第九話 怪岩の力を借りて
「先程は…そちらさんがたの握り飯を食べてしまい、申し訳ありませんでした」
鳶によって髪の毛が乱れた女性は、そう口にしながら八那達に向かって土下座をする。
彼らの前には、踏ん反りがえった態度で座っている鳶の姿があった。
この女性が、ふた口女…。普段はあまり怒らない鳶を怒らせるなんて、ある意味すごいな…
正志郎は、土下座する女性を見つめながらそんな事を考えていた。
「それにしても…頭の後ろにもう一つの口がある妖怪って、初めて見たな…!」
八那は握り飯の事はあまり気にしていないようで、それよりも女性の外見に驚いていた。
「私は、歩純。後頭部の彼女が、安曇です。以後、お見知りおきを…」
「安曇よ!…さっきは悪かったわね、勝手に食べて…」
そう口にする女性の黒髪は、タコのように宙に浮いている。
また、その後頭部が開いており、たらこ唇のような分厚い口と歯が見え隠れしている。そこからは、少し高飛車な言動の声が響いてきている。
迦楼羅が“ふた口女は人間の女性が持つ二面性の象徴”なんて言っていたけど…言動からして、性格が正反対そうだな、彼女達は…
八那は、態度が全く異なる2人を見て、そんな事を考えていた。
「お前ら、妖怪だが名前を持っているんだな!」
「はい。私達を保護してくれた、法印坊様から戴きました」
「何でも、“区別をつけないと面倒くさい”らしいわ!」
迦楼羅の一言に対し、二人はすぐさま答えたのである。
「あの…急で悪いんだけど、私達は二人を探していたの。一緒に、法印坊様の所へ行ってもらえないかな?」
八那は、少し気まずそうな口調で、二人に提案した。
「そういえば、あんた…。見たところ半妖のようだけど、親の妖怪はどんな奴なの?」
「…わかるんですか?」
「私より、安曇の方が優れた感覚を有するのです」
ふた口女は、八那を見るなり最初に口にしたのがそんな台詞だった。
また、その後に本人から聞く事となるが、歩純は目と鼻と口の機能を有するが、食べ物を摂取する口を持つのは安曇の方で、耳で音を聞き取ったり、気配を消したりする力を持つのも安曇の方だという。これは妖怪に詳しい迦楼羅も知らなかったらしく、ふた口女の能力に、一種の関心を珍しく示していたのである。
「おぉ、歩純に安曇!お主ら見つけたのじゃな!」
「えぇ、まぁ…」
その後、大仏岩へ戻ると、法印坊が出迎えてくれた。
八那は相変わらず、この天狗の雰囲気についていけないようだ。
「法印坊様…彼らから話は聞きましたが、どこか加減が悪いのですか?」
歩純は、心配そうな口調で天狗に近づいていく。
「ん?いや、特に気にする事でもない!今後の事を考えての“念のため”じゃ」
ふた口女に対し、満面の笑みで応える法印坊。
この天狗様…もしかして、無理しているのかな?
