第十一話 半妖
<今回から登場するサブキャラ>
次郎坊…比良山地に棲む大天狗。日本に棲む天狗の中で唯一の尼天狗なので、性別は女。外見は20~30代の女性に見えるが当然天狗のため、かなりの年月を生きている。八那の両親である酒呑童子や茨木童子と面識がある。
蒲生隆二(45)…比良山中で出逢う中年男性。実は妖狐と人間の血を引く半妖で、内に秘める妖気を術で隠すため、数年に一度次郎坊の元を訪れている。山岳信仰を信じているため、天狗や迦楼羅には尊敬のまなざしを向ける事がしばしば。
「おや?貴方がたは…」
ある日、八那達は見知らぬ中年男性に声をかけられる。
この時、彼らは次なる天狗へ会うために、滋賀県にある比良山を訪れていた。その男性は、綺麗な物ではないが、履きなれたブーツと動きやすそうな格好をしている。
何故、こんな場所に人間が…?
八那は、男性を見ながらそんな事を考えていた。
「あれ…今、”貴方がた”と申しましたか?」
すると、不意に八那は相手が口にした台詞を問い返す。
「…えぇ。わたしは、妖怪を見える目を持ってましてな。お嬢さん二人と、その近くにいる紅い翼の方。そして、そこの幼子や離れた位置にいる方も含めて”貴方がた”と申したのですよ」
中年男性が穏やかな口調で答えると、正志朗らは目を見開いて驚いていた。
「常人かと思いましたが、貴方…半妖ですか?」
男性の台詞に驚きながらも、歩純が恐る恐る問いかける。
それについては男性の方が驚いていたが、すぐに納得したような表情となる。
「…やはり、解る方には気づかれる…という事ですね」
そう呟きながら、男性は地面に視線を落とす。
「へぇ…それで、数年に一度、ここの天狗に会いに行っているのね!」
その後、八那達はその中年男性と一緒に、山頂を目指していた。
今の台詞は、安曇が述べたもの。蒲生隆二と名乗るこの男性は、妖狐と人間の血を引く半妖だが、麓の村で長年暮らしている。そのため、天狗の下を訪れるにはちゃんとした理由があった。
「成程な。半妖は、生粋の妖怪に狙われやすいし、何より…人間に正体を知られると面倒だから、妖気を隠す術を天狗にかけてもらっている…と」
「はい…。それにしても、天狗様の祖とも云われる貴方様に申すような話ではないですが…」
迦楼羅が隆二の言葉に頷いている一方、当の本人は緊張しているのか、照れているような口調で話していた。
「山岳信仰者…か。だから、天狗を敬い、その祖先に当たる迦楼羅も敬う…って事なのかな?」
「そうみたいね」
迦楼羅と隆二。そして、歩純や安曇らの会話を後ろで歩きながら聞いていた正志朗と八那は、そんな会話をしていた。
「まぁ、あとは友人に会う…というのも、この比良山を訪れる所以なのですがね」
「貴方のご友人という事は…」
「…えぇ。わたしとは異なり、生粋の妖怪ではありますが…10年以上のつきあいを持つ友人ですね」
そう語る隆二の表情は、どこか楽しそうであった。
「おや、隆二ではないか。此度は、珍しい客人を連れてきたようじゃな?」
「はい。ここへ参る道中にて、出会った方々でございます…次郎坊様」
その後、頂上に到達した彼らの元に大天狗・次郎坊が飛翔した状態で現れる。
「今度は尼の姿をした婆…って事か。名前からして、雄かと思ったが…」
「…八部衆に、斯様に失礼な物言いをする奴がおるとはな」
あいかわらず、迦楼羅は天狗に対して無礼発言をしていた。
一方、黒い翼を持ち、頭を布で覆った尼さんの格好をした女性は、笑みを浮かべながらそれに応える。しかし、表情とは裏腹に、目が笑っていなかった。
「お初にお目にかかります、次郎坊様。八岐大蛇の末裔にして酒呑童子が娘・錦野八那と申します」
”話題を切り替えないとまずい”と直感した八那は、尼天狗に向かって堂々と名乗る。
「成程、お主が…」
八那の名乗りに気づいた次郎坊が、彼女の前に降り立った。
「えと…私の顔に何か…?」
降り立つなり自分の顔をじっと見つめる尼天狗に対し、八那は瞬きを数回しながら問い返す。
その戸惑った表情に満足したのか、ふっと哂ってから次郎坊は口を開く。
「あぁ、すまぬ。よう見ると確かに、あやつらの面影があるなぁ…と」
「”あやつら”…?」
「お主の父と母に当たる鬼…。俗世では酒呑童子と茨木童子と云われていた鬼どもの事じゃよ」
「え…!!?」
次郎坊の思わぬ台詞に対し、八那は目を見開いて驚く。
「それは、初耳だな!酒呑童子が、尼天狗と顔見知りだったとは…」
どうやら、迦楼羅もその事実を知らなかったようだ。
この人なら、酒呑童子の事を聞いても大丈夫…かな?
