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濫觴4

 カンラクは独身だが、雪平には医師の旦那がいた。彼らの間にはコトカという名の可愛らしい娘が生まれ、わずか数回程度だがカンラクも顔を合わせたことがある。

 昼は研究員、朝と夜は母。二つの顔を持つ彼女は、他者から見ればこれ以上ない幸福な人間に思えただろう。


 しかし、本人からしたらそんな理想的な風景はなく。


 雪平は、妻ではなくなった。冬が近づきつつある冷たさの中、雨はしきりに降り続けた。彼女の夫は妻と娘を捨て、別の誰かと結ばれることになった。せめて快晴であってほしかったのか、それとも涙が雨に紛れてしまうから良かったのか。


 ボロ雑巾のようになった彼女は極めて惨めだった。自宅を出ていった夫を追いかけるも、一度も振り向いてもらえることもなく、その時点で全てを悟ってしまった。波打つアスファルトで膝を擦りむき、泣いた。家に戻っても濡れた体を乾かそうとはしなかった。コトカが学校へ行っているのが幸いだった。


「なんで……」


 考えても考えてもその答えは見つからない。昨日まであんなに笑いあっていたのに、なぜこうもいきなり、地獄へ落とされる?

 水が体の熱を奪っていく。それと同時に、心まで潮が引くように温度を失っていった。

 疑ったことすらなかったのだから、離婚の準備なんてできていなかった。なんて自分は愚かだったのだろう。

 悲しみや怒りや自己嫌悪がごちゃ混ぜになって、感情が汚れていくのがわかった。


 皮肉のように、雨は止んだ。窓から見える分厚い雲間から一筋の日光が、はしごのように地上へ降りいく。

 金色のそれは例にもれず、雪平の部屋にまで届いた。捉えようによっては彼女を励ます幸運の兆しに思えるが、当の本人にはそんな風に考える余裕などない。自分自身をあざ笑う光のように見えて、ぶつけようもない憎しみを抱いた。


 ただ、それが照らしたのは雪平だけではなかったようで。


 ちら、ちら、と何かが日の光を反射した。針のように鋭い光は彼女の瞳を刺す。

 何か、の正体を睨むと、魔宝石と球体があった。家に帰っても観察しようと机の上に置いたままだったのだ。透きとおるそれらは部屋中に反射して水面のような光の揺らぎを見せた。

 

「ッ……こんなものっ!」


 球を雑に持ち上げて、床に叩きつけた。弾けるような破損の音が響く。そしてすぐに訪れる静寂。

 彼女は(いか)っていた。最初こそ、愛する夫から見放された苦しみと悲しみがあった。しかし今では、ただただ怒りがあった。自分を裏切った人間を誰が許せるものか、と。

 だが一瞬の喧騒は冷め、我に返った雪平は砕け散った破片を目の当たりにした。


「どうしよう……」


 砂のように砕けた球は壊れてもなお美しい。そしてその美しさに、奇跡が宿った。


 静寂を裂くように電話が鳴る。


「もしもし。えっ……。はい。…………間違いありません」


 一言二言交わした後、通信は切られた。


「どういうこと……」


 電話の相手は夫の上司にあたる人物からだった。

曰く、夫と夫の愛人との不倫は彼らの勤務先にばれ、二人は即日解雇だという。

 それだけでなく、二人からの慰謝料が一括で払われ、提出したはずのない離婚届と婚姻届不受理届まで受理されていた。コンピューターから電子口座にアクセスすると、相場の何倍にも及ぶ金額が振り込まれていた。


 当事者の雪平が何も行動していないのに?


 雪平は不安げに、床に広がる破片を眺めた。いくらなんでもタイミングが良すぎる。もしかしたら、もしかするかもしれない。

 しかしこれはまだ仮説。しっかりと確信を持たなければ。

 雪平の研究心にさらに火が着いた。

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