第19話 お礼と感謝と新たな問題
セリーは眠ったまま起きなかった。
春が近い時期とはいえ、夜はまだまだ冷える。
ソファに放置しておくのも気になったため、俺はクリスタと近衛兵を呼んで、セリーを自室へ運んで寝かすよう頼んだ。
「キルアス様、おはようございます。ご朝食はお部屋で摂られますか?」
「おはようクリスタ。そうだな、父上が面倒だから此処で食べるよ」
「ふふ。陛下のことを面倒だと言われるのは、キルアス様くらいです」
今朝のクリスタは妙に機嫌が良さそうだ。
俺が“母さん”と言ったからだろうか。
そんなことを考えていたら、記憶に新しい魔力波動が急接近してくるのを感じた。
ノックも無しに扉がパンッと開かれ、満面の笑みを湛えたセリーが飛び込んで来た。
「キルアス!」
大きな声で名を呼びながら、セリーは俺に熱い抱擁をした。
「…」
「…何で無言なのよ?う、嬉しいくせに?」
「セリーに抱きつかれても、何の感慨も湧かないんだが?」
「もう!キルアスは何でそんなに意地悪なの!?私はこんなにキルアスのことが…キルアスのことが…」
「…禁断の姉弟愛とか、マジ勘弁な?」
「そ、そんなんじゃないわよ!キルアスのバカ!…でも、ありがと」
頬を赤くしながら、セリーは俯き加減でそう言った。
まあ、気持ちは解る。
こうして見ていても魔力循環には淀みがなく、魔力袋が解放されたからか、内包魔力の総量も五割増しくらいに感じられる。
「小さな火弾、作ってみなよ」
「うん!」
人差し指の先に作られた小さな火弾は、形も魔力も必要十分に安定している。
「いいんじゃない?お祝いに、炎熱の理を教えてやるよ」
「本当!?やったぁ!キルアス大好き!」
「はいはい。セリーは、なぜ火が燃え続けるか解るか?」
「え?魔力でしょ?」
「間違ってはいないが、答えとしては20点だ。燃焼を継続・促進させるには、助燃剤の供給が必要なんだ」
俺は大気中の酸素分子を分離する術式を、魔法陣の形式で紙に描いた。
「この魔法陣は、空気中に含まれている酸素分子という助燃物質を分離する術式だ。地表付近に存在する空気中の酸素分子比率はほぼ一定で、安定同位体として質量も決まっている。空気の量が変わっても、酸素の安定同位体を特定することで、酸素分子だけを分離できるわけだ。解るか?」
「解んない…けど、魔法陣のここが空気で、ここが酸素分子?を特定してて、空気中の酸素分子が分離される…っていう意味?」
「それだけ解ってれば十分だ。それで、この魔法陣に火弾の魔法陣を付加すると…こうなる」
「わぁ…。作った火弾に分離した酸素分子が供給されるんだ?」
「そういうことだ。酸素分子を分離・供給する術式を止めない限り、作った火弾の燃焼は促進され続ける。この魔法陣を発動してみな」
セリーが魔法陣に魔力を供給すると、魔法陣の上に小さな火弾が発現し、酸素が供給されて燃焼が促進された。
炎の色が暗赤色から鮮やかな赤、黄色、青へと移り変わっていく。
「この辺が酸素で熱を上げられる限界だな。この状態でも、普通の火弾の熱エネルギーに対して三倍くらいにはなってる。時と場所に気を付けて使えよ?」
「うん!ありがとうキルアス!これは…お礼よ!」
チュ!
