074 『温もり(ウォールンス)』
074です。
503と打たれた扉を前でしばし待っていると、ガチャリと音を立てて隙間からポニテさんが顔を覗かせた。
「真悟くん?」
ポニテさんは見るからに寝起きで、髪もぼさぼさだった。どうやら化粧は落としているようで、すっぴんのようだ。印象は変わらないけれど、綺麗な素肌だった。
「ただいま。ポニテさん」
僕がそういうとポニテさんは目を大きく見開いた。
「ちょっと! ヤダ! 見ないで!」
ポニテさんは急に顔を隠したかと思うと、扉を勢い良く締めてしまった。
「え、ポニテさん?」
「待って。マジで待って! え! カーニヴァルは?」
「倒してきました」
「マジで!」
扉は全開にされると、顔を紅潮させて驚くポニテさんが出てきた。服装は今朝と一緒だけれどほのかに石鹸の匂いがした。あれからシャワーでも浴びたのかもしれない。
よく見ると服はだらしなく、皺になっている。
「ところで、もしかしなくても寝起きですか?」
「寝起きだよ! もうなんで来る前に連絡をしてくれなかったの!」
大きな声で返事はするけれど怒っている様子はなかった。
もう僕は五感を通常の人と同じくらいにしているので、本音がどうなのかはわからないけれど、たぶん、大丈夫だとは思う。
「とにかく入って」
ポニテさんは僕の手を掴むと勢いを乗せて部屋の中に連れ込んだ。
激しい運動をしたわけでもないのに、ポニテさんは息切れを起こしている。
「大丈夫ですか?」
「あーもー、大丈夫なわけないでしょ。真悟くんがホテルを出てから急に睡魔がきてさ。そのままベッドにはいって布団を被ったんだけど、全然眠れなくて。あさーい眠りに落ちかけたところにノックでしょ? もう誰なの! って癇癪を起こすのもあれだし、何か会ったのかもと思って布団を出たのはいいけど髪はボサボサで目はしょぼーんってしてるし」
身振り手振りでほんの数分前の出来事を表現する姿は、可愛らしかった。
そう思うと微笑ましくて、思わず小さく笑ってしまった。
「って、なんで笑ってるの!」
「いやぁ。こんなに慌てふためくポニテさんを見るのも貴重な体験だなと思って」
「こっちの身にもなってよね。もうこんな姿みられるのって恥ずかしいんだからさ。しかも……私、すっぴんじゃん」
化粧していないことを思い出したようで、乱れたベッドに頭を突っ込んで顔を布団で隠した。
「本当に最悪。返ってきた時はばっちりキメて迎えてあげようかと思ったのに!」
「それは、本当にすみません」
「もういいよ。返ってきてくれたことは嬉しいしさ。ぶっちゃけると、真悟くんが戦っている時に、命を賭けている時にさ、呑気に服を選ぶとかあり得ないから、服選びは真悟くんが戻ってきて、それから真悟くんと一緒に行こうかなって考えてたんだ」
「ポニテさん」
まぁ、確かに僕の為とはいえ、戦っている時に服を選ぶなんて間違ってもしてほしくない行為だ。
ベッドではまだポニテさんが顔を布団で隠しているけれど、下半身は丸出しだった。柔らかそうなお尻と、艶めかしい両足が二本。
いかん、不健全だと考えて僕は部屋を見回した。部屋の作りはカズさんの部屋と同じでシングルのベッドが一つと、テレビに机、キャビネットには食器類が収まっていて、小さな冷蔵庫もある。
あとはデスクと一脚の椅子。デスク上にはいつ用意したのか化粧品類が置かれている。化粧水に乳液、それと化粧落としにコットンがあった。ゴミ箱には黒ずんだ使用済みのコットンが捨ててある。
「あんまり部屋をジロジロみないでよね。住んでいるアパートの部屋じゃないけど、見られるのはやっぱり恥ずかしいもん」
「で、ですよねー」
ポニテさんからひと睨みされたので、後退すると壁に立てかけられた大剣が肘に当たり、ゴンという重量感たっぷりの音を立てて大剣が床へ落下した。
「すみません」
「いいよ、気にしないで」
そうは言われても、適正者にとって大切な武器だ。僕は大剣の柄を掴んで同じ所へ立てかけた。
「不思議なんだ。昨日初めて持った武器なのにさ。すっごく私の手に馴染むんだ。ずっと使い続けてきたような気がする。適正者になっていなかったら、そんなゴツい武器、振り回すどころか持つことだってできないもん」
「軽々しくぶん回していましたよね」
「でっかいモンスターを狩るわけでもないのにね。そういや、中学生のころ大剣背負って素材集めしたなー。全然素材がでなくて何度もポータブルを叩き割ろうと思ったことか」
