精、聖、生2
児童たちはプール開きに嬉々とした様子で水泳の授業に臨もうとしていた。紺色の水泳着、ゴーグル、学年ごとに色分けされたキャップ。プールの水面は燦々と降り注ぐ日光をきらきらと反射しながら揺蕩い、子どもたちがそこへ飛沫を上げるのを待ち構えていた。
聖司の水着はもちろん女児用のものだった。更衣室では同じ水着に着替える児童たちが談笑し、聖司のことなど気にも留めない。彼女らにとって彼は「女の子」なのだ。
体がまだ未発達だったからなのだろう、彼の性は周囲に容易く受け入れられてしまった。
だが、聖司本人は違った。
この日、彼はようやく気付いてしまった。自分は彼女たちとは違う、自分の親はおかしい、と。いくら女性的な見た目でも、本物の女性とは体の器官がまるっきり違っていたのだ。特に、下半身。
彼女たちの着替える様子が性的だったわけでも、水着のデザインが問題だったわけでもない。ただただ、「自分は女の子じゃない」ということが明瞭になっただけなのだ。しかし、聖司にとってそれはどんな鈍器で殴られるよりもひどく衝撃的なものだった。
少女として生きた時間が瓦解したように感じた。たった数年の時間だが、十にも満たない子どもから見たらどれほど長いか。聳え立つ城が轟音を立てて崩れるような、そんな感覚が少年を襲う。
女児用の水着を握ったまま、聖司はその場に立ち尽くした。
クラスメイトに心配されたが、そのとき箍が外れたように女性更衣室を飛び出した。水着に着替え終わった男子たちが嫌でも目に入った。
どうして、自分はあっちじゃないんだろう。
学校の敷地内には大勢の女、女、男、女、男、……!
込み上げてきた胃液を抑えるように口を手で覆い、学校も後にした。とにかく人間を見たくなかった。
どれほど経っただろう、気がつくとそこは学校よりも大きな、白い建物の敷地内にいた。庭は整えられ、塀の代わりに木々が並んで立っている。
「……おや、僕の研究所に御用かな」
ゆらゆらと陽炎のような人影がゆっくりと近づいた。夏にも関わらず黒いコートに身を包み、鳥のようなマスクを被っている。聖司の目にはそれが人ではない怪物のような何かに見えた。
「子ども……迷子か? ここがどこだかわかる?」
怪物の問いに、彼はふるふると首を横に振った。
「そう。ここは日本一の研究機関、葦原研究所。僕は所長のЯ。君を歓迎しよう、中でお菓子でも食べながら君の話を聞かせてくれ」
その声はどこまでも優しく、抵抗する理由などなかった。コートを翻し、Яは研究所……ではなく、その隣にある施設へと向かう。その入り口には“Home”と書かれた看板が掲げられていた。
「ここは研究所とは別の、児童養護施設なんだ。僕の子どもたちが暮らしている、とても良いところだよ」
言われるがままに、聖司は彼の後を追った。