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桜の景色

作者: 岸田龍庵

この作品は曹洞宗永平寺の当時104歳の宮崎奕保禅師に触発されて書きました。

もちろん宮崎禅師は生涯独身で肉食を一切することなく、104歳になっても雲水と同じような日々を送られたお坊さんです

「おまえさんは何もわかっておらん」

 ということを御年百歳を越える老人、それもお坊さんに言われると、

「俺って何も解っていないんだな」としんみりと思ってしまう。

「はあ」としか返事できなくても仕方がない。

「そうは言っても」お坊さんはぽつりと言った。

「わしも何もわかってはおらぬ」と続けた。

 そう簡単に言われると、こっちはますます困ってしまう。

 百歳越えるお坊さんが何もわからないと言えば、私は一体何をどれだけわかっているのだろう?

「何もわかっておらぬから、こうして生きているのじゃろうな」

 そういって私の祖父は茶をすすった。こういうことを「禅問答」というのだろうか。


 私の祖父は日本最高齢のお坊さんだ。

 百歳を越えてなおカクシャクとして、宗派の総本山のお寺の住職で、事実上日本最高位のお坊さんだ。

 通常であれば義務も仕事もない悠々自適の老後の生活を送っていてもおかしくない年齢だが、祖父の生活はそんな物ではない。

 考えようによっては勤め人の私よりもハードな日々を送っている。

 毎朝、四時前に起きて「おつとめ」を休むことなく送っている。一日中、坐禅をし、読経をし、写経する、働く百歳である。

 しかもそんな生活を八十年以上続けているのだから祖父自身が生き仏のようなものだった。

 その生き仏のような祖父が、

「お前は何もわかっておらぬ」というのだから孫の私は本当に何もわかっていないんだろう。


とはいえ、


「何もわかっておらぬ」と言われるために私は祖父の寺を訪れたわけではない。私の父、つまり祖父の息子のことについて来たわけなんだが。

 大変奇妙かと思われるかも知れないが、私の父は牧師という仕事をしている。神父ではなく牧師。

 どっちにしてもキリスト教に仕える身だ。父はプロテスタントなのでカトリックの神父のように生涯独身ということはない。もし父が生涯独身というのならば私は生まれていないのだから。

 その父が危篤なのだ。父を見舞って欲しいと私は祖父の所に頼みにきたのだ。その答えが「お前は何もわかっておらぬ」だった。




 私は禅僧の祖父と牧師の父を持つことで双方の教義にも詳しい。詳しいといっても一般の人に比べたら、というレベルでしかないが。

 仏様と神様に仕える身内を持ったわりには私は思いきり無信仰な人間だ。

 家族と一緒にクリスマスケーキを食べて大晦日には年越しそばを食べてからお寺に二年参りに行って、神社でおみくじを引きに行くことをなんの疑問に思っていない。

 そういう意味から言うと私は祖父の言う通りに「何もわかってない」人間だ。神も仏もごちゃ混ぜだ。しかし祖父のように「何もかも判った人間」になるには一体どれくらいの修行をしなくちゃならないというのだろう。申し訳ないが妻も子供も仕事もローンもある私には修行をしている時間はないわけで。


「何もわかっておらぬ」私にも家族の情というものは解る。仏に仕えて、家族よりも距離を置いた世界にいる祖父よりも、私は家族の情が解っているつもりだ。

 父の話では祖父は仏に仕えるために家族を残して、いや捨てて仏門を叩いたそうだ。

 そういう祖父の姿を見てきたからこそ、父は別の神に仕えるようになり、その父子の姿を見てきたからこそ、私はどの神様にも頼ることをしてこなかった。

 蛙の子は蛙ではない。

 そういうわけで私には父も祖父もあまり身近な存在ではなかった。

 祖父に写経のセットをもらったことはあってもお年玉なんかもらったことはないし、父には教会につれていってもらったことはたくさんあっても、遊びに連れて行ってもらった思い出はない。


 牧師の父と一般人の私がそんな親子関係だったわけだから、お坊さんと牧師の間に親密な関係があるわけがない。疎遠になるなというのが無理な話だった。

 仏陀でもキリストでもいいのだけれど、お見舞いくらい来てもいいじゃないか。今の関係はどうあれ血を分けた親子なんだし。人間の情が判らなくて何が判るというのか。「何もわかっていない」のは誰なのだ?そんなことを言おうとする前に祖父は私に、


