083 『始まりの場所(ザ・ビギニング・プレイス)』
083です。
食堂にはハンプティさんだけで、虎猫さんの姿は消えていた。
どこへ行ったのかと聞けば、ハンプティさん曰く「あたしの役目は終わったかな」とだけ言い残して部屋に戻ったという。
「それで、どうする? 俺が作ったカツ丼食べていくかい?」
時間を確認しようとスマートフォンを取り出そうとしたけれど、食堂には時計が立てかけてあった。時刻は十三時半を過ぎていた。約一時間後には最後の戦いが待っている。カツ丼を作って欲しいとお願いしたのは僕だ。これまで交わしてきた約束はすべて反故してしまったけれど、この約束だけは守るとしよう。
「もう他にすることはありませんからね。最後の晩餐と洒落こみます」
「最後の飯が俺の作ったカツ丼でもいいわけ?」
「良いも悪いも、料理を作ってくれるのはハンプティさんしかいませんからね。それに、僕はハンプティさんが作った料理は好きですよ」
「お世辞でも嬉しいよ。それにさ、俺も鼻が高いってもんさ」
「どうしてです?」
「わかってないなぁ。シンくんは俺たちにとっての救世主で英雄になる男なんだ。そんな最高の男に最後の晩餐を与えられるなんて、一生涯起き得ないことだよ」
「ずいぶんと持ち上げてくれますね。これじゃ、ますます負けられなくなりましたよ」
「ポニテを覚醒させるにもいかないもんな」
と、重苦しく言った。
僕はハンプティさんから視線を逸らした。そんな意図はなかったんだけどな。
そんな僕を気にしたのか、ハンプティさんはすかさず謝ってきた。
「すまない。そんなつもりで言ったんじゃなくてさ。その……あー、なんて言えばいいんだ」
言うべき言葉が見つからないのか、ハンプティさんは髪を掻き乱した。
「気にしすぎです。悪意がないことくらいわかっていますから。さぁ、僕に最後のご飯を作ってもらえますか」
「ああ、待ってろよ。救世主!」
「あの、僕は世界を救うわけじゃないですからね? 僕が出来るのは大きな星にある小さな島国の更に小さな都市の一部です。世界中に居世界化した地域はたくさんあるんですから」
「細かいこと気にすんなって。俺にとってシンくんは英雄で救世主なんだ。いいから、それで納得しておけって」
「ちょっと、ハンプティさん!」
ハンプティさんは言いたいことだけを言い切って、厨房の中へと消えていった。
「はぁ……参ったなぁ」
英雄も、救世主も、僕には似つかわしくない名詞だ。
誤解しないで欲しいと言えばよかった。
僕は誰かの為に戦っているわけではないと、ちゃんと言葉にすればよかったのだ。
覚醒することで手に入れた僕の本能である『狂気』は英雄や救世主のそれとはかけ離れた存在だ。
人や世界を救うものではなく、あれはただの闘争を求めるだけのもの。他人の存在などどうでもいいのだ。今でこそ、僕は正気でいられるけれど、一度でも闘気を解放したら最後。僕の体は右手に刻まれた紋章が全身を覆い、闘紋となって闘争を貪欲に求める。
強者との戦いを楽しみ、生と死の境界を行き来することで満たされる。
他人など、世界など……どうでもよくなってしまう。
ルイガを屠ったことが思い起こされる。両目を刳り、胸を付いて心臓を掴み、そして潰した。あの時、僕はみんなを救うつもりで戦っていたけれど、その実、僕の中に潜んでいた『狂気』に動かされていた。
黎王との戦いも、簡単に倒せたはずなのに、自分をより強くさせるためにあの男を弄んだ。
──右手の甲が疼きだす。
カーニヴァルとの戦いはどうだっただろう?
