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第九話

「早速勇者の一人が死んだか……。いや、アレは勇者ではなかったか」


 一切の明かりのない、暗闇が支配する部屋。

 黒いローブを身に纏ったその人物は、部屋の中には自分一人しか居ないのにも関わらず、まるで誰かと談笑するかのように楽しげな雰囲気で口を開いている。


「舞台にも上がれていないアレが死んだ所で計画に支障はない。……さて、勇者サマには国民の希望になってもらわねば困るからな。ここいらで一つ仕掛けるとしようか……」


 手に持つグラスに口を付け、中身がなくなったのか次にグラスを投げつける黒いローブの人物。

 砕けたグラスが飛び散る音が部屋に響く。


「期待しているぞ? 勇者サマ?」


 そう言って、愉快に笑う。

 黒いローブの人物の笑いは、しばらく止むことがなかった。




「さて、この辺でいいだろう。そろそろ外へ出るとするか?」


 あれからルシアと軽く部屋の探索を行った伊織は、出かける前と比べて重みを増したリュックサックを背負い直す。

 探索といっても、箪笥の中やベッドの下、勉強机の引き出しの中などしか調べられる所はなかったのだが。

 実はまだ隠された部屋があるのでは? と魔剣に道を開くよう語りかけても魔剣は何も示さなかった。


 しかし、探索の成果はこれ以上にない程十分だった。

 重みを増したリュックサックの中身は、換金すれば何十年と遊んで暮らすことが可能になると予想できるほどの宝石でいっぱいだった。

 ベッドの下には当然何もなかったのだが、勉強机の引き出しの中にはノートや教科書ではなく宝石が。

 箪笥の中……は流石に勝手に開くことが躊躇われたのでルシアに調べてもらったが、こちらも衣類ではなく全ての引き出しに宝石がこれでもかと詰め込まれていた。


 迷宮の攻略の為、しばらくはこの世界で活動することになる。

 しかし、伊織は無一文である。日本でのお金なら持っているが、当然ながらこの世界では使用ができないだろう。

 宝石の目利きなどできないが、少なくとも多少は金になるだろう。

 何をするにもお金が必要だ。伊織は迷宮を生み出した人物に感謝していた。


「うん!」


 これから外の世界に出るという期待で胸がいっぱいなのだろう。

 満面の笑みで頷くルシアに伊織は小さく笑って返すと、ルシアと共に部屋を後にする。


 石板のあった部屋を通り抜け、ヨルゴと戦闘を行った広間に出た伊織とルシア。

 先程までと違って明らかな異常が目に見え、思わず立ち止まる伊織。


「なんだあれ……? さっきまではあんなものなかったはずだが……」


 相も変わらず広いその部屋の中心部。

 そこには先程まではなかった魔法陣の様なものが現れていた。


「ルシア、あれがなんだかわかるか?」


 少し考えればルシアにわかるはずがないのだが、思わずルシアに問う伊織。

 しかし意外なことに、ルシアはその正体を知っているようだった。


「多分、外への転移魔方陣だよ? 私の知らないどこかへと通じてるのがわかるもん」


「転移魔方陣……? 見ただけでわかったのか?」


「うん。伊織はわからないの?」


 わかるわけないだろ、と思わず言いたくなった伊織。

 実際の所、魔方陣を見ただけでそれが何か理解するのは魔法の扱いにかなり長けている者でも難しい。

 しかし伊織もルシアもいわゆる世間知らずなのでわからないのも無理はない。


「まるでわからんが……しかし都合が良いな。どこに繋がってるのかは知らんが、迷宮を歩いて出るよりかはよっぽどいい」


 出現する魔物は伊織にとって雑魚でしかないが、しかし歩いて帰るのは正直な話面倒だった。

 何よりルシアが戦えるとは思っていないので、彼女に万が一があると困る。


 魔法陣の上に立つ伊織とルシア。

 二人が立つと魔法陣が輝き、浮遊感と酩酊感のような気持ち悪い感覚が二人を襲う。

 慣れない感覚に顔をしかめる伊織だったが、しかしルシアはどこか楽しそうだ。


「……ご丁寧に入口まで転移してくれるとはな」


 視界が一瞬白くなった次の瞬間、伊織とルシアは迷宮の入り口に立っていた。

 日が高い内に迷宮に入った筈だが、未だに日は高いままだ。

 迷宮内では時間の経過が止まる、なんてことはないだろう。つまり丸一日迷宮で過ごしていたことになる。


「ここが外の世界?」


 初めて迷宮の外に出たルシア。

 草や木、すぐそこに見えるベクラールの街の建物全てがさぞ新鮮なのだろう。

 目をキラキラとさせて周囲を見渡している。