「わしも何もわかっておらぬ」と言ったから言葉をひっこめざるを得なかった。

 しかも祖父は続けて「だから生きているんだろうな」と言った。


 禅問答。そうとしか思えなかったが、全くわからない禅問答ではなかった。祖父は私に何かを伝えようとしている。だからこそ禅問答をして見せたのだ。一般人の私にも判るように。

「明日は何をしておる」祖父は聞いてきた。

「当然仕事ですが」明日は月曜だ。しかし祖父には日曜も月曜もない。だいたい日曜日から始まって土曜日に終わる週間は西洋式だし、元々は聖書に由来があるものだから、そんなものに祖父が左右されるとは思わない。

「明日、わしのことを外国のテレビの人が撮影をしにやってくる」私の答えとは関係ナシに祖父は言った。「お前も見に来い」と祖父はあっさり言った。

「ちょ、ちょっと待って下さい。明日は私は仕事に行かないと」

「そんなもの休め」明らかな命令形だった。

「そんな、いくらおじいさんの言うことだって、聞けないことはありますよ。おじいさんにお勤めがあるのと一緒で私にも仕事があります」

「一期一会という言葉を知っているか?」

 祖父はまた違う質問をしてきた。

 私は祖父の問いに頷いた。

 一生の内に一回あるかないか不思議な縁とか出会いとかそういう意味のはず。

 それが明日の祖父のテレビの撮影となんの関係があるのだろうか?

「その一期一会が、私が会社を休むこととなんか関係があるんですか?」と祖父に聞いた。

「お前は何もわかっておらぬ」祖父またもや言った。「お前は一期一会の上辺だけしかわかっておらぬ」そういって祖父は茶をすすった。


 一期一会にほかにどんな意味があるのだろう?


「わしは百年生きてきて、たくさんの人に会った。国の元首、大臣、王様、社長、世界一になった人、文学に生きる人、喋るよりも絵を描いて物を言う人、宇宙に行ったことがある人、一番深い海に潜ったことがある人」祖父は今まで自分が出会ってきた人を並べ始めた。

 そりゃ、そうだろう。祖父はちょっとした有名人だ。日本最高齢の禅僧で、宗派の総本山のお寺の住職をやっているのだから有名にならないはずがない。会社で新商品の開発をして部屋にこもりっきりの私に比べたら人に会う機会は多い。

「百年生きてきたわしもテレビの仕事をしている人間に会うのは初めてだ。

 わしは年を取りすぎた。もうテレビの人間というものに会う機会もないだろう。これがわしがテレビの人間に出会う最期の機会だろう。だからおまえも来い」祖父は私の顔を見て言った。




 自分とは違う分野の人たちの仕事を見るというのは初めてだ。

 なんせ開発部は一日中会社にこもっていることがほとんどだからだ。下手をすれば同じ会社の人間がどんなことをしているかもわからない。

 その私がテレビの人たちの仕事ぶりを見ている。率直な感想を言うととても新鮮だった。良く考えれば人の仕事を見る機会というのはそうそうない。

 それにしてもテレビの人たちはきびきびしている。

 動きが早いわりに雑な所は一つもない。祖父の執務室を縦横無尽に動いている。動きに無駄がまったくない。

 注意深く観察していると一口にテレビ屋と言ってもそれぞれ役割があるようだった。

 撮影をする人、音声を録音する人、照明を使う人、とりまとめする人、通訳をする人。完璧なチームワークで動いているのが美しかった。

 このチームは日本人と外国人(アメリカではないかもしれないが英語で会話をしているらしい)の混成だった。カメラマンと音声、とりまとめをしている人間が日本人と外国人がそれぞれ、照明と通訳が日本人。

 言葉の壁があるはずなのに、どういうわけか事がスムーズに進んでいる。

 すべての会話に通訳が絡んでいるわけではなかった。

 外国人のカメラマンは照明と音声の人間に普通に英語で話しているが、日本人スタッフは平気で受け答えをしている。

 同じ業種だから言葉は関係ないのだろうか。ウチの会社では同業でも話が通じないことの方が多いのに、このチームワークは見事だった。



 しばらくしてテレビで見たことがある小説家が入ってきた。

 とりまとめをするディレクターと小説家の話と通訳の会話を聞いていると、どうやら小説家は祖父と対話する役目らしい。

 私は祖父の身内だからという極めて単純な理由で、この撮影現場に入ることを許された。ずいぶん簡単にテレビ撮影の仕事を見学できるものだと思ったが、これはそんなに単純な話じゃない。

