082 『魔女(ウィッチ)』
082です。
僕が椅子に座ると、ノヴァさんはようやく僕の方へと視線を向けた。
「ポニ子のところへはもう?」
「行きました」
「ちゃんと仲直り出来て?」
「仲直りというか、元に戻ったというか……まぁ、そんな感じです」
「そう。良かったわね」
ノヴァさんは笑みを零してから、外へと視線を向けた。
「そのポニテさんから、ノヴァさんにも会うようにと」
「いくら鈍感なあの子でも、あんなことを聞かされたら、気付いてもおかしくないわよね」
「僕が付いた嘘のせいで、すみません」
「もし真悟さんが嘘偽りなく言ってくれたら、ポニ子に私の気持ちが知れることはなかったかもしれないのは事実ね。でも、昨夜から考えたのよ。考えぬいて出した答えがあるのだけれど、それも無駄に終わりそう」
答えがでたのに無駄になる?
「真悟さん。ネットゲームで面倒なことって何だと思う?」
急に話が飛んで面食らった。しかし質問を投げかけられたら考えないわけにはいかないので、自分なりにあれこれ考えて導き出した答えを口にしてみる。
「人間関係ですか?」
「そう。それも男女絡みよ。これほどたちの悪い面倒事は無いわ。私も十代後半から多くのネットゲームをしてきたけれど、大手のオンラインゲームになればなるほど、人口密度は多く、出会いも増える。必然的にゲームフレンドも増えるし、ギルドといったホームが作られる。初めは楽しく遊んでいただけなのに、男と女がいれば、これもまた必然的に友情以上の感情を持ってしまうのよね」
仲のいいプレイヤー同士が集い合うギルドシステムはどのオンラインゲームでも見られる。大所帯ともなれば攻略も捗る。結果的にみれば登録したサーバーだけでなく、ゲーム内でも有名人になることすらある。そして、多くのプレイヤーを抱えたギルドほど揉め事もまた多い。人間性の相性もあるけれど、一番厄介なのはノヴァさんの言うとおり男女関係にまで発展した上に関係が破綻した時に生じる揉め事だ。
「僕はそういう面倒事を避けるためにギルドに所属しなかった口ですけどね」
「真悟さんは違うでしょう?」
「え? 違うとは?」
「面倒事を嫌ったのではなくて、ゲームでも人と極力関わりたくなかった、が正しいはずよ」
「真正面から言われると、さすがに来ますね。ここに響きます」
僕はそう言って、胸を叩いた。
「良かったわ。そのつもりで言ったもの。これからもネチネチと言うつもりだから覚悟しなさい?」
「あの平手打ちで終わりだといったじゃないですか?」
「冗談よ」
だから、笑えない冗談は言わないでと言いたかったが、いまの僕にはいう資格はない。
「ゲームは愉しい。知らない人と一緒に遊ぶのはもっと楽しい。なぜって、みんな年齢も住む場所も違うというのに、目的は同じだもの。こんな不思議なコミュニティが作られるのもオンラインゲームの醍醐味よ。ただ、ゲームとはいえプレイヤーは生身でNPCじゃない。色んな欲を抱いて遊んでいる。初めこそ、純粋にゲームをしていただけなのに、ゲームではない感情を抱いてしまう。男女がいればなおさらよね? 現実でもゲームでも出会いを求めるのが性でしょう。そういう邪な思いを抱くのは男が大半でしょうけど」
「それを言われると、なにも言えないです」
僕だって出会いを求めるようなプレイヤーと思われたくないから、女性の連絡先を聞いたことがなかった。軽率な行為をして、面倒なことを引き起こし、大勢の人に色眼鏡で見られたら、僕は迷わずアカウントを消去して引退している。
「真悟さんは大丈夫よ。下心はあったにせよ、行動に移さなかったのだから。きっと女性にアプローチをかけたら面倒なことになることを予見していたからでしょう」
またもや僕の考えを読まれた。一体、どこで判断しているのか気になる。
「別に、ゲーム内で出会いを求めるなとは言わないわ。それこそ人の自由なのだからね。少人数ではあるけれど、オンラインゲームで知り合って、そのまま結婚したカップルも知っているわ」
「そんな人たちが居るんですか?」
「ええ。大概、付き合うことはあっても結婚はかなりレアなケースね。私が思うに、恋愛するのは自由だけれど上手くやればいいのよ。けれど、上手く立ち回れない人、上手くごまかせない人はダメね。当人たちの問題なのに、何故か他人を巻き込む。それは飛び火して、最悪の場合、ギルド解散すらあったわ」
