第62話 帝国への対処:第3フェーズ
皆はリビングで思い思いに寛いでいるが、一人掛けのソファに座っているジェイドだけが膝に肘を突き、両手を顔の前に組んで厳しい顔をしている。
「寛いでいるとこ悪いが、傾聴してくれ」
「キル様ぁ、けいちょうって何ですかぁ?」
「…耳の穴かっぽじいて俺の話を聞きやがれ!」
「はぁーい!ルルけいちょうするですぅ♪」
悪びれもせずニッコリ笑顔を浮かべたルル…ちょっと可愛いからいいや。
「現在時刻は午後八時だ。帝都とは四時間の時差があるから帝都の現在時刻は午後四時になる」
「キル様ぁ、時差――」
「帝都はまだ夕方で明るいんだよっ!!」
「あ、怒ってますぅ?」
ちくしょう…顎に指を当てて小首を傾げる仕草も可愛いじゃねーか!許す!
「怒ってねーから黙って聞いてろ」
「はぁーい!」
「ジェイド、皇帝は決まった時刻に就寝するのか?」
「はい。陛下は午後八時に寝室へ入られ、午後九時にはお休みになられます」
ふむ。こっちとしては非常に助かる。規則正しい生活習慣バンザイ。
八時半くらいに寝室へ行けばいいかな。
となると、あと四時間半あるから…寝れるね。
「では第三フェーズの開始時刻を四時間半後の午前零時半とする。皆は普段通りの行動でいい。俺は風呂に入って三時間ほど仮眠を取る。ジェイドも仮眠を取れよ」
「いえ、私はこのまま起きております」
「はぁ…准将ともあろう者が、戦を前にして仮眠すら取る余裕もないのか?もっと大局的に行動しろ。眠れないとしても目を瞑って横になるだけで疲労は抜ける」
「キル殿の仰るとおりですね…恥ずかしい限りです。私も仮眠を取ります」
「そうしろ。グリムは念の為に俺を起こしに来てくれ」
「了解にゃ!」
キンと冷えた白ワインを片手に湯舟へつかる俺は、第三フェーズで必要となる情報収集に着手する。
『アイ、ガルダイン帝国今代皇帝ルイントス・ドクトリア・ヴァン・ガルダインと、その第一皇女レイティア・エメラルド・ガルダインの魔力波動をDLしてくれ』
《はい、マスター。対象者二名の魔力波動をダウンロードしました》
『続けて、現在のガルダイン帝国帝城の在る方位と距離を出してくれ』
《はい、マスター。マスターの現在位置を基準とした対象建造物の方位と距離を表示します》
自律成長型魔導AIであるアイも、だいぶ俺好みに成長してきたな。
ちょっと前なら『対象建造物の方位と距離を特定する基準地点が不明です』とか言われただろう。
俺はグラスのワインを飲み干し、帝城の在る方角へ向かって超長距離魔力探知を行った。
「お、いたいた。正確な方角と距離が判ってれば超長距離探知も一発だな。さて、長湯し過ぎても逆に疲れるし、部屋へ戻って寝るとするか」
寝室の扉を開けると、ベッドの上には誰もいなかった。
俺は当然だろうと思いながらもホッとしてベッドへ潜り込む。
「ルルたちも最低限のTPOは弁えてたか」
そう独り言ちりながら眠りに落ちた。
意識が覚醒し、俺はガバッと上体を起こした。
「あ、ご主人様が起きたにゃ。ナイスタイミングにゃ」
「今何時だ?」
グリムが俺のコートの内ポケットから懐中時計を取り出した。
右前脚だけを人の手に擬態させて…
「はい時計にゃ。午前零時ちょっと過ぎにゃ」
「…キモいわっ!」
「知ってるにゃっ!」
グリムに『でも仕方ないにゃ!』と言われながら身支度を整える。
部屋を出て階段を降りていると、ゲストルームの一室から出て来たジェイドと出くわした。
「疲れは取れたか?皇女はまだしも皇帝への対応はジェイドが肝だぞ」
「はい、心得ています。成したい事のために全力を尽くします」
「ならよし。行くぞ」
「はっ!」
玄関でブーツを履きながら皇帝所在位置確認の魔力探知をしていると、ルルたちがパタパタとスリッパを鳴らしながら集まって来た。
