086 『浸食(イロウション)』
086です。
◯お詫び
2/11、2/13に投稿した作品のナンバリングを誤ったまま投稿していました。
誤植は2/15の時点で修正済みです。2/11は084、2/13は085になります。
なお、本文に問題はありません。
申し訳ありません。
カズさんの位置はなんとなくわかっていた。『境界を越えし者』のこめかみに打ち込まれた矢の弾道(弾ではないけれど)を辿れば、おのずと位置は把握できる。
ここから一キロ未満の距離にある建物の屋上から矢を放ったのだろう。
「スナイパーかよ」
僕が苦笑していると『境界を越えし者』の口から闘気の弾が吐き出された。
なんなく避けることは出来たが、後方から大きな爆発音と軽い地響きが起きた。
「緊張感のないお前に少しばかりの挨拶だ」
完全に日本語を習得した『境界を越えし者』は、表情までも人間のようになっていた。
向こうもカズさんの位置を把握しているようだが、続く矢が飛んでこないこと、もとい、カズさんに敵意も戦意も殺意も無いことを察したようだった。
「どうやら小物は邪魔をしないようだな。ならば、先刻の宣言通りに私と戦おうではないか」
「思ったより……」
「なんだ?」
「あんたはお喋りなんだな」
僕は両足で地面を蹴りながら軽く跳ねた。
「それは私の素体となった適応者のせいだろう。彼の男は話し好きだったようだ。私の中にもその男の記憶や感情、人として抱いていたものが私の中に引き継がれている」
「スグルさんの意識もあるのか」
「無理な話だ。私が表に出た以上、彼の男の意識は淘汰されている。残念だったな」
消えたというわけか。自分で聞いておいてなんだけれど、思いの外、衝撃はなかった。むしろどうして聞いたのだろうと疑問すら浮かべる。
あの人が消えたところで、僕の内面に変化を与える影響力はなかった。
『狂気』が疼きだす。
瞬間復元は残り一つ。全開したいまの闘気と合わせれば、闘紋を使っての戦闘時間は十分。
ほくそ笑んだ。
十分で充分。昔から言われているダジャレなのに、妙に可笑しかった。
「楽しいか?」
「ああ、楽しいね。楽しいよ。僕が、僕でなくなるのが、楽しくなってきた。もう、怖くもない」
意識ははっきりしている。それなのに、僕にはなかった暴力的な思考が、破壊衝動が、とめどなく湧き上がる。僕なのに僕ではない者へと変わろうとしている。
「ならば待とうではないか。お前もまた完全な状態になることを、私は望んでいる」
「言われなくても、僕の『狂気』は独立している。僕を……犯し続けている」
僕の感情と呼応して、闘紋がさらに侵食していく、皮膚上にあったそれは皮膚から内部へ、血肉へと入り込んでいく。細胞までもが『狂気』によって侵されていく感覚。
じわり……じわり……と、骨と肉と血を取り込みながら全身を這いずりまわる。
顔に張り付く模様も内側へと入り込んでくる。すでに体に入り込んだ闘紋の繊維たちは脳にまで達した。
内側から解き放たれる『狂気』。
解放することを拒んでいた脳のセーフティーが乱暴にこじ開けられる。
──ブツンという線を断線した音が頭に響く。
『狂気』の闘気を纏った腕で、『境界を越えし者』に向けて放った。
原宿駅周辺が、薙ぎ払われる。建物も、道路も、人工物、自然物、すべてが目の前から消え去る。二人立つ半径、五十メートルくらい見渡しがよくなった。
やはりというべきか、安全区域の要となっている代々木公園には被害はなかった。
「心地いい風だった。それで全力ではあるまいな?」
「俺が、本気でやったら、死んでたぜ?」
『境界を越えし者』が人のように声を殺して笑う。
俺よりも人間的な仕草をもって、笑う。