八那は、内心でそんな期待を胸に抱いていた。
「…まぁ、彼奴等の話は後ほどとし…二人共、本来の用事があって参ったのであろう?」
「あ…はい!ですが、申し訳ございません、次郎坊様。貴女様が以前教えて戴いた話を、先程思い出した次第でございまして…」
次郎坊の視線が隆二に向くと、彼は口を濁しながら答える。
「ん?何かまずい事でもあるのか…?」
雰囲気を察したのか、迦楼羅が思った事を口にした。
すると、次郎坊はため息交じりで答える。
「天狗の祖であるお主が気付かんとはな…。まぁ、よい。我ら天狗には1年に2度程、神通力が著しく弱る日があってな。それが、今日なのじゃ」
「でも…八那との交わりの儀は、神通力を消費ではなく増幅させる儀式なので、それと関係ないのでは…?」
疑問に思った正志郎が、不意に問いかける。
「確かに、関わりない事だが…。交わりの儀は、一時的ではあるが肉体・精神が共に無防備になる儀式。もし、弱っている今に行えば、万が一の事もあり得るからな」
「万が一…?」
「この比良山を含む西の大地は、かつての都・京が近い。故に凶悪な妖怪が多く、今でもその土地を治める者を滅ぼそうとする輩が多いのでな…」
首を傾げながら八那が問うと、天狗は深刻そうな表情で答えを告げた。
「それでは、次郎坊様。先にわたしの友へ会ってきてもよろしいでしょうか?」
「あぁ…そうじゃな。時間もかかるであろうし、そうするがよい」
隆二が次郎坊にお伺いをたてると、天狗はそれに応じた。
…一見すると天狗が娘。半妖が父親ってかんじなのに、実際は逆だというのは変なかんじね…
まぁ、確かに…
次郎坊と隆二の会話を見た安曇と歩純は、内心でそんな事を考えていた。
というのも、尼天狗である次郎坊の外見は大体20~30代くらいの女性に見えるが、隆二は齢45との話なので、外見では次郎坊の方が若く見えるのだ。しかし当然、大天狗でもある彼女が生きた年月は、隆二の倍以上なのは言うまでもない。
その後、次郎坊といったん別れた一行は、山の中腹辺りまで下っていた。
「隆二さんの友人って、どんな妖怪なんですか?」
「そうですね…妖怪としては“小豆洗い”と呼ばれる妖怪なのですが、想像していた存在よりも図体がでかい奴ですね」
歩きながら、八那と隆二が話す。
「小豆洗い…。その名の通り、小豆を洗うのが好きな妖怪…しかも、水の属性…か」
「…迦楼羅?」
「ん?…いや、何でもねぇよ」
迦楼羅の台詞を最後まで聞き取れなかった八那は問い返すが、本人はそれを誤魔化した。
「探しづらいというのは…?」
「あぁ、それはですね…。元々“小豆洗い”は人前に姿を現す事がほぼないんですよ」
「そんじゃあ、あんたの友達っつー奴は、かなりの変わり者って事か?」
「迦楼羅ってば…」
歩純が会話に加わると、隆二の返答を迦楼羅が茶化す。
それを横にいた八那は、少し呆れていた。
「…まぁ、どちらかというと変わり者でしょう。しかし彼の場合、姿を現す時が不定期で…気まぐれな性分故にでしょうね」
「それって、探すのに時間がかかるって事…?」
隆二の話を黙って聞いていた安曇が、会話に入ってくる。
それを聞いた半妖は、首を縦に頷いた。
「なので、非常に申し訳ないですが…皆さんにも彼を探すのを手伝ってほしいのです」
「勿論、そのつもりだよ!」
「仕方ねぇな…。まぁ、こっちの用事もまだ済んでいないから、山を降りる訳にもいかねぇし…」
隆二の頼みを正志郎は快諾したが、迦楼羅は少し不満げながらも承諾したのである。
「では、八那さんにはこの辺りをお願いします」
隆二にそう指示された八那は独り、草が多く茂っている場所を歩いていた。
水の…流れるかんじがする。…川が近いのかな?
歩いている途中、水音が聞こえた訳でもないのに、そんな事を考えていた。それはおそらく、自分が大蛇の末裔である事を自覚したため、水に対して敏感になったからであろう。
「交わりの儀が終わったら…両親の事、天狗様に尋ねてみようかな…」
周囲に誰もいない事もあり、八那は心の中で思った事をそのまま口にしていた。
そうして黙ったまま歩いていくと、彼女の予想通り、山からの支流と思われる小さな川を発見した。後に次郎坊から聞く事となるが、この比良山地の地形は変化に富んでおり、八ツ淵の滝を始めとする複数の滝や池だけでなく、湿原も存在するという。そのため、八那にとってはあちこちで水の気配を感じ取れるのだろう。
あ…
川に近づいていくと、何かを磨ぐような音が響いてくる。その方向へ進んでいくと、八那は人影を発見する。
彼女の視線の先では、河原に座り込んでいる青年がいた。桶を地面に置いてその中で何か洗っているようだが、その仕草や背格好が、隆二の述べていた特徴とほぼ一致していたのだ。
確かに、立ちあがれば結構背が高そうな図体に…少し青みがかった黒髪をしている。彼が、隆二さんが名付けた“梓”っていう妖怪かな?
