既に皆が朝食を食べ始めていた。
俺を見たアレイストが食べる手を止めて徐に立ち上がった。
それに続いてレイティア、ブラッド、ジェイドまで立ち上がる。
「すまぬキル、屋敷の主を差し置いて先に始めさせて頂いた」
「律儀なヤツだな?此処は俺と仲間が自由に暮らす為の家だ。好きな様に過ごせばいいさ」
「有難い。これ程に快適で満ち足りた住居は初めてだよ。クリスタ殿の作る食事も素晴らしく美味い!」
「兄上の言われる通りですわ。クリスタさんは帝城へ迎えたい程に優秀な侍女ですわ」
「クリスタは侍女っぽい役回りだが、俺の乳母でありもう一人の母でもある。帝国なんぞに渡す訳にはいかないな」
「キルアス様…私はそのお言葉だけで本望です。うぅ…」
「あー、キルがクリスタ泣かせたー!」
「ラウニちゃん、私はキルアス様のお言葉が嬉しいのよ」
「うむ、キルは皆に愛されているのだな。だからこの屋敷はこうも居心地が良いのであろう」
クリスタは涙脆い。俺が“母”という言葉を使えばほぼ確実に泣いてしまう。
ラウニはクリスタの妹であるかの如く懐いており、俺がクリスタを泣かせると怒りだす始末だ。
「そう言えばアレイストはラウニが見えるんだな。兄妹で妖精が見えるのには理由があるのか?」
「私も妖精の加護を持つ身なのだ。直系の皇族は生まれた時に妖精の祝福を受けるのだよ」
「キル様、ガルダインが帝国を創設した際、帝都…と言うか帝城は精霊の住まう地に建てられたのですわ」
神々からエレメントの守護を任された創成の七国。
ガルダイン帝国の前身であるガルダイン公国もまた、創成七国の一国という歴史を持つ。
「精霊の住まう地ねぇ。まあ、七大国の中で遷都してないのはテスラだけらしいしな」
「テスラ大公陛下が護るのは根幹のエレメントであるからな。帝国を含む六国の様に他所へ移れぬ理由でもあるのだろう」
それなんだよなぁ…
テスラ公城は黒のエレメントの真上に建てられている。正確には“根幹であり死滅を司るエレメント”だったか?
しかし、何を以て“根幹”と言うのかが謎だ。
エレメントと迷宮の因果関係も良く解らんし、痒い所に手が届かない感で一杯だ。
エレメントで思い出したが、俺はクーデターと言っても過言ではない三大公爵の暴挙に関し、とある疑念を抱いている。
グリムにもその疑念について事前調査をさせたが、グリムの結果報告は“調査困難”であった。
まあ、俺はグリムが調査困難と言ってきた時点で確定的だと思っているが、他所様の国なので興味本位の介入は控えている感じだ。
実のところは、最少の手間で最大の効果を得るという狙いもあったりする。
この場合の効果とは、皇族が俺に対して抱く恩義の度合いを意味する。
「ところでキル、私は公都を歩いてみたいと思うのだが、構わないだろうか?」
「暗部もいないし構わないんじゃないか?だが全員では行くなよ?」
「それくらいは心得ておるよ。ブラッドと二人で行こうと思っている。帝都に限らず街を自由に歩く機会など、私には二度とないかもしれぬからな」
「皇族ってのは難儀なもんだな」
「キルは自分が大公子である事を忘れてはいないか?」
「忘れたいとは思うがそうもいかないしな。フェリ、アレイストとブラッドに目立たない服を用意して、街を案内してやってくれ。レイティアとジェイドも出掛ける時は念の為にルルを連れて行け」
「わかったわ」
「はぁーい!」
「キルは外へ出ないのか?」
「俺は少し調べ物があるから自室に籠る。何かあれば呼んでくれて構わない」
クリスタにも『昼食は適当に食べるからラウニと出掛けてもいい』と告げ、俺は執務室へ入って腰を下ろした。
さてと、ステータスも気になるが、それよりも鬼神格と冥王召喚だな。
『アイ、鬼神格の覚醒で可能になった能力統合の概要を説明してくれ』
《はい、マスター。鬼神の権能は咒によって事象を超越する業です。マスターは魔術行使には魔力と意思、物理戦闘には闘気と思考を使いますが、それらの区別が不要になります。闘気・魔力・魂力の融合も同様です。別系統の魔術を合成するプロセスも不要になります》
何ですと?
