第三話 八王子から東京へ
高尾の天狗・尾根の元を去った八那と迦楼羅は、国の政治・経済の中心を担う東京の都心部へと向かう。飛んで移動できない代わりにと尾根が授けてくれた銭を風呂敷に包み、中藍色の行灯袴を身に着けて鉄道に乗る八那。万が一、自分が視える人間がいたら騒ぎになるのを恐れた迦楼羅は車両には入らず、汽車の上に座り込んで風を浴びていた。
…例え隣の席に座っていたとしても、迦楼羅と話していれば他人から怪しまれるしね…
東京駅に着くまでの間、八那は車窓から見える風景を眺めながら考えていた。
退屈をあまり好まない彼女だったが、今回は違う。まだ心の整理が付かない面も多く、この乗車時間は、己の中にある気持ちの整理をするのに絶好の時間だったのだ。
そうして八那は、東京駅に着くまでの間、汽車に乗るまでの間にした迦楼羅との会話を思い出し始めたのである。
「高尾の山を降りた事だし、私の本当の父…だという、酒呑童子の事を教えてくれない?」
八那が迦楼羅に提案すると、彼は少し動揺したが、少女の問いに答える。
「んー…俺とあいつは…。いわゆる、“悪友”という奴かもな。後になって、“日本の三大悪妖怪”なんて謳われていたらしいが、奴自身は結構まともな奴だったぜ」
「まとも…。でも、尾根様は“鬼”って言っていた…。絵図とかで見た鬼は、とても凶悪な存在だっていう噂だよ?」
「確かに、人間を攫ったりと悪い事はしたが…本当の酒呑童子は、言い伝えとはほど遠い、まっすぐで筋の通った野郎だったぜ。人間ってのは、己より強い者や想像し得ぬ者を恐れ、残酷な真実とて嘘や脚色を平気で使うからな。…故に、“鬼は邪悪な存在”なんて特徴が後世に残っちまった訳だ」
「ふーん…」
迦楼羅の皮肉めいた台詞を聞いていた八那は、ふと動かしていた足を止める。
それは、鉄道の駅である八王子駅が目に飛び込んできたからだ。
「俺は、鬼になってから酒呑童子に出逢った訳だが…彼の者曰く、父たる大蛇に相いまみえるまでは、人として生きてきたらしい。…お前がその齢 十八で力に目覚めたのも、父親の業を辿っているが故なんだろうな」
「酒呑童子…か」
汽車の壁に寄りかかりながら、八那は独り呟く。
長い旅路になるんだろうけど…。願わくば、本当の両親の事も何か解るといいな…
そんな事を考えながら、ひと眠りしようと瞳を閉じる八那。
義理の母親を失った心の痛みは癒えていなかったが、釈迦如来から与えられた使命や本当の両親の事を考える事で、痛みが少しでも和らぐかもしれないと無意識に悟っていたのかもしれない。
「ほぉ~…これが、かつての東国かぁ…。栄えてんなぁ…!!」
二人は、八王子から東京駅へとたどり着く。
この国の玄関口である東京駅での人の多さや駅の清潔さに、迦楼羅は感心していた。
「東京駅は私が15の時に開通したとお父様から聞いているから、新しくて綺麗なのかもね…!」
一方、八那もこの地を訪れるのは生まれて初めてだったため、人の多さや駅の綺麗さを新鮮に感じていたのである。
赤レンガでできた駅の近隣には、時の帝が住む皇居も存在する。人々が“お上”と呼ぶ存在が迦楼羅の知る“帝”と同じ意味であると八那に教えられ、彼は人間の王政の継続性を不思議に感じていた。
「ところで、迦楼羅。尾根様がおっしゃっていた次の山は、北でしょ?そのためには、上野まで行かなくてはいけないのに…」
八那は周囲に聴こえない程度の小声で、辺りを見ながら飛んでいる迦楼羅に声をかける。
そんな二人は東京駅前を離れ、神田川の流れる万世橋の付近を歩いていた。
「んー…ここいらに、顔見知りの妖怪が棲んでいるはずなんだが…おかしいなぁ…」
迦楼羅は、腕を組みながら応える。
しかし、その顔見知りを探している事もあり、八那の方には振り向かずに口を動かしていた。
「その妖怪って、どんな奴なの?」
「うーん…確か、首が伸びる坊主みたいな奴だったな」
「それって…見越し入道?」
八那が首を傾げながら更に問いかけると、迦楼羅はようやく彼女の方に向き直る。
「というか、八那。お前、見えるにしたって、妖怪の種類に詳しいんだな」
「うーん…今まで理由がわからなかったんだけど、特徴を聞く事や実際に目の当たりにすると、その妖怪がどんな奴なのか頭の中に知識みたいなものが流れ込んでくるの。これも、八岐大蛇が関係しているのかな?」
「いや…それはおそらく、酒呑童子か茨木童子の能力だろう。大蛇がスサノオに退治される前後はまだ、妖怪はこの国にいなかったからな…」
どこか遠くを見つめるような瞳で、迦楼羅は述べる。
「…あれ…」
「八那、どうした…?」
「あそこ…!」
川の付近で何かを見つけた八那は、その方向を指さす。
