第五話
イシュファルテに召喚されてから二週間が経った。
召喚された勇者達は今では騎士団がどれだけ束になってもまるで相手にならない程の力を付け、大々的に国民へ紹介されたのもあって今やイシュファルテで勇者五人の名前を知らない者は居ないのでは? と思わせるほどの圧倒的な知名度を誇っていた。
圧倒的な力に加え、この街――ベクラールでは国の為に戦うと宣言した勇者達はその中心的存在の進藤を始め姫宮、有栖川と美形揃いの為、アイドル的な存在として国民からの人気がとても高い。
一方で巻き込まれる形でイシュファルテへとやってきた伊織。
彼等のような力もなく、存在を表沙汰にできない伊織は城の中では厄介者として扱われていた。
リヒターの前では他の勇者と同様に接してくるメイドだが、リヒターが居ない所での伊織の扱い方は酷い。
例えば、部屋に入ってくる際には普通はノックをするものだ。しかし、メイドが伊織の部屋に入る時にノックはない。
他にも、伊織だけベッドメイキングはされず、ストレスの溜まっているメイドなんかはわざと転び伊織にお茶をかけてきたりもする。
国の為に戦うと決め、その為に騎士団と毎日鍛錬を行っている勇者達ならともかく、何もせずタダ飯を食らうだけの存在の伊織の世話をするのは嫌で嫌で仕方ないのだろう。
伊織に対して辛く当たるのはメイド達だけではない。
日本でも率先して伊織を苛めていた田辺と小野は、伊織が勇者としての力を持っていないと分かると伊織をストレスの捌け口として使い始めたのだ。
日本でも蹴られたりすることはあったが、イシュファルテに来た彼等には勇者としての力の他にも魔法という力を得ている。
魔法の練習だと伊織を的に魔法を放ったり、はたまた単にストレス解消に伊織をサンドバッグのように殴ったり。
そんな彼等を見てメイド達も止めに入らず、寧ろ二人を応援し始める光景は日本に居た時と何も変わらなかった。
「はぁ……今日は迷宮に行くんだっけ……」
伊織は割り当てられた自分部屋のベッドに寝転びながら呟く。
今日は勇者達と騎士団によって迷宮の探索が行われる。
この迷宮の探索は勇者達に魔物相手に実戦をさせようというもので、伊織は本来ならば城で留守番しているはずだった。
なのだが。
「荷物持ちに付いて来いって……意味わかんないよ」
どういう原理なのかは不明だが、迷宮は時間の経過によって内部の構造が変化し、迷宮内には貴重な武具や鉱石などが配置されているらしい。
それを聞いた田辺が、伊織を荷物持ちとして付いてこさせようと言ったのだ。
確かに貴重な物が拾えるのであれば荷物持ちという非戦闘員を連れて行くのは頷ける。
事実迷宮の探索で生計を立てている冒険者と呼ばれる人達は、パーティに荷物持ち要因を一人連れて行くことが殆どなのだという。
しかし、その荷物持ち要因もある程度の自衛が出来る強さを持つことが前提であり、何の力も持たない伊織を連れて行くくらいなら騎士団から一人出した方が良い。
そう反論した伊織だが、力を持たない伊織の発言力は低く、進藤が田辺に言い包められてしまい伊織は荷物持ちとして彼等に同行することになったのだ。
「はぁ……嫌になるなぁ」
イシュファルテにh召喚されてからも、日本と変わらずだらだらと過ごしていた伊織は当然、騎士団との鍛錬に参加していない。
最初は参加しようと思ったのだが、田辺と小野に邪魔者扱いされ、騎士達からも遠回しな言い方で邪魔だと言われてしまった以上それを押し切って参加する勇気は伊織にはなかった。
「あ、そろそろ行かなきゃ……」
憂鬱な気分に浸っていた伊織だが、しかし時間は待ってくれない。
時計の針が集合時間まであと少しという時間を刺していることに気が付いた伊織は、集合場所へと向かうべく部屋を後にした。
「さて、これから赴くダンジョンでは今までの訓練とは違い、魔物との戦闘が予想される。しかし、今日はそこまで深く探索を行うつもりはない。君たち勇者の力があれば余裕を持って目的を終える事が出来るだろう。僕達騎士団も同行するが、戦闘は基本的に君たちにやってもらうつもりだからよろしく頼むよ」
ぎりぎり集合時間に間に合った伊織。