 祖父が取材を受けるとか、私が祖父の孫だとか、この時期に取材の要請があったとか、いろいろな要素が絡み合って私はこの場所にいることが出きるわけだ。

 仏教ではこれは「縁」というらしい。その縁の中に私もいる。

 大体、禅僧の祖父が外国のテレビに撮影をされること事態が特別なのじゃないだろうか。


 準備が終わったらしい。

 せせこましく動き回っていたテレビ屋がまったく動かなくなった。待っていた。祖父の登場をじっと待っていた。無駄口も叩かないし、そわそわした様子もない。本当に待っているだけだったが、その様子がとても完成されていて美しかった。

 撮影スタッフにとっては、こういうことは日常の仕事の一つなのだろう。私の仕事には待つということはほとんどない。待つことも仕事になるのか。

 祖父が入ってきた。両脇をお弟子さんの補助を受けて自分の椅子に座った。孫の私には目もくれない。まるで石か置物のような扱いだった。

 祖父と小説家は挨拶をしている。どうやらこの二人は今日が初対面ではないらしい。かつて親交があったらしいが、ひょっとすると私が祖父と会った回数よりも多くの親交を深めているのかも知れない。

 祖父と小説家は会話を始めていた。とても自然な対話だった。



「暦が下がったというのにまだ寒い日が続いてますね」小説家が言った。

「まあ、暦は人間が決めたことやからな。自然は暦通りには動かん」

 というやりとりがインタビュー撮影の始まりだったということを知ったのは、撮影が大分進んでからのことだった。

 インタビューと言うからには、さぞかし堅苦しいことから始まる物かと思っていたが、日常的な会話が進んでいた。

「いかがですか、お体の加減は?」

「同じ体を百年も使っていると、さすがに具合が悪いこともある。ま、別段お勤めするには不便だと思う所はないけどな」

 聞き手が敬語。喋り手も敬語だとばかり思っていたが、祖父は祖父の言葉で喋っている。私と喋る時の口調と何も変わっていない。

「では、今日もお勤めを」

 小説家の問いに祖父は頷いた。

「ご苦労様です」

「ご苦労もなにも、わしにはありゃしない。何年経っても毎日毎日同じ事を工夫も能もなしに続けているだけだ」

「しかし住職になられてからも毎日お勤めを続けるというのは頭が下がります」

 そうだろう。企業で言えば社長が朝の掃除をやっているようなものだ。

 当人はそれで良いかもしれないが、下の人間は大変だ。上の人間にはおいそれと動いてもらっては困ることもあるからだ。

「わしはたまたま皆に代わって住職をやっているだけだ。御仏の前に住職も雲水もない。皆、仏に仕えておる。つまりはわしも修行中ということだ」

「しかし同じ事を続けているという事がすごいのですよ。一般人の私から見ると」

「大したことではない。わしは師匠の真似事をしているだけじゃ」


 師匠?禅僧として恐らくはこの国の頂点に立っている祖父に師匠などいるのだろうか?


「師匠ですか?禅師に師匠ですか?」小説家は私と同じ疑問をそのまま聞いた。禅師というのは当然祖父のことを言っている。

「わしの師匠は自然だ」祖父は言った。

 自然?自然に何を学というのだろうか?

「自然ですか」

 小説家の言葉に祖父は頷いた。

「自然とは、この伽藍(がらん)の周りにある、野山とか川、海に空とかそういうものですか?」

 次の問いにも祖父は頷いただけだった。

「その自然に習うところがあるわけですか?」

 次の問いに祖父は応える代わりに小説家の方を指さした。祖父の指の先には窓があり、窓の外は桜が花を咲かせていた。

「ははあ、キレイですね」小説家は体をひねらせて桜をしばらく眺めていた。

 もともとが喋るのに慣れているのだろうか。小説家はそれが当たり前だというように感嘆の言葉を言った。

 私自身は桜を見ても「キレイだ」とは思うかも知れないが、それを口に出すようなことはない。それをサラリと言ってしまえるから、小説家であり聞き手というちょっと変わった仕事ができるのだろうか。

