055 『三つ目(ザ・サード)』
055です。
僕が生を受けた年、渋谷にはネットカフェの前身であるまんが喫茶が軒並み建っていたと聞く。ノストラダムスの予言が外れた翌年の2000年は、一体どんな年だったのだろう。まだ赤ん坊だった頃の僕にはわからないことだけれど、両親の話からすると、日本という国は不景気で、就職氷河期とも言われていた、らしい。それでも、まだ夢や希望が持てた、らしい。
その翌年、二十一世紀になると夢や希望を持つことすら軽んじられるようになったそうだ。輝かしく明るく平和で平等な未来は、それこそお伽話の中だけに存在するようになった。二十一世紀の始まりと共に生きてきた僕には夢や希望という言葉は眩しくて憧れを抱くことすらできなかった。手でつかめない幻想を求めるよりも、現実を直視して歩むべきだと子供ながらに考え、そして二十才まで生きてきた。
無事に志望していた大学へ入学し、アルバイトをしながら東京での一人暮らしが二年過ぎた。やりたいことも、将来の目的も見つからないまま、僕はネットゲームにはまり、現在では適正者となって異世界化した現実世界でモンスターやら元人間で敵の手先となった適応者と戦うはめになった。
今年の幸福がすべて失うくらいの溜息を吐いた。
「本当に夢も希望も、この世界にはないですね」
思っていたことがそのまま口に出てしまった。
「わかりきったことを言うな。バーカ」
ネットカフェの利用者は僕とカズさんだけという貸切状態の店内に、カズさんの声だけが響いた。
「気持ちはわかるぜ。なんたって、敵さんからご指名を受けちまったんだからな。しかも、カーニヴァルとの再戦を断ると俺らはもれなく殺される。つーか、その台詞をいうなら、俺たちのほうじゃね?」
夢も希望もないような状況だとわかっているのに、カズさんは絶望などしていなかった。むしろ、この状況を楽しんでいるかのようにも見える。
「それで、まだなんですか? すぐだすぐだと言って、もう五分も経っていますよ?」
「まだたった五分しか経ってないだろ? そう急かすなよ。予想以上に情報が入ってきているから、纏めるのに苦労してんだ」
「それなら『すぐだ』なんて言わないでくださいよ」
僕は呆れながら家電量販店から拝借したノートパソコンにせっせとタイプしているカズさんの背中を眺めた。
僕がこうしてカズさんと二人きりでネットカフェにいるのはそれなりの訳があった。
スクランブル交差点から安全区域へと移動して、僕らはカズさんが指定したネットカフェの前で無事にカズさんとハンプティさんと合流することができた。
僕らの体こそ傷はみあたらないが、顔には疲労感が浮き出ていたらしく、カズさんとハンプティさんは驚いていた。
ネットカフェに入る前にと、僕のほうから棺破壊での出来事とその後に起きた僕とカーニヴァルの戦いについて一通り教えることになった。
僕の話を聴き終えたカズさんは口元に手を当ててしばらく動かなかった。
「カズさん?」
「お前らがここから出て行ったあと、予想以上に国内外からの適正者から情報が俺の元に届いた。アプリ『R』を利用して情報共有しているから俺だけの情報ってわけでもないがな」
「そんなのわかりきったことでしょう。あのね、カズヒデ。前置きはそれくらいにして本題に入ってくれるかしら。肉体的な疲労こそないけれど、心労はあなたが思っているよりも溜まっているの」
カズさんの軽い口調にノヴァさんが釘をさした。
「それは、悪かったよ。すまん。ノヴァからのお叱りも受けたということで、本題に入りたいんだが……まず先に俺と真悟だけで話をさせてくれ」
「二人だけってことですか?」
「安心しろ、俺には男色の気はないよ」
「知ってますよ!」
僕がツッコミを入れても笑っているのはカズさんだけだった。僕ら以外、誰も存在しない夜の渋谷にカズさんの笑い声が虚しく木霊した。最初こそ面白そうに笑っていたその声も、次第に小さくなり最後には乾いた声となって萎んでしまった。
「そっか。笑えないほど、疲れてんだったな。物忘れがひどくなったもんだ」
「ねぇ」
ポニテさんがカズさんの無遠慮な態度に業を煮やして棘のある声を発した。
「いい加減にしてよ。悪いけど、私たちカズっちの冗談とかまともに聴いていられないの。真悟くんの話をちゃんと聴いていたの? 真悟くんは明日の朝にカーニヴァルと戦わないといけないの。二人きりで話がしたいのなら、真悟くんを休ませた後にしてよ!」
「ポニ、悪いがお前の意見は却下だ」
「なん……ですって!」
