やぶれない15
〈育児日記15〉
コトカが乙ちゃんと喧嘩をしたらしい。
聞いてみるとそこまでたいしたことではないのだけど、お互い意地を張ってるみたい。
時間が解決してくれるかなと思ったけど、それも気まずいだろう。
だから私は、コトカに謝ることを勧めた。喧嘩はお互い様だと思うから。あくまでも、「勧めた」だけ。それを聞いてどうするのかは、コトカ次第。
・ ・ ・
この塔から見る景色も、もう見飽きてしまった。
チェダーは国家管理局監視塔・北区で小さくため息をついた。任期終了まであと二か月。この組織に対して、特別な思いやりなどない。大事な友人が笑ってさえくれれば、それでいい。しかし、それを達成するには障壁が多すぎた。
この季節にしては暖かい風。生きることをとうに諦めたような、花の数々。そして――
仄かなバナナの香り。
「またこの三人だねえ? 食うか? ……ってもう、聞き飽きたわ!」
パルメザンがバナナマフィンを頬張った。チョコレート色のしっとりとした生地に、少し厚めにスライスされたバナナが乗っている。
「そうですね。局の見張りはゴーダさんだそうです」
カマンベールがぽつりと呟く。金色のショートヘアが風に揺れ、長い前髪で隠れていた両目が露わになる。漆黒の瞳だ。
「ゴーダ……。あいつも連日出勤か」
「代わってもらうか? HAHA、せいぜい頑張れ」
「いや、いい。自分の力でやる」
――――虚に打撃を与えるまで出来た。あとは致命傷を与えて倒すだけ……。
今日こそ、という決意でチェダーは御伽を喰った。まずは攻撃力を上げる。そのあとどう対策を取るかは、敵を見てからだ。
御伽で力を増大させるのは、実はほぼ付け焼き刃なのだ。あるに越したことないが、一定時間経てば攻撃力も防御力も下がってしまう。しかし、全て元通りになってしまうわけではなく、多少はドーピング前よりも強くなっていたりもする。「塵も積もれば」だ。
経験や個性によって、魔力指数は増えていく。というより、そもそも「魔力指数」というものは常に変動し続けるのだ。模試の偏差値がいつも一定の値でないのと同じように、その人の行動と年齢によって変わっていく。
個人差はあるが、一般的に思春期における指数がその最大値になる。しかしそこを過ぎてしまえば、下り坂だ。だからギアーズに選ばれる人間は、まだ若い少年少女なのだ。彼女らに提示された指数は、その最小値となっている。御伽を使えばその分減り、虚を倒せばもちろん増える。
「フーン。あ、御伽を乱用したとこでいいことないと思うけどね、ボク」
「理由は?」
「……味に飽きるじゃんか」
パルメザンが二つ目のバナナマフィンを齧った。この人間は常に糖分を摂取してないと死ぬのだろうか。
その様子を、チェダーの隣でぼんやりと眺めていたカマンベールが小さく口を開く。
「バナナには……死が二つあるんです」
「……? なにそれ」
仲間そっちのけでマフィンを貪る人は無視して、チェダーは彼女の言葉に耳を向けた。
「アフリカの諺です。『全てのものには終わりがある。ただし、バナナにはそれが二つある』。木からもぎ取られたときと、実を食べられて皮だけになってしまったとき」
「それがどうかした?」
「人間には、死はいくつあるんでしょうか……。チェダーさん、あなたはどういうときに『死んだ』って思いますか?」
「ええ……なにそれ。どうしてそんなこと聞くの」
「それは……」
――――あなたが、死に近づく人間の顔つきとそっくりだったからですよ。
――――……なんて、言えるわけないけど。
「……ちょっと聞いてみただけですよ」
「あ、そう……」
――――warning!――――warning!!――――warning!!!――――
「来ましたね……」
「今度こそ、あたし一人で、」
「まだそんなこと言ってんのかキミ? 懲りないね、ウケる」
舌をぺろりと出し、パルメザンが笑う。マフィンはもう無かった。しかしチェダーはその挑発には乗らず、敵の出る方向を見据えた。既に御伽は握っている。
薄荷色をした夜の帳が下りる。日常から隔てられた、非日常の舞台。虚無のバケモノがやって来る、満たされることを望んでやって来る。
戦闘の準備は、万全だ。