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悪役令嬢が優遇され過ぎて突発的に書いた物語

作者: 木山 夕

きっと、誰かが「くだらない」と言うだろう。

ガタゴトと揺れる馬車の上。


窓枠に片肘を乗せながら、私は外に広がる景色を眺めた。


視界に広がるのは、一面の紫。


土の色と葉の緑が間を縫うようにして、空には筋雲と柔らかな青。


長閑な秋模様に欠伸が出そうになる。



「はしたない真似はしないよう心掛けてください、お妃様」


「うるさいわよ。まだ何もしていないわ」


「これからしようとする顔をしておりました」



目の前に鎮座する、頭の固い付き人を一睨みして、再び目を外にやった。草を抜いている農民がこちらを一礼していた。


欠伸をした顔を見られたぐらいどうと言うことは無いのだが、彼女はそれを嫌ったのだろう。


まぁそれも無理はない。自分の仕える主がモラルの無い人間だと思われるのはそのまま自分の評価にも直結する。


ましてや。



「次期第二王国領領主の妃にあらせられるのですから、ご自戒ください」


「わかってる。わかってるわヘカテ」



いつの間にか付いてしまっていた肩書き。それは、自分の一挙一動さえ安易に振る舞うことすら出来ない重みになっていた。


正直、自分は誰がどう評価しようが構わないのだが。


しかし、自分が良くても周りが許さない場合が多いのだ。目の前の、幼い頃からいつも側についてくれた付き人なんかが良い例である。


ただ、そんなおっきな肩書きを背負う私が、付き人のヘカテとたった二人、こんな田舎道を行く道中にあるのは、非常に例外的なのではあるのだが。



「お妃様。目的地が見えてきましたよ」



ぼんやりと秋景色を眺めていたが、その言葉に意識が切り替わる。


湧き上がる笑み。仄暗い充足感。


心の中が黒く染まっていくのを感じながら、それを止めずただ嗤う。


嗚呼、楽しみで仕方が無い。



「本当に、会うのですか?」


「ええ、勿論よ。そのために来たのだから」



心配そうに尋ねるヘカテに、くつくつと込み上げる感情を束ねながら私は答える。


そして、心の中で呼びかけた。



ねぇ。かつての私の王子様。


哀れで愛しい|捨て犬さん≪ストレイドッグ≫。



あなたに会いに……そして嗤いにきましたわ。







領地を委譲してもよいと思える人ができた。だから婚約を解消して欲しい。



婚約者―――否、元婚約者に告白された内容は、掻い摘んで言えば以上のようなものだった。


それに答えた私の返答は、こちらも要約してしまえばイエスの一言だ。


連れ添って十年以上経つというのに、内容は寒村の空気よりも冷たいものなのではないかと常々思い返す。


事務的な会話。機械的な作業。


物心つく前より過ごした間柄は、面影も残っていなかったと思う。


本当は……本当は。


泣いて、叫んで、縋って、怒鳴って、張り手の一つでもくれてやりたかった。


月並みな言葉で言えば、愛していたのだ。


今はもう思い出せないけれど、彼の色々なところが愛おしくてたまらなかった。


だから、婚約解消の申し出を突きつけられた時は、足元が崩れたような錯覚さえ覚えた。


どうしてと問い詰め、こんなに愛してるのにと訴えてやりたかった。


それをしなかったのは……きっと、こうなる事が前々から予測出来ていたからだっただろう。


五年前の学生時代。彼は両親を病で亡くしてから、徐々に私ではない女性と過ごす事が多くなった。


その女性は、私たちと同年代でありながら異様な程知識に長けており、政においてはまるで異次元な解決法を提示する能力を持ち合わせていた。


きっと、卒業と同時に為政者となる彼にとって、彼女の力は千金に値するものだったのだろう。


私は、彼が自分よりも彼女に夢中になっていく様を誰よりも近くで見ていた。


湧き立つ嫉妬を抑えながらも、自分では彼女以上の役に立つ事が出来ない事を理解していたから、それをただ堪えることしか出来なかった。


婚約者は私だ。愛されているのは私なのだから。


そんな空虚な言い訳で自分を取り繕う事しか出来なかった。


でも、そんなものが容易く崩れ去る事なんて、誰よりも簡単に理解できてしまう。


……だから。


改まって、彼から話があると聞いた時。私は「とうとう来たんだな」と一番最初に考えていた。



別れを切り出されて数日。私は無気力で何をするのも億劫だった。ヘカテが居なければ、そのまま衰弱していたかもしれない。


誰もが私を慰めてくれた。彼を酷い男だと詰った友人もいた。


それでも、その殆どが最後に「相手が悪かった」「もう忘れた方がいい」という言葉を宣うのだ。


彼女は、確かに人格者であった。気立ても良く、誰にでも優しくて、なんでも完璧にこなす実力者だった。


でも。


だからといって、どうして彼女なら仕方が無いという理由になろうか。


ちろり、と虚ろな心に火が灯るのを、その時感じた。


例え彼女になんら非がなくとも。恨みの矛先が間違っていると言われようとも。


私は、彼女を認める事が出来なかった。


小さな灯火は次第に大きくなり、黒い炎を揺らめかせる。


その感情を、私は初めて「憎悪」だと悟った。



その日から、全てが憎くなった。


彼が憎い。


裏切った彼が憎い。


彼女が憎い。


全てを許される彼女が憎い。


自分が憎い。


何も持っていなかった自分が憎い。



憎しみの炎は際限なく燃え盛り、私の心を焦がしていった。


彼に会う度に罵倒してやった。


彼女の嫌がる事ならなんでもやった。


自らを飾るために学舎のトップに立った。


虚しくなかったと言えば嘘になる。


離れていった友人も数多くいた。



それでも、私は満足だった。



学舎を卒業してからしばらくして、私は今の夫に婚約を言い渡された。


第三位王太子殿下。それが彼の呼称であり肩書きだった。


肩書きに惹かれて婚約を承諾したわけではない。ただ、あれば便利でかつ不自由だろうなと思う程度のものだ。


彼との出会いは、きっと傷の舐め合いがきっかけだったのだと思う。


第二王国領領主という役職は、いってしまえば左遷に近い。本拠地である第一王国領から離れた場所では、いかに大成しようが「負け犬」扱いである。


つまりは、彼は王選に選ばれる事なく跡継ぎ争いに負けてしまったという事だ。


第一王国領の重役にすら就けない出来損ない。彼は自身をそう皮肉っていた。彼もまた、婚約者に見限られてしまったのだという。恐らくは、その婚約者に告げられた言葉なのだろう。