「あぁ。……取り敢えずベクラールに戻るか。あんまり長居はしたくないから明日には発つが」


「そのべくらーる? ってなに?」


「あそこに建物がいくつも見えるだろ? あそこがベクラールだよ」


 額に手を当て遠くを見るようにベクラールの建物を見ているルシア。

 実際にはすぐそこなのだが……しかしその姿も非常に可愛らしいので黙っている伊織。


「行くぞ」


 ベクラールに向けて歩き出す伊織。

 待ってよー、と慌てて後を追うルシアだが、小走りではなくスキップで後を追っている辺り外の世界への期待が見てわかる。

 そんなルシアを横目で見た伊織は微笑ましいなと笑みを浮かべた。




 街へと足を踏み入れた伊織とルシア。

 伊織としてはまず宝石をある程度換金して、食事を摂り今日泊まる宿を探したかったのだが、伊織は城の外へと出るのは迷宮探索の日が初めてだ。

 当然、そんな伊織が街の勝手を知るはずもない。

 街に来たのはいいが、どうしたものかと二人は立ち尽くしていた。


「どうしたの、イオリ?」


「いや、俺も街に来るのは初めてでな……色々と準備したいものはあるが、どこで揃えればいいのかわからん」


 宝石の換金、服、剣を収める鞘や、別の街に行くまでの旅路の準備など。

 換金するのは当然として、服と鞘は最優先でどうにかしなければいけない。


 というのも、伊織が現在来ている服は日本で通っていた高校の制服だ。

 やはり異国……というか異世界の服だけあって伊織は周囲から浮いており、しかも迷宮での戦闘で破けたりもしている。先程から擦れ違う人は伊織の格好の珍しさの余り伊織を二度見したりもしている。

 それに加えて、迷宮で拾った魔剣は鞘がなく刀身が剥き出しだ。

 街の中で剣を抜いているというだけで目立つし怪しまれる。最悪警察的な存在に連行される可能性もある。


「分からないなら聞いてみればいいんだよ! すみませーん!」


 通りかかった男に声をかけるルシア。

 恐らくは伊織と同年代くらいだろう。

 あどけなさの残る顔立ちの少年は、突然話しかけてきたルシアに顔を赤らめながらも応対している。


「まぁ、聞くのが一番手っ取り早かったんだが……」


 先程述べた通り伊織は浮いている。

 服装もそうだし、何より剣が問題だ。

 これによって、自分が話しかけたら相手は警戒してロクに応対してくれないのでは? と考えていた。


 どうやら目的を達成したようで、少年に笑顔で礼を言って駆け足で伊織の元へ戻ってくるルシア。


「聞いてきたよ! 冒険者ギルドって所に行けば色々と買い取ってくれるみたい!」


「冒険者ギルド、ねぇ……。場所は聞いてきたのか?」


「うん! すぐそこのあの建物だって!」


 ルシアが指差す先は、ここから五十メートルも離れていない所に建つ大きめの建物だ。

 先程から多くの人間が出入りしていて、その多くが冒険者である。


「なら、さっさと行くとするか。この格好も何とかしたいしな」


「うん!」


 冒険者ギルドへ向かうべく歩を進める二人。

 変な格好をした冴えない少年と輝く笑顔の素敵な絶世の美少女の話題は、ベクラールの街でしばし噂されることとなるのだが、二人はそれを知る由もない。




「迷宮の戦利品の買い取りをここで行ってくれると聞いたんだが……」


 冒険者ギルドへと足を踏む入れた二人は、早速受付と思われる女性に買い取りの相談を持ちかけていた。


 迷宮の探索を行い、その戦利品を売買することで生計を立てている冒険者達の数は非常に多いようで、それを支援するための施設であるここ冒険者ギルドもかなりの規模だった。

 かなり大きいボードにいくつもの紙が張り出されていて、その前に群がるようにして集まっている冒険者。

 いくつもある受付のカウンターは殆どが埋まっており、運よく空席があったため伊織はスムーズに受付と話す事が出来たが、本来ならば短くない時間待たされる。

 ギルド内は冒険者達による雑談で非常に賑やかであり、雑談に興じる冒険者も多種多様。

 上半身に何も着ず、盛り上がった筋肉を見せつけるようにしている肉体派の男や、服の上からでもわかるほどひょろひょろとしている頭脳派っぽい男。

 女性の姿も多く、年齢層も若者から老人まで幅広い。


「はい。それではギルドカードのご提示をお願いできますか?」


「ギルドカード? なんだそれは」


 ギルドカードというのは冒険者ギルド内での身分証明書である。

 張り出された依頼を受ける時や戦利品を買い取ってもらう際に提示することが義務付けられているのだが、ギルドに足を踏み入れたのはこれが初めてである伊織はそれを知る由もない。


