089 『罪と罰(クライム・アンド・パニッシュメント)』
089です。
『ならば、小物以上の存在くらいにはしてあげよう。……この私が』
聞き覚えのあるような、ないような、淀んだ声が聞こえた。
重力に引っ張られていく。それは体という器ではなく、意識のほうだった。
それこそ魂という存在が体から解き放たれた、そんな感じだ。
この感覚を味わうのは二度目だった。一度目は僕が脳内の奥底、本能の渦へと入った時と同じよう。いまの僕は精神だけの存在と化している。
肉体のない精神体はどこかへ落ちていた。それとも上昇しているのか、とにかく僕は白の膜に覆われた空間を高速移動している。
両足が地についた。周りの風景は変わらず、何もない白濁にまみれた空間の中にいた。
「ここは?」
どこに連れてこられたのか、その疑問もあるのだが、僕は改めて自分の体を確認する。
昨日今日で破れた服は元に戻っている。ただ適正者としての力、闘気などは失っている状態だとわかった。
次に、この空間。何もない、地平線すら見えない、真っ白な球体の中にいるような気さえし始めた。
戸惑っていると突然、拍手が聞こえた。
「お疲れ様。どうだったかな。私が用意したイベントは」
声は聞こえるのに姿が見えない。
「誰ですか。どうして僕をこんなところに? 僕の体をどうしたんですか」
辺りを注意深く観察しながら問いかける。
「精神の体であることは驚かないのか。そうか。君は覚醒しているのだから、人の中にある本能へ近づいた経験があるのかな。なるほど、これは確かにレアなケースだ」
首を右から左に、左から右へと戻そうとした時、ダークスーツを着用した男が真正面にいた。
「うわ」
急に現れた男をみて驚き、飛び退いた。
「やあ。君と会うのは二度目だね。こうして同じ人間に会うのは初めてでね」
「二度目?」
男の顔に見覚えはなかった。年齢は、そう三十代といったところだ。スーツはリクルートと言った安っぽさはなくて、細身の体に似合った品が良く、洗礼されたデザインさがあった。せっかく仕立てのいいスーツなのに首元に巻かれたネクタイは黒一色で残念だった。
葬式に出席しそうな出で立ちといえば、納得できる。
「おっと。これは失礼したね。君と会った時は、たしかこの人間の顔だったかな」
男の顔はモザイクが掛かったように乱れると、今朝会ったばかりの顔に変化した。
「黒の創造主」
スーツはそのままだけれど、若い青年となった黒の創造主だった。
「じゃあ、ここは黒の創造主。お前が作った空間なのか」
「殺風景なところで申し訳ない。私の専門は生命に関することくらいなのでね。こういった空間を作ることは不慣れだ。白の者が作ればまた違った空間を作れたかもしれないがね。いまのところはこれで我慢してくれ」
本当に申し訳無さそうにしているのが、返って反発を覚えさせる。
「すでに人となった僕をここへ運んだ理由はなんだ? お前は戦う力を失った人間さえも殺すことを楽しむのか」
「まさか。私には生命を殺す趣味はないよ。その行為は私が創りあげた者達に任せている。私はね、真悟くん。自分の手を汚さない主義なんだ」
「どんな主義を持っているかなんて興味はない。僕の質問に答えろ」
「君はわかりやすい人間だね。精神的に若いからかもしれないが、敵対する相手には露骨に嫌悪し、口調が荒くなる。おっと、こんな無駄口を叩くと、また怒りかねないか。しかし、いいだろう。私がここへ君を連れてきた理由は単純明快だ。君たちは私が用意したイベントにおいて、ルール違反を犯した。その罰として、君を此処へ連れ込んだ」
「ふざけるな。あんな場所に、ルールなんてなかった。お前にとって、適応者やレリックモンスターにとって都合のいい狩場だったじゃないか」
「そうだよ?」
僕の訴えなどものともせず、平然と答えた。
「君たちが住んでいる世界各地で繋げた世界は、都合のいい空間なのだよ。それを、君と白の者。そして君の友人が壊したんだ。そんな反則行為を主催者が許すと思うのかい?」
「なんのことだ?」
黒の創造主の言う違反、反則が何を指しているのか見当がつかない。
「何も知らされていない君からすれば当然の反応だ。本来、ここへ来るべきなのは、君ではなく、君の友人であるカズヒデくんと、白の者なのだからね」
朧気ではあるけれど、黒の創造主がいうところの反則の意味が理解できてきた。
「僕から適正者と覚醒した力を奪ったことがいけなかったのか?」