既に集合場所には進藤達五人と、ヨハンと騎士が三名、合計九名が集合していた。
「任せてください」
「やってやろうぜ!」
「みんな、頑張ろうねっ!」
全員が集合したことを確認したヨハンによる説明を受け、勇者達は皆やる気に満ち溢れている。
そんな中伊織は、騎士の一人から大きなリュックサックを渡されていた。
「俺達が居るから君に危険は及ばないと思う。だから安心してくれよ」
リュックサックを渡す際に言葉をかけてくる騎士。
伊織はリュックサックを受け取りながら騎士に礼を言うと、リュックサックを背負う。
大きめのリュックサックだが、中身は空っぽなのか重さを感じない。
「もし最悪の状況に陥った時は……そんなことはないと思うけど、荷物なんて捨てて逃げるんだぞ。命大事にな」
騎士は肩を叩くと、ヨハンの元へと小走りで向かっていった。
リヒターに忠誠を誓っている彼等は、伊織に対しての態度は比較的優しい。
というのも、リヒターが伊織を差別せず丁重に扱うように言ったからなのだが、それでも伊織にとっては勇者やメイド達からぞんざいな扱われているのもあり、ありがたかった。
「さて、では出発するとしよう。僕の後ろを勇者達が、その勇者の後ろを荷物持ちであるイオリとそれを護衛する騎士達。この隊列で進むよ。よし、出発!」
ヨハンの掛け声と共に城を出て迷宮へと向かって歩き出す伊織達。
本日挑む迷宮は地下遺跡と呼ばれている迷宮であり、ベクラールを出てすぐに迷宮へと続く階段があるらしい。
伊織は憂鬱な気分になりながらも、足を動かし勇者達に付いていくのであった。
「さて、地下遺跡に着いたが……ここから先は紛れもない戦場だ。一切の油断ないように!」
地下遺跡に着いた伊織達。
迷宮の中は、遺跡と言うよりは洞窟と言った方が正しいのでは? と思わせるような内装だった。
岩で出来たその壁や床、天井はゴツゴツとしていて、天井に至っては亀裂がいくつも出来ている。
その今にも崩れそうな天井を見て、勇者達から不安の声が上がるが、ヨハン曰くそういった事故は今までも一切起きたことがないから安心していいとのこと。
昨日崩れなかったからといって、今日崩れない保証はどこにもないのだが、ヨハンの言葉を受け不安を感じていた勇者達はそれを聞いて安心したようだった。
迷宮の中はどういう原理なのか不明だが、火や電気といった物が存在しないにも関わらず明るい。
ゴツゴツとした床に注意しながら足を進めていると、何かに気が付いたのかヨハンが足を止めた。
「早速魔物が現れたね。……あれはウォーウルフ。動きもそんなに早くないし、攻撃方法は噛み付きしかない。さぁ、戦ってみてくれ」
どうやら魔物が現れたようだ。現れた魔物は、狼のような魔物。ウォーウルフと呼ばれた赤い瞳の狼は、伊織達の姿を見ると警戒しているのか、歯を剥き出しにして唸り声を上げている。
「よし! 俺がやる!」
真っ先に動いたの進藤だった。怯えた様子もなく前に出てウォーウルフと対峙する進藤は、騎士達と同じように銀色の鎧を付けている。
鎧には宝石や紋章のような物が刻まれており、彼を一目見て抱く印象はまさに勇者だった。
実際に勇者なのだが、敵に突っ込んでいく度胸やその強さ。進藤は外面も中身もすっかり勇者に染まっていた。
「うおおおお!」
重い鎧を身に纏っているにも関わらず、驚異的な速度で距離を詰めウォーウルフに斬りかかる進藤。
進藤が手にしている剣は、ヨハンとの戦闘で使った剣ではなく、金色の長剣である。
豪華な装飾が成されたその長剣は見た目だけの武器ではなく、剣としても優秀で切れ味が抜群なのだとこの前嬉しそうに語っていた進藤。
一瞬で距離を詰められ、そこから繰り出される袈裟斬りに動くことも出来ず一瞬で命を散らすウォーウルフ。
ウォーウルフは雑魚の中の雑魚であり、また迷宮に入ってすぐに強い魔物が出てくるということは基本的にないのだが、それを知らない勇者達を調子付けるには十分だった。
進んでは現れる魔物を、次々と勇者達が圧倒していく。
田辺の槍によって心臓部分を的確に貫かれるウォーウルフや、小野の斧によって上半身と下半身が分かれる緑色の肌の小人――ゴブリン。