同じ捨てられたもの同士。出会ったのは必然だったのかもしれない。


それから何かしら二人で悪だくみをすることもあった。良いパートナーだった。愛し愛される関係というより、居心地の良い間柄といった方が適している。そんな関係だった。


この人になら、ついて行ってもいいと思えるくらいには。


だから婚約も引き受けた。理由としてはそれだけだ。


愛しているから結婚する。


そんな甘ったるい幻想は、とっくの前に霧散していた。



そして、王子が第二王国領で受領式を行う日が差し迫った時。


参加者名簿に、憎くてたまらなかった彼女の名前がそこにはあった。


既に卒業してから二年経っていた。今更幼稚な嫌がらせなどするつもりもなかった。


ただ。


そこにあるはずだと思っていた、元婚約者の名前が無かった。


不思議に思い―――その仄暗い感情をまた再燃させながら―――ヘカテに探りを入れさせると、面白い事がわかった。


曰く、彼らは婚約したが式を挙げていない。


曰く、彼らは別居している。


曰く、彼は領地の片隅で引きこもっている。


等々。


断片的な情報ではあるが、内情は容易に想像することができた。


おそらく、いや十中八九彼らの仲は不和を生んでいる。


しかし彼女の類稀なる能力の事だ。領地の運営ならばどちらが適しているかなど考える必要すらない。


とすれば、足手まといな彼は一体どうして僻地で引きこもっているのか?


そこまで考えたところで、記憶の奥底に追いやっていたあの憎しみが再び顔を覗かせた。


―――自分と彼の今の立場。それを突きつけてやれば、彼は一体どんな表情をみせてくれるだろう。


元婚約者である私が顔を出せば、きっと情けない顔をするに違いない―――。


そんな意地も性格も悪い思い付きに笑みを浮かべながら、私は断りも入れず数週出掛けることを書き置いて飛び出した。式は近く、それが終われば結婚式を挙げる事になっている。余裕のある時間は今しかない。



私は、全ての復讐をその日に集約させる事を決めた。




そして。



「着いたのね」


「はい。しかし、長居している余裕は恐らく」


「いいわ。どうせ顔を見るだけだもの」



爽やかな秋空の下なのにも関わらず、堪えきれない黒い歓喜の鼓動に自分は突き動かされている。


早く会いたい。こんな乙女のように誰かを待ち焦がれたのはいつ振りだっただろうか。


彼は一体どんな顔をしてこの屋敷に押し込められているのだろう。それだけが頭の中を占めている。


後悔?憔悴?憎悪?落胆?


なんでもいい。どれだっていい。


とにかく、相方に選んだ女によって領地の片隅に追いやられた裏切り者の末路が見たい。見たくてたまらない。


そして、嗤ってやるのだ。


私は今、とても幸せです―――と。



とくん、とくんと胸を高鳴らせながら、私は屋敷へと向かった。


その足取りに、迷いはなかった。







玄関の前で、侍女が掃き掃除をしているのが見えた。


隣でヘカテが体を強張らせたのが伝わってくる。まだ顔が見えないが、どうやら顔見知りのようだ。


侍女が此方に気付き、振り返った。そして、目を剥いて身構える。


なるほど、顔見知りどころではない。



「久しぶりね、コレア」


「……ペルセポネ様」



コレアは私の名前を呼んだ。その声色は動揺で震えていて、抑えようと必死になっているがどうしても抑えきれないようだった。


これだけでも、ここに来た甲斐があるというものだ。元婚約者の側仕えの醜態なんて前菜にはもってこいというものである。



「……遥々お越しいただき、ありがとうございます。―――お久しぶりですね、お嬢様。ヘカテ」



私の嫌らしい笑みに気付いたのか、その態度は毅然としたものになっていた。それは自分の中での彼女のイメージそのものであり、懐かしさが込み上げてくる。



「しかし、私は今回の訪問について何も聞かされておりません。ここには私を含め僅かな侍女しか居ませんので、伝言に支障があったとは考えにくい。失礼ですが、事前に文などを出されましたか?」


「いいえ、出していないわ。これは形式も何もない突発的なものよ」


「……恐れながら。貴女様ともあろう者が、手順を踏まず訪ねてくるとは些か不作法ではありませんか」


「コレア、お妃様に向かって無礼な……!」


「ヘカテ、下がりなさい」



怒りを露わにしたヘカテを押さえつけ、一歩下がらせる。


これくらいは予想できたことだ。



「確かに貴女の言う通りねコレア。その件については謝罪するわ。ただ、貴女達と久しぶりに会ってみたいと思っただけなのよ。これからはそうそう容易く会える関係ではなくなるのだから、尚更ね」


「……っ。ご婚約、おめでとうございます。私としたことが、遅れて申し上げ大変失礼しました」


「ふふ。いいのよ、ありがとう。それで、そろそろ中に入りたいのだけれど」



色々とつつきながら会話を進めていく。心底楽しく思いながら、玄関の扉を開けてもらうのを待とうとした。


しかし。



「重ねて申し訳ありませんが、この度の訪問、準備をする暇もなく歓待できるようなものは何も揃っておりません。どうか、改めてご来いただければ幸いです」


「あら、別にいいのよ。顔を見に来ただけなのだし、私も忙しいからまた改めて来るのは難しいわ」


「それでも、次期領主の妻となられるお方の待遇を怠ってしまっては、我が主の名折れとなりましょう」


「今更だわ。そんな間柄でもないでしょうに、|まだ≪・・≫」



無理にでも追い返そうとしているコレアの魂胆に気付きながら、それでも引くことはしない。


逃がしてたまるものか。まだメインディッシュが残っているのだから。



「それに、なんの為にコソコソとやって来たと思っているの?別に貴女達が対応を間違えようが、ここに私が来たということは私たち以外誰も知らないのよ?」


「……農民が貴女の姿を見た筈です」


「そうね。でも、顔までは知らない筈よ。こんなところまで広まっているほど、まだ私の顔は広くないわ。しかも、こんな重い肩書きをもった人間があんなこじんまりとした馬車に乗ってきたと誰が思うかしら?」


