090 『感触(フィール)』
090です。
カツン!
茫然自失しているところに、鉄の音が響いた。
顔を上げると、震える手で槍を掴むスグルさんが僕を見つめていた。
「怖ろしいですか」
「スグルさんは、生身の人を殺すことに抵抗や恐怖は感じないんですか」
震えた手を見れば、愚問だということくらいわかっているのに聞かずにはいられなかった。
「なんなんですか。その目は」
てっきり質問に対して何かを言われるものだと思っていたのに、まったく違う切り口で返答してきた。
「目?」
オウム返しをすると、スグルさんの震えていた手がピタリと止まった。そして眼光鋭く、僕を射抜く。それこそ彼が持っている槍の矛先のような鋭さだった。
「覚醒した時のあなたは、そんな目をしていなかった」
スグルさんは、右脚、左脚と後に下がって、槍を両手持ちにして矛先を僕に向けた。
突き殺される。僕は自身を守るために構えた。でも、両手脚は震えている。
奥歯も、内臓も、ガタガタと音を立てている。
「自分も格闘技や武術に長けているわけではありません。ですが、昨日まで適正者として、そして適応者となりガルズディアと融合した者として、戦ったからわかります。いまのあなたはいたずらに殺されるだけの存在です。そんなあなたを殺しても意味が無い。ほんの僅かな力を込めて、槍を一突きするだけであなたは絶命します。そんな決着なんて……自分は望んでいません」
スグルさんがすり足をしながら僕へと近づく。槍で殺そうとしてくる。たった数歩近づいただけなのに、恐れた僕は後ろに飛び下がった。
「自分の心は決まりました。あなたを殺して再度、適応者として生きます……真悟さん、あなたも覚悟を決めてください」
「なんの覚悟ですか」
スグルさんは、言葉で質問に答えず槍で僕を攻撃することで答えてきた。
僕を殺すことに迷いないその一突きに、咄嗟の反応を起こす。僕は手甲を装着した右腕で凶刃を防ぐ。
手甲を装着してもなお、スグルさんの突きは腕に響いた。
「やめてください」
けれど、スグルさんは攻撃の手を休めず、槍の動きを加速させていく。素人目ではあるけれど、槍を扱う身のこなしは武術の心得がない人の動きではなかった。
その槍捌きに対応している僕もまた普通では無かったのかもしれない。
自然と体が動く。特別性を失ったレリック武器の手甲と脚甲だけれど、適正者だった頃と変わらず、この武器は僕の体に馴染んでいて扱いやすかった。でも、鉄の塊を装着していると変わらないので、体を動かし続けていく内に、両手脚は重くなり動きも鈍くなる。
鈍くなる僕の体とは正反対に、スグルさんの槍はさらに速くなる。死にたくないという一心で槍の攻撃に対応しているけれど、限界が訪れてくる。
次第に、手甲と脚甲で守られていない生身の部分に傷がつき始める。
痛い。深手こそ負っていないけれど、じわりと滲み出る血の感触が皮膚を通して教えてくれる。
乱舞する槍が突然とまる。やっと向こうも息切れか……と安堵したのが間違いだった。
スグルさんは力を込めて、僕の喉を目掛けて槍を伸ばしてきた。
「ひっ!」
情けない悲鳴を上げながら、両腕で尖った刃の矛先をなんとか防ぐことができた。
それでも槍の押す力、喉を突き破ろうとする殺意は衰えない。一瞬でも気を緩ませば槍は腕の間をすり抜けて来るだろう。
「いつまでも、そうやって守っているつもりですか。殺すか殺されるか、残された道はないんですよ」
こっちは必死に守りを固めているのに、スグルさんの声は余裕に満ち溢れていた。
人を殺す覚悟。スグルさんを、この腕で殺す覚悟。そんなもの、持ち合わせているはずがない。僕だって死にたくない。当たり前だ。だからといって、本当に人を殺してまで生き残りたいなんて考えたくもなかった。
「まだ、迷いますか」
僕の気持ちを見透かし、スグルさんは槍にさらなる力を込める。このままでは腕の隙間をこじ開けられる。
──死ぬ。
殺す、殺される以前に、僕は死ぬ覚悟を決めてしまった。
「ふざけるな!」
押し付ける槍の方向が消えた次の瞬間、下から上に打ち上げられた。
宙を舞う体。
「うわああああああああああ!」
真っ白な空間の為、どれほどの高さまで打ち上げられたのか実感がわからない。ある程度の浮遊感を得た後、地面に叩きつけられた。
背中を強打したせいで大きく咳込んだ。
鈍い痛みが全身を這いずりまわる。
空? 天井? 白い天を見つめながら大の字になった。
一方的にやられている。
これは、覚悟の違いから出た力の差なのだろうか。
僕にスグルさんを殺す覚悟があれば、同等の力が引き出せるのか。
そんなのわかるはずがなかった。
背中の痛みが収まっていくと、槍によって出来た細かい傷が痛み始める。
「え?」
スグルさんと対峙している時、傷を負うことになんの疑問も抱かなかったけれど、改めて考えてみると妙だった。痛覚を感じたことにより、僕は自分がどこにいて、どんな存在であるかを思い出す。
思考はさらに飛躍し、黒の創造主とスグルさんの会話から答えを導き出した。
ならば、僕の体が動いたことも納得はできる。
そういうこと、なのか? でも、わかったからといって、スグルさんと同じ覚悟がない限り、僕は殺されるだけだ。
疑問からの自己回答を導き出した頃に、視界の下からヌッとスグルさんの顔が現れた。
「覚醒したころのあなたなら、すぐさま立ち上がり、自分と向き合い、その拳で、その脚で、殺しに来てくれましたよ? そんなに殺すことを躊躇いますか?」
正直に答えたところで、結論は見えていた。
僕が何も答えないでいると、業を煮やしたスグルさんは槍を地面に突き刺し、僕の首を片手で掴んで持ち上げた。
──思った通りだ。
僕の出した答えは間違っていないと証明された。しかし、強く締めあげられる首は、今にも骨を砕かんばかりだ。
持ち上げられ、僕を掴んでいるスグルさんの腕を両腕で掴む。手はもう震えてはいなかった。
「無駄ですよ。なんの覚悟もない人に、いまの自分を殺すことなど、ましてや傷を負わすことなんて不可能です」
せっかくここの仕組みがわかっても、このままでは殺されてしまう。
スグルさんを殺したくはない。でも、死にたくはないんだ!