カズさんに襲いかかろうとするポニテさんを左手で制してから、再びカズさんと向き合った。
「却下する理由は、カズさんが手に入れたという情報が理由ですか」
「そうだ。真悟、覚醒したんだよな」
「そうです。カーニヴァルの策略にはまって。そのせいでとは言いませんけど、唯一、あの男に勝てる手段があるんです。もしかしたら、この異世界化した現実世界を救う力にもなるかもしれない」
「違うな。真悟。そうじゃない」
「どういうことですか」
「『もしかしたら』でも『かもしれない』でもないんだ。覚醒したお前でなければ異世界化し続けるこの現実は救うことが出来ない」
カズさんの言葉に、皆がざわつく。ただ一人、カズさんと同様に覚醒した力について、異世界化を救う手段を知っているハンプティさんだけは苦い顔をしていた。
「その話を二人でしたいんだ。残りは、悪いがハンプティと一緒にホテルかどっかの飯屋でも入っててくれ。飯はハンプティが作るってよ」
カズさんに言われて、ハンプティさんが胸を張った。
「めちゃくちゃ凝った料理以外なら作れるからさ。好きなモノを注文してくれよ」
「と、言うわけで。ここからは別行動な」
カズさんはネットカフェの店内へと歩を進め、ハンプティさんは僕の顔を見ようともせずに、通りすぎていく。が、すれ違い際に「オレたちのこと、頼んだよ」と呟いた。
「え?」とハンプティさんに顔を向けるも、彼はそのまま残された人たちに向かって両手を広げていた。
「カズッち。何勝手に纏めてんのよ! 私はまだ納得してない!」
ポニテさんが叫ぶと、カズさんは歩む足を止めた。
「納得するしないの話じゃねーんだよ!」
カズさんは声を荒げる。いつも怒っていても、どこか余裕のあるようなカズさんだったのに、雰囲気が明らかに違っていた。
「いまのお前らに、この話はできないってことくらい理解しやがれ! 疲れてんだろ、心やれちまってんだろ? エクスだけじゃない。エクスに付き添った日輪の顔、一緒にパーティーを組んだ虎猫もそうだ。ノヴァは訳ありの知人と再会して……殺した。威勢よくしているお前もだよ、ポニ。お前だってそうとうキてんだろ。真悟だけに戦わせることを、すべての責任を負ってしまう真悟が心配で、辛くて、泣きたくて、そうやって虚勢を張らないと自分が保てないんだろ! そんなもんな、お前らと会ってすぐに理解したよ。だからこそ、俺は真悟と二人きりで話をしないといけないんだ! 駄々こねてないで、大人しく飯食ってろ。いいな!」
カズさんはクソっと最後に吐き捨てて、天を仰いだ。
「怒鳴って悪かった」
「……いいよ。わかったから。私もごめん」
「はは、謝るか。それもそうか。そーだよな。心配だよな。好きな男が一人で戦うんだしよ」
「うん」
カズさんは背中を向けたまま、ポニテさんはカズさんの後ろ姿を見つめたまま、お互いを許しあった。
「ハンプティ。飯作った後、なにを聞かれても、例え脅されても、俺たちが知ったことをそいつらに話すなよ」
「わかっているよ。てか、あんな話、俺には到底できないって」
「だ、そうだ。ハンプティから聞き出すのも無駄ってことで。うまいもんをたらふく食って英気を養え。なにかあった時のためにな」
カズさんは再び歩み出すと、今度こそ立ち止まらずそのままネットカフェの店内へ消えた。僕は後ろから注がれる熱い視線を感じながら、しかし振り返らずにカズさんと同様にネットカフェへと入った。
店内は薄暗く、レジカウンターにはカズさんが待っていた。
「俺たちが座っていた席はあそこだ」
と、カズさんは目の前にある二人座席のオープンシートを指差した。そこにはディスクトップのパソコンが一台に大きめの液晶モニタと、カズさんが持参したノートパソコンが置かれていた。
「早速、話をしたいところなんだが、ちょっとだけ纏めておきたい情報があるんだ。すぐに終わるから待っていてくれ」
この台詞を口にしてから五分が経過し、今に至るというわけだ。
カズさんのすぐという尺がどの程度の時間を言っていたのかわからないが、忙しくノートパソコンにタイプしている姿をみると、まだ時間がかかりそうだった。
「後ろに突っ立っているからそうカリカリするんだよ。遠慮せずに隣に座れよ」
カズさんは左手で空いている座席に指をさす。
「誰もいないのに男二人でこんな狭苦しい席に座るんですか」
「ごちゃごちゃと細かい奴だな。そういう細かいのは女に嫌われるぞ。あ、もうお前はポニと付き合ってたんだったな」
「……まだ、正式には付き合っていませんけど」
「付き合うに正式もクソもあるか。お互い好き同士ならそれでオッケー、祝福してやるよ」