「あのキレイな様が禅師が見習う所なのですか?」

「そうでない。そういうことではない」


 じゃあどういうことなんだろう?と、小説家が質問を続けるものかと思っていた。

 ところが、小説家は黙っていた。じっと祖父を見て黙っていた。祖父が喋り出すのを辛抱強く待っているようにも見えた。


「自然は立派だ」祖父は、ようやく口を開いた。何が立派なのか?今度も小説家は質問をしなかった。またもや祖父が続きを言うのを待っている。

「自然の法は、ほとんど違わない」祖父はゆっくりと続きを始めた。

「わしは日記を付けているが、去年と一昨年、それに今年と花が咲く日はほとんど違わない。花が散る日もほとんど毎年同じだ。

 自然は毎年毎年、決まった時期に決まったことをする。誰にほめられたいと思わんし、これこれの報酬をもらえるとも思っておらん。ほめられるから美しい花を咲かすわけではないし、作物の報酬がもらえるからといって雨を降らすことはない。

 時が来れば花を咲かし、黙って過ぎ去って散っていくのを見送っておる。それをただただ黙って続けておる。

 立派とは思わんか?」

 説法のような祖父の語りは唐突に質問に変わった。


「立派ですか・・・」禅問答に対する質問の切り返しを小説家はして見せた。

「人の営みはどうじゃ?誰かにほめられたいから人の役に立つことをする。いくらかの報酬があるから仕事をする」

「おっしゃる通りです」

「心が穏やかではないからだ。自然のように平気でいられないからだ。何かしらの見返りがないと心が穏やかでいられない。

 だから自然の法則を真似て人が暮らすのが正しい。心穏やかに過ごすことこそが正しい。

 修行というと、坐禅(ざぜん)托鉢(たくはつ)、読経であると思うだろうが、実はそうではない。

 生きているすべての行いが修行なのだ。

 朝起きる、食事を取る、人と語らう、人の話を聞く、就寝をする。これすべてが修行だ。平気で日々の営みをすることこそが修行だ。

 靴を脱ぐ。脱いだ靴が乱れておるのは、心が乱れておるからだ。背筋が曲がっている。それは心が曲がっているからだ。心を穏やかにしておれば、すべてが穏やかに過ごすことができる。

 わしはそのように過ごしたい。じゃがそれはとても難しい。

 自然はそれができておる。そやからわしは自然を習いたい。そやから未だにわしは修業中だ」

 祖父はそういって小説家の背中の向こうにある窓の外を眺めていた。

 窓の外には祖父の師匠の自然が見える。


「わしは八十年近く自然の姿を見て修業を続けてきたが、未だに自然と同じように平気な心で一つの季節を過ごしたことはない」祖父はしみじみと言った。

 恐らく門下の誰にも言ったことのない類の言葉だろう。


 未だに修業中。


 こういうほとんど誰にも言ったことがないようなことを引き出すのは聞き手の腕なのだろうか?

「今は、人が平気で生きることが難しい時代なのかも知れんなあ」

 自身の話から一転、祖父は大局的なことを言った。

「平気で生きる・・・ですか?」

 少し間を空けて小説家は聞いた。こういう間の取り方と質問が、祖父から今まで誰にも喋ってないようなことを言わせるテクニックなのだろう。


 ここまできて、私はこのインタビューが打ち合わせとか出来レース的な物ではないという事がわかってきた。二人は本当に語らいをしていた。

 カメラがいようがマイクが突き出ていようが、ライトが照っていようが身内の私がいようが関係なく喋っていた。それが祖父と小説家の雰囲気で判った。


「自然は時が経てば平気で移り変わってゆく。自然に生きる物は死ぬ時になったら平気で死ぬ。命を延ばすことも縮めることもしない。

 だが、人はそれができない。死ぬ時になったら平気で死ぬことができない」

 それはそうだろう。だからこそ人間なのだと私は思うのだけれど。

「例えば、こういうことでしょうか?人が自然の中で生きていない。夏はクーラーで涼しくし、冬は暖房をかける。空を汚し海を汚し、山を切り開き川をせき止め、自然ではない生き方をしているということですか?」

