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やぶれない

「……エメンタ、ァル」



 ――――……!


 ――――その、声は……、


「ゴルゴンゾーラちゃん……?」


「ン」


 小さな道化師は笑顔で頷いた。帽子の飾りがぴょこりと跳ねる。

 色彩の暴力のようなその衣装は、初めて彼女を見たときと寸分(たが)わなかった。カラフルなフリルは彼女が笑うたびに揺れ、左頬のコアが橙色に輝く。


「どうして、ここに……」


 ここ、というのは木々がざわめく森の中。葉は青々と光り、木漏れ日がちらちらと大地を照らす。思いっきり深呼吸したくなるような、新緑に溢れた空間。

 エメンタールだって、なぜ自分がここにいるのかはわからない。わからないれど、亡くなったはずのゴルゴンゾーラが自身の目の前に立つのはもっとわからないのだ。


「……もしかして、生きてたの……!?」


 ……


 …………


「………………










A、」


 ばちり、と何かの弾ける音がした。そのあと刹那の、火花。


「え……?」


 道化師のフリルに火花が跳ねた。みるみるうちに燃え盛り、炎が彼女を包む。


 次々と、次々と、それは弾け、跳ね、燃えた。


 その中に、ただ一人エメンタールだけが呆然と立ち尽くす。彼女を避けるように、森は火の海となった。赤と黄と黒。それぞれの色が、物の焼ける嫌な香りと共にエメンタールの眼に焼き付いた。


 声をあげる余裕もない。ハリボテのように表情を変えない道化師が、ボロボロとその体を炭にするのみだった。


 その真っ黒なこうべが、躰からぼとり、と燃える地面に吸い込まれていく。エメンタールは動けずに、なす術もなく震えた。


 ガタガタと膝は軋み、呼吸は浅く喉はれる。何、何なの、ここはどこなの、私は一体何を見ているの、何か、方法は? 嫌だ、熱い、熱い、熱い!


 ・・・


 目を見開いた。


 額や首に汗が伝い、じっとりと濡れている。鼓動は速く、それに合わせて息を吸った。


 白い光が目に刺さる。逃れるようにぎゅっと目を瞑ったあと、アラームの電子音が鳴った。――――自宅のベッドの上だった。白い掛布団を千切れそうなほど握っていたことに気づき、慌てて手を離した。


「……夢…………」


 上半身を起こし、静止。ようやく夢だと分かったとたん、目から二粒の雫がポタリと落ちた。無味乾燥な見慣れた自室の景色が濡れ、ぼやけた。



 初めて夢を見た。正確に言えば、「記憶を失ってから」初めて見た夢だ。現実のように精巧で、ファンタジーのように信じがたい、苦しすぎる夢。

 もしもこれが、空虚だった自分を埋める一要素たる証拠として起こったのなら、この上ない皮肉だ。人の死で自分を構築するなんて、絶対に嫌だ。


 ……だからこそ、それを上回る記憶が、経験が、必要。未だに空虚が自身の大部分なのだ、無念さが残る。


 


 先日は、定期検診だった。

 いつもの三人と、いつもの会話。もう飽き飽きだ。「思い出せません」という度に悔しさと苦しさが込み上げ、喉の奥がぎゅっとしまる感覚がした。

 だけど、この検診が条件で雪平ゆきひらコトカは外の世界へと踏み込んだ。これがなかったら、どれだけ虚無感に包まれた生活を送っていたか。破るわけにはいかない約束なのだ。


『何もショックを受けた痕跡はないし、事故にも遭っていない。全く原因のわからない記憶喪失症状』


 コトカの通う高天原たかまがはら中央病院の院長・御中みなかはそう語った。


『記憶が戻らなくたっていいと思うわ。あなたが向き合うのは過去じゃない、今よ』


 コトカをよく理解している看護師・巣日はそう言ってくれた。


『でも、それじゃあ納得いかないんでしょ? 君の苦しみは君だけのものだから』


 コトカの従兄弟・高木たかぎはそう励ました。



 また、雫が落ちた。


 どの決意を捨てるべきで、どの決意と向き合うべきなのか。何度も見失いかけたが、結論はいつも「記憶を取り戻したい」のみだった。過去がないという抱えるには重すぎる不安と恐怖から一秒でも早く逃れたい。


「昔こんなことがあったよね」「あのときのあれ、まだ持ってる?」

なんていう会話を、してみたいのだ。


 ――――お願い、神様。


 ――――どうか、早く記憶を返して。



 母親を知らない彼女は、その片鱗すらも知らない。いつかそのときが来るまで、彼女の元ではないどこかに母の愛の証はある。


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