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南田さんと北条君

南田さんと北条君


「あれ?北条?」

 しかし、名前を呼ばれた男は振り向かなかった。振り向くだけの元気がなかった。

「北条ってば!」

 背中を叩かれたなら、振り向くしかない。しかも思いっきりペチペチ叩かれている。そう思って振り向くと、自分の視線よりも下に友人がいた。

「南田!ひさしぶりだな!」

「ねー。お元気って、こんなところで何してるの?わかった、彼女に指輪?」

「え?」

振り返ると、無意識のうちに某宝石店の前のウィンドウを眺めていたらしい。キラキラした指輪がそろっている。俺はため息をついて、言った。

「いや、実は婚約解消されたんだ……。」


「これでよし!」

 南田は携帯をメール送信したついでに、電源を切って鞄にしまった。

「よしって、旦那のほうはいいのか?返事とか。」

「いい。こっちの方が大事。」

俺はつい笑ってしまった。南田のこういうところは昔から変わらない。俺の言葉を聞くなり、「飲みに行くよ!」と強引に近くの居酒屋まで俺をひっぱってきた。

学生時代、彼女のあだ名は台風南田。小さな体でどこから出てくるのか、エネルギッシュだ。強引でいろいろかき回して、去っていくが、基本的には嫌われていなかったのは、性格の明るさとさっぱりさが理由だろう。

ビールと適当なつまみをさっさと注文する。

「旦那さんは元気かい?」

南田の旦那は会社の同僚だった相手らしい。転職してすぐに結婚式の案内状が来たことに目を丸くした記憶がある。あとで聞いたところによると、出会って一年もたっていなかったらしい。そのとき、すでに自分の彼女とつきあって三年もたっていることを改めて考えなおした。そして、つい最近正式にプロポーズしたのだ。

「一応ね、まぁ、最近太ってきて、おなか周りは膨れてきたけど。」

文句を言いつつも、南田は幸せそうに笑った。

「で、彼女といつ婚約解消したの?」

あっさりと彼女は本題に入った。

「あー。一週間くらい、いや十日くらい前…かな?」

「なんで?」

南田に遠慮という文字はない。いや、これも長年の友人関係のせいか。なんせ、中学も高校も一緒だったんだから、遠慮なんてあるわけがない。

「意見の相違。」

「相違って……三年くらい付き合ってなかった?別の人?」

「いや、一緒の子。」

「同棲してたよね?なんで意見の相違が今更?子供が欲しくないとかそういうこと?」

「いや。俺が指輪もしないし、いらないし、結納とか式とか面倒だからしなくていいだろうって言ったんだ。」

「それで破棄?」

「いや、彼女は最初は同意したんだ。」

南田は手を伸ばした。

「待った、酒が来た。」

「ん?」

振り返ると、ビールと彼女の頼んだリンゴサワーがやってくる。

「お待たせしましたー。」

店員はそう言って、飲み物を置いていった。

「じゃ、思わぬ再会にカンパイ。」

南田はそう言ってグラスを上げた。

「はいはい。カンパイ。」

かちっと音が鳴った。


「結婚してほしい。」

「はい。」

彼女が泣いた。思ったよりも必要だった勇気を出して言った俺はその姿にホッとしつつ、彼女を抱きしめた。

その三日後。

「え?」

「だって、婚約してすぐに結婚するから婚約指輪は無駄だろ。式もうちの親も参加しないって、言ってるし。一応、まだ反対してるんだよねぇ。二人とも。しなくていいだろ?家のローンもあるし、車もほしいしさ。金の無駄だろう?」