「しかし、下世話な人間は居るものです。何かしら嗅ぎつけて噂を広められたりでもしたら……」


「だから、私を中に入れろと言っているのです。このままでは私の訪問を無碍に断ったという噂が立ちかね無いわ。内情までは噂で広まりようがないのだから、噂が立つにせよ立たないにせよ受け入れた方が得策かと思うのだけれど」



そう言い切ると、コレアは歯噛みして押し黙った。



「今回の訪問は、私が口を割らなければ絶対に貴女達に非が向かうことはないわ。安心して頂戴、私だって結婚前に別の男と密会していたなんて噂が広まるのは好ましくないのだから」


「……事前に断りがなかったので丁重にお帰り願った、と押し切る事も可能です。貴女の言う通り、これは密会になるのですから」



少しばかり目を見開いてしまった。


彼女が開き直るだなんて、流石に想定していなかった。いつだって彼女は真面目で、計算高く頭の固い人だと思っていたから。


後ろで怒気を高めるヘカテに待てと視線で射抜きながら、私は佇まいを直す。



「そんなに上がらせたくないの?」


「ええ。ご主人様に会わせたくありません」



こんな意固地な彼女を見るのは初めてだ。


だからこそ……後には引きたくなくなってしまう。



「それはあの人の意思ではないのでしょう?」


「勿論、これは私の意思です」


「どうして会わせたくないの?」


「貴女が一番よく知っている筈では?」



その通り。



「でも、あの人が直接命令したわけではないのよね?ならば、優先されるべきは貴女の意思ではなく私の意思なのではなくて?」



身の程を弁えろ。言外にそう言ってやる。


それでも、彼女は引かなかった。



「全ては、ご主人様を想うためにあります」



中々手強い。これは骨が折れそうだ。


ヘカテを押さえるのも限界かと思われたその時、玄関から年若い侍女が顔を覗かせた。



「コレア侍女長。ご主人様が……」


「っ、どうなされました?」


「いえ、その……どうやら客人が来たことにお気付きになられたようで。コレア侍女長を呼んでくるようお言付けを」


「………わかりました。貴女はここでお客様の対応をお願いします」



そういい残して、コレアは屋敷の奥へと消えて行った。よく躾がされているのか、侍女は微動だにせず私たちの前で立ち尽くしていた。



「貴女、ここで働いているのね」


「はい」


「あの人の身の回りの世話なんかもしているの?良ければ話を聞かせて欲しいのだけれど」


「いいえ、私はこのお屋敷の掃除と料理を担当しておりますので、お客様のご希望にお応えするのは難しいかと」


「そう。その殆どを、コレアが?」


「はい」



どうやら、周りの声から彼の現状を判断することは難しいらしい。



「人数が少ないという話だけれど、大変ではなくて?」


「それは……いえ、侍女長が大半を担当しておりますので、私共は楽をさせていただいております」



申し訳なさそうに彼女は顔を伏せ、何かを堪えるように強張らせながら、ただ、と続ける。



「ただ……私の作る料理では、ご主人様は受け付けていただけないようで……」


「……そう」



何か慰める言葉でもかけるべきか、と言葉を選んでいると、再び玄関が開き、コレアが姿を現した。


その表情は、沈痛だ。



「………ご主人様から、通せと」



言葉は少なく、端的であったが、それだけで十分だった。


ぎぎぃ、と扉が軋む音を響かせ、屋敷の中へと案内される。屋敷の中は、何か変な臭いがした。


階段を登る最中、コレアは無表情を徹したまま口を開いた。



「この先に、ご主人様のお部屋がございます。ただ、この先に進むのはペルセポネ様だけにしていただきたい」



その言葉を吟味する前に、噛み付いたのはやはりヘカテだった。



「何をいいますか!お妃様だけで、元婚約者とはいえ男性と二人きりになど出来るわけがないでしょう!」


「それが出来なければ、お帰り願いたく存じます」


「貴女、いい加減に……!」




「いいわ。そうしましょう」




そう言うと、ヘカテは驚いて此方を振り返った。



「お嬢様、おやめ下さい。貴女になにかあれば私は―――」


「大丈夫。何か間違いがあれば双方が不利益を被る。そんなことにコレアが気付かない訳がないわ。そのコレアが言うんだもの、問題なんてないわきっと」


「しかし、これはそういった問題では……!」


「何かあったらすぐに呼ぶわ。扉の前で待機するぐらいなら構わないでしょう?」


「ええ、勿論です」



コレアは読めない表情で頷きながら、ある一つの部屋の扉の前で止まった。


どうやら、ここのようだ。



「ね、ヘカテ。どうか私の言うことを聞いて」


「……何かあれば、すぐに呼んでください。未然であっても、必ず」



そんな会話をコレアは冷たい眼差しで眺めながら、用意が出来たと扉に向き直る。


コンコン、と心地良く響くノックの音。


コレアは、失礼しますと断った。


返事はない。それが答えなのだろう、コレアは扉を開いた。


私は、それに続いていく。




胸はかつてないほど高鳴り、まるで恋をしているような気分に陥った。


後ろ暗い復讐。何よりも望んだ結末。夢のような終わり。


憎悪の炎が踊り狂っていたときから、どれほどこのような展開を渇望していただろうか。


惨めで、憐れで、消し去りたいとまで願った過去の自分。


それが、今。目の前にいる。


あの時言えなかったことを、今なら全て言えるような気がした。それも全て、可哀想な自分に対する皮肉に変えて。


どんな気分?と煽ってやりたい。


残念だったわね、と哀れんでやりたい。


でも自業自得よね、と嗤ってやりたい。



それでやっと、過去と決別できる。


そう確信していた。



だから、さぁ。



貴方のその情けない顔を、見せて?




