メモラジック・メメントモリ5
はっと目が覚める。
その天井は白だった。飛び跳ねるように起き上がると、「うおっ」と誰かの声がした。
雪平コトカの額から玉のような汗が落ちる。呼吸は乱れ、鼓動が耳を支配する。
彼女は自分が病院のベッドにいることを察した。清潔な布団の端を握り、息を整えようと努めた。
局津乙の全てが、滝のように流れ込んできたのだ。それは脳を飽和し、痛いほど胸に刻まれた。その間コトカは、眠ることしか出来なかった。
……どれほど時間が経ったのだろう、窓の陽は既に傾いている。ビルとビルの間から光が漏れ、彼女の眼を刺した。その橙はまるで、乙の瞳の色そっくりで……。
「……起きたか」
コツコツという足音と共に、一人の医者がベッドに寄った。御中だった。「また十か月起きないのかと思ったぞ」
「…………」
窓の方を向いたまま動かないコトカを見て、御中はぎょっとした。露骨に焦り、おもわずコトカの両肩を掴む。
「まさかお前……。お、おい、自分の名前はわかるか? ここがどこだか知ってるか?」
「……大丈夫です……何も忘れてません」
「よかった……。紛らわしいことするなよ」
安堵した彼女はカルテに事項を記入した。パネルを叩く音がしばらく続いた。
そう、何一つ失った記憶などないのだ。自分のことも、この医者の緩くウェーブのかかった暗い紫色のボブヘアと、寝不足がよくわかる隈も。
失ったのは、人生を懸けて自分に尽くした、たった一人の友人だけだ。
「どうして私、病院にいるんですか?」
「『倒れた』って連絡が来た。なんで国家管理局からだったかは知らないけど」
「そうですか……」
乙との記憶を思い出した直後、おそらくコトカはその場で倒れた。その後五味が連絡を入れたのだろう。時計を見ると、三時間ほど眠っていたことがわかった。
――――……どうして、こんなことに……。
「どうして」だなんて、その疑問は既にわかっているはずだ。乙が死んだのは、「雪平コトカを守るため」。理性ではわかっていても、その疑念が止まなかった。
「御中さん」
「なんだ?」
「乙ちゃんのこと、思い出しました」
「! ……局津乙か」
パネルのタップ音が早さを増した。カルテに記入したのだろう、「一部記憶復帰」と。
その一言で済ませた御中に、コトカはなぜか憤りを覚えた。
「先生は、知ってたんですよね……乙ちゃんのこと。どうして言ってくれなかったんですか! 乙ちゃんがどれほどの思いで私と接してたか、想像もつかないでしょう!」
「それは、無理に思い出させたらお前の記憶に支障が出ると思ったんだ」
「無理やりでもよかった……どうしてこんな大事なこと……!」
ベッドから立ち上がり、御中の両肩を掴んだ。目から涙が溢れたまま彼女を睨む。
「……乙に何かあったのか」
「乙ちゃんはっ……もういません……」
御中は驚きの顔を見せた。「いない」が一体どういう意味なのか汲み取ることは出来なかったが、そのままコトカを抱きしめた。……そうするしかなかった。
「話はあとで聞くから……今は泣け」
「うっ……ううっ……」
水道管が壊れたように、コトカは泣いた。感情が溢れて止まなかった。泣いたところで何も解決はしない。全てを問い詰めるために国家管理局に行かなくてはならない。
だけど今だけは、己の悲しみに溺れ、号泣した。……そうするしかなかった。