「私たちの結婚式?」

「そ。俺が結婚すると仕送りが減るとか言ってさ。まぁ、減らさない予定だけど。」

「うん……。」

「結婚指輪もさ、別に誰かに結婚したことを知らせるつもりもないし、無駄でしょ。」

「うん……。」

「結納とか形式にこだわらないくても。あ、でも両親の顔合わせとかはするよ?食事くらいはね。予定を聞いといてくれないか。」

「うん、わかった。」


「それで?何が問題なの?」

南田は自分が頼んだ枝豆を口に運んだ。俺が話しているうちに、頼んだ品物は来ていた。

「いや、お互いの両親の顔合わせして、食事会とかして、結婚の紙、婚姻届だっけ?を貰ってきてくれって頼んで。」

「頼んで?」

「ああ。だって俺仕事あるし、昼間の役所とか行けないし。」

「彼女は働いてないの?」

「いや、働いてるけど、役所の近くなんだよ。」

「んで?」


 書類を書く前に彼女がぽつりと言った。

「やっぱり指輪買わない?」

「はぁ?買わないよ。」

「高くなくていいの、シルバーとかでいいし。欲しいな、婚約指輪。」

「しつこいな、欲しけりゃ、自分の金で買えばいいじゃん。自分の分だけ。」

つい、指輪ごときにこだわる彼女にイライラして強めに言った。彼女の顔が少しこわばったことも気が付かずに。

「わかった。」

 結局、その後婚姻届の話もなく、その一週間、ひたすら沈黙が続いた。ある日のこと。家に帰ると彼女が言った。

「あのね。結婚はなかったことにしましょう。」

「はぁ?何、言ってんの?」

 仕事から帰ってきて、疲れているのに言い争いはひたすら面倒だった。

「本当なら、婚約破棄しましょうってことだけど、指輪もないし、破棄するようなものもないもんね。婚姻届だってまだ書いてないし。」

「ちょっと?」

「じゃ、そういうことで。」

彼女があっさりと出て行った。出て行ったあと、部屋を見回して、彼女のものが何もないことに俺は気が付いた。すべて持って行ったようだ。


「追いかけなかったの?」

 あきれたように南田が聞く。

「いや、いつもの喧嘩くらいにしか思ってなくって。あとで、電話でもいいかと。」

 南田はため息をついた。

「それで?」

「携帯に電話したら、電源切られてて。」

「ほう?」

「実家にかけたら、いませんって言われて。」

「ほう。」

「ほうって、俺、結構勇気出して、実家にかけたんだぞ?」

「うん、わかる。よく実家の電話番号知ってたね。そこはえらいわ。ちょっと待ってね?」

 南田はレモンサワーを頼み、俺はついでにビールのお代わりをした。

「それから?」

「それから、しょうがないから翌日会社に連絡したんだ。だけど彼女は会議中ですって言われて、かけ直しはなかった。」

「翌日にかけ直さなかったの?」

「いや、会いに行ったよ。本人に。」

「普通、そうよね?それで?」


「話がある。」

 俺は会社帰りの彼女の腕をつかんだ。

「なんで婚約破棄なんだよ?」

「婚約?ああ、そんなものもしたわね、口だけで。」

 会社の出口で口論はしたくなかったのか、彼女が一緒にスタバに来るまではおとなしかった。だが、彼女の口調は冷たかった。

「口だけでも法律的には有効なんだぞ。」

「知ってるわよ。一緒に前にテレビで見たじゃない。」

言われてああ、そうか、それで知っていたんだと思いだす。

「俺の何が嫌なんだよ、指輪を買わなかったからか?三年以上も一緒にいたんだぞ、そんなことくらいで……。」

「それよ。」

「は?」

「私は三年もあなたと一緒にいて、気づかなかったの。あなたを愛しているんだと思い込んでいたから。でもようやくわかったのよ。」

「なにが?」

「私が重要だと思っていることがあなたにとってそんなこと、だってことよ。」

「おい。」

「あなたが悪いんじゃないの。私の気が変わったの。ううん、たぶんあなたへの愛が消えたのか、目が覚めたのよ。だから別れましょう。いいでしょ?あなたはもともと結婚に反対だった両親しか伝える人はいないし、逆に喜んでくれるでしょ。友人にはただ別れたんだ、で済むし。会社にも言ってないんでしょ?」

