リコッタパンケーキにエゴのシロップを添えて8
ぎょろりとした目の群がこちらを覗いても、ゴーダは一つも怖くなかった。この世で一番怖いのは人間だとわかっているから。早く倒してしまおう。
エメンタールの目は不安で満ちていた。ペレストロイカも少し恐怖を目に宿しているなかで、ゴーダの肝の座りようははっきり言って浮いている。
「大丈夫よ」
ゴーダはもう一度御伽を食した。今度は、柘榴のように赤い色をしている。真っ白な歯で糖の膜が破られ、軽快な音がした。
それと同時に、ゴーダの黒い爪の先から、小さな炎が燻りだした。
人間と他の生物の違いは何か。それは火を使うか否かだ。生物は火を本能的に怖がるのだ。にもかかわらず、人間は炎と共にある。それが料理だろうが、焚火だろうが、殺人だろうが。
ならばそうではない生き物にとって炎は自分の生命を脅かすものだろう。相手が虚だとしても、蜘蛛は蜘蛛だ。
炎はだんだんと大きくなり、小さな赤みを見せた。虚がほんの少し、怯んだように見えた。
「エメンタールはそこにいてね」
「は、はい」
エメンタールは「こちら側」でないように感じる。だから人間を殺すなど到底むりだろう。だから、ペレストロイカの処理を任さなかった。
「その代わり、この男に少しでも手を出されたら教えて。……この子に何かしたら、あの蜘蛛にあなたを差し出すか、蜘蛛を倒すのをやめるわ」
「わかったよ、お手上げだ」
ペレストロイカは諦めたように笑った。自分が訳の分からない怪物に殺されるか、この空間に一生出られないか。その選択肢しかないのならこちらの命令を飲む方が賢明だ。
ゴーダは黒い衣装を身に纏い、その指先には真っ赤な炎が燃えていた。その瞳には戦意と、強さと、美しさがあった。
彼女がしなやかに腕を動かせば赤い軌跡が弧を描く。その強かさに、エメンタールは憧れを抱いた。
虚がペレストロイカを目指して向かってくる。複数の肢を醜く動かしながら、砂埃をたてる。その両者の間にゴーダが入り、蜘蛛の虚と対峙した。蜘蛛の眼に炎がいくつもあった。
鉤爪。
他のギアーズと比べて、ゴーダの武器は接近戦でしか通用しない。鎌でも槌でもなく、自身の指。それだけ敵と間近で戦ってきたのだ。
ゴーダは虚に向かって走り、ぶつかる寸前で真上に跳躍した。落下とともに爪を立て、虚の複眼を引っ掻いた。
虚がギャリギャリと何か騒ぎ立てている。ゴーダ。彼女はまるで女豹だ。
蜘蛛の頭胸部が燃えた。空まで届きそうなほど煙が上る。しかしまだ、朽ちない。時間の問題だろうか。
――――大丈夫、大丈夫……。
熱さのせいでこめかみに一筋の汗が伝う。指先の炎ではない、虚に纏わりつく炎だ。指で燃えている間は、主のゴーダにとって熱は感じなかったが、他者に移ると熱さはしっかりと感じてしまう。
虚から目玉はぽろぽろと落ちてくる。それらはわずかな火に包まれ、地でボロボロと灰になっていく。
視力を失った虚はなりふり構わずこちらへ突進する。もはやそれしか打つ手がないのだろう、愚かな姿だった。
燃えながら、肢を急がせながら、わずかに残った感覚だけを頼りに、ペレストロイカの方へ全速力で駆けてくる。
眼の次は……肢が妥当だろう。
ゴーダからしても、虚の速度は異常だった。相当な図体をしている割には、ネコ科の動物のような俊敏さを持っている。
だから、追いつけなかった。
土蜘蛛‐【つちぐも】
蜘蛛の虚。弱い。