「わざわざ起きて来たのか?大袈裟だな」
「旦那様のお見送りは妻の努めですぅ♪」
「妻の務めなのですよ!」
「そうそう妻の務めよ。好きでやってるんだから♪」
「…何で妻が確定してんだよ?」
婚姻の意義さえ知らない俺は説教でもしたくなるかと思ったが、少し恥ずかし気にはにかんだルルたちの笑顔を見たら、不思議とそんな気持ちは湧かなかった。
「ジェイド、グリム、行くぞ。ゲーティング!」
視界が石造りの建物内へと変わり、俺たちは魔灯の明かりを避ける様に壁際で身を屈める。
潜水艦がアクティブソナーを打つ様に、俺は単発の魔力探知を行った。
現在位置周辺に感知したのは九名。
その内一名は寝室中央にいる皇帝、二名は寝室の扉前に立つ番兵、四名は寝室の四隅に立つ護衛兵、残りの二名は寝室の天井裏に潜んでいる。
俺と同様に九名を感知したグリムが一瞬で液体金属化し、八つに分体して廊下・壁・天井を滑るように高速移動を始めた。
グリムの分体を初めて見た俺が『あんな体積でやれんのか?』と考えていたら、扉前に立つ二名の番兵の頭上に到達した二つの液体金属が、落下しながら体積を増して帯の様な形状に変形した。
ミイラに巻かれた包帯の如く番兵を全身拘束したグリムは、完全なる無音のままに二名の番兵を気絶させて床に横たえた。
「そう言えば大型化も小型化も出来るんだっけ…」
俺が呟く様に独り言ちりながら扉前へ移動すると、番兵に巻き付いていた銀色の帯が融けて合体し、黒猫形状になって言葉を発した。
「中も天井裏も終わったにゃ」
俺は一つ頷いて扉を開け、ジェイドと共に寝室内へ進入した。
皇帝は部屋の中央に配置された巨大なベッドの上に身体を横たえ瞑目している。
部屋の四隅には、暗がりの中で座ったまま眠っているかの様な護衛兵がいる。
俺がジェイドに向かって小さく顎をしゃくると、ジェイドは頷いてベッドの脇へと進み、床に片膝を突いて口を開いた。
「陛下、御休息のところ失礼申し上げます。ジェイド・エスタシオン、只今帰還致しましてございます」
皇帝はゆっくりと目を開き、静かに体を起こしてジェイドに視線を向けた。
「無事であったか。フン…なかなかに驚かせてくれるものよ。余に気取られる事もなく此処に在る八名を抑えるとはな」
「誠に申し訳ございません。致し方なき仕儀であったとご容赦ください。重ねて恐縮ではございますが、先ずは助力者殿の拝謁をお許し頂きたくお願い申し上げます」
「許そう」
「ありがたき幸せ。キル殿、御前へお進みください」
皇帝は俺へと視線を移し、何ら訝しむでもなく静かな瞳で俺を見詰めた。
俺はジェイドの隣へと進み、床に片膝を突いて口を開く。
「皇帝陛下、我が身の不躾は平にご容赦を。故あってジェイド殿に助力すべくテスラより参りましたキル、と申します」
「其方はテスラ大公殿によう似ておるな。齢八つにして騎士団長を手玉に取った第二公子がおる、とは聞いておったが…」
「畏れ入りました」
今代の皇帝は大した人物のようだ。
俺の姿形を見て尚、俺を第二公子だとほぼ断定している。
五十歳を超えていると聞いていたが、未だに筋骨隆々とした偉丈夫だ。
更にはこの落ち着き払った立ち居振る舞い…三豚公爵など軽く始末できそうだがな。
ま、話が早そうなのは大歓迎だし、様子見も探りも止めとくか。
「陛下、今更なれど我が身の証をここに。事は切迫しておりますので、陛下のご英断を頂戴したく」
俺は収納からテスラ大公家の証である短剣を取り出し、魔力を流して皇帝へと差し出した。
短剣の鞘に埋め込まれたテスラの紋章に金色の光が走る。
皇帝は目を細めて眺め、最後に小さく笑ってから短剣を俺に返してきた。
