邂逅の後悔とその回行7
獣の咆哮が響く。その獣は笑いながら、こちらへ近づいた。
その瞳は爛々としているが、全くの無傷ではないようだ。服は破け、かすり傷でその体に散りばめられている。治癒に時間をかけられないのだろう、魔法の仕組みはどうせそんなもんだ。
しかし、明らかな異常があった。
【いいんだ、いいんだ、誰が消えようと知ったことか! ボクがボクである限り、ボクはボクを愛さねばならない!】
「……?」
ジャララ、と鎖が伸びた。千切れていたはずのそれは既に元通りになっていた。まるで大蛇のように迫って来る。星球は太陽に重なり、真打に大きな影を落とした。
彼はそれをひゅるりと躱す。棘だらけの鉄球はそのまま地に落ちた。
「なんだ、それは。戯言か?」
【教えてなんかやらないね! オマエにはわからない……誰にもわかるはずがない!】
「一人が寂しいのか。仲間がいる俺が羨ましいのか」
【違う】
「だろうな、ただの憶測だ」
【違ァう!】
地面が波のように隆起した。砂塵が眼鏡のレンズにぶつかる。
――――なんだ、コイツ。
ここまでの強さを持ちながら、パルメザンは切羽詰まっているように見えた。呼吸で肩が上下し、珠のような汗を流している。
自身が生死の瀬戸際を目の当たりにしたからか、それでもなお真打が死なないからか。その両方か、どちらでもないか。
「残念だが、お前にかけてやる慈悲はない。俺にも大事なものがあるんだ」
『大事なもの』?
なんだ、それ。
ふと自分が溢した言葉にはっとした。そして、首を傾げる。
【ボクも同じだ……! ボクだって、この居場所が、】
「……居場所」
そしてようやく納得した。彼女から感じる謎の焦燥感の正体を。それは真打にも伝染する。
真打は爆弾を投げた。地が弾け飛ぶ。その度に彼女は焦った。真打を目がけて殴りかかる。
「お前、孤独なんだろ。親も友達も帰る家も囲む食卓もないんだろ」
【……】
近づいてきたパルメザンの腕を掴む。二人の顔は至近距離にあった。お互いがボロボロで、この闘いに飽いている。
――――ようやくわかった。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。
真打は自身の胸中にあった、たったひとつしかない心の支えを思い出した。
「俺も同じだ。俺は死んでも大事にしたいものがある」
――――やっと気づいたぞ、Я。
「お前のように、自分の居場所が何よりも大事だ」
Яが与えてくれた、唯一の居場所。本来死ぬはずだった自分に生きることを教えてくれた居場所。そう思うと、それが貴くて仕方がなかった。死にたくないと思うようになった。
【そうか】
パルメザンは鎖を真打の体に巻き付け、持ち上げたあと地面に叩きつけた。肉がぶつかる鈍い音が響く。
「ぐっ……。ああ……!」
【本当はわかっている。自分がとんでもなく利己的であることなど】
仰向けになった真打は、身動きのできない状態でうねった。鎖はびくともせず、より彼を締め付ける。肉に食い込み、体内で出血したであろう体液を吐き出した。
眼鏡は割れ、手の甲にレンズの破片が突き刺さっていた。白い肌に真っ赤な糸が這うようだった。
そして獣だった彼女は、もう既に人間に戻っていた。
「取り乱してすまなかったね。でももう、これで終わりだ」
真打の顔面に星球が迫る。抵抗もできず、思わず目を瞑った。皮膚の厚い薄いを問わず、棘は容赦なく刺さった。顔だけでなく、全身。くまなく。
ぐしゃりぐしゃりと音が響いた。蛇が鼠を捕食する場面に似ている。獲物の息の根を止めるまで、血糊を払うことなく繰り返した。