良さ気な話だと思いそうになるが、実はそんな単純な話じゃなくねーか?
これまで身に付けた戦闘プロセスが一変するって事だろ?
いや、それすらも単純過ぎる考えかもしない。
『アイ、咒の定義を説明してくれ』
《はい、マスター。鬼神格には未解析領域が残存しているので断定は不可能ですが、現時点の神核における咒の定義は“真言・祝言・呪言・精神の全て、もしくは単一のどれか”と定義できます》
イエーイ♪意味不明っ!
…まあ、呪言と精神は何となく解る気がする。
俺も前世では自分が呪われていると思っていたし、咒を使える様になってからは意志で操作していた。
前世で鬼神が覚醒したのは俺が激情に駆られた結果だとも理解している。感情も精神に含まれるのだろう。
しかし真言と祝言は全く解らんな…
『アイ、真言と祝言の定義を説明してくれ』
《はい、マスター。真言とは定義する行為そのものであり、祝言は鬼神格における祈念と恩寵の互換です》
ダメだ、禅問答より性質が悪い…
もっと具体的な質問をしないと埒が明かないな。
『アイ、能力統合を実行した場合、それ以降も魔咒絶式は行使可能か?』
《はい、マスター。真言により魔咒絶式を定義すれば行使可能です》
そこにも絡んでくるのか真言め…
待てよ…前にディア先生が『俺が成長・進化すれば僕神が整えた法則や摂理を超越できる』って言ってたな。
あー、考えは纏まらないが知りたい答えに近づいてる気はする。
ここで確認すべき事は何だ?考えろ俺!んーーー解らん!!
『アイ、能力統合を行えば、俺は咒で破壊神を消滅できるか?』
《いいえ、マスター。咒による破壊神消滅は不可―――》
唐突にアイとの意識リンクが遮断された。
そして刹那に理解した。これは鬼神格の仕業だ。
『我が末裔よ、無為なる問答など止めよ。咒の神髄は言霊に非ず』
『おい、確かに俺の精神は鬼神の末裔である神木刻斗だ。しかし今の俺はキルアスだ。俺を末裔と呼ぶな』
『道理であるな。さればキルアスよ、己の内に眠る咒羅を覚ませ。さもなくば咒刹へ至ることなど叶わぬ』
どうしてこう難解な単語を使うかね?
難解つーか、聞いた事すらねーわ。その単語は辞書に載ってんのか?
『咒羅って何だ?インドだかの神話に出てくる阿修羅とかって名の鬼神か?それが俺ん中に眠ってんのか?』
『クククッ…阿修羅とは懐かしき名よ。阿修羅とはインドゥカ辺りの邪を払いし折に、インドゥカの僧侶が我が眷属の一人に付した名である。咒羅は阿修羅に非ず。咒羅とは我が魂魄。魂には闘神の、魄には鬼神の権能が宿る』
『はぁ…もうちっと解り易く喋ってくれねーか?まあ咒羅の意味合いは解った。で、その咒羅を起こす方法は?』
『創造神とやらが巌と成りし我の器より抜き去った刀剣に在る。刀剣の真名は咒羅天。眠りし魂魄を覚ます導となろう』
あ…鬼神の野郎、言うだけ言ってバックレやがった。
まあいいか。咒羅天ねぇ。使ってりゃ起きるのか?んな訳ねぇんだろうな…
《マスター、鬼神格を神核よりも高位と断定しました。咒による破壊神消滅の可否は演算不可能…です…》
あら?もしかしてアイが凹んでる?プライドを傷つけられた的な?
