空虚で満たす6
「私たちの地下」
それを意味するのが、今いる博物館のことだろう。エメンタールは市松模様の床に足を踏み入れる。コツリという音が響き、やがて空気に溶けた。
チェダーとパルメザンの戦いが一夜の夢であったかのように、傷一つない空間だ。壁も展示品もすっかり元通りだ。修理費を考えようとしたが、背筋が凍りそうになったのでやめた。
「すみません。記憶を消してしまって。悪気はなかったんです、ただちょっと……」
五味うずらが申し訳なさそうに眉を下げた。そして話を続ける。
「断片的な記憶は、こうして消しても意味がないということがわかりました。途中で他の記憶との辻褄が合わなくなってしまい、自然と記憶を取り戻したという経緯に見えました」
「その通りだよ。チェダーちゃんに関する記憶だけを抜き取られても、こうしてわかっちゃったもん」
呆れたような表情でエメンタールが呟く。もう怒ってはいないようだった。むしろ、失ったものを取り戻した喜びがその瞳に宿っているように見えた。
「だけどエメンタールさん。どうか勘違いはしないでください。私があなたの記憶を消したのは今回が初めてです」
「え……?」
エメンタールはその勘違いをはっきりとしていた。
彼女が自分の記憶をいじることが出来たのは、前にも同じことをしたからだと思っていたのだ。そう、未だ欠片も思い出せない、ギアーズにやってくる前の記憶たちだ。彼女なら元に戻せると確信していたのだけど。
「私が消したものなんて足元に及ばないくらい、十数年間の記憶がありませんよね。それに関しては、何か思い出したことはありましたか?」
「……何も」
「そうでしたか……やはりまるごとごっそりと喪失させてしまえば、取り戻すのも困難なのですね。ああ、もちろんもうしませんよ!
自信持ってください。どんなに断片的でも、奪われたものを奪い返すことが出来たなら、今もない記憶を必ず元通りに出来るはずです」
「……」
励ましの言葉は、エメンタールの胸に深く突き刺さった。
自分がこれまでどう生きてきたか、それを知らないのは他人が思うよりずっと不安で、悲しくて、心細い。
体に大きな、しかも無数の穴が、ぽっかりと空き続けているような感覚なのだ。この思いを抱えて生きることは、彼女にとってはこれほどなく重いものを背負って歩くのと同等だった。
――――……一歩進むことが出来たのだろうか。
だとするならば、それを一番喜んでくれるのは。
「チェダーちゃんは、どこなの」
「……。
今にわかります」