彼らの視線の先には、数人の子供らしき者達が存在し、一人の少年を取り囲んでいるようだ。囲まれている少年は笠を頭にかぶり、両目に涙を浮かべながらしゃがみこんでいる。おそらくいじめられているのだろうが、ただの子供の仕業でない事に二人は気付く。
「あれは、豆腐小僧…もしや…!」
「あ…迦楼羅!?」
何かに気付いた迦楼羅は、八那が止めるよりも先に翼を広げて一直線に飛翔する。
「こーら、てめぇら!!」
「あちゃー…」
飛翔した迦楼羅は、取り囲んでいた他の子供たちに拳骨を食らわせていた。
少し離れた場所にいた八那はこの第一声は聴こえていたが、その後迦楼羅が子供達に何てどなっていたのかは、聞き取る事ができなかったのである。
「た…助けてもらって、っく。あ…ありがとう…ございました」
「君…大丈夫?」
迦楼羅が助けた少年は、おどおどした口調で彼に向けて礼を述べた。
八那は、心配そうに声をかける。まだ瞳が潤んでいる少年は浅縹の色をした小袖を身に着け、髪の毛がないのか、頭の笠から肌色の頭が見え隠れしている。
妖怪なのに…こうして見ていると、普通の童だよなぁー…
八那はその正体を知りつつも、この少年に対して愛らしさを感じていた。
「お前、見越し入道のせがれだろ?」
「ひっ…!!?」
すると突然、迦楼羅が少年の上から覗き込む。
それに驚いた妖怪・豆腐小僧は、体を震わせる。突然の出来事でもあるが、紅い瞳と黒い翼を持つ迦楼羅の外見も相まって、驚いたのだろう。
「うぇぇぇぇ…!」
「迦楼羅~…脅かしちゃ駄目じゃん!」
再び泣き出してしまったため、八那はため息交じりで天狗を責める。
「んだよ!俺はただ、こいつに問いかけただけだっつーの!」
彼女の言い回しが気に食わなかったのか、ふてくされた子供のようにそっぽを向いてしまう迦楼羅。
この女…餓鬼の肩持ちやがって…
一方、内心では、豆腐小僧に対して軽い嫉妬をしている八部衆であった。
「えっ…!!?」
すると突然、何かが切れる音と共に、地面に思わぬものが出現する。
八那が驚いたのは、それが髪の毛だったという事だ。
「あ…!だ…駄目だよ、鳶!!その人は…!!!」
何かに気付いた豆腐小僧は、八那の後ろにいる者に対して、声を張り上げる。
「なっ…!?」
八那が後ろを振り向くと、その正体に気付いて目を丸くする。
彼らの目の前にいたのは、顔かたちは鳥なのに、首から下が人間のような体を持つ妖怪――――髪切りだった。
その妖怪の両手は指が刀のように鋭い形をしていて、その指と指の間には切られたと思われる八那の黒髪が少しこびりついていた。
この妖怪…この子が呼び出したというの…!?
地面に座り込む八那を見下ろした髪切りは、鋭い右手を彼女に突き出し、攻撃しようとしたその時だった。
「…話の邪魔すんじゃねぇよ、鳥野郎」
不機嫌そうな迦楼羅の声とほぼ同時に、何かにぶつかる鈍い音が周囲に響き渡る。
いつの間に髪切りの背後にいた迦楼羅は、その脳天にかかと落としを食らわせていた。八那の倍近い身長を持つ髪切りは、八部衆の蹴り技によって、気を失うのであった。
「ご…ごめんなさい…!鳶は、僕が虐められると感じた時に助けに来てくれる友達で…」
涙を浮かべながら、豆腐小僧は八那に謝る。
この子が従えている妖怪って事なのかな…?
突然、己の髪の毛を少し切られた事に驚いていた八那だったが、これ以上怒ったりするのはよくないと考え、一呼吸置いてから口を開く。
「私達は、君をいじめに来た訳ではないわ。そこにいる彼が、貴方に話があるというだけなの」
「ん…うん…!」
八那が優しい口調で宥めると、それに納得した豆腐小僧は右手で濡れた自分の頬をぬぐう。
こうして迦楼羅の顔見知りである妖怪の息子と思われる豆腐小僧と出逢い、彼の口からこの東京における現状を聞く事になる八那と迦楼羅であった。
いかがでしたか。
第一章突入!…という事で、気づいた方も多いでしょう。
今回出てきた豆腐小僧は、後に仲間になる"正志郎"です。
名づけは次回以降になりそうかな?
さて、八那の髪を切った髪切り・鳶について…
何故この妖怪を出したかというと、(資料によると)主に東京に出没する妖怪だから。また、敵と戦う能力のない豆腐小僧は"何か強い妖怪を従わせている"という設定にしようと、今回登場させました。
また、妖怪を従えている件は、彼の父親である見越し入道が関係してきます。
ちなみに、豆腐小僧は父が見越し入道。母がろくろ首だそうですね★
さて、次回はどうなるか?
因みに、万世橋は今でいう秋葉原のあるあの辺り。東京駅が(大正時代の当時は)皇居前にあった事から、そこから近い場所を今回の舞台にしようと考えて選んだだけで、秋葉原を狙った訳ではないです(笑)
それでは、ご意見・ご感想があれば、よろしくお願いいたします!