「大局的にはそうじゃろうが」祖父は言ってから少し考え込んだ。

「そう小難しいこともあるまい。(ちぎ)りを結んでおれば残して行く人が気になるだろう。たくさん財産があれば行方が気になる。人には平気ではいられないものがたくさんある。そうではないかね」

 祖父の言うことが大局的なことから小さな物事に見方が移ってきた。

「かく言うわしも心は穏やかではない」祖父は勝手に喋りだしていた。「わしには牧師をやっている息子がおる」

 撮影現場の雰囲気が変わった。誰も喋ることはないしガタガタと動くわけでもない。だが現場は素人の私から見ても騒然となった。

 祖父の、百歳を越えてなお仏に仕える、宗派の最高位の人間であり、修業を続ける住職の口から私的なことが語られたことにみんな騒然としていた。


「その息子は今、死の床にいるのじゃ」

 その一言に、みんなが祖父に注目していた。

 それは注目もするだろう。禅僧の息子がキリストに仕える牧師で、さらに危篤状態にあるというのだから、祖父の言うように心穏やかな状態ではない。

 しかもそれをインタビュー撮影中という記録が残る場で言ったのが、騒然とするのに拍車をかけていた。

「ごめん、カメラとめて」

 異変をいち早く察知したのは、聞き手の小説家だった。話がプライベートなことに及んだから録画を止めさせたのか、それとも撮影しても放送できない内容の話だからなのか、それは私にもわからない。

 ただ、その場の空気が和やかなものから、張り詰めたものに変わっていた。緊張していた。

「いや、かまわん。撮影は続けなされ」またもや祖父が驚くようなことを言った。

「撮影するのがあなたたちの役目だろう。そのために今日、ここに来たのだろう。ならば撮影を続けない。わしは一向に構わん」

「しかし、禅師」言ったのは聞き手の小説家だった。

「撮影したものを、どう扱うかわしにはわからん。だが、わしはおかしいことはなにも言ってはおらん。撮影しようと止めようとわしには言う筋合いではない」ぴしゃりと祖父はいった。

 小説家と撮影スタッフがアイコンタクトをしている。それが、どういう合図なのか私にはわからなかった。

 ただ、判ったことは対話は続けられたということだった。


「こうして話をしている間も、わしの心は穏やかではない。いつ息子が常世(とこよ)に旅だってしまうかもしれん。八十年、修業を続けてきたわしじゃが、孫のたった一言『父が危篤』という言葉だけで心が穏やかではなくなっている」

「それで、禅師はお見舞いには参らないのですか?」今度は小説家はすばやく質問を返した。

「もちろん行くつもりだ」あっさりと祖父は言った。

 その一言が、その場の緊張を解いていた。和みはしない。だが、それまであった緊張感がなくなったことは確かだった。

 他ならぬ私も、事の成り行きが上手く行っているので胸をなで下ろすことができた。


 しかし、私の祖父は大した人物だと今更ながらに思う。

 たった一言で人に考えさせるだけの疑問を投げかけ、

 たった一言であたりに緊張を張らせて、

 たった一言で場を和ませている。

 そんな人物が世の中にたくさんいるだろうか?ウチの会社の社長だって、たった一言で人を動かせるような人間ではない。金は動かすことは出きるかも知れないが。

「わしは、これまでいろいろな立場の人物にあってきた」祖父は私にした時と同じような会話を始めた。

「いろんな方々がおった。じゃが、今までキリスト教の牧師という者とはほとんど会話をしたことがない。今度はじっくりと話をしてこようと思っておる」

 祖父が笑った。いや、はにかんでいた。

 こんな祖父はみたことがない。


「禅師にも、今まで話した事がない人が近くに居たと?」和んだ雰囲気、ほころんだ祖父の顔が呼び込んだような、少しきわどい内容の質問だった。

「わしは、今まで(とうと)いものは御仏(みほとけ)だけだ思っておった」祖父は茶をすすった。

「だが世界には実にたくさんの尊きものがいらっしゃる。キリストさん、アラーさん、エホバさん、八百万(やおよろず)の方々。大昔から御仏はそういう方たちと同じ世界で、そういう方たちと一緒に尊き者としていらっしゃった。わしも御仏の立ち居振る舞いを真似をしてみようと思ってな」