「お客様、ギルドのご利用は初めてですか?」


「あぁ。機会があって迷宮に潜ってな。分け前を貰ったからギルドで換金するのが良いと聞いてきたんだが……」


 冒険者ギルドに登録せず迷宮に潜る人間は少ない。

 というのも、登録すればギルドからの支援を受ける事が出来るからだ。

 分かりやすい例が支給品で、例えばギルドの登録時には戦利品を入れる為のリュックサックが貰え、迷宮に潜ると申請を出せば携帯食料なんかの支給もある。

 登録せず迷宮に潜る人間は少ないだけで居ることは居るが、その殆どが偶然入ってしまったか、或いはギルドの存在を知らない田舎者だ。


「まぁ、そうなんですね! それではまずは登録の方からしましょうか。ルールとして、依頼を受ける際や戦利品の売買をする際はギルドカードの提示が義務となっておりますので……」


「そうだったのか。そうしたら俺と彼女の登録を頼む」


「はい! 少々お待ちくださいね!」


 受付の奥へと引っ込む受付嬢。

 恐らくは登録に必要な書類でも取りに行ったのだろう。


「ねぇ、イオリ。私も登録するの?」


「あぁ。登録しておいた方が何かと便利だろうしな」


 ルシアとしては登録するのは伊織だけだと思っていたので、伊織がルシアの登録も頼んだことが意外だったようだ。

 

 伊織としてもルシアを登録するかは迷う所であった。

 迷宮の最深部で眠っていた彼女は、ただの人間ではないことは明らかである。

 石版の言葉通りグレゴワール森林へと行く予定の伊織は、当然ルシアも連れて行くつもりだ。

 なので登録しておいた方が良いと思う反面、ルシアは女性であり歳も自分と殆ど変らないだろう。

 そんな彼女を迷宮などと言う危険な場所の探索に連れて行っていいものか。伊織は悩んだ末、取り敢えず登録だけはしておこうと結論を出したのである。


「お待たせしました! この紙に必要事項を書いてもらって、簡単な説明だけしたらすぐにカードの発行が出来ますので、まずは必要事項を記入してください!」


 戻ってきた受付嬢から手渡された紙。内容を見ていくと、氏名や年齢、家族構成などを問う内容だ。

 幸いなことに伊織達にとって一番困る住所の問いがないので、すらすらと埋めていく伊織。

 ルシアはというと自分の年齢や家族構成さえも分からないようなので、適当に書かせた。


「えーっと…イオリ様とルシア様ですね。それではギルドについて簡単な説明をさせていただきますね」


 受付嬢が語ったギルドのルールは、わかりやすいものだった。


 ギルドはランク制で、依頼の成功数や迷宮探索によってランクがDからAの間で変動する。前者は単純に成功数が、後者は踏破階層によって評価が付けられるとのこと。

 ギルドカードは身分証明書になると同時に、前述した情報が内部に記録されているためカードを紛失すると再発行に手数料がかかるらしい。

 また、迷宮に潜る以上命の保証はないので、死んだとしてもギルドでは一切の責任は取れないとのこと。


 自己責任は承知の上だし、元々宝石を換金する為に登録を行おうとしている伊織にとっては殆どが聞いても意味のないことだったが、かといってわざわざ説明してくれているので聞き流すことも出来なかった伊織。