ある時は姫宮の魔法によってその身を焼かれながら絶命し、またある時は有栖川から放たれる矢で頭部を撃ち抜かれその命を散らしていく。
圧倒的な戦闘が続き、すっかり調子に乗っていた勇者達。
特に田辺は俺達に敵はない! と調子に乗りヨハンを追い抜いて先頭を歩いており、ヨハンに注意されても後ろに下がることはない。
しかし魔物を圧倒する勇者達を見てヨハンも気を緩めていたのか、田辺にそれ以上注意することはなかった。
隊列が変わり、田辺を先頭に置いて進んでいく。
次々と地下へと続く階段を進んでいき、地下十三階へと続く階段を発見した田辺。
降りようとするが、そこでヨハンが待ったをかけた。
「タクマ、そこまでだ。今日はこの辺で引き返そう」
「えー! なんでだよヨハンさん!」
「この地下遺跡では十三階から魔物の質が変わるんだ。ここまで相手にしてきたウォーウルフやゴブリンなんて、十三階の魔物と比べたら天と地の差がある。今日はそんなに準備もしていないから、ここで引き返そう」
先程ヨハンに注意を促されても聞かなかった田辺だが、今度は渋々と言った感じではあるがヨハンの言葉を聞いて階段から離れていく。
勇者が五人に騎士団でも一番の実力者であるヨハンが居てなお進むのを躊躇うということは、それほどまでに魔物の強さが違うのだろう。
踵を返し、今度は帰るべく歩き出す勇者達。
特に苦戦することもなくここまで来たのだから、帰りも同じだろうと考えていた彼等だが、次の瞬間その考えは打ち砕かれることとなる。
「な、なんだ!?」
「じ、地震だ!」
突如として揺れ始める迷宮。
立っていられない程の揺れが続き、その場に手を付いてしまう。
揺れはしばらく続くが、天井や床が崩れることはなく次第に治まっていった。
「地震なんて今まで一度も……嫌な予感がする。早く城へ戻ろう」
ヨハンの言葉に頷き、立ち上がり歩き出す一同。
その速度は来た時とは違い心なしか早い。
十一階へ上がる階段が見えてきた時だった。
何か巨体が動くような、地響きのような物が迷宮内に響き始めたのは。
「うわ、なんだあれ!?」
地響きにいち早く気が付いた田辺が後ろを振り返り驚愕の声を上げた。
田辺の声に釣られ、一同も後ろを振り向く。
振り返った先に居たのは、体が岩でできた人型の魔物。
その巨体が一歩足を踏み出す度に地響きが起こり、迷宮内を振動させている。
「あれは……! ジャイアントゴーレムだ! 目撃談はどれも十三階以降のはずなのに……どうしてここに!?」
ヨハンが信じられないと嘆いている。
ジャイアントゴーレムとは、十三階以降の階層で稀に出現する魔物だ。
あらゆる魔法に耐性を持っているのか魔法が効かず、また岩で出来た体は剣で斬ろうとも傷一つ付かない。
危険な魔物と言われており、冒険者でも遭遇したら一目散に逃げ出すほどだ。
「つ、強そうだが……やってやろうじゃんよ!」
「ダメだ! ジャイアントゴーレムには魔法も武器も効果がない! 上の階まで逃げるんだ!」
戦う気満々だった田辺をヨハンが制止するが、田辺はそれを聞かず槍を構えジャイアントゴーレムに突撃する。
一気に間合いを詰め、そのまま勢いを利用し力強く繰り出された渾身の突き。
しかしジャイアントゴーレムに当たると同時に、槍は柄の部分から折れてしまう。
「う、嘘だろ……? 勇者なんだぞ俺は! なのに俺の攻撃が効かないなんて!」
「タクマ! 逃げるんだ!」
自身の攻撃が効かないばかりか、槍を折られ呆然と立ち尽くす田辺。
ヨハンの声で我に返るが、ジャイアントゴーレムは腕を振りかぶり攻撃態勢を取っている。
「う、うわあああああああ!」
背を向け、走る田辺。
しかし逃げるには一足遅く、振り下ろされたジャイアントゴーレムの直撃は免れたものの、その衝撃によって吹き飛ばされてしまう。
「ファイアボール!」
田辺を逃がす為に援護しようと魔法を放つ姫宮だが、しかし放たれた炎弾はファイアゴーレムに傷一つ付けることすら適わない。
吹き飛ばされ、態勢を崩した田辺にジャイアントゴーレムがじりじりと近寄っていく。
「クソッ! このままじゃ拓真が!」
