空虚で満たす
『メモランダムと遺書』
奇跡の代償に黒となった
文明は明るく虚無は冥く 失くしたものを掴もうとする
煌く欠片が夜空に散った
満たされることを知らぬまま
空虚に抉られることを知らぬまま
僅かな生を
このまま
・ ・ ・
けたたましい目覚まし時計の音で目が覚める。
雪平コトカは瞼を刺すような日光に顔を歪ませた。かつて病院で見た機械的な白い光とは違う、自然光である。
ベッドから上半身だけを起こし、厚手のカーテンを開けた。
マンションの窓から見える景色は灰色だ。朝はビルの群れが死んだように佇む時刻。もうすぐ春が来るとは思えないほどの肌寒さだった。
「もう……こんな、時間か……」
コトカは深呼吸をした。
ベッドから降り、顔を洗う。突然の冷たさに皮膚が引き締まったようだ。
着替えるために、クローゼットから服を引っ張り出す。クローゼット内に設置されたファンの音が微かに響いている。服を湿気から守るためのものだ。
自身が通う高天原中学校の制服を着る。白いスカートをタイツの上に履き、ホックを止める。学年色のネクタイを締めたあと、ニットベストに腕を通した。これだけでは寒いので、ブレザーのジャケットを羽織る。
そして最後に、色素が薄く肩まで伸びた跳ねの多いくせ毛を梳かし、うなじの横あたりで二つに結わえた。これで完成だ。
柔らかいローファーを履き外に出る。ガチャリとキーがロックされたのを確認し、学校へ向かった。通学路に並ぶガードポールは今日も整然としていた。
・・・
教室はいつものように雑な活気で溢れており、何事もない日常を何事もなく過ごしているように見える。
そうだ、本来ならそれが正しい。
来る日も来る日も自らの命を危険に晒す必要なんてないし、ましてや魔法すら知らない。
ただ、彼女は違う。ギアーズという存在は、紛れもなく「非日常」だ。
戦うのは異形だけではない、科学研究機関だってそうだ。同じ人間であるはずなのに、ただ思想が違うというだけで簡単に命を奪おうとする。自分にとっての正義は、誰かにとってはこの上ない悪であると思い知るだなんて。
そしてふと、疑問が浮かぶ。
――――……この世界は、本当に満たされてるの?
確かに魔法のおかげで何もかもが変わった。人々の笑顔は増えた。紛れもなく、幸福な国だ。
だけど、本当は?
……今更、考えるだけ無駄だ。彼女はその答えを知っているはずだが、それを言葉にすることを拒んだ。 秘密はどうあがいたって秘密でしかない。鬱屈さを含んだ想いを胸に沈めつつ、雪平コトカは自分の席に着いた。
ちらりと左斜め後ろの席を見やる。この席の主を、コトカは見たことがない。いつも空席だ。
仮初めの「何事もない」を生きているのだ。
同じような時間に起きて、同じような授業を受けて、同じような時間に眠る。……今日、死ぬかもしれないのに。