第52話 トイレの使用仕様
新章開始です。
よろしくお願いします。
ギルドを出て屋敷へ向かい歩いていると、商業区のとある店舗の前で、盛大に値切り交渉をしている女性がいた。
闘志溢れる値切りだと思って視線を向けると、そこには見知った顔が三つ並んでいる。
「あ、キル様なの。会えて嬉しいの」
「こんにちはキルさん。キルさんたちも商業区で買い物ですか?」
「キャルレインにレイラじゃないか。俺たちは通りすがりだ。リリエラは派手に値切ってんな?」
偶然見かけたのはAランク冒険者の三人組パーティー、トライワンズだ。
リリエラが何を値切っているのかと店舗内を覗くと、馬車や荷車が並んでいた。
「ああ、馬車を値切ってんのか」
「リリエラは『希望額になってからが勝負よ!』が口癖なので…」
「もう一時間くらい値切ってるの。早く帰りたいの」
リリエラは至近距離にいる俺たちに気付く様子もなく、店員に詰め寄っている。
「リリエラだって子供じゃねーんだから、二人で先に帰ればいいじゃないか」
「まだ馬を買ってないの。だからリリエラ一人じゃ馬車を動かせないの」
「なるほど…」
買う順番を間違ってると思うのだが、俺がどうこう言う問題でもない。
とは言え、トライワンズの働きでSランクになれたとの思いもある。
俺はリリエラの肩を叩いた。
「よおリリエラ、あと幾ら値切りたいんだ?」
「えっ!?あら、キルじゃないの。どういう意味?」
「トライワンズの働きもあってAを跳び越えSランクになれた。偶然出くわしたのも縁だろうし、ボーナス報酬を出そうかと思ってな」
「ホント!?超嬉しい!この馬車が大金貨二枚って言うだけど、大金貨一枚にしてって交渉してたの!」
俺は収納庫から大金貨を一枚取り出し、親指で弾いてリリエラへ渡した。
それを受け取ったリリエラは『ありがとっ♪』と言うと、今度はスペア車輪や荷物を固定するラッチベルト類の価格交渉を始めた。
「まだまだ帰れないみたいだな…二人とも頑張れよ」
レイラは苦笑し、キャルレインは『行っちゃうの?』と縋るような目で俺たちを見た。
外見が小っちゃくて可愛いキャルレインにそんな目で見詰められると、思わず留まろうかという気持ちが湧いてくるから不思議なものだ。
俺は『悪いな』と何故か謝ってその場を離れた。
屋敷へ着いた頃には、太陽がその円形の殆どを公都の外壁に隠していた。
それでも夕食には少し早過ぎるため、俺は未だに両腕へと絡みつくルルとエルを引き剥がし、再び工房へと向かう。
工房内部は空間が拡張され、軍の大型格納庫くらいの広さになっていた。
奥の方にフェリの姿は見えるが、何をしているか全く判らない距離がある。
拡張しすぎだろうと思いながら、俺はフェリに向かって大声を上げる。
「フェリ―!作業台は何処へ置いたんだーっ?」
俺に気付いたフェリがフワリと浮かび、こちらへ飛んでくる。
距離が近づいてくるフェリは、箒に座って跳んでいた。
「お帰りなさいキル。作業台はあっちよ」
フェリが指差す方向に、作業台が小さく見えている。
「お前さぁ、拡張し過ぎだろうが。航空機を造るわけじゃねーんだから、逆に作業効率が落ちるわ」
「えーっ、広い方が喜ぶとおもったのにぃ…。ところで、こうくうきって何?」
「俺の前世では、大勢を乗せて空を飛ぶ金属製の鳥を、航空機って呼んでたんだ」
「すごーい!?キルの生きてた世界って魔術も発達してたのね」
「俺の世界に魔術は存在しなかった。その代わり…って事でもないが、科学って学問と技術が発展してた」
俺はフェリにザックリとした世界観を話して聞かせた。
フェリは目をキラキラさせ、身を乗り出して俺の話に聞き入っていた。
身を乗り出すが故に、時折たゆんっ!と揺れる爆乳とその深い谷間に視線が固定された。
そんな俺にエロ顔でにじり寄ってくるフェリを、間違いなく魔女だと感じた。
「このストライクガンも科学技術で造られたんだが、それを技神が魔導仕様に改造したんだ。俺の術式も科学を基にした仕様が多いな」
「ふーん。使徒とか関係なく、キルは元々賢い人なのね。益々大好きになっちゃう♪」
「ハイハイ、俺の昔話はここまでだ。俺は魔道具を造るから、フェリは空間を縮小してくれ。それが終わったらクリスタの手伝いでもして料理を学んでこい」
「はーい…」
そう言って頬をプクッと膨らませ、プイっと顔を背けるフェリを可愛いなと思いつつ、俺は魔道具製作に没頭した。