「ああ。」

「何が問題なの?」

「俺は?俺の気持ちはどうなるんだよ?」

「じゃあ、私の気持ちはどうでもいいわけ?」

「そうは言ってないだろ?」

「もういいの。あなたの気持ちがどうであろうと私には関係ないから、さようなら。」

 彼女は一口も飲まずにコーヒー代の千円を机に置いていった。


「それは……。」

「気の毒な俺だろ。」

 俺はついさっき来た、ビールをぐぐっと飲んだ。

「彼女が正解ね。」

南田はあっさりと言った。

「はぁ?!」

「しー。声でかい。」

慌てて、口をふさいだ。

「なにが?どこが正解なんだよ?」

「あたしはさ、女だから彼女の気持ちがわかるんだよねー。北条は長男だし、老いていく親の面倒は絶対に見るんでしょ?でもその親は自分が嫌いだ。」

「嫌いってわけじゃ……。」

「結婚に反対なんでしょ?」

「反対っていうか、べつにそれは……。」

「関係ある。」

南田は俺の台詞を遮った。

「結婚は二人でするもんだし、まわりとか関係ないしって思ってるでしょ。」

「ああ。」

「関係あるの。今はいいよ?二人の世界に浸ってれば。でもさ?子供ができたら?自分のことを歓迎しない親に可愛い自分の子供を会わせたい?口を出されたい?」

「それは、そのとき考えれば……。」

「甘い。」

またも南田は遮った。彼女が一気に話し出す。

「会社から電話が家に入った。たまたま携帯に奥さんが出ます、そのときにああ、奥さんいたんだ、って同僚に思われるんだろうなぁ。友人にばったり二人で出かけている時に、会いました、指輪もなく、この人はちゃんと自分のことを妻ですって紹介してくれるかしら?式もしていないし、招待もしてないけど。近所の人は、二人が同棲しているのは知ってるだろうけれど、奥さんになったなんて誰も気が付いてくれないんだろうなぁ、指輪してるわけじゃないし、誰も正面からは聞かないだろうし。子供ができてから言われるのかしら?とか疑問やら不安やらでいっぱいいっぱいなところで、プッツンきたんだろうね。もういいやって。」

「そんな。そんなこと、言ってもらわないと、わかるわけないだろ。」

「言ったのよ。たぶんね。でもそれに北条が気が付かなかったのよ。彼女が出してたマリッジブルーオーラを読み取れなくて、彼女は一人で考えて、一人で結婚はやめておいたほうがいいって結論になったのよ、たぶん。」

「俺に、そ、相談とか。」

「なにを相談するの?相談してどうなるの?」

「相談してくれたら、なにか、こう……。」

「ならないわね。」

南田ははっきりと言った。

「おい。」

「相手が、本気にあなたと話そうとしたときに、あなたはきちんと対応してくれなかった。これから先、十年も二十年もあなたといるつもりなのに、いつもこうだったら?私の意見はどうなるの?誰が聞いてくれるの?北条は仕事してる、でも彼女だって仕事してるの。もちろん、給与も地位も北条の方が上だろうとは思うよ、男性だもん。でも仕事は仕事よ。お互いに忙しい中、何年も付き合ってきたけど、時間と金の無駄って指輪も式もない結婚をしなきゃいけない理由が彼女には見当たらなくなったのよ。」

「だけど、俺のことが好きだから結婚するんだろう?」

「だから、北条のことを好きじゃなくなった今の彼女は、自分から婚約破棄したの。もう揉めるのさえも面倒くさいだけなのよ。喧嘩するのは、相手に分かってほしいとか、相手に変わってほしいとか希望を持ってるからよ。希望も無くなった相手と、もめるだけ時間とエネルギーの無駄よ。」

俺は言葉を失った。そんなことで?たかが指輪一つで、三年もの歳月が無になるのか?俺が悪いのか?

「別に、北条だけが悪いわけじゃないよ。」

 きゅうりの漬物をポリポリ食べつつ、南田が言う。

「へっ?」

南田は、俺のココロを読んだかのように急に言い出した。

「彼女のほうも、もうちょっとこまめに文句を言ったり、意見を言わなきゃいけなかったのよ。プッツンくる前に。修復できるときにしなかったのも悪いの。まぁ、北条が彼女の話を聞けば、の話だけど。」

「聞くよ。」

「どうかなぁ?でも、彼女はこれで次は幸せになれるかもね。」

「は?」

「次よ。どうして、婚約破棄したからって、もう恋愛しないなんてことになるの?関係ないでしょ。北条とは別れたんだから。今度は喧嘩しても修復できるような人を見つけて、結婚するわよ、そのうち。指輪も貰うし、式はどっちでもいいのかもしれないけど。」