少し踵を浮かせて俺の頬にキスをしたセリーは、魔法陣の紙を抱きしめながら、走って部屋を出て行った。
あの魔法陣は使い切りなんだが…まあいいか。
扉も閉めずに走り去るセリーを目で追うと、そこには俺と同じくセリーを目で追う三人が立っていた。
母上、アレイスト兄上、クリスタの三人だ。
三人の表情は三者三様ではあるが、驚きを含んでいる点は同一の様だ。
「キルアス、貴方…いつの間にセリーシェとそういう関係になったのかしら?」
「セリーシェのあんな表情、僕は初めて見たよ。キルアスは隅に置けないなぁ」
「キルアス様は、皆様に愛されるべく生まれてこられた御方ですから!」
「母上、兄上、クリスタ、三人はとんでもなく迷惑な誤解をしてるからね?」
兄上は昨日と比べて格段に顔色が良いようだ。
母上に治癒術式をかけて貰ったんだろう。
「それで?二人は何しに来たの?」
「ああ、そうだった。キルアス、僕は改めて感謝の気持ちを伝えに来たんだよ」
「そうよキルアス。私は母としても、テスラの大公妃としても、貴方に最大の感謝を捧げるわ」
「大袈裟で他人行儀だなぁ。俺たちは家族なんだから、そんな気にしなくていいよ。それに、兄上の治療は俺自身の為でもあるんだし」
「そうだとしても、僕はキルアスに感謝しているんだ。この二年間、僕は自分が何のために生まれてきたのかと、悩み続けていたからね」
「兄上、その気持ちは受け取っておくよ。そうだな、兄上にもセリーと同じく、何かお祝いを送ろうか」
俺はクリスタが運んできた朝食用の銀のスプーンを手に取り、錬成魔術で八芒星を模ったペンダントトップを造形した。
そこへ刻印魔術で解毒と壮健の術式を刻み、錬金魔術で魔力を込めた。
俺の魔力を蓄えた銀が、白銀の光沢を放つペンダントトップへと生まれ変わった。
「これには解毒と壮健の術式を刻印しておいた。体に接触するよう身に着けていれば、身体に有害な毒物や病原を浄化してくれるよ。あ、チェーンは自分で調達してね」
「キルアスは…凄いな。先程も父上と朝食を共にした時に話を聞いたが、僕の想像を遥かに超える能力だよ。ありがとうキルアス。これは大切にするよ」
なんだろう…俺は人に感謝されるのが苦手らしい。
憎み憎まれ続ける前世だったから仕方ないが、体は変わっても性根までは変えられないのかもしれないな…
母上と兄上が退出した後、俺はちょっとした自己嫌悪に陥りながら朝食を摂った。
ああ、そうだった。性根を叩き直さなきゃならないヤツがいるじゃないか。
クリスタに食器を下げて貰い、俺は意識の中で絶叫した。
『おい駄僕神!ちょっと来い!…ぅおいっ!!』
『キルアス殿、主神様は手が離せない状態です。言伝があるなら承りましょう』
『ウィスドム?僕神が逃げたのか?』
『そうではありません。まあ、ふらりと果ての宇宙を散策されることはありますが、今はこの星のために手を尽くしておいでです。キルアス殿には余り話すなと言われてはいますが、貴殿にも知る権利はありますな。差し障りのない範囲で、この星の現状をお伝えしましょう』
ウィスドムの話は、なかなかにセンセーショナルだった。
色葉の封印結界が弱まり始めたことで、破壊神は邪念の権能を使える状態になっていた。
魔族や魔獣の中には、先天的に邪な強思念をもって生まれてくる固体がいる。
それらの固体が破壊神から邪念を植え付けられると、隷属的に破壊神の意に沿った行動をとり始める。
破壊神の意図は、隷属者を使ってエレメントの力場を弱め、引いては、エレメントの分身とも言える大精霊の力を削ぐことにあるという。
各エレメントは、相乗効果によって各々の力場を堅持している。逆説的に言えば、一つのエレメントが力場を弱めれば、他の力場も弱まってしまう。
色葉の封印結界が弱まっているとは言え、その物理的、且つ、魔術的な拘束力は未だ強固だ。最凶の破壊神と言えど、身動ぎ一つ出来ない。
しかし、色葉の転生体はハイエルフであり、亜神化はしていても、その本質は大精霊だ。
不滅の神格を持つ破壊神からすれば、どれだけの時をかけようとも、最終的に大精霊たる色葉の封印結界を弱めることが出来れば、それで勝ちなのだ。
「ってことはだ、セリーに呪縛を仕掛けたのは、破壊神の隷属者か?」
「間違いなく隷属する悪魔です。魔獣に呪縛の業は使えませんからな」
「でもさ、セリーの魔術を封じる事に、どれ程の意味があるんだ?」
「そこに破壊神の意図は関係なく、むしろ悪魔の都合に因るところですな」
魔族とは、冥界の住人である悪魔たちを、人々が便宜的に呼称しているに過ぎない。