差し当たって必要な魔道具類を造り終わると時を同じくして、グリムが『ゴハンにゃ』と俺を呼びに来た。
ダイニングへ行くと、テーブルには相変わらず俺の好む料理が並んでいた。
「クリスタがいると、食事が抜群の安定感を見せるな」
「キルアス様は豪勢な食事よりも、バランスを重視されますから。このクリスタにお任せください」
「ルルもいっぱい手伝ったですぅ!」
夕食はチキンのトマト煮込み、クスクスの様な短粒パスタ、ジャガイモとベーコンの炒め、玉ねぎとセロリのスープ、デザートには蜂蜜とヨーグルトのフルーツ和えだ。
クリスタは未だに『私が同席して良いのでしょうか…』と遠慮するが、食事は皆で食べる方が美味いに決まっている。
この世界の身分制度には、すり込みにも似た頑なな部分がある。
満足感で満たされた夕食を終え、俺は一階、三階、四階のトイレ改修工事に着手した。
皆は俺がトイレを巡回しているのを不思議そうに見送っていたが、俺にとっては優先度の高い事項だ。
この世界のトイレは水洗ではない。
一般家庭では背の低い甕の様な陶器に用を足し、溜まった汚物を所定の場所へ捨てに行く。近所のゴミ捨て場に行くような感じだ。
貴族の屋敷や、公城でさえも水洗ではない。
流石に甕への直接排泄ではないが、背の低い木製タンスの上部に丸い穴が開いている物を便器として使っている。
パッと見は“家具?”という感じだが、汚物は下部の引き出しに収められた甕に溜まる仕様で、汚物処理担当の使用人が、夜な夜な捨てに行くという運用だ。
住人フロアのトイレ全十五器を改修した俺は、リビングで寛いでいる皆に対して宣言した。
「この屋敷に住む特権を一つ増やしたぞ!トイレが居心地の良いリラックス空間である事を知るがいい!」
「ご主人様がまた変な事を言い出したにゃ」
「黙れグリム!お前のような排泄を必要としないヤツには、生涯味わえない幸福感が在ると知れ!」
排泄行動を強制された皆は、非常に戸惑った表情のまま、各自の部屋にあるトイレへと向かった。
俺はリビングのソファに悠然と座り、数分後に巻き起こる状況を想像してほくそ笑む。
そんな俺を見るラウニとグリムは、『たかがトイレでしょ?』みたいな表情で呆れている。
「キル様!ルルはトイレに住むですぅ!!」
「キルアス様!エルは、エルは、この世の極楽を体験したのですよっ!!」
「キル!あれが科学なの!?あたし、もうアレ無しじゃ生きていけないわっ!!」
「キルアス様!あれは禁忌です!私などが使って良い代物ではございません!!」
ルルの感想はアホ丸出しだが、総じて予想通りのリアクションであった。
「素晴らしいだろ?温水洗浄に温風乾燥、強排気機能、便座温調機能まで搭載。しかもボタン一つ押せば、汚物は洗浄水と共に次元空間へ消え去る。ガッサガサの硬い紙で、デリケートゾーンがヒリヒリすることもない。女性は月の日でも清潔を保てる。どうだ、本棚でも置きたくなるだろ?」
皆から『天才!』『神!』と称賛された俺は、利便性と快適性を追求する日本人の飽くなき探求心に、心中で敬意を表した。
「キル様ぁ、ルルはもう普通のトイレが使えなくなったですぅ…」
「そうなのですよ…エルも迷宮へ潜るのが憂鬱になってきたのです…」
「ホントよねぇ…迷宮って転移術式が使えないものね…」
「キルアス様、私如きが王族すら持ち得ぬ設備を使ってよろしいのでしょうか…」
「フッフッフッ、お前たちは俺を甘く見てるのか?俺は迷宮ですら快適空間に変えて見せる!それとクリスタ、お前は俺の家族なんだから、これも当然の権利だと心得ろ。ゲストルーム以外は改修したから、俺たちが居ない間も堪能しまくれ!」
俺は皆から羨望の眼差しを受けつつ、大浴場へと姿を消す。
風呂で垢と疲れを落とした俺は、『脱衣所にも冷蔵庫が必要だな…』と考えながらパジャマに着替え、自分の寝室へと入った。
「お前ら…毎日ここで寝るつもりか?」
「キル様がルルを求めてくれるその日までっ!ですぅ♪」
「トイレも素晴らしいけど、あたしはキルの胸板なしには眠れないの♪」
「今更だからいいけどさ…せめて俺と同じようなパジャマを着ろよ」
今夜も見えてはいけない部分が盛大に見えているルルとフェリを左右に、俺は578,311匹目の羊を数えて眠りに落ちた。
小鳥の囀りに刺激されて目を覚ますと、ルルとフェリの姿はベッドから消えていた。
