空虚で満たす4
それから、その日虚は襲来してこなかった。
時間を無駄にした、とネガティブに捉えてしまいがちだが、平和な日常と解釈することにした。
雪平コトカは、日常に引きずり戻された。
相も変わらずな景色をした教室を見てもなお、ため息をついてしまう。
主を迎える気のない椅子に座り、机上のコンピューターを起動した。前回の授業の復習をするためだ。
数学の公式を眺め目を凝らし、理解しようとする。が、しかし。
式そのものを覚えても、仕組みがわからなければ忘れてしまいそうだ。
「2aぶんの……んん、なに……?」
数学は、努力というより才能だと思ってしまう。つまり、センスだ。そんなはずはないことなどコトカ本人が一番よくわかっていたが、なんだかその事実を認めたくなかったのだ。
一人で考えていても、埒が明かない。ここは、詳しいクラスメイトに聞くことにする。
「ねえ、乙ちゃ…………」
……
……
「乙……って誰だ、なんで私……」
左斜め後ろの席へ体を捻らせたが、そこには誰もいない。いつもの空席だ。そんなこと、わかっているはずなのに……。
――――……一体、誰?
「…………チェダー」
がくり、と突如視界が傾いた。ぐらぐらと揺れ、景色の色彩がずれる。頭がのぼせたような、一気に温度が下がったような、どちらとも言えない感覚がコトカを襲った。
呼吸が短くなり、走馬灯のようなものが流れる。星のように光が瞬き、世界が回った。
ギアーズに招かれ、そこにクラスメイトがいて。絶対仲良くなれないと思っていたのに、一番の友達になれて。
仲間の死に戸惑う私を彼女は慰めた! あの日のスコーンの味が一気に蘇る。蕩けるように甘く、多幸感の権化とも言えた、あの甘味。
無理だと決めつけていたはずの闘いも、協力して成し遂げた……! そうだ、そうだ、あの子が…………!
青空が広がった。
遮るものなど何もない、真っ新な空だ。私の、友人の色。
突風に攫われた感覚と共に、視界は日常に戻った。
「コトカちゃん……? どうしたの、具合悪い……?」
傍にいたクラスメイトがおずおずとコトカに寄り添った。けれど、それどころではない。
せっかく話しかけてくれた級友を無視し立ち上がる。
「思い出した……!」
「ええっ? っちょ、コトカちゃん!?」
そのまま、教室を飛び出した。あとで絶対に怒られる。先生にも、保護者の臣たちにも。乙のように歯向かうほどの度胸はコトカにない。だけど、だけど……!
コトカは走った。
制服が風に煽られても。人の波に溺れても。コトカ自身が、風になったような気分で。
初めて、思い出した記憶なのだ。
いや、違う。この記憶は失くなったんじゃない。……意図的に、奪われたのだ!
その説明を問うため、駆けた。
――国家管理局に。