第十七話 鬼
「娘よ。そなたは、生きたいか。それとも、死して楽になりたいか?」
「……死にたい……」
「…相分かった」
八尋ら鬼が棲む邸に迦楼羅が居候し始め、数日が経過したある日――――鬼達が連れてきた貴族の娘と思われる人間を彼は目にする。
八尋は問い、娘はそれに答えを出す。すると、返事を聞いた鬼の棟梁は地面に座り込んでいる娘の目の前に近づき、しゃがみこむ。
「ぐっ…」
「すぐに…楽にしてやる」
娘が発する苦悶の声と共に、八尋は何かを呟く。
そんな彼の右手は、娘の心臓部に食い込んでいた。
これが、人間を喰う鬼の性。だが、奴は…
迦楼羅はこの一連の流れを傍観しながら、考え事をしていた。鬼は本来、人間や他の生き物を襲い、食らう妖怪。普通の鬼ならば血なまぐさい光景になるが、八尋は違う。彼は、人間の魂だけを喰らうらしい。
「人間どもは鬼を悪く云うでしょうけど、彼は違う」
「翠…」
大広間の柱付近に立つ迦楼羅の横に、女鬼・翠が現れる。
その後、女鬼は魂を吸収されて地面に崩れ落ちる人間を見下ろしながら話を続ける。
「あの者もそうだけど…彼が攫ってこいと命じる人間は、“生きる気力が尽きかけている者”のみ。そこで選ばれた人間に生きる意志があるならば帰すし、死にたいのならばその望みをかなえる。それに、血肉を喰らう雑魚と違い、八尋は人間に苦痛を与える事なく魂だけを喰らうのよ」
「へぇ…。ある種、合理的だな。だが、人間ってのは臆病で残酷な生き物だ。…斯様な所以があろうとも、八尋を“人間の女を攫って食べる鬼”としてか見ないだろうよ」
翠の話に対し、迦楼羅は皮肉めいた台詞を返す。
その台詞に対し眉間にしわを寄せた翠だったが、彼女が迦楼羅に対して怒るという事態にはならなかった。
「…人間が、卑しい存在なのはわかるわ。それでも、無駄な殺戮や破壊を好まない八尋だからこそ、私は…私達は、従う事ができる」
「だからお前も…八尋に習って、人間の血肉は口にせぬと?」
迦楼羅が問いかけると、翠は黙ったまま頷いたのである。
彼が語る八那の父・酒呑童子は、人間がよく知るような鬼とは全く異なる鬼なのだろう。話を聞いていた八那は、そんな事を感じていた。しかし、鬼であり八岐大蛇の血を引いている以上、避けては通れない道もあった。
「八尋…お前、昨夜の“あれ”は一体…?」
ある日の昼下がり――――迦楼羅は、邸の敷地内にある井戸で顔を洗う八尋に声をかける。
水を汲む桶を乱暴に置いた八尋の表情は、どこか曇っていた。
「…そうか。迦楼羅は、“あれ”を垣間見るのは初めてであったな…」
鬼の棟梁は、部下が持ってきた布で顔を拭きながら答える。
そして、部下を引き下がらせた後に、迦楼羅の方に体を向けた。というのも、この日の前の晩、いつものように都から攫ってきた人間の娘に同じ問いかけをして「死にたい」と答えたのに対し、爪で無残に引き裂いて殺す―――――という、普段の八尋では想像がつかない光景を迦楼羅が目の当たりにしたからだ。
あの瞬間に見た、八尋が持つ酸漿色の瞳…。まるで、憎悪が宿っているようだったな…
その時の光景が忘れられない迦楼羅は、腕を組みながら鬼を見据える。
自身を見つめてくる視線に気づいた八尋は、悲しそうな笑みを見せた後に口を開いた。
「わたしが…元来、八岐大蛇と人の血を引く者…という出自は話したよな?」
「あぁ…。確か八岐大蛇って、人間の始祖たる神に殺された水神だったな」
八尋の問いに対し、迦楼羅は頷きながら答える。
「知人たる妖狐の話だと、大蛇が素戔嗚にやられた時の怨念を内に流れる血が記憶し、同じ血が流れるわたしを冒しているらしい」
「ふーん…」
迦楼羅は、彼が口にした“妖狐”の存在も気になったが、とりあえずそれについて深くは掘り下げなかった。
そんな中、八尋の話は続く。
「昨夜の“あれ”もそうだ。わたしの頭の中に、“殺せ”や“恨みを晴らせ”…という声が流れ…」
「…八尋…!?」
話を続けていた八尋だったが、徐々に表情を変えていく彼に対し、迦楼羅は動揺する。
冷や汗をかいていた八尋は、開いていた右手を強く握りしめながら再び口を開く。
「それに“耐えられぬ”と一度感じてしまった結果…人が我らに対して見ている虚像通りの“鬼”と化す」
「だが…それでも、すぐに我に返るという事は…皮肉にも、人間の血を引いているが故…か?」
「……あぁ。それにわたしの場合、人として生きてきた時代があったので、尚更な」
「そうか…」
話を聞いて複雑な想いを感じた迦楼羅は、それ以上の詮索をするのを止めたのであった。