 真面目に聞いていた伊織に対して、説明が始まってすぐに目を閉じて眠ろうとしていたルシアを見て伊織はまるで校長の話が長くて退屈する生徒のようだな、と苦笑した。


「以上で説明を終えさせていただきます。それではカードをお持ちしますので少々お待ちくださいね!」


 またもや奥へと引っ込む受付嬢。

 伊織は今にも眠りそうなルシアの頭を軽く叩くと、ルシアは頭を押さえて小さく唸り声を上げた。


「お前、さっきまで散々寝てたのに何寝そうになってるんだ」


「うー。だってーよくわからなかったし……」


 どうにもルシアは頭の出来が残念なようで、受付嬢の噛み砕いた説明すら理解が出来なかったようだ。

 もし生まれてからずっとあの迷宮に閉じ込められていたのであれば無理もない話だ。


「お前は……せめて聞いてる振りをしとけよ。説明してくれてるのに寝るなんて失礼極まりないぞ?」


「うー……気を付けます、はい」


 本当に分かったのか疑問ではあるが、しゅんと落ち込んでしまったルシアに対してこれ以上責める気が起きない伊織。

 かといって女性経験の無い伊織はどうやってフォローすれば良いのかも分からず、結果受付嬢が戻ってくるまでお互い無言という気まずい時間を過ごす。


「お待たせしました! こちらがイオリ様とルシア様のギルドカードとなっております。それではイオリ様の戦利品の買い取りをさせていただきますので、お見せ頂いてもよろしいですか?」


 ようやく当初の目的を果たせる時が来たので、伊織は背負ったリュックサックの中に手を突っ込む。

 リュックサックいっぱいに詰め込まれた宝石だが、伊織が取り出した宝石はほんの一握り。

 全てを一度に換金するとなると、当然目立つだろう。勇者達が居るこのべクレールで目立つ真似を避けたかった伊織は、少しずつ換金していくつもりなのだ。


「これは……宝石!? 今まで何度も買い取りの対応をさせていただきましたが……宝石を持ってきた方は初めてです……。査定に少々お時間を頂きますので、終わりましたらお呼びしますのでしばらくお待ちください」


 伊織が取り出した宝石に目を丸くして驚いた受付嬢は、慌てた様子で奥へと引っ込む。

 受付嬢の反応を見て、やはり一度に換金しなくて良かったと安堵する伊織。


 時間がかかる、とのことなのでギルド内を見回ることにした伊織とルシア。

 先程人だかりが出来ていたボード前だが、現在は人が少なくなっているので見てみようとボードに近付く伊織達だったが、そんな伊織達に声をかける人間が居た。


「よう、兄ちゃん。見ねえ顔だが……偉く冴えない顔してんな」


「初対面の人間に対して随分と失礼じゃないか?」


 声をかけてきたのは上半身に何も身に着けず、惜しむことなくその肉体を披露している如何にも肉体派な三十代くらいの男だった。

 にやにやとした顔の男性の視線は、伊織ではなくルシアに向けられている。


「冴えない顔してる癖に連れは冗談見てえに可愛いじゃねえか。二十年生きてきたが……ここまで可愛い女を俺ぁ初めて見たぜ。どうだい嬢ちゃん、そんな冴えないガキより俺と組まねえか?」