悔しそうにそう吐き捨てる進藤だが、しかしジャイアントゴーレムに立ち向かったとしても田辺だけはなく自分まで犠牲となってしまう。
それが怖くて、動くことができない。
「拓真を逃がすには……! そうだ、囮だ!」
小野が田辺を逃がすために考えた策。
それは誰かが囮となり、ジャイアントゴーレムの注意を引き付けることだった。
しかし、そんな小野の提案を受けても誰一人口を開かない。
当然だ、相手はこちらの攻撃が全く通用しない化け物。下手したら命を落とす可能性があるのだ。率先してやりたがる者など居ないだろう。
「……おい、有村。お前、囮になれ」
当然、提案しておきながら自分が囮になるつもりはない小野。
そんな彼の矛先は、伊織に向いた。
「え? ぼ、僕が囮って……し、死んじゃうよ!」
「そ、そうよ! 有村くんが囮なんて無茶だわ!」
「力もないんだ、こういう時くらい役に立って見せろよ!」
小野の言葉に有栖川が否定的な意見を述べるも、それを無視して伊織に近付く小野。
小野は伊織の首根っこを掴むと、そのままジャイアントゴーレムに向かって投げ飛ばす。
ただの一般人である伊織が囮など、自殺行為に等しい。
それが分かっていながらも、騎士団を始めとする誰もが小野を止めることができなかったのはやはり自分の命が惜しいからだろう。
投げ飛ばされた伊織は、ジャイアントゴーレムの目の前に転がる。
突然現れた伊織にジャイアントゴーレムの注意が向き、それまで死の恐怖に震えていた田辺は好機とばかりに立ち上がり進藤達の元へ駆けて行く。
「いてて……う、うわああああああ!」
地面を転がった痛みを堪えつつも立ち上がった伊織の視界に入ったのは、今まさに腕を振り下ろそうとしているジャイアントゴーレムの姿。
咄嗟にジャイアントゴーレムの股下を潜るように転がる伊織だが、田辺と同じように衝撃で吹き飛ばされてしまう。
地面を転がり、うつ伏せに倒れながらも頭を上げる伊織。
伊織の目に映るのは、上へと続く階段を背にして立ちはだかるジャイアントゴーレムの姿と、階段を上っていく勇者達の姿だった。
見捨てられた。
わかっていた。自分は力もなく、彼等と違って城でぬくぬくと過ごしているだけの存在だ。
田辺という力を持つ人間より、何の力もない自分が犠牲となった方が良い。
わかっていた。だけど、自分が見捨てられたという事実が、どうしようもなく悲しい。
視界が涙で滲んでいく。
死にたくない。ただ死にたくない。
死への恐怖からなのか、伊織の頭にはこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡っていた。
幼い頃母親が死んだ。
それによって通っていた幼稚園では親無しと心無い言葉を浴びせられ、物を隠したり叩かれたりされていた。
小学校に上がってからも同じだった。同じ幼稚園に通っていた子供の多くが同じ小学校に通っていて、ずっと苛められていた。
中学でもそうだった。そして、高校生となった今でもそうだ。
そんな自分が泣き言の一つも言わず、ずっと学校に通っていたのは父の存在があったからだった。
何処にでもいるようなごく普通のサラリーマンだった父。
仕事が忙しく、毎朝伊織の起床よりもずっと早い時間に家を出て、伊織が寝静まった頃に帰宅していた。
月数回の休みでは家族サービスだといつも伊織の為に時間を使ってくれていた。
母が死んで誰よりも泣きたかっただろうに、それでも伊織の前では決して涙を見せず、泣き言も言わず。
夜、寝室から漏れてくる父の泣き声を何度も聞いた伊織は、父の心境を察し、そして父の事を思うと釣られてよく泣いていた。
唯一の家族であり、憧れであった父。
伊織はそんな父に対して、まだ何もできていない。
親孝行もできず、日頃の感謝すら伝えられず、自分は死ぬのか。
「しに……たくない」
父に何もできないまま死んでいくのは嫌だった。
どれだけ絶望的な状況でも、生きて帰るのを諦めたくなかった。
「死ぬ……もん……か」
絶対に生きて帰ってやる。
そう決意した伊織は、震えた体で立ち上がる。
先程まで流れていた涙はいつの間にか止まっていて、その瞳は決意に満ちている。