「紛うことなきテスラの宝剣であるな。話を聞こうぞ。が、その前に彼の者等を気付てやってはくれぬか」
「承知しました。一風変わった起こし方をしますが、お気になされぬ様」
俺はそう告げて背後に控えるグリムに視線を送った。
グリムが音も無く駆け回り、次々と気絶している四名の護衛たちを覚醒させる。
次の瞬間には液体金属化して四つに分体し、二つが天井の隙間から天井裏へ、二つが扉の隙間から外へと流れ出て行った。
数秒の後に四つの液体金属が俺の横に集まり、合体して黒猫の姿へと戻った。
これまで微動だにしなかった皇帝が目を見開き、ジェイドは苦笑した。
「…何とも不可思議な従者の在ることよ。美しき黒猫よ、余が元へ参るがよい」
「こやつの名はグリムと申します。グリム、陛下に挨拶を申し上げろ」
グリムはヒョイと皇帝の膝上へと跳び乗り、皇帝の顔を見上げて口を開いた。
「僕はキルアス様の使い魔グリムにゃ。よろしくにゃ!」
皇帝が口を半開きにして驚愕した。
「そういった者です。衛兵の百や二百よりも余程使えますので、暫くの間は陛下の護衛としてお預けします」
「…で、あるか。いや、であるな。有難く預からせて貰おう。グリムよ、余の護衛を頼んだぞ」
「お任せにゃ!」
気絶状態から覚醒した護衛たちは、黒猫と喋る皇帝を前にどう対処すべきかオタついていた。
皇帝の執り成しでようやく平静に戻り、俺たちは皇帝に促されて応接室へと移動した。
侍女が淹れた紅茶で一息ついたジェイドが徐に口を開いた。
「陛下、遅れ馳せながら事の経緯と我らの計画をご説明申し上げたく」
「うむ。であったな」
どうもグリムの虜になりつつある皇帝は、はたと気付いてグリム弄りを止めた。
ジェイドの経緯説明が進むにつれて皇帝の顔は曇りを増したが、暗部への対処に関した話に入ると、その表情を愉し気なものへと変えていった。
次いで今後の計略へ話が移ると、皇帝は目に鋭い眼光を湛え始めた。
客観的に見れば非現実的でしかない計画に『うーむ』と時折り唸りながらも、腐敗しきった現状と未来を秤に掛けているかの様に聞き入っていた。
ジェイドの話が終わると、皇帝は瞑目して深い思考に浸った。
ジェイドはその目に不安の色を浮かべていたが、俺は過去二代にわたる皇帝の意向に鑑みて心中は楽観的だった。
やがて皇帝はその目を開き、俺と視線を合わせて問うてきた。
「聞かせてくれ。貴公はこれを成せる、と言うか?」
「意志の話であれば成せる成せないではなく、成すか成さないかです。しかし戦術面の話であれば、ほぼ十割の確度を以て成せると断言しましょう」
「フハハハッ!テスラは次代も安泰であるな。相分かった。余もこの身と帝国の未来を懸けようではないか」
ジェイドが感極まった様に言葉を発した。
「陛下のご英断、心底より有難く!身命を賭して事の成就に当たりますれば!」
「ジェイドよ、お前には苦労を掛けておるな。レイティアを頼むぞ」
「ははっ!」
「では最後に我が父、テスラ大公より非公式なれど親書をこちらに」
「うむ。読ませて貰おう」
親書には父上が今回の計略を承知している旨が書かれているが、だからと言ってテスラ大公国が動くわけではなく、俺が個人的に手を貸すだけだとの説明がさせれている。
故に、計略が成就した後にテスラ大公国が見返りを求める事はなく、近い将来において友好関係を結べれば良いという内容だ。
ただ、俺の非常識な力で物的・人的損害がでるであろう事に触れてある部分は余計なお世話だ。
「大公殿は流石の賢君であるな。面白きは此度の計略が失敗するとは微塵も考えておらぬ様子であることか。貴殿を心底より信頼していると良く判るものであるの」
「陛下、キル殿がその気になれば世界を統べる力をお持ちなれば」
「ほほぅ、そこまでか。ジェイドも惚れ込んだものよ。よかろう。余も機を同じくして動けるよう差配しようぞ」