八那は、生い茂る叢の前でしゃがみこみながら、相手の様子を見ていた。
うーん…でも、どのくらいしたら声をかけようかな…
八那は、小豆を洗う相手にいつ声をかけようか迷っていた。
というのも、隆二曰く「小豆を洗っている時は邪魔されたくないらしく、邪魔をしてしまうとひどく不機嫌になる」らしい。そのため彼も、声をかける時は必ず、洗うのをやめた後にしているらしい。
しかし、いつから洗い始めたのか解らないため、あとどれくらいで終わるかも不明だ。
…だから次郎坊様は、“時間がかかる”と言っていたのね…
この時初めて、次郎坊が述べた台詞の真意を悟る。
そうと解ったので、もう少し離れた場所に移動してから再び来ようと考えた八那は、その場を一旦離れるためにゆっくりと立ちあがろうとしたその時だった。
「小豆を磨ごうか、人取って噛もうか♪」
「ん…?」
突然、小豆洗いが陽気な声で歌いだしたのだ。
それを耳にした八那は一旦動きを止め、恐る恐る振り返ると―――――――――
「きゃぁぁっ!!」
無意識の内に悲鳴をあげ、気が付くと地面に仰向けで倒れこんでいたのだ。
「ぐっ…!!?」
首に痛みを感じた途端、八那は何が起きたのかを悟る。
彼女の頭上には、先程の小豆洗いがいる。おそらく、歌を口にした直後、瞬時に八那のいる場所へ移動をし、首根っこをつかんで地面に打ち付けたのだろう。首を絞められている訳ではないが、相手の手が大きく力が強いせいか、首に痛みを感じたのだろう。
「人間の女…か。小さいが、まぁ仕方ないか…」
そう述べる小豆洗いが持つ藍色の瞳が、八那を捉える。
「な…にを…!!?」
首が少し閉まってきているため、八那は掠れた声を相手に出す。
「別に、殺しはしねぇよ。ちょっとかじるだけだから…おとなしくしろ」
「いっ…!!」
すると、小豆洗いは左手で抑えていた八那の右腕に力をこめる。
それによる痛みで、彼女の表情が歪んだ。
「…っ…!!?」
その直後、首から離れた右手が八那の小袖に触れたと思うと、首筋に鈍い痛みが走る。
表情こそ見えないが、相手が彼女の首元に噛みついたようだ。
まさか…血を…!!?
自分の中に流れる血液が失うような感覚に陥った八那は、瞬時に自分が血を吸われている事に気付く。
「い…や…っ!!」
必死で叫ぼうとするも、相手には全く届いていないようだ。
水に敏感になるという事は、自身の体内に存在する水分の増減にも気づきやすい事を意味する。そのため、己の血と共に、体を構成する水分が抜けていくような感覚ですら感じ取ってしまうのだ。
やめてっ…!!!
“このままでは自分が危ない”と直感した八那は、心の中で叫びながら、相手を睨み付ける。
本来ならば、妖怪相手に目で威嚇など、成功するはずもなかった。しかし―――――
「なっ…!!?」
八那が持つ酸漿色の瞳に相手が映り込んだ直後、何かを感じ取った小豆洗いは、瞬時に彼女を放して後ろへ飛んだ。
妖怪の本能が危険を察知して、無意識の内に離れたのだろう。
八那は、威嚇するかのように眉間にしわを寄せながら、顔だけ起こして小豆洗いを睨み付けている。その瞳は、まるで目の中に業火がたぎっているような殺気を感じさせる。
しかし、小豆洗いが自分を放して引き下がった事を悟った八那は、そのまま眠るように意識を失ってしまう。
「何なんだ、今のは…」
地面にしゃがみこんだまま、動揺を隠しきれない小豆洗い。
その後ろでは、八那の力に気が付き、走ってきている迦楼羅達の姿が見えてきたのであった。
いかがでしたか。
今回から新章で、ついに最後の登場人物登場!
最初は一章分遊ばせようかとも考えましたが、今後の展開を考えると、そろそろ全員揃った方がいいかなという次第です。
因みに、小豆洗いが歌っていた件で…
本当に人間をかじるかは定かではないんですが、この歌は県によって伝わっている歌の内容が若干異なるそうです。
また、いたちがその正体という説もあるため、今回出てきた梓の体格は、完全に皆麻によるフィクション。当作品では”人間に認知されている能力以外のもの”を登場させたりするだろうため、こういった点はご容赦を(苦笑)
また、今回出てきた尼天狗。実際の次郎坊が女だったかはこれも定かではないですが、天狗の種類として、尼天狗は存在するそうですね☆
さて、次回はどうなる??
ご意見・ご感想があれば、宜しくお願いいたします!