生命声明6
涙壺、というものがある。
大切な人が亡くなったときや、愛する人を想う悲しみにくれたとき。そのときに流れた涙を、そのごく小さな壺に溜めるのだ。
例えば、葬儀。参列者が流した涙を壺に入れ、それが乾けば亡くなった人の魂が無事天に導かれたことを示す。極めてマイナーな儀式だが、この涙壺を求めて『仮敷葬祭』に葬儀を依頼する遺族は多い。
高層マンションビルの最上階。その一室は大きく白い、富豪の住む部屋。
窓は夜景をくっきりと映し、部屋の暗闇を仄かに照らした。
広いリビングに大きなスクリーンとソファ。清潔感のあるこの空間は、一人の男が暮らすには十分すぎる。
男は耳に手を当て、何かを呟いている。耳には白い小型の機械。通話中だ。
「いや、だからホントなんだって! あそこはやべーんだよ……理由は言えねーけど……。――嘘じゃねえって! とにかくやめとけ、あそに頼むのは。な? おう……わかればいいんだけどよ……。じゃあ、またあとで……」
はあ。
「俺だって信じたくねーよ……まさか……」
はあ。
「あの仮敷島が殺しって……」
ズッ……――。
「………………
え?」
男の腰に鋭利な何かが刺さる。背後の影はそれをより深く肉の中に沈めた。
一度抜かれ、今度は前から深く深く刺した。ズズ、ズズ、と嫌な音がする。
噴き出した鮮血がこの白い一室を赤く汚した。それは夜景の光をちらちらと反射する。
ドクドクと流しながら男は小さく痙攣する。口を開いたり閉じたり。細い糸のような声は、誰にも届かない。
影が口をゆっくりと開いた。
「どこで知ったんですか? 言わないと、殺しますよ」
ひゅる、ひゅ、ひゅう。
「なんですか? 聞こえない」
ひ、ぁ、ひゅぅ、……。
。
「あーあ…………言ってくれたっていいのに」
影は持っていた小さなガラス製の壺を取り出し、丁寧に男の血を入れた。
葬儀では涙壺が正しく使われているが、暗殺依頼を達成した際はその壺に――遺体の血液を入れる。それは地下で保管され、眠る。ラベリングしていないため、どの壺に誰の血が入っているかはわからない。
だが、それは関係ないのだ、今までどれだけ殺したか、その功績はいかほどか、示すものなのである。殺された者は有象無象に過ぎない。今日もまた一つ、ずらりとならんだ壺の一端にこれが飾られるだろう。
影の名は、仮敷島環。またの名を、【カマンベール】。
毎日のように赤の他人の命を奪い、それが大きな金になる。仮敷島の姓を持つものはみな幼い頃から殺しを教えこまれ、立派な暗殺者になることが義務付けられている。彼女もその一人。
日々の殺人が、自分を成長させる。ゆえに、ギアーズなんて二の次。当番が終われば速やかに帰り、命令通りターゲットを殺す。彼女の生活を説明するにはこれで十分だ。
それが仮敷島環の存在証明。
「殺しは……私の全てです」
壺に小さく口づけをし、服の中に隠した。誰かが来る前に、早く帰ろう。
返り血で汚れた服を着替え、部屋を後にした。
「もしもしお母さま、ただいま終わりました。――ええ、もちろん問題なく。……! 本当に!? そんなつもりじゃないのに……あ、ありがとうございます、とっても嬉しいです!」
人を殺したあととは思えないほどの、屈託とした笑みを湛えた。