第十六話 嵐の中で語る二人
翠:酒呑童子に仕える女鬼。淑やかそうな外見とは違い、男勝りな性格。そのため女だと気付かない鬼もいたようだ。人間には茨城童子と呼ばれていて、八那の実の母親に当たる。
八部衆が一人・迦楼羅が八那に語る酒呑童子の話は、具体的な年号は覚えていないらしいが、この時から約1000年昔―――――――――京に都があり、魑魅魍魎が跋扈していた時代にあたる。
「俺は…まぁ、昔から人間でいう放浪癖…だな。自分の役目を全うする一方、時ありし時は己が望む時代や国に出向いては飛び回っていた。元々、お前が住む日本の神でもなかった訳だし…」
「異国の神…キリシタンとか?」
八那は不思議に思いながら、迦楼羅に問いかける。
「まぁ、発想としてはそんなかんじだ。俺の場合はインドにあたる…かな。兎に角、一度訪れようと思っていた日本を飛び回っていた折…途中で台風に遭遇する」
迦楼羅の真剣な面持ちを目の当たりにした八那は、そのまま黙って彼の話に耳を傾けるのであった。
「くっそー…日本は、時期によって台風もあるって聞いた事あったが…まさか、“それ”か…?」
とある山中にある崖付近にあった大木の上に立って雨宿りをしながら、迦楼羅は独り呟く。
神力の象徴でもある翼だが、その素材は普通の鳥と同じである。そのため、水に濡れすぎると重くなって飛べなくなってしまう。そのため、雨・雪・台風といった天候の際は休まざるを得ないのだ。また、陽が沈み辺りが暗いという事もあり、朝まで今の場所を離れられない事実に対し、苛立ちを隠しきれない。
「ん…?」
すると、一つの気配を感じ取った迦楼羅は、目を細めて感じた気配の方角を見る。
そこには、台風による風と豪雨が舞う中で、雨風防ぎもせずに歩いている人影があった。
白い角…。日本に棲むという妖怪の一種・鬼か…?
迦楼羅はそんな事を考えながら、彼の人物を見下ろしていた。
彼の瞳に映っていたのは、白銀色の髪を二の腕くらいまで伸ばし、2本の角が頭にある鬼だった。
「ん…?」
すると突然、相手の視線が自分の方に向けられる。
迦楼羅はそこで、一振りの風が通り過ぎるような感覚を味わう。
俺の紅い瞳とはまた少し異なる色の瞳を持つ鬼…か
白銀色の髪を持つ鬼が迦楼羅を睨み付けている一方、当の本人は自分と似た特徴を持つ妖怪に興味を抱いていた。
「天狗に似て非なる力を感じたが、異なる存在…ということか。そなた、何者だ…?」
大雨に打たれる中、敵意を含んだ眼差しが迦楼羅に向けられる。
「へぇ、気配を感じ取れる…ねぇ。この国の妖が“神が零落した存在”という説があるのは、真という訳だ」
殺気を飛ばされているにも関わらず、全く動じていない迦楼羅は相手を観察していた。
逆に、“神”という言葉に相手は反応していたのである。
「…まぁ、よい。見たところ、わたしを知らぬようだし…何よりこの台風で足止めを食らわされているようだからな」
「あぁ…?」
しかし、余裕のあった迦楼羅も、本当の事実を言い当てられたために少し動揺する。
その表情を確認した鬼は、少し笑ってから口を開く。
「ここから奥へ進んだ先に、洞がある。この天候による移動は、わたしも好かん。故に、そなたも雨宿りをしたくば、ついてくるといい」
「…へぇ…」
終始ほぼ平静を保っていた鬼を目の当たりにした八部衆は、お言葉に甘える事にした。
しかしこれは、迦楼羅の人格故に成り立った会話であって、他の八部衆の者であれば「無礼な物言いだ」と激怒していたであろう。
「そなた、名は…?」
「俺は、迦楼羅。まぁ、各地を放浪しているのを生業とする妖…って所か。お前は…?」
「わたし…?」
洞にたどり着いて一息ついた二人。
迦楼羅は名を尋ねられて名乗った後、逆に訊き返すと鬼は瞬きを数回する。
「わたしは…八尋。しかし、よくわたしが名を持つ妖だとわかったな…」
「は…?」
八尋の思わぬ発言に対し、迦楼羅はしかめっ面をしていた。
当時の彼は、“妖怪は互いに名前をつける風習がない”事を知らない。逆に神である己は“名があって当然”とされる極楽浄土に住まう神。単に、そこから出た何気ない一言のつもりであった。
その会話もあって、とりあえず迦楼羅は八尋に対し“異国から飛んできた妖怪”と自身の身分を偽ったのである。それは当然、自分が八部衆の一人たる神・迦楼羅と知られてはいけないからだ。
「しかし、八尋…。お前、鬼…だよな?」
「あぁ…それが何か…?」
迦楼羅は首を傾げながら、その先を述べる。
「お前から感じるのは、俺が知る鬼…というより、この国に流れる海のそれと似ているんだが…」
「なっ…!?」
まじまじと見つめてくる迦楼羅に対し、八尋は目を丸くして驚いていた。
その後、力尽きたかのように突然その場で俯く。
海…か。そういえば、この島国には太古の水神が棲むという話を八部衆から聞いた事あったな…
八尋が俯いてしまったのを気にしつつも、迦楼羅の脳裏には同じ八部衆の神が口にしていた台詞が響いていた。
「迦楼羅…そなた、これからする話をここだけの秘密にできると誓えるか?」
「ん…?あぁ、いいぜ。元より、お前と相まみえた件については、他言するつもりは毛頭ねぇしな」