「承りました。此処へ皇女殿下をお連れしますので暫くお待ちください」
「それは無理であるな。レイティアは余の厳命にて南の尖塔に匿ってある。娘を幽閉するようで心は痛むが、命を落とさせる訳にはゆかぬのでな。陽のある時に余が自ら足を運ばねば、何人たりとも尖塔門を潜れぬのだ」
「そこはご心配なく。尖塔の周囲に三名の暗部らしき者が張り付いていますので目立つ行動は控えたく。のんびりも出来ませんので…ジェイド、俺が行ってくるから陛下に説明しておいてくれ」
「承知しました。陛下、ここはキル殿にお任せ頂きたく」
「う、うむ」
俺は徐にソファから立ち上がり、少し離れて瞬間移動の術式を発動する。
「ゲーティング」
月明りが差し込むその部屋は、皇女が暮らすには余りにも質素なものだった。
皇女たるその人物は窓辺に立ち、空に浮かぶ月を眺めていた。
月の光に照らされた長い髪が金色に輝いている。
俺は片膝を突き、努めて穏やかな声で語り掛ける。
「レイティア皇女殿下、お迎えに参りました」
「ひっ!?」
「ご安心ください…と言うのも無理な話でしょうが、害意はないので落ち着いてください」
「どど何処から!?ななな何者ですかっ!?誰かっ!誰かっ!!」
「ちょっと待てって!…まあ予想してたけどさ。えーと、扉の前の兵には眠ってもらった。俺は陛下とジェイドに助力する者だ。名をキルという。取り敢えず話を聞いてくれ」
「父上とジェイド…ほ、本当なのですか?」
「俺に害意があればもう死んでるだろ?大声を出されると外に張り付いてる暗部に気付かれるから勘弁してくれ」
「暗部!?…わ、わかりました。お話を伺いますわ…」
「まあ話と言っても大した話はない。これから俺と一緒に陛下の元へ行って貰う。話らしい話はジェイドから聞いてくれ」
「ジェイドが帰って来ているのですか!?ですが、私はこの尖塔から出られませんわ…」
「…面倒だな。少し近づくぞ?暴れてもいいけど大声は出すなよ?」
「ななななな何をする気で――」
「ゲーティング!」
「いやぁぁぁぁああ…あ…あ?父上!?ジェイド!?えっ!?えぇーーっ!?」
皇帝と皇女が顔を見合わせて唖然としている。
ジェイドは苦笑しながらも、身振り手振りで皇女と飛び込んで来た衛兵たちを落ち着かせようとする。
「レイティア殿下、どうか落ち着いてください。お前たちも問題ない故に持ち場へ戻れ」
「う、うむ。驚愕しておるのは余も同様であるが…レイティアよ落ち着くがよい。其方等もジェイドの言うとおり戻るがよい」
衛兵たちは一礼して退出し、皇女は状況が飲み込めないながらも皇帝とジェイドの言葉にコクコクと頷いた。
俺は皇女の身代わりを用意すべく、皇帝の膝上で寛いでいるグリムに視線を向けた。
グリムがヒュッと跳び降り、皇女の脚に纏わり付く様にして触れた。
皇女は驚きながらも小さく微笑み、グリムを撫でようと体を屈める。
「ちょっと待ってにゃ。先にお仕事にゃ」
「ひゃっ!?」
尻餅を突きそうになる皇女を尻目に、グリムが真っ二つに割れながら二匹の黒猫となった。
片方のグリムは体積を増していつもの大きさになり、もう片方のグリムは皇女の姿に擬態した。
「「………」」
こういう反応に飽き飽きしている俺は、無言で皇女型グリムと共に尖塔へ瞬間移動した。
「はあ…疲れるなぁ精神的に。グリム、後は頼んだぞ。殺されるか逃げるかの判断は状況次第になる」
「承知しておりますわ、ご主人様」
「ふむ…悪くない」
声や口調まで完璧に真似るグリムに感心しながら、俺は再び応接室へと飛んだ。
応接室ではジェイドが懸命に説明をしていた。
俺はソファに座り、いつ終わるとも知れないジェイドの説明劇を眺める事にした。