「そうだよ。あれはね、卑怯な技、データの改ざん、いわゆるチートという意味かな。適正者が他の適正者から力を奪うのは、私が用意していた適応者とレリックモンスターの融合に近い。白の者は私が設計したプログラムと仕組みを奪い、改ざんし、自分の物にした。これを違反と言わず、反則としないでどうするというだ?」
「身勝手な言い分だ。こちらには勝ち目がほとんどなかったんだ。それでも、僕らは戦った。不利な状況をなんとか好転させようと努力したんだ。その結果が僕らがいた渋谷を元の世界に戻したんだ。設定したルールを自分の都合に改ざんしたのはお前のほうだろ!」
「私もある程度は白の者の抵抗具合には許容していた。適正者の覚醒に関しては、白の者が事前に用意していたものだからね。だが、力を奪い、それ以上の力を手に入れるのは許されない。完全なバランスブレイクだ。私はね、真悟くん。白の者、そして奴に従う君たちに勝ち目など少ないほうが面白いに決まっている。そして、必死に抗い、惨めに死んでいくさまが見たかったんだ」
「適応者となった人たちが、お前に付いた理由が話をしていたよくわかったよ。結局、自分さえ良ければ、それでいい。他人のことなど気にも掛けない、屑だ」
「好きなだけ罵倒すればいい。だが、私には響かない。それは君の心情、君の正義から見た批判だ。いいかい? 君の世界、そして私たちの世界でも、正義なんていう不確定な意義を主張するのは無意味だ。故に悪もない。では、なにが人の世にあるのか。それは、勝者と敗者しかない。強ければ生き残り、服従させる。弱ければ消えるか、従うかだ」
頭に来ていた。正義感どうこうではなくて、僕個人として、目の前にいる人の姿をした屑の塊が許せなかった。どうして、力がないのだろう。覚醒していなくても、せめて適正者の肉体とレリック武器があれば、殺すことはできなくても、拳の跡を残すくらいのことはしたかった。
「ふふ。怒っているね。その怒りは私ではなく、別の相手にぶつけてほしい」
「お前以外に誰がいると言うんだ」
「別に好き好んでお喋りをしているわけではないんだ。私の都合による時間稼ぎと思ってほしい」
「なぜ、お前の都合に僕が付き合わされなければいけない」
「そう言わないでくれ。もっとも、ここに連れ込まれた時点で、君が自力で元の肉体へ戻る手段はないんだ。だから黙って私の話し相手になるんだ」
奥歯を噛み締めながら、黒の創造主を睨む。
「私もね。遊び心はあるほうだと思っている。なにせ、一年と半年前にこの世界と私たちが住んでいるルーシェンバルラを繋いだことは、白の者にしては面白い趣向だった。一方的に攻めても、楽しくはないからね、だから、その意趣返しとて、今度は私のほうからこちらの世界を侵略させてもらった。当然、白の者もそれなりに動いていたとはおもうが、こちらの世界は科学だけでなく、精神技術も遅れている。はっきりいって私の一人勝ちかと思えた……だが、さすがは白の者だよ」
黒の創造主は額に手を乗せて、いかにも困ったような素振りを見せた。
「半年という時間で、ここまで抵抗する手段を作り上げるとはね。しかし、反則をしてはいけない。こちらの世界にも法があるのだろう。そして、白の者は私の作った法を犯した。反則、違反、違法には罰が必要だ。そうだろう?」
肯定も否定もせず、ただ睨んだ。
「本当なら白の者を引っ張り出したかったが、ルーシェンバルラと繋げた空間は私と適応者、異物である適正者しか入り込めない仕様だ。白の者を連れ込むことは、私の法に反する。そして、カズヒデくんも肉体を失った。となると、最後に残った君に罰を受けてもらう」
「その罰が、これから現れる誰かということか」
「誰かとは可哀想だね。君も知っている男だよ」
「……まさか、カーニヴァル?」
「違うよ。忘れたのかい? 君が最後に戦ったのはカーニヴァルではないはずだ。反則の力によって殺された者はただ一人だ」
「スグルさん?」
その名を口にした直後だった。
僕と黒の創造主を隔てるように、一本の槍が突き刺さった。
「その通り。君の相手は、適応者だったスグルくんだよ」
黒の創造主が触れた槍から灰色の粒子が溢れ出でると、人の形となっていく。
「生命体は、元素の集合体。正しく組み合わせれば、元の形へと戻れる。例え、死滅した細胞だとしても、私たちが会得した技術があれば命を吹き返す」
黒の創造主が高説を垂れ流している合間に、人の形となった粒子は色をつけ始めた。
「だが、ここには必要なのは肉体ではなく、精神。魂だ。いくら生命を操れる私でも、魂の復元には時間がかかるのでね。さぁ、目覚めるといい」