AIを模して創られた魔導演算機のはずだが、なかなか興味深い。
『アイ、鬼神格の事はもういい。能力統合で俺にリスクが発生する可能性はあるか?』
《いいえ、マスター。リスク発生の可能性はありません》
断言できるのか。ここはアイを信じるかね。
『アイ、能力統合を実行しろ』
《はい、マスター。能力統合を開始します。完了しました》
早いな。感覚的な変化は…ない。
感覚変化もリスクっちゃあリスクだもんな。
後で戦闘訓練でもして確認しておこう。
さて、次は冥王召喚だな。
得体の知れないモノってのは質疑も難しいよなぁ。
『アイ、冥王を召喚する事で俺にリスクや不都合は発生するか?』
《いいえ、マスター。冥王召喚に因るリスクや不都合の発生はありません。不確定要素もありません》
…え?能力統合には不確定要素が有るって意味?
頼むよアイさん。俺って何気に小心者なんだからさ。
『アイ、冥王召喚を開始する』
《はい、マスター。召喚ゲートを構築します。完了しました》
《冥王の恩寵が起動します。召喚を実行してください》
神核が冥府の底にゲートを構築したのを認識した。
獲得した数多の魂が、白い群となってゲートへ向かい集束していく。
「来い、冥王。俺の為に働け!」
ゲートが目を開くかの如く開口していき、纏わり付く様な黒い瘴気がドロリと滴る。
ゲートの奥から瘴気を飲み込む漆黒よりも黒い塊が、愉悦と歓喜を漂わせながら顔を出す。
……もう既にやっちまった感がハンパない。
出来る事なら『間違えました!』と言ってゲートを閉めてしまいたい。
こいつは、ヤバい。冗談みたいな存在値と気品さえ感じる純粋な悪意。
暗黒の塊は強烈な死の臭いを振り撒きながら、白い魂を喰らい絶望の色に染め上げていく。
恰も蛹を裂いて蝶が現出するかの如く、冥王が俺の眼前に顕現した。
「お召しに従い此処へ、我が主様」
冥王は片膝と片手を床に突いて少し俯き、静穏ながら明瞭な声で告げた。
褐色の肌、漆黒の髪、美しく整った顔、側頭から前方へ突き出す太くも鋭い角。
背中からは何対もの黒い羽が伸びている。
一糸纏わぬその肢体は細身ながら引き締まっているが、明確な性別はない様だ。
麗しい。この言葉は、眼前に控える冥王の為に作られたのではないだろうか。
しかし、常人であればこの姿を見ただけで魂を刈り取られてしまうだろう。
前世の俺なら泣き叫んで命乞いをしたに違いない。
それ程に強大…いや、絶対的な存在だ。
これは参ったな…ヤバすぎて使い処が思いつかねぇ。
存在自体が即死級の凶器だろ。どう見ても不確定要素の塊だっての。
何ならお引き取り頂いても構わない。いや、お引き取り願いたい!
「召喚しておいて何だが、冥王は俺みたいな人間に仕えても構わないのか?」
「何を仰せられますか主様。主様に比べれば、私など塵芥に過ぎません」
そんな事はないと思いますよ?
「そ、そうか?」
「はい。生まれ出でてより幾星霜。冥獄を悪魔どもの黒き瘴気で染め、冥府の底へ至り冥王となりて数万年。私を凌駕する者などおらぬと自惚れておりました。主様がお望みならば、この現界を死で埋め尽くして献上致します」
「いやいやいやいや!それは止めてあげて!」
「はい。主様の御心のままに」
おぉ、俺に従属するってのは確かみたいだ。『主様ぁ!今日は五万人殺してきましたぜぇ!明日は倍も殺ってきますわぁ!ヒャーヒャッヒャッ!』的な事にはならないだろう。
「冥王は…って、冥王の名は何だ?」
「私に名などありません。脆弱な悪魔には名を欲しがる愚者もおりましたが、私には位階だけで十分でしたので」
「そうなのか。しかし冥王と呼ぶのもなぁ…。名を付けられるのは嫌か?」
冥王がガバッと顔を上げ、目を輝かせて声を上げた。
「私如きに名を下さるのですかっ!?嗚呼!何たる名誉かっ!名は、私の名は何でしょうかっ!?」
「お、おう、えーと…ルシファーとか? サタナスとか? ハデスとか?」
ベタすぎ?