私は、顔を上げた。









それは、選択を誤った強い後悔ではなかった。


それは、指揮権を奪われた事実に対する酷い憔悴ではなかった。


それは、現状を憂うことによる醜い憎悪ではなかった。


それは、思い通りにいかなかった現実への深い落胆ではなかった。



絶望でも、失望でも、恐怖でも、呆れでも、怒りでも、慟哭でも、無念でも、諦観でも、私が想像していた表情その全てが、そこにはなかった。



あったのは。




「やぁ」




差し込む日差しの影でありながらも、それは鮮烈な。


透き通るような、微笑み。




「久しぶり、ペレーネ」




それはまるで硝子のように。


彼は、ベッドの上で佇んでいた。







絶句していた。


理解が追いつかなかった。


目の前にいる人が、どうしても記憶の中の人と結びつかなかったのだ。


彼の体は、酷く痩せ細っていた。頬がこけ、肉が削げ落ちていた。


腕は枝木の先端みたいに細く、服はどこからでも手を入れられそうな程スカスカだった。


元から筋肉質でも脂肪体型でもなかったけれど、程よく引き締まった体が見る影も無い。


握ってしまえば折れてしまう。そんな気さえした。



「コレア、椅子を」


「はい。ペルセポネ様、どうぞ」



促されるまま、私はベッドの手前に引かれた椅子に腰掛け、混乱する頭をどうにか整えることに必死だった。


では、と退室するコレアを見送り、私たちは二人っきりになった。



「いきなり来るなんて、驚いたよ。まさかまた会う事になるなんてね。なんの持て成しも出来なくてすまない」


「……いいえ、元はこちらの不備によるものよ。貴方が気に病むことではないわ」


「そう言ってくれると助かるよ。あと、ここに来る経緯なんかも話してくれるとありがたいかな」


「それは、第二王国領の受領式に貴方の名前がなかったから……婚約者の名前はあったのに」


「ああ。ミントが参加するのに婚約者の自分が参加しないのはおかしいってなったのか。それもそうだな」



ギュ、と裾を握りしめる。


つっけんどんな言い草。婚約者の動向をまとも把握していない上に、どうでも良さそうな気さえ感じる。


どうして、と問いかけたくなった。


それでも、彼の姿を見ると言葉は喉元で止まってしまう。


結局、私も何も変わっていなかった。


変わらないまま、ただ会話だけが流れていく。



「まだ言ってなかったね。婚約おめでとう」


「お陰様で。ありがとう」


「式はいつ?」


「受領式が終わり次第すぐよ」


「そっか。もうちょっとだったのか」


「ええ、だから今日も直ぐ帰るわ」


「うん。でもまぁ、積もる話でも消化しようよ。聞きたい事が山ほどあるんだ」


「そうね。私も言いたい事があるわ、たくさん」


「それは楽しみだなぁ」


「その前にまず、私から聞かせて頂戴」


「いいよ。なんだい?」



一息。



「それは、いつから?」



それとは、勿論。


彼が伏せっている原因となっているものの事だ。



「……半年前からかな。それまで立つ事は出来なくもなかったんだけれど、とうとう動かなくなった」



極めて、淡々と。


まるで、あの時のように事務的な声色だった。



「……そんな重病が、半年に突然という事はないでしょう。発症したのはいつ?」


「難しい質問だね」


「難しいことなんて何一つ言っていないわ。誤魔化さないで」


「誤魔化してないよ。だってこれは、遺伝的な病だと診断されているから」



遺伝的。それが意味するものとは。



「……言葉を変えるわ。いつそれを知ったの?」


「五年前。両親が死んだあの時に、だよ」



今度こそ、耐えられなかった。



「どうしてッ!!」



ガタリと音が鳴った。それが自分が椅子を蹴って立ち上がった事によるものだと認識することさえできなかった。



「なんで……どうしてそんなこと!」


「言ってどうにかできる問題じゃなかったからね。それに、少し理解してた。だから隠すのは簡単だったよ」



何せ、一番身近な人に気付かれなかったのだから。


それは、コレアに向けてか、私に向けてか。


どちらにしても、私はただの間抜けである。



「……騙してたのね」


「それが一番都合が良かったんだよ、お互いに」



バッ、と布がはためく音が鳴り響いた。


音源は、私の袖。


首元を掴もうと伸ばした腕は、しかし届く事はなく手前で震えるだけに留まった。


たったそれだけで死んでしまうような気がして。


触れる事さえ、叶わない。



「都合?都合ですって?よくも、よくもそんな……!」


「だって、こうでもしないと婚約破棄を言い渡すことなんて出来なかっただろう」



嗚呼、と心の中で仰いだ。


やはり、そこに行き着くのか。



「今までは、こんなに早く進行するような病じゃなかった。早死にする家系とは言っても、跡継ぎを残して、安らかに余生につくまでの余裕はあったんだ。だから僕らは婚約を結べた。お家の利益を考えた婚約だけど、それでも男女の結びとして、家庭を築く事を許されていたはずだったんだ」



でも、それは五年前のあの日に奪われてしまったと彼は言う。



「みんな…みんな死んでいった。父上も、母上も、憧れていた叔父上も、綺麗だった叔母上も、兄のように慕った従兄弟も、その伴侶様やお子でさえも。僕の家系に連なる人間、その全てが突然死んでいった。この血が混ざった全員、一人残らず」



恨み節を並べているのに、その声は変わらない。


それどころか、薄ら笑いすら浮かべて私の目を見つめていた。



「この病は身体に巣食った毒虫みたいなものだよ。寝ぼけて垂れ流した毒によって一族みんな衰弱しつつあったのが今までで、五年前にとうとう目覚めてしまったんだ。もう、駄目なんだよ。僕の流れる血は根絶の一途を辿って、もう終着点まで目前なんだ」



なら、僕で終わりにするべきなんだと。


穏やかな表情は、ついぞ崩れる事はなかった。



ふらり、と力が抜けるようにして椅子に腰を落とした。


足元が崩れる感覚。それに懐かしさも感じながら、腑に落ちた事柄に感情が空っぽになる。


脳裏に返るのは、絶望していたあの日々のこと。私という視点から外れた、周りの目について。



彼はミントと婚約を結びながら式を挙げていない。彼らは正式な夫婦ではない。


けれど、婚約を結んでいる以上、財産の譲渡は彼女の権利となる。


彼はあの時、何と言っていた?