大剣、モンスター、素材集めというワードを聞いただけで、ポニテさんが遊んでいたゲームのタイトルがわかった。
「懐かしいや。あの頃の私が、今の私を見たらさぞ驚くと思うな」
布団をすっぽりと被っているせいで、顔はよく見えないけれど楽しそうに笑っているのはわかった。
「ねぇ、真悟くん」
「はい?」
ポニテさんは小さな手を布団から出してベッドを小刻みに叩いた。飼い犬を呼び寄せるような仕草に似ている。
ベッドに腰を降ろして、動かなくなった小さな手を握った。
「真悟くんの手、暖かいね」
「自分の手の温もりなんて、気にしたことがありませんでした」
「私の手は?」
「ポニテさんの手も、温かいです。小さくて握りやすくて、可愛らしいです」
キュッと手を握りながら、布団で隠れたポニテさんの顔を覗き込んだ。素肌を露わにした顔をまじまじと見る。
ポニテさんは照れた様子で目を右に左にと泳がせてから、僕と目を合わせてくれた。
彼女の両まぶたがゆっくりと降ろされる。無防備の口唇が僕を誘惑する。
僕もポニテさんにならい、両目を閉じて、口唇を重ねた。
手の温もりとは違う暖かさを感じる。柔らかくて、ちょっとだけ湿り気がある。
重なった口唇はどちらかというわけでもなく離れた。
僕が目を開くと、ポニテさんはもう目を開いていた。何だが、僕だけがこの行為を終わらすことに未練を持っているみたいで恥ずかしくなった。
照れ笑いをしている僕に、ポニテさんの顔がまた近づいてくる。今度はポニテさんからと焦ったけれど、合わさったのは額だった。
「まだ、言ってなかったね」
「なにをですか?」
「おかえり。真悟くん」
「ただいま」
そして僕らは、もう一度、もう一度という気持ちを込めてキスを重ねた。そこに居ると確かめるかのように、抱きしめて、手を絡め、背中をまさぐり、お互いの体温を感じ合った。
「真悟くん、抱きしめ合うだけで、いいのかな」
「……これ以上のこと、したいのが本音ですけどね」
「私も」
でも、何かが僕らを踏みとどめさせた。
具体的な理由を上げられないのがもどかしいけれど、その先にある行為はまだ早いと想っていた。僕も、ポニテさんも。
気分や雰囲気が足りないというわけでもなさそうだった。求めるという欲求が湧き上がらなかった。
それは適正者という体がそうさせているのかもしれない。
適正者か。そうだ。僕らが所持しているスマートフォンには妖精たちがいる。
「見られはしないけれど、聞かれますからね」
「あ、忘れてた」
忘れっぽいなと思いながら僕はポニテさんの髪を撫でた。ポニテさんは同じミスを犯そうとしていたようだ。……僕もついさっき気がついたばかりなのだけれど、それは内緒にしておこう。
「これから、どうする? 次は『境界を超えし者』と戦うんだよね。それまで、ずっとここにいてくれるの? それとも、また……」
ポニテさんは黙りこんだ。
「また、一人になりたい」
僕が続く言葉を口にすると、ポニテさんは俯いていた顔を上げた。
「なんて、言いませんよ。せっかく出来た空き時間です。二人で過ごしましょう。もちろん、こんな狭いところじゃなくて、広いところへ」
「いいの?」
子供みたいに喜ぶポニテさんを見ているだけで、こちらも嬉しくなってくる。
安全区域から出ても、もうレリックモンスターたちは出てこない。けれど、ホテルの近場でいいかと思えた。
「今日で最後ですから。普段、買えないような服とか選んで見ません?」
こうして僕は戻ってきたわけだし、一緒に服を選びにいくのもいいだろう。最初で最後のデートになるけれど、思い出作りになってしまうけれど、やっぱり僕がポニテさんの側にいたという記憶は残しておきたかった。
カーニヴァルと戦い、偶然にも黒の創造主と出会ったことで、僕にあった死の在り方と残し方が変わった。
こうやって好きな人と一緒にいられる時間は、どんな時間よりも尊いのだ。青臭い言葉になるけれど、この気持だけには正直でありたかった。
「うーん。買い物はいいや。てか、買いに行くわけじゃなくて間違いなく盗むわけだしさ。だから、最後だっていうのならなにもしないで普通に歩こうよ。昨晩の続き、しよう?」
「ただ歩くだけでいいんですか?」
「それだけでいいんだよ。真悟くんが隣にいれば、私はそれだけでいい。この街には限られた人しかいない。でも、それはこのホテルの中だけのこと。外へ出ればそれこそ誰にも邪魔されない二人だけの時間だよ」