 どうやら彼の目的はルシアのようだが、それよりも彼の発言の一部が伊織を驚愕させていた。

 二十年生きてきた、と言うことは彼は伊織の世界で言う成人であり、伊織よりも四つ程年上だ。

 それだけしか年齢が違わないにも関わらず、彼の顔は三十代にしか見えない。

 凄い老け顔だ……と伊織は男に哀れみにも似た視線を送る。


「おいおい、なんだってそんな冴えない奴の後ろに隠れるんだぁ? 俺ぁこう見えて強いんだぜ? 何より、そっちの冴えないガキよりよっぽど顔もいいだろ?」


 怯えるようにして伊織の背に隠れたルシア。

 ルシアを怯えさせていることもそうだが、何よりさっきから老け顔である自分のことを棚に上げて伊織の事を冴えない冴えない言っている男に伊織は内心イライラし始めていた。


「嫌がってるだろ? そこら辺でやめてくれないか? 老け顔さんよ」


「あぁ!? てめぇ誰が顔年齢三十八歳の二十歳だ! 俺ぁまだ二十歳のぴちぴちな青年だ! おっさんじゃねえぞこら!」


 伊織はそこまで言っていないのだが、どうやら老け顔とよく言われるようで過剰なまでに怒りを露わにする男。

 顔だけじゃなく髪の毛が一切生えてない頭部まで真っ赤にして怒っているその姿はまるでタコのようだ。


「それで、何のようだよおっさん」


「誰がおっさんじゃこら! てめぇなんか冴えないガキじゃねえか! どうせ彼女居ない歴イコールだろてめぇ!」


 確かに彼女居ない歴イコールである伊織。言い返す言葉もない。

 冷静さを欠いた男とどう話したものかと考えていると、伊織とルシアを呼ぶ声。

 どうやら宝石の査定が終わったようだ。おっさんから逃げる口実にもなるし、速い所準備を済ませて宿でゆっくりしたい。


「おっと、どうやら戦利品の査定が終わったらしいな。じゃあな、おっさん」


「だぁれぇがぁおっさんじゃあああクソガキィ!」


 ぐだぐだ言ってるおっさんを無視して、再びカウンターに向かう伊織。

 受付嬢はトレーを持っていて、そのトレーの上には硬貨のような物がこれでもかと乗せられている。


「お待たせしました……今回の査定の結果ですが、イオリ様さえよければこちらの金額で買い取らせて頂きます」


 トレーを指す受付嬢。

 硬貨が乗っていることしかわからなかったが、その効果も様々で白金色や金色、銅色など色取り取りだ。


 内訳は白金色が六十三枚、金色が九枚、銀色が六枚、銅色が九枚だ。

 この世界の貨幣については城に居た頃にリヒターに聞いた事があるのでわかる。

 

 伊織の世界の日本で言うと、白金が一枚で十万、金色が一万、銀色が千、銅が百円といった価値になる。

 つまり今回売りに出した一握りの宝石で、伊織は六百三十九万六千九百円稼いだことになる。

 まともに働くのがあほらしくなるほどの金額だが、しかし普通の冒険者であればあの迷宮を攻略するのには命がいくつあっても足りない。

 とはいえ、全ての宝石を換金した際に残る金額を考えると、過剰すぎる点は否めないが……。


「それで問題ない。世話になったな」


 貨幣についての知識こそあるが、しかし伊織は宝石の目利きなんてことは出来ない。

 あの宝石がどれほどの価値があるのかも分からない以上、相手の提示した金額で売るしかない。

 しかしながら日本では庶民だった伊織にとっては大金も大金なので、伊織に迷いは一切なかった。


「あぁそうだ。後は聞きたい事がいくつかあるんだが……服と剣の鞘が欲しいんだが、どこの店を利用するのがいい?」


 財布がないので、リュックサックのポケットに受け取った硬貨を仕舞いながら訪ねる。

 ギルドであれば冒険者がよく利用しそうな店を知っているに違いない、と踏んでギルドで尋ねたのだが、どうやらビンゴだったようだ。


「服と鞘ですか。鞘でしたらギルドの向かいにあるお店で何とかなると思います。服は……特に拘りがなければ同じく向かいのお店で。拘りがあるようでしたらギルドを出て右に進んでいくと白い建物があります。表に商品が並べられているので行けばすぐにわかると思いますよ」


 ギルドの向かい、つまり出てすぐ真正面にあるということだ。

 伊織は特に服装に拘りがない。元々ファッションセンスも良いというわけではなく、おかしくなくて着心地がある程度良ければどんな服でも良い。

 あまり街をウロウロとしたくないのもあって、向かい側でどちらも済ませることにした伊織。


「そうか、ありがたい。服もこんなだし剣もな……鞘を無くしてしまったもんだからどうにかしないといけなくてな。早速行ってみるとする」


 質問した辺りで受付嬢の視線が伊織の服装や剥き出しの剣に向けられたので、それに対する言い訳をしつつ早速向かおうとルシアを連れてギルドを後にする伊織。

 

 ギルドを出て真正面には、如何にも繁盛して無さそうな古ぼけた建物が一件。

 その建物を見た伊織の感想は、営業しているのか? だった。人の出入りもなさそうだし、入口の扉も閉まっている。


「向かいのお店ってここだよねー? これ、お店やってるの……?」


 どうやらルシアも伊織と同じ感想のようである。

 一目見て営業中だと分かるお店の例として、入口が開いている、もしくは中の様子が伺える造りで、中に人が居て営業してそうな雰囲気がある、営業中という札が入口の扉に掛けられている、などがあるだろう。

 しかしこの店はどの例にも当てはまらない。入口は締め切られ、中の様子は見えない造りであり、営業中という札もない。


「やってなさそうな雰囲気だが……しかし紹介されたわけだし中に人が居るんじゃないか? 入ってみよう」


 営業していないのであれば扉には鍵がかかっているはずである。

 如何にも繁盛して無さそうなこの店の商品に期待はできないが、取りあえず入口の扉のドアノブに手を掛け、捻ってみる。


「……どうやらやってるらしいな」


 すんなりと開かれる扉。

 店内は小ぢんまりとした感じで、伊織の世界で言うとチェーン店ではなく個人経営の小規模なお店、といった所だ。

 武器や鎧が並べられており、正しく武器屋といった感じである。


「よく来たな、儂の店にようこそ」


 店に足を踏み入れた伊織達を迎えたのは、どこか怖そうな印象を受ける老いた男性。

 服の上からでもわかる程の鍛え上げられた肉体。昔は冒険者だったのだろうか?