八那はこの時、不意にそんな事を感じ取っていた。
「ってか、法印坊様!あの鳥野郎の匂いが染みついたので、湯あみしたいんだけどー!!」
歩純の後頭部から、文句を垂れる安曇の声が響く。
「まぁ、それは自業自得じゃな。ほれ、とりあえず髪の毛を分けてくれ。さすれば、湯あみに向かっても構わんから…」
文句を言う安曇に対し、法印坊は宥めるように語る。
口調からして、彼らが天狗の元を訪れるまでに何が起きたのかをおおよそ察しているようだ。
その光景を正志郎と迦楼羅は、黙って見守っていた。おそらく二人は「これではどちらが年配者なのか見分けがつかない」と考えていたであろう。
「…では、八那よ。その岩の前に立つがよい」
ふた口女から数十本の髪の毛を抜いた天狗は、手招きで八那を呼ぶ。
「はい…立ちました!」
それに応えた八那は、ゆっくりと大仏岩の前まで足を動かして立つ。
「では、この髪の毛を両手で持ち、腕を広げて岩と手を触れさせるのじゃ」
「こう…ですか?」
法印坊から黒い髪の毛を受け取った八那は、両手を広げて磔にされたかのように、岩と腕を密着させた。
「へぇ。奴の翼が大きいのは、斯様な所以あっての事か…」
その後起きた出来事に、正志郎や鳶は驚いていたが、迦楼羅は動揺する事なく見守っていた。
法印坊が八那の目の前に飛翔した状態で立ち止まると、背中の黒い翼がさらに巨大な翼へと変化し、八那と自身を包み込んだ。
「これが、交わり方…ですか?」
「うむ、その通りじゃ」
翼による洞のような空間の中で、八那はこの天狗にとっての“交わり”の意味を悟る。
法印坊の黒い翼の先端は、髪の毛を握る八那の両手へと優しく触れている。
「始めようか。やり方は…そうじゃのう。“その髪の毛を地面に落とさぬよう水で浮かべる感覚”を想像してみるがよい」
「…解りました」
天狗の台詞に同意した八那は、酸漿色の瞳をゆっくりと閉じ、意識を両手に握られた髪の毛へと向ける。
そうして、八那から発せられた水は、媒介であるふた口女の髪の毛を濡らす。
これが…これが、大蛇が持つ水の神通力…
切り離されたとはいえ元は自分の体の一部だった事もあり、この最初の一瞬だけ、歩純や安曇も八那の力を体で感じ取っていたのである。
「うっすらとだけど…蒼くて、綺麗ですね」
「…だな」
外側にいる正志郎や迦楼羅は、黒い翼の隙間から見える水の蒼に見惚れていた。
また、彼らと同様で、生まれて初めて目にした“八岐大蛇の力”に対し、歩純や安曇も同じような感覚に陥っていたのは、言うまでもない。
「八那!」
交わりが終えて、中から出てきた彼女を目にした迦楼羅は、声を張り上げる。
徐々に元の大きさへと戻る翼の中には、気を失っている八那の姿があったからだ。
「安心せい。交わりの儀は、無事に終いとなった。疲労で寝ておるだけじゃよ」
法印坊は落ち着いた口調で宥めながら、少女を八部衆に返す。
八那を抱きとめた迦楼羅は、安堵したのか一つのため息をつく。
「その娘を休ませなくてはならないであろう。故に、今宵はこの山で寝泊りする事を許してやろう」
「…悪いな」
少し気恥ずかしそうな声音で、迦楼羅は法印坊に礼を述べる。
「何、構わんよ。おぉ、そうじゃ」
元の大きさに戻った翼で飛翔しながら、天狗は口を開く。
「八部衆よ。娘を寝かしつけた後…一刻後くらいでよいか。再び、この大仏岩の元へ参るように」
「迦楼羅だけ…?」
法印坊の指示に対し、首を傾げる正志郎。
「あの髪切りの主人は、お主じゃろう?眠りについておる娘一人残さぬためにも、童は早う寝る事じゃ」
「はぁ…」
「まぁ、戯れはここまでとして…お主にだけ、話す事がある故にな。それが所以じゃ」
冗談だった事を明かした訳だが、正志郎は少し呆れ顔で法印坊を見上げていた。
「…解った。では、後ほどな」
「うむ」
天狗に一言告げた八部衆は、少女を抱えながらその場を離れていく。
そうして八那を休ませた後、迦楼羅は法印坊に呼ばれて、そこへ向かうのであった。
「ん…」
翌朝、目を覚ました八那は、重たくなった瞼をゆっくりと開く。
「あら、起きたのね」
「貴女は…安曇…だっけ?」
「えぇ、そうよ」
八那がゆっくりと身を起こすと、そこにはふた口女がいた。