また、比較的容易に顕現できるのは、下級から中級の悪魔でしかない。
下級や中級の悪魔は、人系種族が抱く怨念や妬み、嫉みといった負の感情を糧としつつ、その負の想いを代執行する契約を結んで憑依顕現する。
対して、エレメントの守護者の血統は、その加護もあって、成長すれば下級や中級の悪魔に敗北することはない。
だからこそ、隷属者となった悪魔たちは、将来的な脅威となる守護者の血統が成長する前に、弱体化させる対策を施しているのだという。
「何とも気の長い話だな。ま、悪魔ってのが総じて弱いのは好材料だ」
「それは誤認というもの。悪魔将クラスになると、守護者の血統でも伍するのが精々です。更には、極めて少数ですが、悪魔公という最上位の悪魔もおります」
「悪魔公、そう言えば前に聞いたな。やっぱ強いんだ?」
「紛うことなき強者ですな。悪魔公には明確な位格があります。人間界でいうところの爵位相当ですな。但し、悪魔公の位格は、強さのみで決まります」
悪魔公には第一位格から第五位格まであり、各位格の強さには大きな差がある。
悪魔が位格を上げる方法は唯一つで、それは上位格の悪魔を打倒すること。
また、第一位格の上には、冥界を支配する悪魔が就く王位格もあるらしいが、個の強さのみを追求する悪魔という種の特性上、集団や社会を形成して冥界を支配するという観念が薄いため、王位格に就こうとする悪魔は極々希だという。
当然ながら、王位格に最も近いのは、第一位格の悪魔公である。
冥界と現界の境界には、悪魔の顕現を阻む防御ネットのような物が張られている。
その防御ネットは、現界を滅ぼしかねない力を持つ、より強い悪魔の顕現を阻む事を目的として、僕神が創造したらしい。
比較的に弱い下級や中級の悪魔が顕現し易いのは、イメージ的に言うと、防御ネットの大きな網の目を潜ることが出来るからだという。
悪魔もカテゴリーとしては精神生命体に属し、より上位の悪魔になる程、精神生命体としての不滅性が高くなるという。
悪魔公クラスになると、その不滅性は非常に高く、千年前後でほぼ確実に再誕する。
第一位格の悪魔公など、凡そ神に近しい存在値を示すらしい。
下級や中級の悪魔は、人系種族への憑依という形で顕現できるが、より上位の悪魔になる程、顕現は難しくなる。
例えば、悪魔公クラスが憑依で顕現しようとしても、憑依先となる人系種族の器が、その強大な力に耐えられずに崩壊してしまうという。
実のところ、キルアスという俺の転生体は、数千年に一人生まれるか否かという強大な器であり、境界の防御ネットがなかったら、悪魔公クラスの悪魔が顕現を果たすべく、受肉をしただろうという話だ。
「何それ、神と悪魔の争奪戦かよ」
「然り。キルアス殿、いや、神木刻斗殿がキルアスとして転生した事は、我々にとって正に僥倖と言えます。それも“世界を護る”という主神様の強い意志あっての結果ですが。因みに、この五千年ほど第一位格として冥界に在る悪魔公は、魔神ディアベラと伍するであろう程の強者です」
「マジか!?神とタメ張る悪魔ってどうなの…。そう言えば、僕神は何してんだ?」
「それは詳しく言えませんが、亜神フィルアーテ、いや、神前色葉の助力をしておられます。無から有を創れる主神様にしか担えないお役目を、とだけ伝えておきましょう」
「…何故、詳しく言わない?」
「それをすれば、キルアス殿が直ぐ様にと動くからですな。改めて伝えておきましょう。キルアス殿、貴殿はまだまだ弱い。破壊神に挑むどころか、神前色葉に助力することすら叶わぬ程に」
「くっ!?そうか…俺は全然足りてないか。解ったよ、今は力をつけることに専心しよう」
「ほう、存外に聞き分けが良いのですな」
「俺だって前世では戦闘のプロだったんだ。何の勝算もなく敵に挑むなんざ、無駄どころか糞虫未満だ。その敵が、必滅させる対象であるなら尚更な」
「キルアス殿の判断は正しい。貴殿であれば、道を誤ることはないでしょうな。その貴殿に助言を一つ。特段と急ぐ必要はありませんが、時期をみて進化をされるが宜しいでしょう。人の理から外れておる故、相当なる苦痛を伴いますが、必ずや貴殿に利を齎すでしょう」
ウィスドムはそう告げて去った。
ふぅ…。
急がば回れとは言うが、回るにしてもダラダラはしてられねぇな。
先ずは今代・次代の守護者とエレメントの問題か。
それなりの強者と殺り合わないと、戦闘勘も鈍るだろうしな。
擬かしくも悩ましい想いを抱えつつ、俺は今後の行動に思考を傾けた。