委譲しても良いと言ったのだ。分割でも、共有でもなく、婚約と言う間柄を色気に例える事すらなかった。


両親は知っていたはずだ。


家系に蝕む病。相手を調べずに財産の一部である私を軽々しく婚約に使うほど、貴族という生き物は馬鹿ではない。


彼らは黙っていたのだ。真実を知ったところでどうにかできる問題ではないし、余計な事を言って思い通りにいかなくなるのを恐れていた。


彼の思うままにすれば、娘は家系に取り込まれその命を蝕まれずに済むのだから。


ミントは全てわかっていたはずだ。


あの嫌がらせに耐えていたのは、元の生真面目さと彼に対する愛情からと思っていたが、それは少なくとも理由としては足りなかった。


何故なら、彼がこのまま死ねば、家名を踏襲することなくその権限全てが彼女の物になるのだから。


打算的過ぎるが、政治に興味のある彼女にとってはこれ以上なく美味い話だっただろう。


何より、彼がそれを強く望んでいたのだから、断る理由はない。優しい彼女が、そんな申し出を受けない筈がない。



私だけが、蚊帳の外だった。



「別に、全てが婚約解消のためだけにあったわけではないよ。僕がミントに惹かれたのも嘘じゃない。解消して欲しいと願ったのも本心だ」



慰めだろうか。彼は窓の外に目を向けながら、言う。



「全部、僕のしたいと思った事だ。僕の利益の為だ。あのままだと不利益しか生まなかった。だからああした。それが正しかった。的確だった。間違ってる筈なんてない。そう確信してる。だから……だから。君の為だなんて、口が裂けても言うつもりはないよ」



強まっていく語気。諭すような語調。


生命力の欠片も感じないその姿にも関わらず、彼は凛としていた。


だから、だろうか。



暗い熱が、湧き起こる。



「そうよね。結局、貴方は彼女を選んだのだから」



何年も付き添った私よりも、彼女を。


損得だけを考えて、自分の都合だけで選択したのだ。


それを、正当化させはしない。



「愛よりも利益。自分の身より領地の保全。当然よね。貴方は領地監督官様なのだから。それで、最終的に貴方の選択は上手くいったのかしら?」



私は今、今までになく獰猛な笑みを浮かべているだろう。


それでも彼は、何も見えていないように答える。



「うん。ミントは間違いなく天才だ。彼女に任せておけば、きっとうちの領地は安泰だろう。僕ではここまで出来なかった。彼女を引き込んで良かった」



ごう、と熱が燃え盛る。


制御は、出来そうにない。



「そう、良かったわね。その代わり、貴方はここに押し込められてしまったようだけれど」


「仕方ないさ。それに、僕には僕の出来る事がある。君は外の花畑を見たかい?」



唐突な話題の展開に戸惑いながらも、私は「えぇ」と頷いた。


彼は「綺麗だっただろう?」と聞くので、再び頷く。それを見て、嬉しそうに彼は笑った。



「あれは全部、薬草なんだ。根が薬になるんだよ。花はそのまま鑑賞用に使えるし、染色剤としても使えないこともない。この地域でしか繁殖出来ないみたいで、市場にまだ出回ってない。あれは、きっとみんなの役に立つ」



花瓶に生けてある紫色の花が、風に揺られてくるりと回った。


ふと、なにか懐かしいような香りがした。



「あれの栽培ノウハウは僕しか知らない。勿論記録として残してはいるけど、きっとミントも最初はてこずるだろう。コレアには反対されたけど、どうしても僕がやりたかったんだ」