奴とは二度も戦っている。初めは奴のペースにはまり、感情に流され、怒りのままで戦い続けた。その結果で得られたのが、適正者の『覚醒』だった。
──視界は暗転し、『なにか』が蠢く。
そして、二度目のカーニヴァルとの戦い。
この時はもう、自分の中に潜んでいた『狂気』を自分のものとし、存分にその力を使い、カーニヴァルとの戦いを楽しんだ。死の直前まで負傷した時でさえ、戦うことを諦めなかった。死は恐れなかった。さらに言えば、生きることすら気にしなくなっていた。
死ぬことでもう戦えなくなることが、惜しかっただけなのだ。
──右手から形をなした『狂気』が這いよる。
……ああ、時間などなくなればいいのに。
こんなにも待つという行為が退屈なものとは思いもしなかった。
早く、早く戦いたい。
適応者とガルズディアと融合した『境界を越えし者』と。
「シンくん!」
悲鳴に似た叫び声で我に返った。
「ハンプティさん?」
濁った視界が晴れると、ハンプティさんが僕の両肩を掴んでいる。
「シンくん、どうしたんだ? それ、闘紋ってやつだよな? どうしてそんなのが」
闘紋は右腕だけでなく、左腕まで浸食を進めていた。
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
僕は侵食した闘紋を元の紋章の形に戻すようイメージした。
すると、闘紋は掃除機の伸びきった電気コードをワンタッチで収納するみたいに右手の甲に収まり、元の紋章へと型を成した。
闘紋が消えたことで、ハンプティさんから安堵の溜息が漏れる。
「すっげぇ、焦った。安全区域にレリックモンスターか適応者がでたのかと思ったよ」
「本当にすみません。どうも覚醒してから僕の闘気は思考や感情に触発されやすいんです。気持ちが、こう戦う方向へ進むとダメみたいです」
本当にそうなのか、と僕は疑問を抱く。戦っても居ないのに、自分が戦っている姿を想像しただけで、闘気が漏れだすなんてこれまではなかった。
それはつまり……通常の適正者でいることよりも、覚醒した状態のほうが定着し始めていると言っていい。これではせっかく『狂気』を受け入れ、コントロールできるようになた意味がない。
「じゃあ、普段は押さえつけている感じなの?」
「そんな感じです。あ……」
微かに割り下のいい匂いが鼻腔を擽る。食欲なんてなかったのに、急に腹が空いてきた。
匂いの元は厨房の前にある小さなカウンターに置かれたトレイ。その上には大きな丼が見えた。
「おお、忘れてた。いま持ってくるから」
ハンプティさんはトレイを手にしてテーブルの上に丼と箸休めの胡瓜と沢庵の漬物、味噌汁を置いた。
「さぁ、食ってくれよ。自信を持っていうけど、絶対に美味いから」
「はい、いただきます」
僕は手を合わせてから、割り箸を割って、丼の蓋を開けた。
美味しい湯気と香りが立った。白米が見えないほどの大きなとんかつに半熟に固まった黄金色の溶き卵。中央には三つ葉と、これは茹でた枝豆だろうか。色合いがよくさらに食欲が増した。
見ているだけで口の中が唾液で溢れかえった。
分厚いカツを箸で掴みたいところをぐっとこらえて、まずは味噌汁をいただく。口の中が味噌の香りと風味で満たされる。
「美味しい」
「味噌汁もいいけどさ、ほら、メインを食ってくれよ」
食べるのを急かされるのは嫌だけれど、作った本人からすれば早く反応を見てみたいのだろう。
「では……」
僕はトンカツの右端を掴みとった。とろりと落ちる半熟の卵。カツの断面図から湧き上がる湯気。衣はもうしなっているかとおもいきや、まだサクサクした感じは掴んだ箸から感じ取れた。
まずはひとかじり。
なんだこれ! 衣のサクサクした感じに、肉に付けられた下味が絶妙で、しかも割り下の味と反発しあわず調和している。その大きな役割をしているのが卵だ。
垂れた卵がご飯に溶け込もうとしている……食べずにはいられない。
贅沢な卵かけごはんを箸ですくい、一口いれる。口の中に残っていたカツとご飯がさらに美味しさを倍増させる。
箸が、止まらない。カツ、カツ、そしてご飯。味噌汁からの箸休めの胡瓜。
美味い!
