偕行7
それからも日常は変わらなかった。父は奈々助を侮辱し、奈々助はそれに怯える。動くたびに火傷部分が痛んだ。家紋が気味悪く浮かび上がる左手の甲は、紛れもなく枷だった。
あのときのワンピースは二度と着なかった。しかし、捨てる気にもなれなかった。
代わりに毎日肌身離さず通学鞄の中に入れた。父の奴隷のように生きながらも、このワンピースだけが奈々助の自我だった。小さな小さな反抗期である。
帰り道、古着屋の横を通り普段と変わらず家へ向かった。近づくたびに気分が鬱々としてくる。しかし、だからといって別のどこかなど存在しない。児童相談所にも警察にも言えないのだ、父の職業柄。
逃げ場なんてない。一生、もしくはどちらかが死ぬまでこの生活は続く。そう思うと、今すぐにでもこの忌々しい左腕を引き千切りたくなった。そしてそのまま、死んでしまいたかった。
アスファルト上を歩く己の足に視線を落としたまま歩き続けた。根拠など一つもないのに、何事もなく帰路につけると思っていたのだ。
突如体を後ろに引っ張られる。何が起こったのか把握できないまま、頭を強く打たれた。脳が揺れ意識が途絶え、抵抗する猶予もなくどこかへ連れ込まれた。
目が覚めたのは深夜。固いベッドの上にいた。背中の痛みに耐えながら起き上がると、そこは古いアパートだった。カーテンは閉め切っている。それなのにアパートであるとわかった理由は、壁の向こうから情事に耽る声が聞こえてきたからだった。
あばら屋のように所々壁紙は剥げ、水や電気の音は一切聞こえなかった。カーテンから少し透ける月光のおかげで、何も見えない闇の状態を避けることができた。
そして自分のものではない呼吸音と、知らない人影に気づく。
目が暗闇に慣れていき、それが男だとわかった。彼の湿った吐息と滴る汗はカーペットに染みていった。誰だ、この人。
骨の髄から湧き上がる恐怖だった。親への恐怖とはまた違う、得体のしれないものへの恐怖。父がライオンなら、目の前の人物は怪奇現象だ。みるみるうちに体温の熱が去っていく。
「やっと、起きたね」
「ずっと前から君を見ていたんだ」
「このワンピース、こないだ買ってたやつだよね」
「これはちゃんと着たの? 僕にも見せてほしいな」
「奈々助くんっていうんだね。可愛いなあ」
「女の子みたいだ。着たい服があったらいつでも言ってね。写真も撮るからね」
「今日からここが、君のうちだから……」
「この部屋から出て行っちゃだめだよ。そんなことしたら許さないから」
「自分の家族が嫌いなんでしょ? もう平気だからね。安心してね」
「愛してるよ」