彼は思いを馳せるように、瞼を閉じた。



「夢だったんだ。あの花畑を作るのが。あの花畑に立つ姿を見る事が―――」



誰の、と聞く前に。


彼はようやくその表情を崩した。



「君は、きっと覚えていないだろうけど」



それは、どう表現したらよかったのだろうか。


嘲笑にも、自嘲にも、ただ寂しそうなだけにも見えた。


ほんの一瞬、僅かな時間。


それを過ぎれば、彼はまた元通りの微笑。


それがまた、熱に風を送った。



なんだ、それは。


ふざけるな。



「その病症、幻覚の類でも見せるのかしら?」


「逆だと僕は思うんだけど、どうだろうね」


「ありもしない事実を作り出すなんて、確かに最悪な病ね。心から同情するわ」


「現実から切り離されるのなら、それもありかなぁって常々思うよ」


「よく言うわ。理想に逃げ出したのは貴方でしょう?」



止まらない。止まれない。


心に点いた炎が、私の頭を煮えたぎらせる。



「裏切ったくせに、私の思いを踏みにじったくせに、仕方がなかったみたいなクチで言わないで頂戴―――!」



そんな激情も。彼はただ穏やかに受け流す。


心底、憎い。



「……何度も言うようだけれど、これは僕が望んだ結果だよ。妥協なんかじゃない、全てが上手くいくための選択だった」


「じゃあ何故話してくれなかったの?全て打ち明けてくれなかったの?あのときの私は、事実さえ知っていればあんなにも苦しまなくて済んだと言うのに!」



まだ、理解していれば。自分を納得させることができたかもしれない。


可能性の話だ。けれど、醜い憎悪の炎はあそこまで燃え上がらなかっただろう。情けなくとも、裏切られたわけではないと自分に言い聞かせることができたはずだ。


震える手を押さえながら、荒れ狂う激情をなんとか手繰りながら、それでも吐露する言葉の波を堰きとめ切れない。


そして、決壊した。




「自分勝手なエゴイズムに酔っただけの|くそ野朗≪ピスヘッド≫が、酒臭い息でそんな言葉を吐くなッ!」




視界はの端は真っ白だ。興奮しているせいか、頭がジンジンしている。


ふーっ、ふーっ、と獣のような呼気を繰り返し、私は今、何もかも捨て去って叫んでいた。


その、直後。



「………くっ」



目の前の男は。



「くっ……くふっ、くふふ。くふふぁはははははっ」



腹を抱えて、笑っていた。



「…………貴様……っ!」


「やぁ、あはは。今日は本当にいい日だ」


「何が……!」



「こんな気持ちのいい罵倒が聞けるとは。本当に、思ってもみなかった」



今度は、頭が真っ白になった。



「は……?」


「きっと君以外誰にも出来ないだろうな。コレアの小言は何度も貰っていたけど、こう面と向かって怒ってくれたのは、きっと」



苦しそう――本当に苦しそうにしながら、彼は笑いを鎮め、落ち着けた。



「中々、堪えるものだね。罵倒と言うものは」



結構、効いていたらしい。


唖然としたまま思考回路が元に戻らない。



「忘れていたよ、こんな気持ち。怒られるのも蔑まれるのも大嫌いだったけど、誰かに感情をストレートにぶつけてもらうことがこんなに清々しいものだなんて気付きもしなかった」


「……マゾヒストだったの?」


「失敬な。そんなものなどではないよ、断じて」



たださ、と彼は先程とは打って違って自然な笑みで答える。



「ただ、懐かしいなと思って」



眩しい、と感じた。


泣きたくなるほどに。



「……どうして?」



それでも、涙は出てこない。


出てくるのは、押さえきれない怨嗟だけ。



「どうして、私を選んでくれなかったの?」



あのとき言いたかった言葉は、過去形でしか再現できない。


なにもかもが手遅れなのだと、このときはっきりと理解させられたような気がした。



「私じゃ駄目だったの?」



過去と決別するつもりだった。


でも、それは叶わなかった。


私は、今。あのときの私に巻き戻っている。



「あの子じゃなきゃ駄目だったの?」



書き換えられないやり直し。


雨に濡れた子犬のように。私は、無様だった。



「ねぇ。そんなにも、私は頼りなかったの?」


「きっと、君を選んでも。結果としては、変わらなかっただろう」



そう言って。


彼は、断言した。



「……え………?」


「君を選んだとしても、きっと君はずっと本と向き合って、あちこち走り回って、彼女と同じくらいの業績を残していただろう」



彼は笑っていた。


笑って、こっちをみていた。



「全てを打ち明けて、共に居て欲しいといったら。きっと君は僕の傍に居てくれただろう。病気のことを知れば、あらゆる手を尽くして治そうとしてくれただろう。家族が反対しても、それを断ち切ってまで僕と共に居ようとしただろう。色んな人に頭を下げて、色んな人の助けを借りて。全身全霊、粉骨砕身。自身の全てを投げ打って、僕の助けになろうとしてくれただろう」



でもね、と彼は言う。



「それでも、最後に君は泣くんだ。辛くて後悔したり、疲れて自棄になったり、失敗して落ち込んだりして、それでも頑張ったのにも関わらず、最後に待つのはハッピーエンドじゃない。ハッピーエンドじゃ、ないんだよ」



彼は自分の腕を見つめた。その目は、既に諦めきったような色をしていた。



「それが、どうしても許せなかった。だってあんまりじゃないか。惨めで、憐れで、生きてる価値なんてないんじゃないかって|教えられてるようで≪・・・・・・・・・≫。さっさと死んだほうがマシだ、そんな生き方」