「ゲーム内でなんでも話し合っているからこそ、妙な親近感を持つからでしょうか。この人なら話を聞いてくれる、もしかしたら助けてくれるかもって」
「私もこんな性格をしているから、ログインしているのにゲームじゃなくて人生相談されたことがあるわ。男女年齢問わずにね。これもオンラインゲームあるあるではあるけど、限度と節度を守ってほしいわ」
ノヴァさんは昔のことを思い出したのか苦笑いをして、嘆息を吐いた。
「昨日も言った通り、私は身を引いて、二人のことを見守ることにした。何故と言われれば、私が新しい恋愛を恐れていた。そして揉め事を起こしたくなかったから。私だって真悟さんよ。だって、私もいい年なのよ? 面倒なことになるのはわかっているもの。大人のふりをして、強がって、輪を乱さないようにすることくらいできるもの」
ノヴァさんはそれでいいんですかと、開きかけた口を固く閉じた。
僕がいえる台詞ではないのだ。口にしてしまったら、色んなことが、関係が瓦解してしまう。
「でも、それはゲームでの話よ」
「え?」
ノヴァさんは眼力を持って僕を見つめる。
「もうゲームじゃないもの。オンラインゲームMMORPGである『Relic』は失われ、現実世界となった。顔が見えない相手と争うわけじゃない。楽しむ時間はもう終わったのよ」
スッと立ち上がったノヴァさんは僕の前にきてテーブルに腰掛けた。
ノヴァさんから香る甘い匂いが鼻腔を擽る。
彼女の人差し指が僕の下顎に当てられる。その行為は、魔導術士の魔法みたいに僕の体を硬直させた。
「自分を偽る必要さえない、そう思ったの。もちろん、二人の関係を壊すような行為はしないわ。でも、隙があれば、二人の関係が壊れてしまったら、その時は遠慮しないって決めたの」
「ノ……ノヴァさ……ん?」
ふっくらとした口唇から覗かれる舌が艶めかしく上下する。
「それなのに、あなたは死んでしまう。数時間後には居なくなってしまう。私を一人にする。芽生えたばかりの感情が唐突に断絶されてしまった。だから……」
ノヴァさんはこの部屋を見回した。何処かへ消えてしまった彼の部屋を。
「尻の軽い女、なんて思った?」
「いえ、そんなことは」
口では否定したものの、男女関係なく拠り所を求めるのは当然だと言える。さらに言えば、目の前にいる彼女と消えた彼は、恋人ではなかったけれど体を確かめ合った仲だ。元の鞘に収まる、ではなくて、元の関係に戻ろうとした。
「手っ取り早く、寂しさを忘れる方法はね。求め求められる行為をしたほうがいいのよ。体を満たすことができれば、ポッカリと空いた穴はその時だけ埋まることが出来るの。終わった後は、虚しさしか残らないけどね……ここまで言えば、お子様の真悟さんにもわかるわよね? カズヒデと私は、恋人ではないけれど、大人の繋がりを持っていたの」
すでにカズさんから聞いています、なんて言えなかった。
「そう、ですか」
僕にはこんな事しか言えない。ボキャブラリーのない子供だ。
「軽蔑してくれてもいいのよ。だって、最低なことだもの。好きな人がいても、相手にしてくれないのなら、せめて想像の中で満たされたかった。そう、カズヒデを真悟さんと見立てて、行為にふけっていた」
流石に驚いた。だって、そんなことはカズさんも言わなかった事実だからだ。
「ノヴァさんはそれで良かったんですか? カズさんは、そのことを……知っていたんですか? もし知らなかったら、あまりにも……」
ノヴァさんは腰掛けていたテーブルから立ち上がり、次はベッドに腰掛けた。
「知っていたわ。あの人、私を抱く前にいつも哀れんだ目をしていた。けど、彼も彼で満たしたかったのよ。お互いの傷を舐めてね。これが汚くて、見られたくない大人の一面よ」
「でも、そんなことを、僕に言うなんて」
「誤解、と言うのは語弊があるけれど、私だって誰でもいいわけじゃないのよ。カズヒデとは条件が合ったの。ただそれだけよ。本当はあなたに抱かれたかったのにね。好きでもない男に体を預けるなんて最低だとわかっていても、欲望は満たしたいのよ。私って……卑しい女よね。」
もう何がなんだかわからなくなった。
カズさんもノヴァさんも、そういう大人なんだと思うと、居心地がものすごく悪くなる。
