営業前の一幕
ボーイの勤務時間は長い。
17時に出勤すると1時間半かけて念入りに店内の掃除をする。
その後、俺は買出し、ポイント表の作成など雑務をこなしたあと、店内で食事を摂る。
繁華街にはコンビニ、牛丼屋、定食屋、弁当屋などが沢山あるため買ってきたり、ラーメン屋やそば屋などに出前を頼むこともある。
ただ、一応勤務中でもあるため、外に食べに行くことはない。
19時半には店内の照明を営業用に少し落とした頃ぽつぽつとキャストが出勤してくる。
営業は20時から平日は翌朝4時までで週末は翌朝5時まで。もちろん0時以降は違法営業となる。
営業終了後、片づけをしたあと、始発の電車に揺られ帰宅。
基本的に12時間は拘束されるが、残業手当なんて概念はこの業界にはまったく無い。
福利厚生なんてものはないし、風邪を引いて休もうものなら罰金を食らう。
遅刻、早退にも罰金制度があり、かなりのブラック企業である。
今は木曜日の夕方。俺は店内でも一番広い客席に座り、牛丼を片手にキャストの給与システムの資料を読んでいる。
隣りでは増田店長が新聞を読み、坂東さんがキャストの出勤予定表を見ながら唸っている。どうやら、思うようにキャストの出勤が整わないようだ。
「あれ?めずらしいねぇ。お勉強?」
逆隣りに座っていた西野さんから声がかかった。
この人はノリだけで生きているような男。あまり深く考えずにしゃべるため空気が読めない発言が多い。
そのために、客やキャストを怒らせることもあるがあまり自覚していない。
どちらかというと自信過剰で、仕事ができると思っている。
事実、ホール業務、キッチン業務、開店準備、閉店作業は誰よりも素早い。
が反面、視野が狭く、付け回し中は落ち着きがなく常にテンパっている。
説明したりしゃべるのが苦手。そのせいで3年目でいまだに平社員。
背が低くキャストからはサル扱いされている。
俺自身、苦手意識があるが、シカトする訳にもいかず答える。
「今日、咲さんが初出勤なんですよ。色々聞かれても答えられるようにと思いまして……」
「そっかぁ、偉いねぇ。ところで出確はしたの?」
「しゅっかく?ですか??」
「出勤確認だよ。したの?」
「いえ、してないですけど」
「しないとダメじゃん。勝手に休まれると大変だよ。知らないよ~。てゆーかそんな基本的な事もわからないの?」
「はぁ、すいません」
その時、新聞を読んでいた店長が思いっきり机を蹴り上げた。
「おい!西野!人を馬鹿にする前に俺に言わなきゃいけない事があるんじゃないのか?あ?」
突然切れた店長に場の空気が凍る。そんな中、坂東さんだけは自分の牛丼と出勤予定簿を持ってそそくさと席を移動していった。
どう答えていいかわからない西野さんはしどろもどろになりながら必死で言葉を捜しているが何も出てこない。痺れを切らしたかのように店長が立ち上がり西野さんの胸倉を掴む。
「杏奈もミリオも先週から全然出勤足りてねえじゃねえか!どうなってんだ!」
「ぃや、その、何か色々忙しいらしくて……」
「何かって何だよ!他のキャストだってみんな忙しいんだよ。みんな週末遊びたいんだよ!それを何とかして出勤に繋げるのが仕事だろうが!キャストのご機嫌ばっかり伺ってるからなめられんだろうが!」
「す、すいません…」
「だったらさっさと連絡しろ!」
「は、はい!」
西野さんは携帯とキャスト情報の入ったファイルを手に何処かへ行ってしまった。
店長は何事もなかったようにまた新聞を読み始めた。
なんとも言えない空気が店内に流れる。
「はざーっす!!」
そんな空気を打ち破るように一人の男が出勤してきた。
「あれ?何かあったん…、あー、お疲れっす」
瞬時に何かを察したその男は若干声のトーンを落とし様子を伺う。坂東さんと目が合い、アイコンタクトで状況を把握する。
この男、名前は優矢。増田店長の従兄弟で歳は19歳。
基本的に店外にいる。契約に縛られない自由人。実際、どんな形で給料を受け取っているのかよくわからない。この人だけタイムカードが無いし。
ただしスカウトや客引きにかけてはこの街でナンバー1との呼び声が高い。
さらに、この歳にしてSEX人数4ケタ越えのスーパーマン。
忙しいときは店内業務も手伝い、やろうと思えば付け回しも延長確認もできるなんでも屋さん。
