ちちんぷいぷいで事が済むなら2
白くてほの暗いPT棟。
二人分の足音が棟の奥へ続く。
PT棟の一番奥の部屋は、雪平コトカの診察室である。そしてかつて、彼女が入院していた部屋。
定期検診にはコトカ、高木臣、院長、そして彼女を一番よく見てきた担当の看護師がその部屋にいる必要がある。
指紋認証パネルに触ると、白い扉がスライドし、診察室へ入れるようになった。
「――あら、コトちゃん、いらっしゃい。院長はまだだからもうちょっと待っててね」
「こんにちは。はい、わかりました」
「……あら! あらあら! 臣ちゃん! 久しぶり! 髪の毛キラキラね! よく似合ってるわ!」
「あ……あはは、どうもっす、ミコトさん」
巣日尊。
彼が、コトカのよき理解者である看護師だ。
濃紺のさっぱりとした髪に淡い空色の看護服が似合っている好青年だが、その中身はまるで女性だ。こういう人なのだ。
診察室には丸椅子が四つ。そのうち三脚はコトカと臣と尊で埋まった。奥にある白いベッドは以前コトカが使っていたものだが、今も誰かに使われているといった形跡はない。広くも狭くもない、白さに微かの不安が漂うような一室。
電子音が鳴り、扉が開かれる。
「……ああ、悪いね、遅くなった」
「あっ、先生。大丈夫ですよ、私たちもついさっき来たとこですし」
高天原中央病院院長・御中。
病院の院長としては珍しい、女性だ。現代、女性の社会進出は国家管理局によって完全に成し遂げられている。単純に、女性が医師として働くことがまれなのだ。
女子小学生の、『将来なりたい職業ランキング』は毎度「ケーキ屋さん」と「こっかいぎいん」などが上位に挙がり、「医師」というのは下位にある。
御中はゆるくウェーブのかかったボブヘアーと、身に纏った白衣を揺らし、最後の椅子に腰かけた。その様子はなんだかミステリアスだ。
「じゃあさっそく聞くけど……何か思い出したことはある?」
「……」
「……」
「……ない、です……」
「……そうか……」
「……まあまあ、ゆっくり、ゆっくりね? 思い出していきましょうよ! せっかちはダメよ。ねえ、臣ちゃん?」
「え!? ……まあ、そっすね」
沈黙が流れる。
コトカは自分で、その頭で、記憶を思いだす必要があるのだ。むやみやたらに情報を入れてしまうと、その情報の真偽にかかわらずまた新たな問題が発生してしまう恐れがある。それがコトカの人格なのか、他の記憶に影響するのか、それすらもわからない。だからこそ、院長直々に診察を受けているのだ。
「……目を覚ましてから、何か大きなことは忘れてない?」
「はい、それは全然……」
「うーん……全然原因がわかんないなあ……。AIもお手上げだったし。事故でもないし、何らかのショックも受けてない。おかしくねえか? 路上で倒れてて、救急車に運ばれたと思ったらキオクソーシツってよぉ……」
「ちょっと先生、言葉遣い。コトちゃんの前はダメってあれほど……!」
「あー、すまんすまん。じゃあコトカ、最近何か変わったことは?」
「えっと――……」
――――ギアーズ。
そう、ギアーズの存在が、彼女を大きく変えようとしている。だが、これは言ってはいけない。……ギアーズの掟だ。それに、コトカがそのような危険な行動をしていると知ったら、彼らは黙っていないだろう。記憶を思い出すことも重要だが、今の自分を気にかけてくれている人たちも同じくらい大事なのだ。
「……じゃあ、思い出したらいつでも連絡するんだぞ。まだガキなんだから、生意気に大人の都合とか考えんじゃねーぞ」
「もう、先生っ……! 言い方!」
「……はい、なるべく早く、お知らせします」
・・・
病院を背に、臣とコトカは歩く。
「はああああ、終わった終わった。まあ、ミコトさんの言う通り、まだ四月で退院したばっかだし、ゆっくり頑張ろうよ。俺にも遠慮なく、何でも言っていいんだぜ」
「うん……ありがとう。ねえ臣さん」
「ん?」
「記憶がないから、聞いても意味ないなって思ってたから聞かなかったんだけど、
私はどのくらい眠ってたの?」
「……10か月だね。――赤ちゃんがお母さんのお腹にいるのとちょうど同じくらい」
「……」
御中‐【みなか】 36歳
高天原中央病院院長。肌が白いので、徹夜続きゆえの隈が目立つ。
気を抜くと言葉遣いが荒くなる。
専門は精神科。院長も勤めちゃう若き女医。
御中は苗字。
巣日 尊‐【すび みこと】 28歳
高天原中央病院に勤める、オネェな看護師。まさに残念なイケメンだが、本人は残念だと思ってないのでどうか残念だと思わないでほしい。ちなみにコトカは残念だと思っている。
雪平コトカのよき理解者。好きなタイプは、ちょっとやんちゃなコ。
苗字が変。
高木 臣‐【たかぎ じん】 24歳
雪平コトカのいとこ。四月生まれ。
なんの仕事をしているかは知らないが、とりあえずニートではないらしい(本人談)。
髪色は金髪。この前は赤だった。この男はなんでも似合っちゃうのだ。
苗字は普通。