「彼の男の記憶が言っている。お前はもう人でなくなったと」
五月蝿い、口だ。
敵の口を塞ぐ。白い爪で両頬に突き立てる。
そのまま地面に突き落とす。
「待たせたな」
塞いでいた手の平が奴の鋭い牙によって食いちぎられる。
『境界を越えし者』は俺の肉を咀嚼しながら、飲み込んだ。
「美味いな。肉は。この体になって初めて食ったのがお前の肉で、嬉しいぞ」
「食われた側からすると、気持ち悪いことこの上ない感想だな」
復元した右手で、かかってこいと煽る。
スグルの所有物だったレリック武器の槍が『境界を越えし者』の手に現れる。
こちらも身構えるが、相手の攻撃を待つような愚策は取らなかった。
足を活かし、回り込みながら『境界を越えし者』に連撃を与える。
迫り来る槍の点と線を避け、更に深く入り込む。ボクシングで言うところの超近距離ファイト、とでも表現しておこう。
脇腹を打ち抜くと、奴の体はくの字に曲がった。手にしていた槍を手放さなかったのはさすがと言うべきだろう。見るからに振り絞った力で、一突きしてやろうという魂胆が見えた。
今度は顔面めがけて、それこそ首を吹き飛ばすつもりで殴りつけた。
ありえない角度まで反り上がる『境界を越えし者』の上半身。獣特有の柔軟な体がなせる事象かもしれない。俺の攻撃をまともに受けたくせに、首から上はまだ繋がったままだった。
このまま押し倒しても芸がないので、奴の左腕を両手で掴んで雑巾を絞る要領で捻じりきった。
「がああ」
初めて『境界を越えし者』が叫びを上げた。
その声を聞けただけで満足した俺は奴から距離を置いて観察した。
肘から下を失った左腕を右手で塞いでいる。
苦痛に歪ませながらも、俺を睨みつける瞳は獣の獰猛さを失っていなかった。
「意趣返しか」
獣臭い腕を投げ捨てる。
「難しい言葉を知っているんだな」
「言ったはずだ。この肉体は……」
「ああ、いい。同じ台詞は何度も聞きたくない。興が冷める」
「それはすまないな」
まだ左腕が痛むのか、『境界を越えし者』の口調はどこか弱々しかった。
油断はしない。どうせ、その腕も元に戻るのだろうと思っていたが奴の左腕は元に戻る様子が見られなかった。
それどころか、奴は自分の腕に向けて口から吐き出した黒い炎のようなものを吹き付けた。
あれはガルズディアの技だった『夜よりも暗い炎』では?
驚く俺に向けて、奴は面白そうに口の両端を上げた。
「私の肉体に自己治癒はあるが、失われた部位は元に戻らん。故に焼き付けた」
「そうかい。じゃあ、俺の勝ちだな」
攻撃する手が一本減ったのだ。足し算引き算を覚え始めた小学生でもわかる計算式だ。
「手負いの獣は、厄介だぞ?」
「言ってろ」
かと言って、警戒しないというわけでもない。まずは拳に貯めた闘気を放出させる。
まずは足を止めて、そこから大きな一撃を与えてやる。
それで終わりだ。
予想通り。『境界を越えし者』は両足を止めて、こちらの出方を伺っている。馬鹿が。それが命取りだと、死んでから後悔するといい。
ガルズディア特有の攻撃も使えるようだが、こっちは何度もゲームで戦ってきたのだ。現実の技となったところで、脅威でもない。
仮に『夜よりも暗い炎』を出したとしても、安全地帯は知れている。
あの攻撃はガルズディアから離れれば離れるほど攻撃範囲が広まり逃げ場を失う。となると、安全地帯は奴の左右隣だ。
俺は左側から回り込んだ。
二度目の闘紋を発動させてもう二分は経過している。止めを刺すならちょうどいい頃合いだ。
俺の動きに合わせて『境界を越えし者』が体の向きを変える。
上手く扱えていない槍を持ったままで、実に滑稽だった。
「…………」
『境界を越えし者』が何かを呟いている。何だ?