つーか、こいつは生まれながらの悪魔だからルシファーは違うか。
「どれも素晴らしき名ですが、其々に意味はあるのでしょうか?」
「ルシファーは“明けの明星”とか“光を齎す者”だな。サタナスは“悪魔”とか“魔王”。ハデスは“冥界”とか“冥界神”って意味だ」
「なるほど。光は好きでありませんし、魔王はむしろ主様が名乗るべきかと。ついてはハデスの名を賜りたく、命名と主従契約をお願い致します」
そういうの必要なわけね。体裁か?
真言でガチガチに縛れそうな気もするな。
それっぽくやってみよう。
「咒を以て冥界の王に命ずる。今この時よりハデスの名を冠し、我が従となりて力を尽くせ!」
久しぶりの感覚と共に俺の咒が起動した。前世で咒を行使した時の感覚だ。
俺の身体を漆黒の咒が取り巻き、細い螺旋状の黒鎖へと姿を変えていく。
黒鎖がハデスの全身に絡みつき、融け込む様に身の内へと沈んでいった。
「おぉおおっ!?素晴らしいっ!力が溢れてきます!このハデス、今この時より永劫なる忠誠を主様に捧げます!」
うそん…ハデスがデカくなったよ。
角も伸びて刺々しい金属みたいになったし、魔力が俺とほぼ同等まで上がったわ。 ヤバさ倍増じゃねーか…
「う、うん。喜んで貰えて何よりだ。宜しく頼むなハデス」
「勿体なきお言葉!して、先ずは誰を殺せば宜しいでしょうか?む…下に獣人と妖精、それに人間が三匹おりますね。手始めにこやつらを裂き千切って参りましょう」
「待て待て待て待てっ!俺は殺戮の為にハデスを召喚したんじゃないから!それにそいつらは俺の仲間だ!」
「何と…それは申し訳ございません。私は何をすれば宜しいのでしょう?少しでも早く主様に贄を捧げたいのですが…」
贄って…何に使うのさ。
空返事で『うん』とか言ったら人類滅亡しそうだな。
「ハデスは破壊神を知っているか?」
「はい。ゴミの如き悪魔どもを使役する、ゴミの如き堕神かと」
「辛辣だな…。ハデスにはそのゴミ悪魔どもの始末を頼みたいんだが?」
「その様に容易き事で宜しいのですか?」
俺はハデスにこれまでの経緯を話して聞かせた。
俺が異世界からの転生者であり鬼神でもある事を踏まえ、当面の計画と最終的な目的を伝えた。
ハデスは『ほほぅ、なるほど』などと合いの手を入れながら、興味深げに聞き入っていた。
「神など己の不始末を隠蔽すべく冥界を隔離した阿呆かと思っていましたが、悪魔と同じく神にも位階があるのですね。そして主様はその阿呆どもに苦慮されている真神ですか。解りました、先ずは神どもを血祭りに――」
「俺の話聞いてた?破壊神とそれに従う悪魔以外は放置!そして目下の標的は帝国の公爵!おーけー?」
「む、そうでした。申し訳ございません」
「はぁ…取り敢えず俺の仲間に紹介するから。その角と羽は消せるか?服も用意しなきゃならんな」
ハデスは『それには及びません』と言い、魔力を物質化して悪魔的な武装を身に纏った。角と羽は消えているが、一見して『触るな危険』と判る完全武装だ。
腰に提げた禍々しいオーラを放つ剣なんて、近寄っただけで呪われそうだ。
俺は再び溜め息をついて『行動=殺し』の思考を改めろと注意する。
すったもんだの末、俺と同じ様なゴシック調の戦闘服を身に纏ったハデスを伴い、俺はリビングで皆が集まるのを待つことにした。