カズさんは憎まれ口を叩きながら、キーを両手で素早く叩いている。
「カズさん。情報を纏めてからじゃないと話せないことなんですか。みんなの前ではもう確定したかのような言い方でしたけど」
「ほぼ確定だ。だが、まだ未確認のことがあってな。向こうからの情報を待っているというのもある」
待っているというのは、情報元ということだろうか。ノートパソコンの画面をみると、幾つかの掲示板が開かれていて、ヴォイスチャットのフリーソフトも起動しているがテキストチャットをしているようだった。会話のすべてが英語で語学力の無い僕には到底わかるような文面でもあった。
「情報を纏めてるって言ってませんでしたっけ。チャットしているだけじゃないですか」
「会話しながら纏めてんだよ。本当はマイクがあればよかったけどなぁ。それも貰っておけばよかった」
貰うではなくて盗むのだが、すでにそんなことを咎めるつもりもなく、僕は「そうですね」と簡単に同意してしまった。異世界化してから僕らはいくつかの窃盗を行っているので罪悪感など皆無に等しかった。
テキストチャットはものすごい速さで流れていく。相変わらず英文なのだが唯一、読み取れたのは相手のチェイスという名前くらいだった。
「チェイスさんとは昔から知り合いだったんですか?」
「いいや。『R』の掲示板でまともな情報を上げていたのがこいつだったから、こっちのIDを教えて話し始めた。動画の撮影か生放送をするはずだったんだけど、それどころじゃなくなったよ」
そういえば、棺を破壊する前に、僕を使って動画サイトで生放送をするようなことを言っていた。僕としてはその夢が砕けてくれてよかったと思う。僕みたいな奴がネットで顔を晒すのは御免被りたいのだ。
「やっぱり……そういう結論になるか」
カズさんのキータイプが止まった。
「ようやく纏まりがついたんですか」
「そんなところだ。ありがとよ、チェイス」
カズさんは素早く感謝の言葉を打ち込んでテキストチャットを終了させた。
ずっとタイピングをしていたので、カズさんは首を回して一息ついた。
「ようやく、話が聞けるんですね」
「ああ」
カズさんはポケットから取り出した煙草の箱とライターを机に放り投げた。
「非喫煙者のお前には悪いが、吸わせてもらうぞ」
「ここ、禁煙席ですよ?」
僕らの真上には禁煙マークの看板がぶら下がっている。
「誰も居ないのに律儀に守るっていうのもな……まぁ、いいか」
カズさんは手にしていた煙草を箱に戻してから、回転椅子を回して僕と向き合った。
「俺がチェイスと話していた内容は大きく分けて三つだ」
カズさんはひとつ話すごとに、右手の指を一本ずつ上げていった。
「一つ、適正者の覚醒とその力。二つ、棺と番人、ガルズディアと生け贄となった適応者。三つ目……真悟に話したいのはこの三つ目だ」
僕は息を呑んだ。
「三つ目、異世界化したこの世界から無事に生還できる適正者は……覚醒した者以外だ」
「は?」
思いがけない言葉だった。
覚醒した者以外ってことは、えっと……どういうことなんだ。
「すまん、わかりにくい言い方だったな。はっきりと言ってやろう」
「冗談ですよね」
カズさんは僕の気持ちを無視して続けた。
「この異世界化した現実世界が元に戻った後、お前は死ぬ」
僕は椅子から跳びはねるように立ち上がった。
「冗談ですよね?」
僕は笑いながら聞いたが、カズさんは僕を見つめるだけでなにも言わない。
「ねぇ、カズさん。そんなジョークはノヴァさんだけでいいですよ」
カズさんは黙ったままだ。
「なんとか言ってくださいよ! カズさん!」
震える拳が抑えきれず、無意識に溜め込んだ闘気をカズさん目掛けて放った。
僕が放った闘気はカズさんに当たるか当たらないかのぎりぎりのラインで通過した。
無駄に放たれた闘気は奥の本棚に当たると、轟音と共に大きな穴を創りあげた。
殺意はなかった、と思う。それでもあの破壊力があったにも関わらず、カズさんは表情一つ変えず、微動だとせず、椅子に座ったまま僕を見つめていた。
「当たらなかったが、俺にあたるなよ」
「嘘だと言えよ!」
カズさんの両襟を掴んで無理やり立たせた。
「な? 二人きりで話したほうが良かったろ?」
無感情のカズさんに、僕はなにも言えず、掴んでいた両襟を手放した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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