何も出来ず、何もしてやれず。


なんにも返すことが出来ずに、ただ誰かを不幸にして死んでいく。



「どうせ死ぬなら、誰にも迷惑をかけずに死にたかった。ただ、それだけだったんだよ」



結局、その過程でたくさんの人に迷惑をかけてしまったけれど。


上手くいかないなぁ、と彼は一人ごちた。



「……散々、勝手に人のことを評価してくれていたみたいだけど。そんな自意識過剰な妄言、信じると思う?」


「信じなくてもいいさ。結局は君のいった通り、僕のエゴだ」


「開き直らないで。私のこと、全部わかっているみたいに」


「わかるさ」


「何を、今更…っ」


「わかるんだよ」



聞きたくなかった。


言われたくなかった。


はっきりと、わかっていた。




「だって―――物心ついたときから。僕と君は、一緒だったのだから」




わかっていなかったのは、一体どっちだったのだろう。


もう、私には。


私のことが、わからなかった。



「さぁ、もうこの話は終わりにしよう。聞きたいことがたくさんあるんだ、時間は有効に使おう。まず、最初はね―――」



どこまでも、無邪気に。


彼は、笑う。





それから、喉が枯れるくらいたくさん話をした。


卒業後の話。友人の就職先。学生時代のカップルの行く末。担当教師の転任。


夫の話。ヘカテの話。コレアの話。私の話。


彼は、終始笑っていた。


釣られて、私も笑った。



もう、なんのためにここに来たのかは、わからなくなっていた。





「それで、ヘカテが……」


「そうか、……っ、ごほっ、ごほっ」


「!」



急に咳き込んだ彼は、口を塞ぐようにして手をやりながらも、片手で私を制していた。


腰を上げていたのは、その手が目の前に迫ったことで気付いた。



「ごほっ、……大丈夫。ちょっと咽ただけだから」



辛そうにしながらも、彼は笑う。


笑う。


笑う。


口端に赤いものを滲ませて、笑う。



私は、このときどうすればよかったのだろうか。


何も出来なかった。何もしなかった。


何もすることが、なかった。



それは、紛れもなく言い訳だった。



「ご主人様」



いつの間にか、コレアが部屋に入って彼を介抱し始めていた。


慣れた手つき。それはきっと、侍女という肩書きが根源ではない。


このような症状に、何度付き合っていたのだろうか。



私は、何も手伝えなかった。


また、蚊帳の外だった。



「もう、今日はこの辺で。これ以上はお身体に障ります」



ペルセポネ様もよろしいですね?とこちらを訊ねる。


有無は言わせない口調。こちらとしても、言うつもりもなかった。


潮時だ。



「えぇ。今日は突然ごめんなさい。不躾な訪問で、本当に」



一礼、頭を下げる。 


私はいま、どんな表情をしているのだろう。


他者を見るように、額縁の外から眺めるように、|人形劇≪パペットショー≫を裏側から覗いたみたいに。


きっと、私は他人事。



「今日は、本当に楽しかった。またいつか」


「ええ、私も楽しかったわ。また会いましょう」



私たちは白々しく嘘を吐く。


あんなにも本音で言い交わしたというのに。


それでも、それは当然だった。もう既に、手遅れだったのだから。



部屋の外で待機しているヘカテと料理人の侍女の下へ足を踏み出す。


その足取りは、沼のように重い。


未練ではない。


何か、するべきことがあったような。


しなくてはならないと決めていたような。


それが、全ての目的だったような。


何か、なにか、ナニか……



「ペレーネ」



背後に、私の愛称を呼ぶ人が居る。


呼び親しまれた、もう一つの私の名前。



「最後に、一つだけ。聞かせてくれないか」



振り向かずに、足を止めた。


ただ、言葉を待った。


最後の言葉を。




「君は、今。幸せか―――?」




嗚呼。


そうだった。


忘れていた。



その為に、私はここに来たのだった。



振り返る。彼の姿がそこにある。


不安に揺れる顔。初めて見せたその表情。ずっと見たかった情けない色。



私は―――嗤った。




「えぇ、ルゥ。私は今、とても幸せよ―――」




しっかり嗤えただろうか。嘲笑することができただろうか。


視線の先の人。その表情は、ゆっくりと変わっていく。


それが、答えだった。






「ああ、そうか。本当に、本当に良かった――――――ありがとう」






穏やかに。安らかに。


ルゥは、目を細めて笑った。




それは、いつしか忘れてしまった。


大好きだったものの一つだった。











ガタゴトと馬車が揺れる。


陽は赤く染まり始め、花畑はそれでも変わらず紫色だった。



「お妃様、申し訳ございませんでした」



深々と、ヘカテは頭を下げていた。何に対して謝っているのか、見当はつかなかった。



「私が、もう少し調べていれば。ルートーン様のご事情を把握していれば。……いえ、それよりも。もっと早く、気付くべきだった。コレアと話すべきでした。ご親族の死の把握を怠っていました。私が知っていれば、調べていれば、気付いていれば、このような事になど、絶対にならなかったというのに……っ」


