メモラジック・メメントモリ
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局津乙は、からっぽだった。
感情を表に出すのが極端に苦手だったのだ。よく「笑わない子」だなんて言われ、母を悩ませた。
例えば、TVでみる俳優はみな彼女にとって奇妙な生き物だった。
楽しくもないのに、悲しくもないのに、どうして笑ったり泣いたりできるのか。
感情をただの演技にはしたくなかった。だけど、心からの想いも見つからない。感情の欠如が、彼女の抱える空虚だった。
……雪平コトカに出会う前までは。
小学生一年生、授業の間に挟まれる休憩時間。外で遊ぶにはもってこいの快晴だった。教室の照明はついていない。乙一人がそこにいるのだ。
"みんなと違う子はハブかれる"。
どこもおかしくない。その事実を幼いながらに受け入れていた。感情がないから、孤独だとも感じなかった。
薄暗い教室で、まるで幽霊のように席に座っていた。
そこに、一筋の光がふと、差し込んでくるようだった。
「ねえ」
聞きなれない声が、彼女を後ろから呼びかけた。振り向くと、一人の少女が立っている。
赤いゴムボールを両手で持ち、ぎこちない笑顔を浮かべながら乙に小さく話しかけた。
「……あそぼ」
二つに結んだ、色素の薄いゆるやかな髪が揺れる。……確か、クラスメイトだった気がする。
「えっと、みんなはサッカーやってるけど、私は下手だから……。このボール人気なんだよ、取れたから、あそぼ?」
慌ただしそうに彼女は喋った。たまに俯きながら、こちらの様子をうかがっている。
「……いいよ」
「あ、ありがとう!」
返答を聞いた彼女の顔は、窓越しに映る空と同じように晴れた。
コンクリート地面の上を、ボールが小さく跳ねる。乙とコトカを往復して弾んだ。
たまに別のところへ行ってしまったり、届かなかったり。その度にコトカは慌ててボールを取りにいった。「ごめんね」だなんて、媚びへつらうかのように。
この時間は楽しいか、と聞かれても、「はい」とは答えがたいだろう。ボールを取っては投げ、取っては投げの繰り返しだ。
だけど、なんだか……。
気が付いたら、その視界は涙で覆われていた。ポタポタと雨のように、乾いていた地面が濡れる。
ボールを抱えたまま、泣いた。
「えっ…えっ!? ど、どうしたの!? ボール、痛かった!? ごめんね、ごめんね!」
駆け寄ってきたクラスメイトの顔は涙で見えなかった。だけど想像できる、きっとこの世の終わりかのように焦っているだろう。
不自然に呼吸をしながら、彼女の誤解を解いた。
「ううん……。あのね、嬉しかった……」
「……? 痛くないの……?」
「……うん……!」
生まれて初めて、感情が発露した。
たった一人の少女が、乙の空虚を埋めたのだ。
予鈴が鳴った。いつも聞いている音なのに、まるで自分を祝福しているように思えた。
初めての、友達。