生命声明9
今更、「黄泉」の意味を知った。
この薄荷色の空間は、死んだ者の住処なのだ。そして現世に思いを馳せ、満たされようとやって来る。
……けれど、それを許してはいけない。元の輪廻へ正さなくてはならない。
囂々と空気が轟いた。黒い満月は光を吸収し、空は雲一つない。
エメンタールはゆっくりと息を吸った。満点の黒い星たちは、彼女らをじっと見つめている。
「……カマンベールちゃん」
「はい」
「さっきの話だけど、“死神”って言い方はちょっとまずかったかな」
「そうでしょうか」
「魂を送る存在なら、“天使”の方が可愛いかなって……」
「…………」
ぽとり。
「ん……?」
ぽとり、ぽと、ぽと、
黒く微細な粒が落ちた。しかし雨ではない。それは地面に溶けぬまま、形を保ち続けている。
上を見上げると、無数の星屑のように空から降っているのだ。
「なんだろうこれ。砂……?」
「……! 見てください、あれ」
カマンベールは塔より下の地面を指差した。黒くひび割れた大地から、瞬く間に稲穂のような植物が伸びる。もちろん青さなどない。その重く垂れ下がった穂からも、大量の粒が零れ落ちていた。
「お米……にしては、大きさも形も違うね」
「ええ。おそらくですが……粟です」
「粟?」
「米や麦と並ぶ穀物の一種だったものです。ずっと昔の」
「へえ……よく知ってるね」
「日本史は得意なんです」
僅かにカマンベールが微笑んだ。そして武器である大鋏を握り、解体した。
彼女の鋏は、要を外すとそれぞれの刃が分かれ、双剣になる。鋏として使うより、こちらの方が戦いやすいと彼女自身で判断した結果だ。
「問題は、どうやって倒すかですね。……本体が見当たらない」
二人が会話している間にも、粟は数を増やしていく。まるで海のように地面は粒で覆われた。ぱらぱら、ぱらぱら、と音は大きくなる。体に粒が当たり続けているが、これといって痛みも感じない。
「でもこのままだと、もしかして粟に埋もれちゃう……?」
「……たぶん」
エメンタールは思わず恐怖した。……生き埋めにされてしまう。
「どうしよう……この粒の中に一体だけ本物がいる、とかないよね……!?」
「だとしたら、きりがないですね。『濡れ手で粟』ともいいますけどこればかりは……」
「? ことわざ?」
「はい。濡れた手で粟の粒を掴むとたくさん取れるように、ちょっとの行動で多くの利益を得るってことで……。今は災いでしかないですけど……」
「それ、やってみようよ」
「えっ?」
「え? だから、お水があればたくさん取れるんでしょ?」
カマンベールはきょとんとした表情でエメンタールを見る。エメンタールも同様に、彼女を不思議そうに眺めた。依然として粟は降り、黒に染めていく。
「えっ……えっと、つまり、水で一気にこの粟を掴むと……? 手で? この量を?」
「手……じゃ難しいよね……ごめん」
失言を謝罪し、ため息をついた。確かに、今降り続いている粟は自分の小さな手で掴みきれる量をはるかに上回っている。たとえカマンベールと合わせた四つの手のひらでも到底無理だ。解決策はふりだしに戻ってしまった。