濫觴3
彼女の手のひらにあるそれは色とりどりで、囁くように煌めいていた。
宝石のように見えるが、なんと食べられるらしい。琥珀糖のようだ、とカンラクは思ったとおり、実際に琥珀糖がモチーフとなっているらしい。
「今つくってるのはこれなんだ。私は魔宝石って呼んでるけど、水鶏子ちゃんの好きなネーミングがあるならそっちにする」
魔宝石は、外側に砂糖の結晶を纏っていて、噛むとシャリッとする。その甘美な鎧を歯で割ると、魔宝石はそれをすんなりと受け入れる。中は固めのゼリーで、まっすぐな甘さが伝わってきた。
「まんま琥珀糖だね。……ほんとにこれで魔法が使えるの?」
「そうなの! 試しに何か簡単なことをお願いしてみて、びっくりするよ」
カンラクと雪平しかいない研究室で雪平の声が部屋じゅうに弾んだ。簡単な願い事とは……とカンラクは数秒考えて、そういえば朝食を摂り忘れたことを思いだした。
「じゃあ、食パンとスクランブルエッグが欲しい。二人分」
「うんうん、言葉だけじゃなくて、頭の中でそれをイメージしてみて。焼きたてのパンとふわふわ卵の写真を……!」
真っ白な皿に五枚切りのトーストと、鮮やかな黄色に赤いケチャップが映えるスクランブルエッグを脳内で浮かばせた。何もない状態で具体的なものを願うのは思ったよりも労力のいる作業で、きっと何度も繰り返せば脳が疲れてしまうだろう。
二人分の朝食がそこにあった。煙の中から登場するような手品の類ではなく、元からそこにあったかのように、音もなくそれが佇んていた。研究室の無機質な机とはミスマッチに見えたが、食事そのものは文句のつけどころがなかった。一目で腹の虫が疼く。
「水鶏子ちゃん上手! ほら、休憩がてら食べちゃおうよ!」
カンラクは雪平と遅めの朝食を摂りながら、この力の潜在的な能力に背筋が凍った。人を含む全ての生き物は地球から生まれ地球で死んでいく。土から生えた木が土に還るように、始まりと終わりは同じ場所だ。しかし彼女の生み出した魔法はどうだろう。このパンと卵は、地球の材料を用いず、本当の意味で無から生まれた。そして還る場所は一体?
世界の大前提とされている理が崩れていくような気がした。この力で何もかもが生み出されてしまったらどうなるだろうか。
そんなカンラクの胸中を知っているのか、彼女も同じ懸念を抱いているのか、雪平は何か悩ましげに指で球体を弄んでいた。
「それ、何?」
朝食で使った皿を重ねながら、世間話をするかのようにカンラクは雪平に問うた。雪平は依然として悩ましげにため息を漏らした。
「魔法を使うと出てくるの。これが何かさっぱりわからないんだよねえ」
明朗快活な普段の彼女とは違い、この球の話になると雪平はその表情に憂いを落とす。球というのは、野球で使うボール程度の大きさの石だ。球というよりも珠と呼ぶ方がふさわしいだろう。それは淡い碧色で、ガラスのような透明感を持っていた。雪平はお手上げだというかのように「研究資料」としてその球を鞄にしまった。
「じゃあ、また後でね」
カンラクに手を振り、彼女は研究室を去った。二人は朝と深夜にこの研究室で魔法に関する研究をする。昼は通常の研究業務があり、どちらもおろそかには出来ないから二足の草鞋を履いている生活だ。だが、カンラクはそれがまったく苦痛ではなかった。確かに年齢による疲労はあったのだが、何かに無我夢中で打ち込むという、何年も遅れた青春を謳歌するような気分だったのだ。
――――副所長を辞めて本当に良かった。
魔法を使って、魔法を知る。試行錯誤を繰り返し、二人でゆっくりと魔法を創っていくのが日常だと思っていた。まだ誰にも知られることはないが、世界の片隅で社会を救うヒーローになった心地だった。自分の研究が社会のためになるならば、徒労などすぐ癒える。そう信じていた。
だが、その日常はあっけなく崩れることとなる。