「お、俺は?俺はどうなるんだよ。」

「どうにもならないわよ。彼女と会う前に戻っただけよ。歳をとってね。」

 俺は最近の自分のマンションを思い浮かべた。当然帰っても誰もいない。暗い中、誰の声もせず、テレビをつけて、一人でコンビニの弁当をもくもくと食べる。

休日は誰とも話さずに、へたすると起きたころにはもう昼を過ぎていて、インスタントラーメンを食べて、一日誰とも話さずに過ごしている。テレビを見たり、インターネットをしてみたりするが、部屋はひたすら静かだ。

服が溜まれば洗濯もするし、埃相手なら掃除機もかけるが、すぐに終わってなにもすることがなくなる。かといって、親のところに行く気にもなれない。まだ両親には彼女から婚約破棄されたことを言ってはいなかった。

「あきらめるしか、ないんだよなぁ。」

会計を済ませて、俺はぽつりと言った。南田が半分だすといったが、俺は面子にかけて断った。

「そうねぇ。結婚したいだけならほかにもいるだろうけど、どうしても彼女本人じゃなくちゃダメだっていうなら、もう一回くらいプロポーズしたら?根性で。」

「また断れて、へこめってか?みっともない。」

「あら、あたしは旦那の勢いに負けて結婚したけど?」

「うまくいったからいいじゃないか。」

「バカねー、どうしてうまくいったと思ってるのよ。」

「離婚するのか?」

俺は目を丸くした。

「ううん、いまのところは。」

「おい。」

「だけどさ、将来、どうなるかなんて、わからないじゃない。旦那のほうが浮気するかもしれないし、私のほうに旦那を捨ててまで一緒になりたい人が出るかもしれない。単身赴任になるかもしれないし、子供だって授かるかどうかだってわかんないし、結婚してもしなくても悩むし、失敗すれば落ち込むし、へこむのよ。夫婦がうまくいくかどうかなんてやってみなきゃ、わからないのよ。北条だって結婚を申し込むまでは彼女とうまくいってたんでしょ?」

「俺は、そう思ってたけど。」

「でも、ダメだった。」

「まぁな。」

「時間がたたないとうまくいったかどうかなんて、わからないこともあるのよ。いますぐに、結論は出ないの。いま、落ち込んでて、みっともないって思っていても、時間しか解決できないこともあるのよ。」

「……。そうかもな。」

「ま、かといって、時間をかけすぎても、逃げていくものあるから、よく見るしかないね。」「相手を?」

「相手と自分の心を。お、電車来た!じゃあね、北条、またね!」

そういうと南田は走り出した。

「おー。」

俺は後ろ姿に手を振った。俺の電車は反対側だ。俺はため息をついて、自分の心をゆっくり見つめることにした。

彼女と出会った時のこと。彼女と付き合っているときのこと。

自分の両親のこと。彼女の両親のこと。

彼女と暮らすことにしたこと。

仕事のこと。彼女の仕事のこと。

彼女にプロポーズしたこと。

俺は無意識に、自分の降りる駅で降りていた。自分の習慣に驚きつつも、家まで歩きながら、また考え出す。

指輪のこと。家のこと。車のこと。

彼女と喧嘩をしたこと。彼女から婚約破棄されたこと。一人になったこと。

彼女につめたい口調で言われたこと。今日、南田に会ったこと。

 俺は彼女と結婚したかったんだろうか?もちろん彼女のことが好きだ。だけど、この三年間、彼女のあんなにつめたい口調は知らなかった。

俺はいったい、彼女の何を見ていたんだろう?彼女といて、楽しかったし便利だったし文句もあったが、彼女はいつもそこにいた。

俺は彼女に無理をさせていたんだろうか?彼女は俺といて幸せではなかったんだろうか?そして、俺は、そのときどう思っていたんだろうか。

歩きながら考えてみる。正直なところ、答えが出なかった。

見上げるとマンションだ。当然灯りが付いていない。急に、ああ、これが俺の進んできた道の結果なのだと思った。これでよかったのか、そうじゃないのか、誰にもわからないし今でもわからない。

だが、南田に会ってとりあえず曇っていた心のなかはスッキリとしていた。痛みは消えないけれど。彼女の台風効果にニヤリとおもわず笑みがこぼれる。そして、外見がどれだけ変わっても中身はそんなに簡単には変わらないと、改めて思った。

真っ暗な部屋に向かって言った。

「ただいま。」


※インターネットで話のタネを拾いました。でも、90%が創作です。

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