「その気にさせる必要がありますね」
僕の首を絞める力が若干ゆるまれた。
「このまま自分に殺されたら、真悟さんの大切な人たちを殺します。カズヒデさんはもういませんので、あの高圧的な女性は……ノヴァさんといいましたか。まずは彼女から」
ノヴァさんの澄ました顔が浮かび上がる。
……待て。あの人は関係ない。
「そして、次は……大剣のポニテさんでしたっけ? 彼女も殺してあげ──」
ポニテさんの泣き顔が浮かび上がった瞬間だった。
僕は渾身の力を込めてスグルさんの腕、いや骨を砕いた。
「がぁ!」
首が解放され、宙に浮いていた足が地面についた。僕は欠乏していた酸素を一気に吸い込む。そう、存在していないはずの酸素を、だ。
「一体、なにを?」
スグルさんは骨の砕けた腕に手を当てながら脂汗をかいている。
「気づいたかい?」
傍観していた黒の創造主が割り込んでくる。
「スグルくんの方は覚悟を決めたから、無自覚だったようだけれど。真悟くんは思考することでここのからくりを見抜いたか」
「ここは──」
喉の痛みと苦しみにより、咳き込みながら黒の創造主のほうへと顔を向ける。
「ここは、肉体の空間。精神の世界だ。なのに、傷つけば血が出る。喉を締められれば、酸素を求める。しかしそれはおかしい。ここは現実世界じゃない。痛みも苦しみも感じるはずがない。精神が生身を持っていると錯覚しているだけだ」
黒の創造主が大げさに柏手を打った。
「大正解だ。褒美をあげたいくらいだ。……なにもあげないがね」
敵からの施しなんて願い下げだ。
僕は首をさする。本当は痛くないのにそう感じさせるのは、僕らに想像力が備わっているからだ。どんな攻撃でも、認識してしまえばそれを真の傷と受け取ってしまう。そのイメージを無視することなんて、不可能だ。
でも、その逆を創造することだってできる。
人智を越えた力を生み出すのも、また僕らの想像力で決まる。スグルさんの動きが熟練の槍の使い手に見えたのも、彼自身が適正者もしくは適応者だったころの自分をイメージしトレースした結果なのだ。
ならば僕も同じようにイメージすればいいだけのことだ。その結果が、スグルさんの骨を砕いたのだ。
このイメージ力には限界も感じ取れた。適正者だった頃の力や闘気を引き出すことは出来ない。あくまで、人が出来うる限界の力であって超常的な力を引き出すことは不可能だということだ。
これはスグルさんにも当てはまることだ。無自覚だとしても、スグルさんの力や身のこなしは人間離れしてはいるけれど、超人とは言えなかった。鍛錬した人間の動きと言ったほうが正しい。
「人間の想像力はすごいね。それを真としてしまうのだから。できれば、後学のために、その気付きがどこだったのか教えてもらえるかな」
「裸体で現れたスグルさんとお前が話していたやり取りだ」
「ああ、なるほど。服をイメージしろと確かに私は言ったね。それを力としてもイメージできるという発想し実行にまで持っていくのは賭けではなかったかい?」
「あのまま死ぬより、マシだ」
「その通りだ。だが、骨を折ることが出来たあのイメージ力は死にたくないという気持ちだけだったのかな?」
「……何がいいたい?」
「君は、ポニテという女性が、スグルくんに殺されると思ったから感情的になり、瞬きの殺意を抱いたんじゃないのかな?」
否定しない。事実だからだ。
「スグルくん。君は本気で、現実世界で生き残った彼女たちを殺すつもりかい?」
「当然です。こんなやり甲斐のない殺しをしても、自分は満たされません。その穴埋めをするためにも、彼女たちを──」
「ああ、もういい。皆まで言うな。仮に君が真悟くんを殺して、適応者として戻してあげても、真悟くんと密接に関わった人々を殺すことを許さない」
「え?」
雷に打たれたくらいの衝撃だった。
「ポニテさんたちを見逃してくれるのか?」
黒の創造主は両の掌を上に向け、よくある困ったポーズを決め込んで首を左右に振った。
「見逃すとは言っていない。彼女たちが他の異世界化した場所に行けば、当然、適応者たちに襲われるし、殺されるだろうね。ただし、その役目はスグルくんではないということだ」
「何故ですか! 彼女たちを殺すという確約があれば、真悟さんがその気になり、自分と殺しあってくれるというのに」
「黙れ」