 この老人一人でこの店を切り盛りしているのだろうか? 店内には彼以外の人の気配はない。


「鞘を無くしてしまってな。この剣を収める鞘と……後は服もあると聞いて来たんだが……」


「ふむ、鞘と服か。ではまずは鞘の方から何とかするとしよう。剣を見せてもらおうか」


 老人の言葉に頷き、魔剣を差し出す伊織。

 あらゆる角度から魔剣を舐め回すように見ていた老人だが、なるほど、と呟くと魔剣を伊織に返した。


「この剣に見合う鞘でしたらすぐに用意できるだろう。ちょっと待っておれ」


 そういって店の奥へと消えていく老人。

 先程からどうも待たされてばかりで、またしても待たされることになった伊織達。


「どうも待つことが多いな。退屈してないか?」


「んー大丈夫だよー」


 先程受付嬢の話を聞いていられなかったルシア。

 退屈していないかと声をかけた伊織だが、ルシアは店内に置かれている武器に興味津々といった感じであまり退屈に感じていないようだった。


 それから老人が来るまでルシアと共に店内を見回っていた伊織だが、ふとあることに気が付く。

 どの商品にも値段が書いていないのだ。普通、品物には値札か値段を表示したPOPなどが付けられている。

 しかし、この店には値段の表記がない。どういうことなのだろうか。


「待たせたな。この鞘ならばちょうど良かろう、試してみろ」


 変な店だなあ、と考えていた伊織だが店主の老人が戻ってきたため思考を中断する。

 老人の手には黒い鞘と黒い服のような物。鞘は確かに長さは魔剣を収めるのに良さそうだ。


 老人から鞘を受け取り、魔剣を収めてみる。

 どうやらちょうど良いようで、魔剣を収める事が出来た。


「確かにちょうど良いな。幾らだ?」


「やはり儂の目に狂いはなかったか。値段の前に服の方も何とかしようじゃないか。なに、法外な値段など吹っかけんから安心せい。鞘を探しに行く時にお前さんに似合いそうな服を見つけてな。ほれ、着てみろ」


 老人から服を手渡される伊織。

 畳まれていたそれを広げてみると、それはフード付きのローブだった。


 制服の上からローブを羽織ってみる伊織。

 ブレザーを着用している為少し違和感があったので、ブレザーを脱いで再度着用してみると中々に着心地が良い。


「中々良いな。着心地も悪くないし、変な飾りもない。これも頂こう」


 変な飾り付けが一切無く、文字通り真っ黒なそのローブを着心地の良さもあり伊織は気に入っていた。

 とはいえ、制服の上から羽織る形にはなるが制服そのものをどうにかしたい所なので後で別の服屋に行く必要があるな、と伊織は考えた。


「中々似合っておるぞ。で、代金だが……見た所駆け出しの冒険者だろう。どうせ懐も寂しいもんだろう? 銅貨二枚でどうだ」


 老人の出した金額に伊織は驚いて目を見開く。

 鞘もローブも、上質な素材を使って作られた物ではないだろう。しかし、丁寧に作られたそれらは銅貨二枚以上の値がするであろうということは伊織にも何となくだが理解できる。

 受付嬢がこの店を推した理由が何となくわかった伊織は、それで良いのか? そんなんで経営していけるのか? と疑問に思いつつも安いことに越したことはないのでリュックサックから銅貨を二枚出し老人に手渡す。


「世話になった。ありがたく使わせてもらう」


「気にするでない。また必要な物が出来たら来い」


 目的を達成したので店を出る伊織とルシア。

 店を出た伊織の格好は、来た時は違い黒いローブを纏い、その腰には黒い鞘に納められた剣。

 伊織の世界で言うと十四歳くらいの少年が患いそうな病気を体現したような姿だが、伊織はそれに気が付くことなく、寧ろ少し嬉しそうな表情であった。

物語が進むにつれ伊織くんには厨二病を極めてもらおうと思っています

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