二人の動きに気付かず寝ていた自分の感知能力に、多大な自信喪失感を覚えながらも身支度を整える。
一階のリビングへ降りると、ルル、エル、フェリ、グリムの迷宮探索組は、装備を整えて待機していた。
「お前たち、何でそんなにやる気満々なんだ?」
俺の問い掛けに返された言葉は、一様に『快適な迷宮探索が楽しみだから!』というものだった。
洗浄機能付きトイレが、これ程のモチベーションアップに貢献するとは…
斯く言う俺も、前世で戦場へと赴く度に、普通の便器を見て憂鬱になったのだが。
「じゃあ行くか。状況次第ではあるが、一気に迷宮最深部まで到達する心構えで行くぞ。クリスタとラウニは留守を頼むな」
「畏まりました。朝食にサンドウィッチを作りましたので、歩きながらでもお食べください。皆様、お気を付けていってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいー」
クリスタとラウニの見送りを受けて、俺たちは瞬間移動で迷宮近傍の雑木林へと飛んだ。
迷宮までの道すがら、クリスタのサンドウィッチを皆で食べる。
テスラ大迷宮は公都から100kmほど離れていることから、入り口付近には数軒の宿屋や道具屋の置かれた小さな町がある。
その町は、誰が呼んだか“迷宮入町”の名称を持つ。
希に迷宮から小型の魔獣が這い出す事態も発生する為、迷宮入町には小隊規模の騎士団と、有事の速報を役目とした召喚魔術師が常駐している。
地上の迷宮入り口には、探索者ギルドが費用を負担して冒険者ギルドが派遣する、警備担当の冒険者二名が立っている。
俺たちは、迷宮入町にある探索者ギルド出張所で迷宮進入者名簿に記帳し、迷宮入口へと向かった。
迷宮入口に近づくと、警備の冒険者が声を掛けてきた。
「ん?誰も荷物を持ってない様だが、迷宮に潜るのか?」
「そうだ。手には持っていないが、道具類はちゃんとある」
俺はそう答えて冒険者証を提示した。
「SランクのトリプルA!?す、すいませんでした!あ、拡張バッグを持ってるんですね!」
「まあそんな感じだ。入るぞ?」
「ハイッ!皆さんに神々の加護が在らんことを!」
俺は『神々の加護で最奥へ行けるなら苦労はしねーよ』と心中で呟きながら、初めての一歩を踏み出した。
地上の入り口には5m四方の小さな石室が建てられており、石室の中には下り階段があるだけだ。
階段を降りた先の迷宮内部は、緑光石と呼ばれる鉱物で照らされている。
照らされていると言っても、視界は20m程が限界という明るさだ。
一階層から十九階層までは、ゴブリンやコボルト、ホーンラビットといった弱い小型魔獣しか出現しない。
トラップも幾つかあるが、探知をしなくても目視で判別できる様な稚拙な物ばかりだ。
「ルルは迷宮に潜るの久しぶりですぅ」
「エルは一年ぶりくらいなのです」
「あたしは…三百年ぶりくらいかしら?」
「僕はこの前来たにゃ!」
フェリの三百年ぶり発言に苦笑しながら、俺たちはトラップと魔獣を避けて先を急ぐ。
七十九階層までの潜行ルートはグリムがマッピング済みなので、グリムを先頭にして魔獣探知で魔獣を避けつつ進む。
「さて、何もしないまま二十階層まで来たわけだが…階層主と戦いたいヤツいるか?」
…あれ?
エルあたりが『戦いたいのです!』とか言うと思ったが、どうやら戦うのは中層以降でいいらしい。
ということで、階層主はスルーして進むことになった。
階層主は巨大な扉がある部屋の中にいて、その部屋からは出てこない。
一度でも討伐された階層主は、扉の前に下層へ降りる階段が出現する。
階層主は周辺に出現する魔獣より圧倒的に強いので、修行中の探索者は階層主との戦闘で経験を積むらしい。
実際、二十階層の階層主の部屋の前には、八組のパーティーが列を作って待機していた。
「なあ、階層主ってそんなポンポン生まれんのか?」
「浅い層の階層主ほど、再誕までの時間が短いのですよ。二十階層なら十五分くらいで再誕するです」
「へー。じゃあ六十階層はどれくらいだ?」
「確か一時間くらいだったと思うのですよ。ただ、深い階層では極稀に特異種が出現するです。特異種は普通の階層主よりすっごく強いのです。安全マージンが取れない様なら、即時離脱が鉄則なのです」
階層主の特異種なんているのか。百八十階層とかで特異種が出たらヤバくね?
あ、フラグ立てちまったかな?
そんな事を考えつつ、俺たちは一先ず中層を目指して潜行を続けた。