黒の創造主にひと睨みされただけで、スグルさんは萎縮した。
黒の創造主は怯えるスグルさんの元へ、歩いてはいるけれど、ところどころ姿を消して距離を縮めていく。
「誰のお陰で貴様は此処にいると思っている?」
「黒の創造主さまです」
「そうだ。その私に向かって貴様は意見するというのか」
「すみません。つい思ったことを口にでてしまって……」
「次はないぞ?」
黒の創造主はうずくまるスグルさんの頭を鷲掴みにする。
顔を上げることもできず、スグルさんは震えながら返事をした。
「よろしい。では褒美だ」
「腕が! ありがとうございます」
僕が砕いた骨が元に戻ったとすぐにわかった。スグルさんは奇跡を与えられた信者のように黒の創造主を崇めている。
「というわけで、傷は治させてもらった。君は他人のために力を振るった。そんな綺麗事、そんな幻想的な力、そんな偽善、私は許さない。君は君のために戦うんだ。誰かのために力を振るうなど、この私が認めない。いいか、ここのルールは私だ。生きて元の体に戻りたければ、その綺麗な手をスグルの血で染め上げろ」
「わかった。というより、覚悟はできている」
「ほう。ならば、その口で言ってくれないか。人の気持ちまで見ることは私にはできないのでね……さぁ、宣言しろ」
「僕は、スグルさんを殺す。誰でもない、自分のために」
実を言うと、黒の創造主の言葉はあながち間違っていないと思えたからだ。
ポニテさんのために、スグルさんを殺すというのは、言い換えればポニテさんのせいで僕は人殺しになったと言っているようなことだ。
罪のなすりつけだ。
そんな気持ちを抱いたまま、僕はポニテさんの元へは戻れない。
僕は生きて戻るためにスグルさんを殺す。
今度こそ、約束を守るためにだ。
カズさんは消える前に「後は任せた」と言った。
僕は生きて戻り、カズさんの意思と意向を全うしなければならない。
そして、ポニテさんと再会したい。例え、この手がスグルさんの血で染まっても、帰りたいんだ。
覚悟はできた。
僕は直線上にいるスグルさんを睨んだ。
「ようやく、ですね。その目が見たかった」
「どんな目をしていますか?」
「人殺しの目です」
「そうですか」
黒の創造主がスグルさんの元から離れていく。
「黒の創造主。最後の質問だ」
「なんだい?」
後ずさりをしながら黒の創造主が僕を見つめる。
「スグルさんを殺したら、本当に元の体へと戻してくれるのか?」
「約束しよう」
「守らなければ、どんな手を使ってでも、お前を殺してやる」
「ふふ。それは怖いな」
鋭い槍の矛先が顔に向かってくるが、難なく躱す。
「そんな台詞、まずは自分を殺してから言ってください」
槍が縦横無尽に飛んでくる。
防御はしない。当たらないと確信している。
「くそ、どうして!」
スグルさんは攻撃の手を緩めないが、かすりもしないことに苛立ち始めた。
僕はもう殺されることはない。
この程度の攻撃はすでに適正者だったころに見慣れているからだ。
異世界化した現実世界で培った戦闘技術を僕はイメージしトレースし終えている。
「死ねよ!」
鋭い突きが僕の体を貫こうとする。それこそ目にも留まらぬ速さというものだった。
そんな殺意に満ちた攻撃すら、紙一重で躱し、鳩尾にカウンターの一発を打ち込む。
胸部の骨が折れる感触。精神体は簡単には死なない。要は、相手にもイメージさせるのだ。
『この一撃を食らったら死んでしまう』というイメージを。
スグルさんの口から血が噴き出る。
「なんで……」
悔しさと苦しみを浮かべ、スグルさんは顔を歪ませた。
スグルさんの顔を両手で掴み、そして……彼の首を強引に捻る。
首の骨が折れる音。
槍が地に付いた直後、スグルさんだった物を離した。
精神体の死体を見下ろす。
「おめでとう。これで君は小物から、人殺しになれたよ」
遠くの方から、黒の創造主の声が聞こえた。
白い空間は黒に塗りつぶされる。
再び光が見えた。
閉じていた瞼が開かれた。
目に飛び込んできたのは、目を赤く晴らしたポニテさんの顔だった。
「ただいま」
手に残る人殺しの感触を実感しながら、ポニテさんに帰りの言葉を告げた。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回投稿は2/25です。