疑問符を浮かべた直後だった。奴が手にしていた槍が複数本……いや、数えきれないほどの本数に増えたかと思うと、雨のごとく俺の体めがけて降り注いだ。
「これ、は……」
こんな技をガルズディアが持っているはずがない。ならば、これはスグルが所有しているスキルの一つ、か。
闘紋による硬い防御により致命傷こそならなかったが、体の至る所に切り傷が出来上がっている。
「くそ」
攻撃の手はやんだが、下手に近づくことが出来ない。
槍は一本に戻っているが、スキルをまた使われたらどう対処していいのかわからない。
適正者のスキルは個人によって異なる故に、どう反撃していいのか判断がつかない。
迂闊に近づいて一突き、なんてこともあり得る。
「便利な物だな。人間が繰り出すスキルというのは」
『境界を越えし者』が、片手で槍を構えた。
落ち着け。俺には空蝉というカウンター攻撃がある。さっきは突然の攻撃で……いや、覚醒してからスキルを使う発想がなかったが、あの攻撃をもらったことでスキルの重要性を思い出させてくれた。
体内に流れる闘気の質を変え、身構えた。
「構えていても、無駄だ。知っているぞ、近接の職業こそ返しの技を多用するということを」
「だったら、何をしても無駄だな」
「無駄か、どうか、受けてみるといい」
『境界を越えし者』は槍を持ったまま、こちらに突進してきた。どんな攻撃をされようと問題はない。が、馬鹿正直にスキルを真正面から受けるつもりもなかった。
避けられない速度でもないので、突き出した槍を紙一重で躱す。
ただの突進かと思いきや、『境界を越えし者』はあろうことか、槍ではなく失っていた腕のほうを俺の体に当ててきた。
「なにを」
攻撃をされたとして、空蝉が反応して対象となる肘から上の左腕を攻撃する。『境界を越えし者』は肘から上、肩のほうまで失った。
「ぐぅ!」
その顔は歓喜に満ちていた。
勝ちを取った表情とも言える。
避けたはずの槍は何故か俺の体目掛けて方向を変えた。これは、避け、られない。
矛先は俺の心臓へと突き刺そうとするが、左手で槍の鋭い刃を掴みとる。
闘紋を纏った五本の指、そして掌は硬度をあげている。そう簡単には切り裂くことは出来ない。
純粋な力比べ。筋力と闘気を織り交ぜた力は、『境界を越えし者』と互角だった。
体を支える両足に力を抜けば、槍は心臓を貫く。
均衡する力比べに飽きたのか、生きた槍は刃を伸ばそうとするが、握りつぶすことで伸縮を止める。
「武器は便利ではあるが……やはり性分に合わんな」
『境界を越えし者』は急に槍から力を抜いた。いや、手放した。そのせいで支えを失った体は前倒しになってしまった。
真下から蹴り上げられる爪先。
「くっ」
避けようにも前屈みになった体では状態を逸らすこともできず、見事に直撃する。
顎から上が無くなった……ような衝撃を受ける。
こうして思考が続いているのだから、まだ脳は残っている。しかし、頭を揺らされたせいで平衡感覚は失われ、膝が折れそうになる。
『境界を越えし者』は獣の残った片腕と両足、そして貪欲な牙を使って、猛攻を始めた。
ふくらはぎから飛び出る骨、逆方向に曲がる腕、えぐり取られる脇腹、鋭い爪によって失われた左目……それらすべて闘紋によって復元されるが、すぐに新たな部位を破損する。
防ぐなど不可能だった。木偶人形の如く、俺はなぶられ続けた。刹那に起こる痛みが、正気を失わせる。
「これなら、どうかな?」
復元した目に映しだされたのは、顔を両手で掴む『境界を越えし者』だった。
耳の後ろからガキャリという音が聞こえた。すると視界が急転し、目の前にいたはずの『境界を越えし者』の姿が消えた。
首から下の感覚がなくなり、そのまま前方に倒れていく。
違うな。俺の首は真後ろにされたのだから、後方へ倒れた、が正しい。
首が正位置に戻る。
反動を付けて体を起き上がらせる。
体に刻まれていた闘紋が消えている。何故だ。なぶられていた時間を含めてもあと、数十秒の余裕があったはずなのに。
肉体の破損と復元を繰り返した反動なのか、急に体が言うことを効かなくなった。ひどく、重い。
──ああ、消える。俺の中にあった『狂気』が。
一瞬のホワイトアウトから目を覚ます。
「り、リリィ」
たまらず助けを呼んだ。地上にいつもの魔方陣が浮かび上がる。リリィがスマートフォンと共に飛び出ると、なにも言わず瞬間復元を取り出して僕に飲ませた。
「リリィ。どうして、闘紋が消えたんだ。まだ時間はあったはずなのに」
「復元は万能ではありません。あれは闘紋に流れている膨大な闘気が成せる事象なのです。時を待たず、ひたすら復元が繰り返されれば闘気も枯渇してしまいます」
「そうだったのか……どうやら僕は有頂天になっていたんだな。覚醒と闘紋、そして『狂気』に魅入られ、自分を失っていた」
「真悟さま。いまは自我があります。今度は飲み込まれないようにすれば……」
「でも、絶対はないんだよ。リリィ。僕がまた闘紋を発動させ、『狂気』を持てば、同じことになる」
「そんな弱気なことを言わないで下さい。真悟さまご自身がご自分を信じないでどうするのですか!」
気丈に振る舞う小さな妖精に励まされた。
情けない。リリィの言うとおりだ。絶対はない。でも、繰り返さない努力をするべきなんだ。
「いい目になりましたね」
「ああ、大丈夫だ」
魔方陣の中から様子を伺う。
「リリィ。『境界を越えし者』はどこへ消えたんだ?」
リリィの小さな指が空をさした。
「あちらです」
指先の方向に見えたのは人が収まるくらいの黒い箱だった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回投稿は2/17です。




