濫觴2
雪平とカンラクは高校の同級生だった。「水鶏子」という名前は周りにとっては異質に見えたのだろう、常に「神蔵さん」とクラスメイトに呼ばれていた。別に気にするようなことではないが、当の本人にとってはそれがほんの少しだけコンプレックスだったのだ。
「水鶏子」でも「神蔵」でもその名前を呼ばれる度にその苦い思い出が掘り起こされるような気がして、研究所に入ったタイミングで自身を「カンラク」と呼んでもらうようにした。
だが、雪平は別。
彼女だけは最初から「水鶏子ちゃん」と呼んでくれたのだ。たったそれだけのこと。それでもカンラクにとってはこれ以上ない喜びだったのだ。
そして、今もなお。
「また一緒に仕事できるなんて嬉しいよ! よろしくね!」
彼女はカンラクに屈託のない笑顔を向けた。
「私も嬉しい……。こちらこそよろしく」
結局、研究所はやめなかった。その代わり、副所長の座を降りることになった。所長に歯向かった罰としてではない、むしろ所長の計らいだ。カンラクにとって地位はしがらみでしかないということに気づいてくれたのだ。
いつものように白衣に腕を通すが、副所長のときよりもずっと清々しい気分だった。常に下したてのような感覚がする。
空いた席はЯがつくことになった。彼は元々野心家だから喜んで受け入れたことだろう。あとからわかったことだが、この時から既に彼は養子を迎え入れていたらしい。独断で研究所内に児童養護施設をつくっていたが、所長がいちいち咎める性格でないので誰も文句を言えなかった。ちなみに、Яの本名は所長しか知らない。
それからの日常は駆けるように過ぎていった。あれだけ無味乾燥とした日々が長かったのに、まるでそれが遠い昔のように感じるほど。
彼女が言う「魔法」とはこういうものだった。
魔法は物語に出てくるような、元からある概念などではなく完全に雪平の「発明」であること。
そのため、魔法を扱うには燃料が要るということ。
燃料が必要となれば、自動車でいう排気ガスのようなものが生まれ「うる」ということ。
そして、これら全てを雪平のみで研究を進めていたということ。
「だから、まだまだわからないことだらけなんだよね……」
彼女は困ったように笑った。ミルクティーのような色をした柔らかな髪も同時に揺れる。
「全部、一人で? どのくらいかかったの?」
「ええと……十か月くらいかな?」
カンラクはギョッとした。雪平は謙遜しているが、彼女のやっていることは並大抵のことではない。
まず、研究をするにはその資金が必要だ。そして仲間と、時間。彼女が魔法について所長に話したのはつい最近のことだ。つまり、十か月もの間彼女は一人でずっと研究をしていたことになる。しかも通常の研究と並行して。
その上で、雪平は魔法を生み出したのだ。