 祖父が笑った。本当に笑った。その笑いが私に向けられているものではないかと思った。

 それからも祖父と小説家は語らいをしていた。私にはインタビューではなく語らいに見えた。それだけ祖父と小説家、そして場の雰囲気が和んでいた。

 このままの時間がもっともっと、いつまでもいつまでも続けばいい。私はそんなことを少し思った。

 そして会社を休んでいることをすっかり忘れていた。






 手のひらに伝わってくる重さが嬉しく感じられた。

 意外と重い。車椅子に乗った祖父を押しながら思った。

 祖父は歩けないわけではない。本堂の中ではきびきびと動いておつとめをしている。

 だからといって百歳を過ぎた老人がすたすた歩けるほど今の世の中は簡単にできていない。

 それは世の中が百歳を越えた老人が歩ることを想定していないからではないかと思う。祖父のように百歳を越えてなお元気という老人はそうそういるものじゃない。

 これからもっと高齢化社会が進むと言われている。

 あと何百年も経って、平均寿命が百歳を越えるようになったら、祖父のような老人が安心して出歩ける社会になるのではないだろうか。祖父の車椅子を押しながら思った。

 車椅子は祖父の外出時の必需品になっている。普段はお弟子さんが押してあるくのだが、今日は私がその役目をしている。




 珍しく家族が集まった。兄の家族、姉の家族、妻に息子二人。縁起でもない話だが法事の時のようだ。

 おかしなことだが、家族とか身内といったものから一番縁が遠い世界で日々の修業をしている祖父が、一般の世界に出てくると家族が集まるようになっている。

 みんな祖父が好きだった。

 祖父を先頭に家族を引き連れて、病院の廊下を歩いていた。

 奇妙な感じだった。

 キリスト教系の病院に入院する父の見舞いに、日本仏教界の事実上のトップである祖父が、まったくの無信仰の孫の押す車椅子に乗って見舞っているのだ。

 父の病室は目の前だ。

 

 父は容態が急変して驚くような快復を見せた。少なくとも命の危険はなくなった。面会もできるようになり今は一般の個室に移っている。私の息子が先に出て父の病室のドアを開けた。

 父はベッドを半分起こして聖書に目を通していた。ドアの方に目配せをすると、まるで化け物でも現れたような驚いた顔をした。

「これは」父は聖書を閉じた。

「その様子では見舞うまでもなかったか」祖父が憎まれ口を叩いていた。その顔はインタビュー撮影の時と同じように笑っていた。

「禅師にもお変わりなく」牧師の父が他人行儀な挨拶をした。

 親子なのに他人行儀な、と少し前の私ならば口やかましかった。でも今の二人はこれで良いと思う。他人行儀だろうが何だろうが普段は全く違う神に仕えている二人が同じ場所で会話をしているのだ。これが奇跡でなくて何になるのだろう。

 イスラムの指導者とユダヤの指導者が会談をするくらいに特別なことだと思っていい。

「その様子だと、神の国に行きそびれたようだな」

「何をおっしゃる。神はまだ私には役目があるとおっしゃったのです」父はひどくまじめくさった顔で言った。

「あの世は良い所らしいぞ」

「当然です。父なる神が治めている国ですから」

「誰も帰ってこないからな。余程、居心地がいいのだろうよ」

 と、祖父がいう洒落に父が崩れた。

「お父さんは、それほど良ければ行こうとは思われないのですか?」

 考えようによってはすごい質問だった。祖父はびっくりした顔を作った。そしてそれから声を上げて笑った。

「わしはこの世が好きでな。この世ほどおもしろい場所はないわ。

 考えてもみろ。御仏に仕えるわしが、キリストさんに仕えるお前の見舞いにきているのだからな。こんなに奇妙なことは初めてだ」

 あの日、インタビュー撮影があった時のような雰囲気の、祖父と父は語らいをしていた。

 その語らいを聞きながら私は病室の窓の外を見た。

 今年最期の桜が風に乗って空の向こうに消えていった。

 今年最後の桜の景色。

 次の年も、その次の年も、そのまた次の年も、

 桜は春とともに咲き始め、誰に見せるでもなく満開の姿を見せて、季節の移ろいとともに風に乗って行くのだろう。

 次の年も、その次の年も。

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