その容姿と雰囲気からよくホストに間違われるが、街では昔からかなり有名らしい。
悪い人とも顔見知りで情報通。もちろん街で会うそれっぽい女の子はだいたい知り合い。
フリーでスカウトしていてもスカウト会社から文句を言われないあたり、どんな交友関係があるのかはなんとなく察することができる。
まぁ、生まれついての夜の住人。ただ、周りからの評価はものすごく高いのに本人に全くその気がない。
社長にも社員になれと言われているがのらりくらりとかわしている。
事実、優矢が手伝うようになってから、入ってくるキャストの質がグッとあがった。
そして彼自身、実は学生だったりする。
本人いわく「仕事にしたら女を食えなくなるからヤダ」だそうだ。
人あたりが良くお客さんからも愛されている。俺のような新人にも気さくに話しかけて和ませてくれることも多い。
優矢が俺と店長がいる席をチラリと確認したあと、なぜか俺の隣に座った。
「おはようございます。今日の海斗さんいつもと何か感じが違いますね。何かあるんですか?」
店長の不機嫌な態度には一切触れずに俺が読んでいるファイルを覗き込んできた。
「いゃ、何かいつの間にか担当キャストが出来ちゃって、色々とわかってないとまずいかなぁと思ってさ」
「あー、お疲れ様です。偉いっすね。俺なんか女の子にシステムの説明したことなんてほとんどないっすよ」
「マジで?じゃあいつも連れてくる子には何て説明してるの?」
「んー、一緒に頑張ろう的なノリで話してますけどね。大まかなシステムなんてどの店もあんまり変わらないし。それより、身の上話をよく聞いてその子が働ける環境を整えるように動いてあげると自然と信頼関係ができますからね。そうすると、俺のために何か出来るか聞いてくるんで、じゃあ一緒に働いてみる?的な感じです。ただ、俺は基本的に店外なんで、話が違うじゃんってよく言われますけど」
そう言って少年のように屈託無く笑う。
こういう、普段のドライなイメージとのギャップが人を惹きつけるのだろう。
「まったく・・・、お前の話は全然参考にならないなぁ」
増田店長は新聞から目を離し、言った。
いつの間にか先ほどまでの不機嫌さはなくなり呆れたような笑顔を浮かべている。
「そりゃそうだよ。だって俺自身、誰かを参考にしたことなんてないもん」
「嘘つけよ、この前は俺を見習ってるって言ってたじゃねーか」
「あれは給料前借りするために・・・、じゃなくてえーと・・・」
「お前の気持ちはよーくわかった。今度女と揉めても助けてやんねーからな」
「ちょ、兄貴、まじソンケーしてます」
「はいはい。行動で示してくれればそれでいいよ」
「OK!スカウトがんばるよ」
この二人の関係はなんだか微笑ましい。そしてテンポのいい言葉のやり取りや、自分のキャラを最大限に生かす話術が女心を惹きつけるんだろう。
「それより海斗、お前の強みは俺がわかってる。自分が思うようにやっていいんだからな」
「俺の強みですか。何なんでしょうね。っていうよりあるんですかね俺に」
「あるよ。調子に乗らないところ。感情を殺せるところはお前の最大の強みだよ」
「無関心なだけかもしれないですけど」
「お前は遅刻もしないし掃除も手を抜かないし、ポイント表の作成に関しても間違いがない。客への対応もそつなくこなしている。仕事に無関心な奴がそこまできっちり出来るとは俺は思えない。あと、俺やキャストに褒められても調子に乗らないし、今回のスカウトに関しても舞い上がっている感じもないしな」
「いや、店長や優矢君みたいな振る舞いが出来ないのは自分でもわかってるんで。何の取り柄も無い自分には誰にでも出来る事をこなしていくことぐらいしか出来ないですから」
「本当にお前は自分の気持ちを隠すのがうまいな。つまらない人間を演じてラクをしようとしてるんじゃないのか。でもな、どんなにお前がドライな人間を演じようとも俺にはそうは映らない。お前のこれからが俺は楽しみでしょうがないんだよ」
この人にはかなわない。そう思った。
頑張れとも期待してるとも言わず、ただ楽しみにしてると言う。
俺は普段あまり人の言葉が心に響かない。だたこの人の言葉は少しだけ心にじんわりと広がるものを感じた。
「あとは、喜怒哀楽が演技できれば一人前だな」
増田店長は独り言のようにポツリとそういうとまた新聞に目を落とした。