「こんなことを言うつもりはなかったわ。でも、言いたかった。隠して置けなくなったのよ。もし、ここへ──カズヒデが使っていた部屋に、真悟さんが来てしまったらすべて打ち明けようと決めていたの。表向きの私だけじゃなくて、裏の私も、ちゃんと教えたかった……嫌ってくれて、いいのよ。あなたと一緒になる夢は諦めたもの」
「ノヴァさん。もしもの話をしてもいいですか」
「どうぞ」
「もしも、僕が初めから偽らず、現実を取り戻した後、死んでしまうと打ち明けていたら、この話をしていましたか?」
「……してないわ。でも、告白はした。あなたが好きだと言ったわ。だって最後なのよ? 本当の気持ちを伝えないで、いつ伝えるというの?」
「すみません」
「なにが?」
「わかりません。でも、謝らないといけないと思えてしまって」
「優しいのね。最初から、最後まで」
「すみません」
「もう謝らないで。次、謝ったら……その口を塞いであげるから」
どんな風に塞がれるのか想像してしまう。
僕の口には、ノヴァさんの口唇が重なっていた。
邪な想像から現実に目を戻すと、ノヴァさんは靴を脱いでベッドへ横になった。体は僕のほうへ向けている。
女性らしい曲線が僕の目を刺激する。
「自分の知っている友人と、肉体関係を持った女は気持ち悪い?」
「いいえ」
嘘ではなかった。もう、嘘は付きたくない。
「じゃあ、今の私はどんなふうに見える? 言葉を並べて、自分を取り繕うとするいやらしい女? 悲劇のヒロインを気取った女?」
重い腰を上げて、ノヴァさんが横たわるベッドの前に立った。
「教えてくれる?」
デジャブがした。ついさっきも僕はこうやってベッドで寝ている人の前にいた。そして、その人と同じ視線になるように腰を落としていた。
そう、今の僕は、ポニテさんにしてあげたように、ノヴァさんと目を合わすため腰を下ろしている。
唯一違うとすれば、僕はノヴァさんの手を握っていないことだ。
「僕にとって、ノヴァさんはノヴァさんです。綺麗な声と笑えない冗談を言う。けれど、魅力的な年上のお姉さんです」
ノヴァさんはゆっくりと目を閉じた。
「真悟さん。私はあなたのことが好きよ。大好き。失いたくないわ」
「僕も、ノヴァさんを失いたくありません」
「それは……友人として?」
すぐには答えられない質問だった。一から十を数えてから口を開いた。
「!」
ノヴァさんは僕の頬を両手で掴んで無理やり口唇を重ねた。
舌と舌がもつれ合う双頭の蛇みたく絡まり合う。あまりの甘美さに僕は抵抗することすら忘れてしまっていた。
口唇が離れ合う瞬間、お互いの口元から透明の糸が出来上がっていた。
「やっぱり、答えは聞きたくなかったの。許して?」
「許すもなにも……こんなことポニテさんに知れたらどうなるか」
「知れたら知れたで面白いじゃない。お互いに同じ人を好きになったんだもの。昼ドラみたいなドロドロとした女同士の争いもしてみかったの」
「それは本当に洒落になりませんよ」
僕は濡れた口周りを手で拭いながら言った。
すると、ノヴァさんも同じ仕草をする。
「キスは私のほうが上でしょう?」
「答えませんからね?」
ぶっちゃけ気持ちよかったなんて口が裂けても言えない。
「そう、それは残念」
目の前にいる妖艶の魔女が微笑む。
「真悟さん。私に言うことがあってここに来たのよね」
魔女から普通の人に戻った。
僕はここへ来た本来の目的を思い出す。
「最後の挨拶を言いに来たのでしょう?」
「はい」
「聞かせて」
「さよなら、です。ノヴァさん」
ふふと、ノヴァさんが笑う。
「挨拶に『です』をつける人、初めて見たわ。真悟さんらしくて、私は好きよ。……うん、さよなら。そして、いってらっしゃい」
しばらくの沈黙を間に挟んだ後、僕はノヴァさんから離れた。
カズさんの部屋を出て、優しく扉を閉じた。が、ドアノブは壊されているのでオートロックは掛からなかった。
不意にノヴァさんとのキスの感触が蘇る。
僕は下の階層に目を向けた。
どちらが良かったのかは、僕の中だけにしまっておこう。
スマートフォンを取り出し、時刻を確認した。
いつの間にか十三時を超えていた。
『境界を越えし者』出現まであと一時間とわずか。
僕は階段を下って、ハンプティさんがいる食堂に戻った。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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