その後、本人の口から直接聞く事はなかったが…迦楼羅は八尋が抱えるこの”血の記憶“を抑えるのに苦労しているのを何となく気が付いていた。
八尋が抱える宿命を知る一方――――――嫌な出来事ばかりでもない。
それは、迦楼羅・八尋・翠の3人がそろっていたある日の事だった。
「迦楼羅。そなた、明日出立とな?」
「あぁ、八尋!世話になったな…!」
迦楼羅が大江山を降りる事が決まり、そんな彼の前に八尋や翠が現れる。
「しかし、お主…。“神”と謂われる割には随分と、部下達に追いかけまわされておったな?」
「あん?」
翠のからかいに対し、冗談っぽく迦楼羅は睨み付ける。
それを横で見ていた八尋は、クスクスと笑っていた。
「あ…てめぇ、八尋!!今、俺の事笑っていやがっただろ!?」
友にまで笑われてしまった事で、迦楼羅は頬を少し赤らめ恥ずかしくなってしまう。
「俺とて、今はこんな姿形だが…元は獣たる鳥みたいなもんだ。“食わせろ~”って追い回されれば、逃げたくもなるわ」
からかわれた当の迦楼羅は、ため息交じりで鬼達に追いかけまわされた日々を思い出していた。
「なぁ、迦楼羅」
「ん?」
すると、少し憂いを帯びた表情を浮かべながら、八尋は迦楼羅に声をかける。
「わたし自身、ひどく迷ったし、悩みもしたが…決めたのだ」
そう口にしながら、白銀色の髪をなびかせる鬼は、碧色の髪を持つ鬼の肩に触れる。
「鬼の血を絶やさぬために…子孫を残す事にした」
「お…!?」
この時口にした台詞に対し、八部衆は豆鉄砲を食らったように驚いていた。
しかし、“悩んだ理由”をよく知っている迦楼羅は、真剣な表情に切り替えてから口を開く。
「八部衆の一柱たる神として忠告するが…その童は、辛い運命を背負う事になるぜ。それでも…決意は変わらぬか?」
確認するように相手を見上げると、鬼の棟梁は決意した瞳で首を縦に頷く。
その話を、緊張した面持ちで翠は聞いていた。
「前途多難だろうが…お前の“友”として言わせてもらうと、“頑張れよ”と思うし、種の存続を考えれば、その選択もありだと俺は思うぜ」
「迦楼羅…」
真剣な面持ちから普段の表情に戻ったのを見た八尋は、安堵したのか――――――息を大きくはいていた。
「あの時見せた二人の表情…今でもはっきりと覚えているぜ」
そう口にしたのを皮切りに、迦楼羅は語りを終えたのである。
やっぱり、“血の記憶”の影響を強く受けていたのね…
話を聞き終えた八那は、焚火の火を見つめながらふとそんな事を考えいていた。
「そうして別れてから数十年後…八尋達が、人間に殺されたという話を風の噂で耳にしたという訳だ」
ため息まじりで話す迦楼羅は、横にいる八那に視線を落とす。
「…にしても、不思議だよな」
「え…何が…??」
唐突な言い回しに対し、八那は首を傾げる。
「…いや。えっと…日本に、平らな都ができた年が…」
「…794年?」
「そうだ、その少し後ぐらいって奴か!」
歴史に出てくる“年号”を口にしようとした迦楼羅に、八那は助言をする。
納得した八部衆は、更に話を続ける。
「要は、今この時。当時より1000年は経過しているってのに…八那は如何にして赤子の状態を保ち続けてきたか…って事だ」
「あ…!!」
ここまで聞いて初めて、八那は彼が言いたかった事を悟る。
そっか…。茨城童子も酒呑童子と同じ時期に亡くなっているって話だから、その頃にはもう産まれていたんだろうし…
迦楼羅の話を聞いて、八那も考え込む。
しかし、結論が出る事なく、数分間だけ沈黙が続くだけであった。
「…何にせよ、明日執り行われる交わりの儀。先刻話した記憶が少し透視えるだろうが…お前は気にせず集中してくれ…な?」
そう口にしながら、迦楼羅は八那の頭を優しく撫でる。
「うん…そうだね…」
迦楼羅の手が心地よい事もあり、はにかんだ笑顔を浮かべながら、八那は眠りにつくのであった。
いかがでしたか!
一応今回で、迦楼羅と八尋の話に区切りがつきました!
まだ、この章は続きますが…
さて、八尋が口にしていた「人間だった時代」について…
日本三大妖怪と云われている酒呑童子の出自には、諸説があって…
具体的に書くと長いので割愛しますが、皆麻が今作の酒呑童子の経緯として設定したのは、「鬼の面がはがれなくなり化け物呼ばわりされた」というエピソードの方。また、八尋がただ人間を襲うだけでない鬼である事も解っていただければな~と思います!また、作中に出てきた”妖狐”。解る方はわかるかも?
それでは、次回は八那が交わりの儀をやるところからかな?
ご意見・ご感想あれば、宜しくお願いいたします!