「今更よ。考えても無駄なのだから、やめなさい」


「ですが……っ!」


「ヘカテ。あなたの言っていること、そのまま私に向かっていえることよ。貴女は私を責めてそんなに楽しい?」


「――っ!!も、申し訳ありませんっ。そのようなつもりでは、決して」



ヘカテは顔を青くして再び頭を下げた。


そうだ。結局は、何も知らなかった、知ろうとしなかった私がこの結果を招いたのだ。


私が全て悪いなどと思い上がるつもりはない。そもそもの原因はあの人が裏切ったことによるものだ。これは、彼と私が招いた、一つの関係の終末に過ぎない。


彼がこの結果を望んで、私がそれを享受した。


つまりは、ただそれだけのことだったのだ。



「用事は済んだのだから、もう早く帰りましょう。これから色んな準備で忙しくなるわ」


「お妃様……」


「貴方もこんな瑣末な物事に囚われていないで、先のことを考えなさい。舞台はもっと大きくなる、他事に気を取られてる余裕なんてないのだから」


「………」


「わかったら気を入れ替えて、いつもの貴方を見せて頂戴。私は貴方だけが頼りなのよ」


「お嬢様」



泣きそうな顔。このようなヘカテを見るのは随分と久しぶりだな、とぼんやり考える。



「お嬢様は、それでよろしいのですか」



切実だった。きっと、彼女は侍女としてではなく、長年連れ添ったヘカテという友人の立場から、問いただしているのだろう。


気持ちはすごく嬉しい。


でも、答えはきっと、ヘカテの望むものではない。



「当然でしょう」



私が選んだ道は、たかが男一人で変わるほど安くはない。


それが例え、思い違いすれ違いが全て擦りあわされた後だとしても。



「だからといって、何もかもが水に流れたと言うわけではないけれど」



私は広がる紫を眺めながら、嗤った。



「何かが変わるかもと思っていたのだけれど、結局何も変わらなかったわ。真実を知って、言いたいことも言って。心残りは全くない。けれど、やっぱり憎いのよ」



空は、燃えるように赤い。



「変わらないわ。変わりはしない。どこまでいっても、あの人は私にとってただの裏切り者で、エゴイストで、最低最悪な浮気男なのよ」



眉間に力が入るのを感じる。無意識だ。



「みんなに迷惑をかけたくないっていいながら、散々周りを振り回してもどこ吹く風の構ってちゃん。きっと天罰よ、あれは」



外を眺める。農具を担いだ農民が、こちらを一礼した。



「いい気味よね。身の回りの全てを他人に委ねなければならないなんて、私には耐えられない恥辱だわ。きっとあのまま、そう。し、死んじゃうまで続くんだわ」



ヘカテは、ただこちらを見つめていた。


その目は、とても悲しそうだった。



「当然よ。死んじゃえばいいんだわ。きっと本望よ。これでコレアにも迷惑をかけずに済むのだから」



馬車の揺れが酷くなった。きっと、舗道がしっかり均されていないせいだろう。ここは田舎だ。



「あの張り付いた笑みを浮かべたまま、誰にも知られず、誰にも悼まれずに死ぬのがお似合いよね。ひっそりと、忘れられたように」



紫の花たちが、ざぁっと風に揺れていた。


もう、誰も居ない。



「そうやって死んでいっても、きっと満足だったっていうのよ。救えないわ」



ただ、そんな景色を眺めていた。


最初から、それらとは別の景色を見続けていた。



それは、網膜に焼き付いていたあの情景。




「本当に馬鹿。大間抜け。世紀一番の虚け物。なにが、―――なにがありがとうよ」



口を歪める。目尻を上げる。渇いた喉が奥で鳴る。



嗤う。


嗤え。




嗤わなきゃ。




ぽたり、と。


膝に、熱いものが落ちた。



それは、私の目から零れたモノ。




「嫌いよ」



嗤え。



「嫌い」



嗤え。



「大っ嫌いよ」



嗤え。






嗤え。



お前には悪役≪ヒール≫がお似合いだ。





揺れる花々に過去を幻視しながら、私は嗤い続けた。





















『綺麗なお花ー!』


『駄目だよちぎっちゃ、かわいそうだよ』


『もう!さっきからいっつもそうやって!お花摘みに来たのに、何のために来たの!?』


『だけどぉ……それはすごく珍しいって父様が』


『なら尚更持って帰らなきゃ!』


『駄目だよぉ、他のにしよう?』


『やだ!やだやだこれがいい!』


『それじゃあ、もっといっぱい咲いた時に摘もう?』


『そんなのいつかわからないじゃない!』


『いっぱい咲いたら、知らせるから。このお花で花束を作ろう、一緒に』


『……ほんとう?』


『ほんとうのほんと』


『それじゃ―――』






『―――約束ね、ルゥ』


『うん、ペレーネ。約束するよ―――』





サブタイトル『紫苑の約束』


ご読了、ありがとうございました。以下、筆者のつまらない持論が続きますので、興味のない方はお手数ですがブラウザバックを。


尚、感想欄を設けずほとんど言い逃げのような形となりますので、嫌な予感がする人もどうか避けるようお願いします。































さて。


タイトルからもお分かりいただけると思いますが、今回の作品は昨今の流行による風刺に逆らう事をテーマに書かせていただきました。


まぁ、タグに悪役令嬢を載せている時点で他人の事を言えないだろというご意見がありますでしょうが、ごもっとも。これ、悪質な便乗犯じゃないかと戦々恐々としてる現在であります。


置いといて。


まず初めに理解していただきたいのは、別にこれは他作品を糾弾しバッシングする為の意見ではないという点です。作品を作る思想に於いては自由なのが当然ですし、私自身もそれに干渉するつもりは一切合切ありません。


いうなれば、これは巷で流行りの便所の落書きというやつです。2chでやれ、という意見が出そうですが、こういう作家気取りの馬鹿もいるんだなーくらいの認識で受け取って貰えたらと思います。


前置きが長くなりましたが、言いたい事は単純です。なんだか、悪役令嬢モノって内容が一辺倒だな、って。


コンセプトとして、今迄やられ役、かませ役だったキャラクターに焦点をあてるというのが悪役令嬢モノの特徴だと思っております。


正直、私自身この手のジャンルは嫌いではなく、むしろ好ましい物だと思ってます。


救われないキャラや報われないキャラに位置する登場人物たちに救いの視点を。そういうのが、WEB小説によって開拓されるよいジャンルだと思うのです。


ただ、なんだか最近、そういう観点が露骨になりつつある、というのが筆者の意見であります。


ぶっちゃけそこまで幅広く手を伸ばしている訳ではないのですが、ランキング上位に来るものはそういうのが顕著であると認識しています。


というか、悪役令嬢ってなんだよってツッコミを入れてしまう事もしばしば。


最近読んだ物を例に挙げれば、


悪役令嬢は良妻令嬢であり、ヒモみたいな婚約者がのび太君のように掌をひっくり返す。


あるいは、悪役令嬢転生からの大躍進。


どれも面白い筋書きなのですが、問題なのはそれが数年前のデスゲVRの如く蔓延しているということ。


当時もなんだかなぁと思ってはいたのですが、今回のは琴線に触れる何かがありました。


それが何かというと、まるで悪役令嬢以外の環境、例えば主人公の立ち位置にいるキャラなんかに恨みでもあるのか、というぐらいに話の内容が極端であるということ、です。


嫌な表現をさせてもらうと、書いている本人が、虐められている同級生を庇い、周りの悪者を見つけ蹴散らしている。そんな印象すら見受けられるくらいには、話に偏りが生まれている気はします。


それの何がいけないのか、と思う方もいるでしょう。別に、悪くないんですよ。客観的に見ても正義だし格好いいとも思います。


ただ、虐められっ子助けてる俺/私カッケーみたいな、虐められていた子の側からしてみれば少しうざったさを感じるような表現が節々から伝わってくるんです。


もうここまで読んでいただければ、なるほど便所の落書き並みの内容だなと評価していただけると思いますが、私はどうしてもそれが許せなくていつの間にか筆を執っていました。


虐めることが正しい訳でも、助ける事が間違っている訳でもありません。


ただ、悪役令嬢は助けられる為の存在ではない。もっと色々な可能性を秘めている、という痛々しい持論から、この話が生まれました。


だからなに、という訳でもなく。こんだけ壮大な事口にしながら何も始まらない、といった話の締めくくりなのですが、これを読んでくれた人たちに何か一石投じてみようと思ったというのがこの話の全てです。


結局、何が言いたかったのかわからないという方が多くいらっしゃるでしょう。説明が下手で申し訳ありません。なんというか、無駄な時間をとらせてしまった感がありますが、何卒ご容赦ください。


言い訳させていただければ、「明るい話が書けない病」に陥ったせいでいつも書いているラブコメの方に手が付かず、こんな捻くれた話しか思い浮かばなかったせいで……これ、言い訳になってないわ。


やはり、自分の気持ちや考えを文章に表すというのは難しいものですね。今言うこっちゃねぇけど。


今回の話は、忘れていただいても構いません。ブクマも評価も不要です。


ただ、こんな馬鹿もいる。それだけを覚えていただければ、こちらは満足です。それが例えいい意味でも悪い意味であっても。


次は、明るい話でまたお会い出来れば。



よくわからない文章で、本当に申し訳ありませんでした。


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