それもそうだなと、納得した。
邪魔をされないのは、いいことだ。
「じゃあ、先に部屋から出ますね」
僕はそう言って、掴んでいたポニテさんの手を離す。名残惜しかったのはポニテさんも同じで、絡まっていた指が離れた跡も相手の指を追っていた。
「どうして?」
「さすがに、化粧する姿はあまり見られたくないでしょう?」
「他人に見られるのは嫌だけど、真悟くんならいいよ」
「付き合って間もない男女の初々しさを堪能させてくださいよ」
「ん、それもそうか。じゃあ、部屋の前で待ってて、私、そんなにメイク時間かからないほうだから」
ポニテさんは意気揚々と被っていた布団を放り投げ、デスクに置かれていた化粧品の前に座った。
「バッチリメイクじゃないけど、それは許してね」
「いいですよ」
さっそくメイクに取り掛かったポニテさんの背中を眺め見てから、部屋を出た。
通路に出ると、角のほうに人影があることに気がついた。腕を組み壁に背を預けているのはノヴァさんだった。
「いつからそこに?」
「ちょっと前よ」
「本当に?」
ノヴァさんは軽い溜息をはいた。
「嘘。真悟さんがポニ子の部屋に入った直後からずっとここにいたわ。二人の邪魔をしたくなかったのよ」
「あの、ノヴァさん。僕は……」
「言わないで。それはもう終わったことにしておきたいの。昨夜の告白で私の気持ちはもう、終わりにしたいの。そう、思わせて。じゃないと揺らぐから」
「……すみません」
「真悟さんが謝る必要はないのよ。さっきの頼まれたことだけれど」
「どうでしたか?」
「ハンプティはダメね。あの子、見た目以上に口が固いみたい。あとカズヒデだけれど、動きは無いわ。私は真悟さんの思いすごしのような気がするの……本当に、カズヒデが何かをしでかすとでもいうの?」
僕がお願いしたのはカズヒデさんと共に行動してほしいこと。そして、余裕があればハンプティさんから白の創造主について話を聞き出すことだった。
「あくまでも勘です。ハンプティさんはともかく、カズさんは何かを企んでいる気がするんです」
「そこまでいうのなら。わかったわ。そうそう、さっきカズヒデと話した時、ネカフェにおいてきたノートパソコンを取りに戻るみたい。私、一緒にネカフェへ行ってみるわね」
「すみません。お願いします」
「いいのよ。真悟さんは、この後、どうするの?」
「僕は」
ポニテさんがいる部屋の扉を眺めた。
「そう、そういうことね。変な気を起こす前に退散するわ」
また、そんなことを言う。口の中が急に苦くなったような気がした。
「ふふ。冗談よ」
「ノヴァさん、もうそれは笑えない冗談ではなくなってますよ」
「じゃあ、なにかしら?」
「精神的に追い込みをかけています。もしかして無自覚てやってます?」
「さぁ、どうかしらね」
ノヴァさんは背を向けて、階段を登って行った。そして、電話を掛けたのか「もしもし?」と話しかけていた。
僕がポニテさんと共に外へ出ようと思ったのはこのホテルにいるカズさんをノヴァさんに見張って欲しかったからでもある。僕がいたら下手に動きを見せないと思えたからだ。
ネカフェに行くとわかれば、あの辺りを回らなければいいだけの話だ。
僕はカズさんの言動に嘘偽りないと信じている。
ただカズさんのいうプラベートな隠し事というのが、どうも胡散臭いのだ。
これは勘だけれど、僕に関する何かを、カズさんはチェイス、白の創造主から聴いている気がしてならない。
わからないのは、僕のことと、カズさんのいうプライベートな問題とどのように繋がるのか見当がつかないのだ。
昔、男女の関係を持っていたノヴァさんにお願いするのは酷かもしれないけれど、いまはノヴァさんを頼るほかなかった。
廊下に出て十五分くらい経っただろうか。扉がようやく開かれた。
「お待たせー」
見慣れたポニテさんの顔があった。こちらの顔も可愛い。
「時間は短いけれど、誰もいない朝の渋谷を堪能しよう!」
元気いっぱいのポニテさんは当たり前のように僕の手を握って歩き出した。
ポニテさんから感じる温もりはイレギュラーにカズさんたちと出会っても、いいかと思わせてくれた。
どうやら腹黒い行為は向いていないようだ。
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