「美味そうに食べるね。俺も作った甲斐があったもんだよ」
丼の縁に箸を置く。
「ハンプティさん……なんで料理人にならないんですか?」
「だから、俺の料理は店に出すようなもんじゃないよ」
こんな美味いカツ丼を作れるのにといいたくなったが、あくまでもこれは家庭料理の味だと理解した。
この味はお店の味じゃなくて、家で食べるご飯なんだ。お金を取るような味じゃない。美味しいけど、他人に出す料理ではなく、親しい人だけが食べられる味なのだ。
もう話すのも野暮だ。僕は無言のまま食べ続け、アッという間に丼からお椀、箸休めの小皿もすべて食べきった。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
「顔を見ればわかることだけど、口にしてもらえると嬉しいね」
「あ、お世辞じゃないですからね?」
「わかってるよ。食後の飲み物は何にする? コーヒー、紅茶、それとも?」
「ここは熱いお茶で」
「だよねー」
ハンプティさんは手際よく食器を重ねて、トレイを持って厨房に入った。
何も無くなったテーブルを眺める。
最後の食事が、無くなってしまった。あんなにも美味しいカツ丼が、二度と食べられなくなるのかと思うと、寂しさがこみ上げてきた。
食事か。一人暮らしを初めて自炊をしていたけれど、作ったり作らなかったりの毎日だった、実家にいたころ、母親は毎日作っていたのだと感心した。
実家にいる父さんと母さんは、いま何をしているのだろう。世界中が混乱している中、なにを思って、今日という日を始めているのだろう。きっと、父の仕事は休みになっているはずだ。母は、近所のおばさんたちと大変だ大変だねぇと談話しているかもしれない。
まさか自分たちの子供が、この異世界化した場所で戦っているとは思いもしないだろう。
それでも、東京にいる息子に電話の一つしてもいいのではと思う。巻き込まれていないか、そういった心配をしてもいいはずなのに。
かくいう僕でさえ、異世界化したこの場所で戦うこと以外、頭になかった。
……だが、冷静に考えて見るとおかしい。外部から連絡があるということは、この隔離された地域の外から連絡が入ってもおかしくないはずだ。それなのに、電話はおろか、メールすら届いていない。昨日から通話はできていたのだから、混線しているといった通信面の問題はなかったはずだ。
あれ? 通話もメールも適正者の人たちだけだった。妖精たちは外部との連絡は取れるといったけれど、本当に取れたのか?
だが、いまはもう確かめようがないのだ。白の創造主の手によって、スマートフォンをはじめ、通信機器は使えなくなっている。
もう、いいか。こんなこと些細な問題に過ぎない。これから戦って死んでしまう僕からすればなおさら無関係だ。
「お待たせ」
テーブルの上に湯立つ湯のみが置かれる。顔を上げて僕はハンプティさんにお礼を言った。
「今度は考え事してたの?」
ハンプティさんが僕の正面に座る。
「そんなところですけど、あんまり考えても意味が無いことでした」
「ん? そう? 食後休みはどれくらいしていくの?」
僕はもう一度、壁にある時計を眺めた。もう十四時を回っていて、残り時間は二十分しかなかった。
僕は熱いお茶を一口、二口と続けて飲んでから、湯のみを置いた。
「もう、行きます」
「マジで? じゃあ、みんなを呼んでくるよ」
「呼ばないで下さい。見送られても、なにも言えませんから。がんばるだとか、倒しますだとか、そういう言葉を言いたくないんです」
「でも……でもさぁ? 見送りが野郎一人ってのも」
「いいんですよ。僕は英雄になりたくて、世界を救いたくて戦うわけじゃないんですから」
「じゃあ、俺たちはシンくんによって救済されたってことにしておくよ」
「僕としては救うという気持ちもないんですけど」
「いいじゃん、結果はみんなが救われる。それでいいじゃん。だろ?」
説得力はないけれど、強引に押し切られた。
「元の世界に戻っても大変だとは思いますけど、思い思いに生きて下さい」
「そうするよ」
「あ! あと、カズさんのことですけど」
「大丈夫大丈夫。あの人は世渡りが上手そうだからさ。恨まれたりしても、結局は許されるタイプだと思う」
「そうですね……じゃあ、元気で」
「ああ。おもいっきり戦ってきてくれ」
ハンプティさんが突き出した拳に、僕の拳を軽く打ち合わせた。
ホテルを出て、そのまま走りだした。
行き先は、空中に浮かぶガルズディアがいる代々木公園。
おそらく、あの場所で適応者とガルズディアが融合する。だが、あの場所は安全区域になっているのだから、黒の創造主側についている者たちは立てないはずだ。
どのようにして現れるのか、未知ではあるけれど、あの場所へ行くしかなかった。
戻るとしよう。
始まりの場所へ。
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