人の形を取り戻した裸体のスグルさんが、両手で槍を掴みながら立ち上がる。
「黒の創造主。こうしてまた戦える場を与えてくれたことを感謝します」
「礼には及ばないよ。しかし、裸は見苦しいね。精神の世界なのだから、好きな服を想像し着用しなさい」
「わかりました」
スグルさんが軽く目を閉じると、シャツにカーゴパンツというラフな服を纏った。
「さて、対戦相手も来たところだが。丸腰のままスグルくんと戦うわけにもいかないだろう? ちゃんと君の武器も用意してある」
黒の創造主が手を上げると、僕の両腕と両脚に手甲と脚甲が装着された。
だが、手甲と脚甲からはなんの力も感じられなかった。レリック武器は道具ではあるけれど、生きた武器だったはずなのに、その活動を停止している。
「レリック武器を装着したからといって、君が適正者に戻れるわけじゃないよ。この空間において、私以外の者はただの人だ。弱くて非力な存在だよ」
「それじゃ、スグルさんも適応者ではなく人なのか」
黒の創造主に問いかけると、隣にいるスグルさんが口を開いた。
「そうです。ここであなたと戦うのは、自分にとっても罰なんです。『境界を越えし者』の素体となったにも関わらず、反則をした者に殺されてしまったのですからね。だから、お互いに特別な力を使わずに、殺し合うんです」
「殺し合うって。じゃあ、もしここで精神、魂が死ねば?」
「必然的に存在自体が消滅する。もちろん、ここで傷が付けば君の肉体も傷つく。致命傷を追えば、死に至る」
黒の創造主は両手を広げながら、僕らを見下ろしながら言った。
「僕らはお前の娯楽道具じゃないぞ!」
「いいや、娯楽道具だ。いいかい、ここへ連れ込まれた時点で君たちは私よりも弱い。そして強者である私に従うのみだ。もし、殺し合うことが嫌なら私の手で殺してあげよう。それくらいの手助けはしてあげるよ?」
「誰が、お前なんかに……」
殺されてたまるか。
僕は装着された手甲の腕を上げた。普通の人間という精神体だからか、腕の手甲も、両脚も重い。
「いいね。やる気がでてくれて。あと、誤解がないように言うけれどね。ここでスグルを殺せば、彼は二度と蘇ることはできないよ」
「は? それはおかしい。一度死んだスグルさんをここへ来れたのは、魂を復元させたからだろう?」
「君は話を聞かないのかな。言ったはずだよ。私以外の者は非力で弱い人だとね。君もスグルも、適正者および適応者ではない。人間だ。特別でなくなった君たちの魂を復元するなど、私の技術を持ってしても不可能だ。何度でも言おう。ここで殺し合うんだ。何の特別性も無くなった人として、生き残るために殺すんだ。そして、君は本当の人殺しという罪を背負う」
「……それが、お前の言う僕に対する罰なのか」
「理解してくれたようだね。現実の世界に戻っても、君は人殺しの罪を背負う。さぁ、この重みに耐えられるかな」
「シンゴさん」
スグルさんが構えた槍で僕の喉元につきつける。
「いまここで一突きすれば、死にます。自分としては戦った上で殺したいのです。ご存知ですよね? 自分がなにを望んで適応者へとなったのか」
生と死の狭間にある境地を繰り返し味わうため。そのためには何度でも蘇られる適応者の肉体が必要だった。
「自分は適応者へと戻りたい。普通の人間として死ぬのは私の罰です。ですが、死ぬという快感もたまらないのです。殺し合う勇気があるのなら、その拳と脚の武器を使って自分を撲殺してください」
「うーん、適応者らしい狂い方だ」
槍を突きつけられ、棒立ちになる僕に黒の創造主が覗きこむ。
「この場所へ連れ込む前に、言ってあげたはずだ。小物以上の存在にしてあげようと。さぁ、その武器を使って見事、元の世界へ生還してみるといい。今度こそ、誰のためでもない。自分のために人を殺すんだ」
きつく噛み締めていた奥歯が震えだす。
人を殺すことに、慣れていたと思っていたのは誤りだった。適正者だったから、本能の『狂気』があったからこそ、僕は適応者を殺すことができた。それに相手は人ではない別な存在だとわかっていたからだ。
腕も、脚も重い。
肉体は無いのに、頭の血が引いていく感じがする。
何度も死に直面し恐怖を味わってきたけれど、いまは死よりも怖ろしい。
人を殺す意味を、ようやく理解した瞬間だった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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