しかし、目を持つ歩純はまだ眠っているようで、座ったまま瞳を閉じている。一方で、後頭部から声が聞こえるので、安曇は起きていると思われる。周囲は暗いが、少し離れた場所から陽の光がうっすら見えるため、朝方くらいの刻限だろうと八那は考えていた。
「…あれ?迦楼羅は…??」
周囲を見渡した時に、迦楼羅の姿だけがない事に気付く。
「…あの紅い翼の男の事?あいつなら、まだ法印坊様と話をしているわ」
「“まだ”…?」
「最初は、あたしや歩純も同席していたのよ。でも、少し話をした後に、迦楼羅にだけ別の話があるとかなんとか…」
「彼にだけ…一体どういう事なんだろう…」
安曇からの答えを聞いた八那は、腕を組んで考え始める。
「…それよりも、どうやら法印坊様は、あたしらをあんた達の旅に同行させたいらしいわよ」
「それって…」
「ええ。先刻、あたしらがいた時に、法印坊様に命じられたの。“外界を見てきてほしい”ってのが一番の目的らしいわね」
「そう…なんだ。まぁ、私は大歓迎だよ!年齢が近そうな同性の友達って、あまりいなかったし…」
「妖怪が友達…ね。能天気だこと」
「長らく、人里で暮らしてきたから…かな。未だに、自分が“人ならざる者”って実感がないんだよね」
安曇が口にした皮肉に対し、八那はほとんど動じていないようだった。
最も、動じる…というよりは、皮肉に気が付いていないといった方が適切かもしれない。
「あぁ、今思い出した」
「どうしたの?」
安曇はため息交じりで、思い出した事を口にする。
「法印坊様からの言伝!陽が昇り、目を覚ましたら”母の胎内くぐり“まで来い…ですって」
「“母の胎内くぐり…??」
「おぉ、八那。目が覚めたか」
「あ…はい!寝床の提供、ありがとうございました!」
陽が完全に昇ってきた頃、八那達は“母の胎内くぐり”と呼ばれる岩の近くを訪れていた。
そこには法印坊や歩純・安曇が待ち構えていた。また、正志郎や迦楼羅も一緒にいたが、迦楼羅は天狗からの話が長かった事もあり、木陰でうたた寝をしている。
「お主をここに来させたのは、無論所以がある。迦楼羅から聞いたのだが、未だ己が大蛇の末裔である事を認識しておらんのじゃろう?」
「えっとまぁ…そんなかんじです。水の神通力だって本来は、大蛇の力が私の体を経由して引き出されているようなものだし…」
法印坊からの問いに、少ししどろもどろになりながらも、八那は答える。
「そこでじゃ。この“母の胎内めぐり”は、くぐり抜けると生まれた姿に立ち返る…という云われのある怪岩でな。妖の間では、抜けると“血の記憶”を垣間見れると云われておる」
「血の記憶…?」
「えっと…。妖怪の血には、己の祖たる者の記憶が紛れている事が多いらしく…八那さんの場合はあの八岐大蛇なので、何か視えるかと…」
歩純が、手で口を抑えながら八那の疑問に答える。
「…僕だと、父ちゃんか母ちゃんの記憶が視えるって事かな?」
「おそらく、そういう事なんでしょうね」
不意に正志郎が呟いたのに対し、八那はすぐに返した。
「お主らは此度を逃せば、この筑波山にはほとんど来れぬのであろう?良い機会じゃ、試してみるがよい」
「はぁ…解りました」
法印坊の意図は理解できないが、“自分の祖先について知りたい”と考えていたのは本当なので、その提案を受け入れる事にした。
近くまで近づいていくと、洞窟のように入り組んだ岩が複数存在しているのが解る。
“血の記憶”…か。大蛇にしろ、酒呑童子のにしろ、あまり良いものではない予感がするなぁ…
何を垣間見る事になるか解らない八那は、不安な気持ちも抱きながら、怪岩へと近づき奥の方へと足を踏み入れるのであった。
いかがでしたか。
今回、出てきた”母の胎内くぐり”という奇岩について。
「妖が…」という話の方は皆麻によるフィクションですが、「生まれた姿に立ち返る」というのは、本当の言い伝えらしいです。筑波山には他にも「高天原」や「陰陽石」・「国割り石」といった、色んな奇岩が存在するようで、調べていて楽しかったですね♪
さて、次回はどうなる?
八那が見る”血の記憶”がどちらの方になるかな?
次回をお楽しみに★
ご意見・ご感想があれば、宜しくお願いいたします!