迦楼羅が八尋からの問いに対して答えを口にした際、八尋はじっと彼の瞳を見つめていた。
目を見て偽りでないと感じ取ったのか、八尋は自分が太古より存在する水神・八岐大蛇と人間との間に生まれた者で、ある事件をきっかけに鬼になった事を明かした。
うーん…八尋の言い方から察するに、嘘をついているようには見えねぇし…
相手が正直に自分の疑問に答えてくれたため、迦楼羅は八尋に偽りを申している事に罪悪感を覚える。
「あ~~~~くそっ!!」
迦楼羅は、迷いを払うかのように首を横に振った。
そして、自分も本来の身分を八尋に明かしたのである。
翌朝、台風は過ぎ去ったが迦楼羅は八尋と別れようとせず「少しの間だけ泊まらせてもらえないか」という発言までしていた。
「あぁ、構わん。お主が云う異国とやらの話も聞いてみたいのでな…!」
八尋は反対する事もなく、快諾してくれたのである。
それから後に知ったのは、迦楼羅が足止めを食らっていた場所。及び八尋が棲むその山は、京にある大江山。彼はそこで大勢の鬼たちを束ねている首領的な立ち位置だという。
「でけぇ邸だなぁ…!」
洞から小一時間ほど歩いた後、迦楼羅は邸を見て最初に発した台詞がそれだ。
まるで、竜宮御殿みてぇだ…。にしても…
迦楼羅は感心をしつつも、数分前に感じた妖力を思い返しながら、八尋を見る。
「鬼というのは、腕力といった肉体的な強さを持つ連中と思っていたが…術に精通する鬼もいるんだな?」
「あぁ。この邸が大きいのもあるが、同時にわたしの部下も共に棲ませておる。故に、人間どもに見つからぬよう幻術を交えた結界が必要なのだ」
八尋は足をゆっくりと進めながら、迦楼羅に答えを返す。
その後、長い廊下を抜けて大広間と思われる場所へたどり着く。そこの上座付近には、数匹の鬼が主の帰りを待ち構えていた。
「八尋様…その者は?」
黒い角を持つ鬼達の内、端正な顔立ちをした鬼が八尋に問いかける。
「あぁ、異国から参ったという者だ。各地を旅しているというので、客人としてわたしが招いた」
その問いに八尋が答えると、他の鬼達がざわついていた。
一方、八尋に問いかけた碧色の髪を持つ鬼は動じる事なく、迦楼羅をまっすぐな瞳で見つめる。
こいつ…女…?
鬼に見つめられた迦楼羅は、相手の外見と他の鬼とは異なる妖力を感じることから、そうではないかと考える。
すると、相手はフッと嗤った後に口を開く。
「わたしは、八尋様にお仕えする鬼・翠と申します。結界が不思議な力に触れたのは感じておりましたが…頭領が“客人”と申された方なれば、精一杯もてなしをさせて戴きます」
声は女を連想させるような声だったが、その名乗りは男にも勝る貫禄を持ち合わせていたのである。
「そこで二人と出逢った俺は…季節が一巡りするまでの間、奴らが暮らす邸に居候するようになったという訳だ」
「八尋に翠…。それが、本当の父と母の名前…」
迦楼羅からここまでの話を聞いていた八那は、自身の本当の両親である父・酒呑童子と母・茨城童子の名を知る。
「さて…話はそろそろ終いにするか…」
「あの!!!」
話を止めようとする迦楼羅の声を遮るようにして、八那が言い放つ。
突然の大きな声に驚いた鳶は、二人の方に振り返り刃物になっている手をくちばしに当てていた。
「おま…他の奴らが寝ているんだから、大声出すなって…!」
「ご、ごめん…」
迦楼羅が小声で叱ると、五月蠅かったのに気付いた八那は頬を真っ赤に染める。
頬が熱いよー…!!でも、今なら…!
恥ずかしい気持ちでいっぱいの八那だったが、一度咳をして自分を落ち着かせようとする。
そして、一呼吸置いて落ち着いた後に再び口を開いた。
「迦楼羅…父さんは、その…大蛇が父という事で悩まされていた問題とかあった…?」
「…っ…!!?」
震えた声で口にしながら、八那は迦楼羅を見上げる。
思わぬ台詞に対し、迦楼羅は動揺を隠しきれなかった。
まさか、八那…ある程度確信があって、今の問いかけをした…!?
迦楼羅は、彼女が答えを知った上で問いかけているのだという考えに至る。
「…あった」
「……教えて…」
迦楼羅は俯いたまま答えたが、八那は彼を見つめたまま今の言葉を絞り出した。
彼が俯いていたのは、八那が今にも泣きそうな表情をしているだろうと予感していたためである。
数秒間ほど沈黙が続き、焚火の火が燃える音だけが周囲に響く。
「…仕方ねぇ。先程の続きと共に、答えてやるよ…」
深刻そうな表情を浮かべながら、迦楼羅は先程の続きを八那に語り始めるのであった。
如何でしたか!
今回、やっと酒呑童子を登場させてあげられました!
にしても、一般的には”酒呑童子”・”茨城童子”と呼ばれる鬼に対し、”八尋”・”翠”と名前をつけるのは不思議な心地がしましたね☆
因みに、二人の名前の由来は、前者はやはり主人公・八那のように”八”という字が使いたかったため。後者は碧色の髪を持つため、そうやってつけました!
さて、次回もまだ過去のお話が続きそう。
具体的な事はまだ書けませんが、迦楼羅も八尋の事に関しては意外と知らない事も多い…とだけ書いておきます。
それでは、ご意見・ご感想があれば、宜しくお願いいたします!