歯車と卵2
〈育児日記3〉
もうすぐコトカが一歳になる。
成長したと喜んでいいのかわからないけれど、最近、「蛇口の横にある給水ボタンを押すと水が出る」ということを覚えた。正直、大変。
というのも、コトカはそれを覚えてから毎日、洗面台で水遊びをするのだ。
コトカのために置いた踏み台用の椅子に乗り、ボタンをぽちり。じゃばじゃばと音がしているので、掃除を中断し見に行ってみると、コトカが何やら真剣に、水を手のひらでばちゃばちゃとしている。
やめさせるのも何だか気の毒なので、それならせめてと思い、着ているトレーナーの袖をまくってあげる。だがしかし、今度は水しぶきでお腹が濡れる。腕まくりの意味がない!
・ ・ ・
国家管理局は教会のような見た目をした高い建物だ。壁面には細かな装飾が施され、西洋風の雰囲気を醸し出している。
肩身が狭そうにビルに挟まれている様子は、その歴史がまだ浅いことを物語っている。にもかかわらず、存在感はしっかりとあるのだ。灰色や白色の建物が多い中、薄茶色はよく目立つ。
局の地下にある施設――通称「博物館」では、ひとりの少女が高らかに声をあげている。
「ようこそ国家管理局東日本本部へ! 機密部隊『ギアーズ』五期生のみなさま!
あなた方は今日から社会を動かす最重要的存在――歯車となるのです!」
時間は少し遡る。
国家管理局は、比良坂という場所にある。
最寄り駅である高天原駅から行くには、三駅上らなくてはならない。定期券は持っていないので、雪平コトカは券売機で電子きっぷを買った。
券売機のタッチパネルに、高天原駅に停車する路線の路線図が映る。そこには、各停車駅の文字が書かれている。【ひらさか】と書いてある部分をタップした。
画面が料金を表示したので、百円玉を三枚投入する。お釣りを忘れずに取ったあと改札へ向かい、きっぷの案内表示に従った。
・・・
国家管理局の入り口は、近頃では珍しい木製の自動ドアだ。
通ると広いエレベーターホールがある。どうやら局の一階まるごとがホールであるようだ。
外壁と同じような茶色の壁と、大理石の床。そこには青と灰色を基調とした、大きなペルシャ絨毯が敷かれている。天井を見ると、小さなシャンデリアがコトカを迎えるように光を反射した。
ホールの奥に、濃紺のエレベーターが二つ並んでいる。その上には、帯のように長いコンピューターディスプレイがあり、二階はサイバー課、四階は交通課と福祉課、といったように、どの階にどの部署があるのかという案内が表示されていた。
エレベーターと案内表示。これだけなら一般の施設とほとんど変わらない。
国家管理局が他と違うのは、階段の存在だった。立ち並ぶエレベーターの間に、地下への下り階段があるのだ。エレベーター、階段、エレベーターというサンドイッチが出来ている。
だから本来自動ドアを通ればそれらが目に飛び込んで来るはずなのだが、コトカは違った。
たった一人の少女が、ホールのど真ん中で誇らしげに笑っているのだ。
「お待ちしておりました! 雪平様! 私がご案内いたします!」
コトカと同じ年くらいのその少女は黒いセーラー服と上履きを身にまとっており、加えておかっぱ頭という古風な服装である。
だが、彼女の右目には黒い眼帯がついており、そのパッチ部分はハート形をしている。その上、セーラー服のスカーフとタイツは明るいオレンジ色だ。なんだか奇抜な見た目であるような気もするが、彼女にはそれがよく似合っていた。
とすとす、とペルシャ絨毯の上を歩く二人分の足音と共に、少女とコトカは地下への長い長い階段を下った。
国家管理局‐【こっかかんりきょく】
十数年前に組織された、国民の幸福やそれに関する事柄を管理する機関。
サイバー課・交通課・労働課・教育課・経済課・福祉課・心理課・児童課・LGBT課・文化課・体育課・総務課・ギアーズ、計13の部署に分かれている。