空虚で満たす7
それから、局津乙は一切姿を見せなかった。
学校にも来ない、国家管理局にもやって来ない。家を訪ねても、しばらく帰ってないそうだ。彼女の兄の心配そうな表情が浮かんだ。
彼女は自由人だが、理由もなく人に迷惑や心配をかけたりするような人物ではない。考えたくはないが……もし亡くなったとするならばFASが見つけていないはずがないのだ。コトカは脳内でこの可能性を乱暴に除外した。家出であってほしいとさえ思った。
でも、今は――。
「エメンタール」
仕事中だ。
エメンタールの顔を、パルメザンが不思議そうに覗き込んでいる。彼女の片側だけ伸ばした横髪が揺れた。「どうした? 眠いのか? チョコあるぞ」
「あ、いえ……ごめんなさい。少し考えごとを、」
「ふぅん」と興味なさそうにパルメザンはチョコレートのロールケーキを齧った。クリームが口についている。ほろ苦い香りがエメンタールの鼻をくすぐった。今日は彼女と二人だけの当番なのだ。
明度の高い空に、彩度の低いビル。象牙色の監視塔から眺める摩天楼は、いかにも狭そうだ。
「生地良し。クリーム良し。甘味度良し。文句なしの糖分だね」
「はあ……ここ、ついてますよ」
エメンタールは自分の唇の端を指差しパルメザンに指摘した。それに気づいた彼女は目を丸くしたあと、腕でごしごしとクリームを拭った。そして最後の一口をごくりと飲み込む。
ケーキを評価していた先程とは打って変わって、パルメザンは目を細くしエメンタールを見やった。
「……チェダーが、」
「? はい」
「ボクとタイマン張ったのは、キミのためみたいだよ」
「えっ……? どういうことですか」
「本人に聞きなよ」
「いないんです! あのときからずっと!」
「――! そう、か……」
空気を切り裂くように冷たい風が、二人の間を横切った。髪が無作為に揺れ、冷気は頬を突き刺した。ただならぬほどの重い何かが、二人にのしかかった。
「……会いたい」
――――会いたいよ、乙ちゃん。
エメンタールは腰を落とし、そのままうずくまった。
本やドラマの物語でよくある光景を思い起こした。友人同士が、喧嘩を経てより親密になっていく、という展開だ。なぜかそれが、とても羨ましく感じてしまう。
思えば、私と乙ちゃんはちゃんとした喧嘩をしていない。仲を険悪にしたいわけではない、お互いの思いを、お互いにぶつけ合う機会が欲しい。
どうして私のために、私の知らないところで動くのか。私のことをどう思っているのか。全てを知りたい。
――――友達一人大切に出来ないなんて、嫌だ。
「…………」
不安に打ちひしがれているエメンタールを、パルメザンは沈んだ目で眺めた。そしてそのすぐあと、ぴくりと眉を震える。「エメンタール」と緊迫した声で呼びかけた。
「来るよ……!」
「え……?」
――――――warning!――――――warning!!――――――warning!!!――――――
空が薄荷色の夜に侵される。象牙の塔を残して、ビルの群れは跡形もなく形を失った。……黄泉の時間が到来した。
「ここで死んだらチェダーには会えない……早く片付けようね」
「……はい」
桃色と深緑色の光が放たれ、戦闘を待ち構えた。