「だからあなたはエメンタールなんですよ」5
「では話を元に戻しましょう。私が作られてもなお、なぜギアーズが存在するか」
それはね、私が「生まない」からですよ。
うずらは視線を床に落として言った。薄荷色の瞳を影が覆う。その淡い緑色を見てコトカは黄泉を思い出した。彼女の瞳は、黄泉の色。
「生まない?」
「ええ。何を生まないかと言うと、メモラジックです」
メモラジック。
かつてコトカは彼女からその単語を教えてもらったことがある。確か、国家管理局が生み出した『魔法エネルギー』。
魔法によって統治されているこの国にはメモラジックが必要。
ギアーズやうずらが魔法を使うために御伽を要するように、国が魔法を使うために必要なのがメモラジック。
FAS――飛行型管理システムで我々の動向を監視し、交通事故などの危険を察知する。その事故を未然に防ぐために魔法を使い、魔法を使うためにメモラジックを使う。
「ここまでは以前お話ししたと思います。ちなみに、メモラジックって綺麗な水晶玉みたいなんですよ!」
先程とは打って変わってうずらは得意げに胸を張る。国家管理局に従属することが誇らしいのだろう。たしかに、彼らの発明はみるみるうちに国を良くした。……らしい。コトカは己の境遇を恨んだ。
「でもね、メモラジックも欲しけりゃ勝手に出てくるものじゃない。材料が必要です」
その材料が、あなたたち。ギアーズです。
「へ……?」
「語弊がありますね。ギアーズを取って食うとかそんなんじゃないです。ここですよ、ここ」
うずらは自身の頭を指先でとんとんと軽く叩いた。その表情は不敵な笑みをわずかに浮かべている。
「記憶です。魔法を使うごとに使用者から記憶を奪います。奪った記憶は国家管理局内でメモラジックとして生成されます」
どういうこと、と言いたかったがコトカは上手く言葉にすることができなかった。
私が一番欲しいものを、国家管理局が奪っているだって? そんなの、許されていいわけがない。
――――……だってからっぽって、とてもさみしいの。
コトカの思いを知ってか知らずか、うずらは彼女から視線を逸らした。背景には力なく動き回る虚がいる。
「奪う記憶の大きさは魔法の規模に比例します。小さな魔法なら昨日の夕食メニューを忘れる程度。逆に大きければ自分の名前さえ失ってしまうかもしれません」
名前。
ふと、かつての友人の顔が脳裏に過ぎった。あの子は自分の名前はしっかり憶えていただろうか。コトカを忘れてしまっていても。
「乙ちゃん……」
誰かに会いたいと強く思ったのは今日が初めてかもしれない。「会いたい」と思えるほどの関係性がコトカの中にはなかったのだから。だけど彼女は違う。
弱っている虚の中に、彼女はいないだろうか。その答えを知っているけど、そう願わずにいられなかった。虚になった乙を殺したのは五味うずらなのだから。
「……私のせいだ。
私が変わりたいとか、記憶がほしいとか、そんなこと思ったからだ。だって乙ちゃんは私のために、ギアーズに……! 何も知らないまま生きていたら乙ちゃんだってこんな目に遭わなかったのに!」
膝がカタカタと鳴った。いや、実際は鳴っていないかもしれない。それでもコトカの耳には骨と骨が軋轢を生む音しか聞けなかった。
ただ、五味うずらはコトカを慰めるわけでもなく彼女を冷ややかに見つめた。
「忠告は前々からしていました。それでもチェダーさんは『ああなること』を選んだ。それだけです。どれだけ悔いてももう遅いですよ、人間は無駄な後悔がお好きなのですね」
「どうして、そんなこと言うの……」
「私が人じゃないからですけど? メモラジックの材料はあなた方の記憶。からっぽな虚から造られた『怪物』に記憶もクソもありませんよね。だから私は! 失敗作ってことなんですよ! それなのに当の人間はウジウジと……。
……あなたも、局津乙も、人間のくせにどれだけ愚かでいるつもりなんですか?」
うずらは怒っていた。彼女の怒りを見るのは初めてかもしれない。
そして彼女は一息つき、侮蔑するように言葉を放った。
「だからあなたはエメンタールなんですよ」